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 ルカディウスはさらに疲れきった馬を駆り立てて、ようやく翌日の深夜にゼアに到着したのだった。裏門の方は戦場にはならなかったために、そこここに打ち捨てられている死体の数は少なかった。それでも不寝番に立っていた歩哨がルカディウスの一行を見咎めて油断なく槍を構えたまま近づいてきた。
「何者だ!」
「止まれ!」
 殺気だった軍勢の見張りに誰何され、胸の前に槍を交差されて、恐れ気もなく小さな体を張って一喝する。
「馬鹿者! 私だ――ルカディウス卿が戻ってきたのだと一刻も早くアインデッド将軍にお伝えせよ! ただならぬ大事の場合だぞ!」
 もとよりその異形と背の低さは真似ようとしても真似られるものではなく、ラトキア兵は慌てふためいて本丸へルカディウスを通した。いずれにもせよ、全身綿のように疲れきっていたルカディウスはそのまま馬から転がるように下りて、アインデッドが待っていると小姓に教えられた部屋の方へ駆けていった。
「アイン!」
 いつもならば、何かとアインデッドの機嫌を恐れ、まして寝起きの彼とあっては地獄のような不機嫌のかたまりであるのは決まっているのだから、何だかんだともじもじしていっそう彼の怒りを買いがちなルカディウスなのだが、今回ばかりはそのような遠慮会釈を見せている暇もなかった。
「なんだ。何かあったのか」
 アインデッドの方はすでに伝令に知らされていたし、血相を変えて全身旅の汚れと埃にまみれてたどり着いたルカディウスを見て、何かただ事ならぬ異変があったと悟ったようで、そこは武将で何ひとつ無駄口をきこうとしなかった。
「シャームか? それともエルザーレンか」
「いや、違う――イズラルだ!」
 ルカディウスは大きく喘いでそこにへたばった。
「水を――頼む、水を……一杯」
「おい、ルカディウス卿に水をやれ」
 アインデッドは相変わらず皮肉な物言いで、久方ぶりに会うこの忠僕をちっとも嬉しそうではなく眺めた。
「イズラルがどうかしたのか。地の底に沈没でもしたのか」
「そのほうがなんぼかましだ。――いや、アインデッド将軍、おそれいりますがお人払いを」
「外に出てろ」
 無造作にアインデッドは命じ、小姓たちを下がらせる。ルカディウスは与えられた水をむさぼるように飲んでやっと一息つくと、へたりこんだままアインデッドを見上げた。アインデッドはその間妙に冷めた、皮肉な目でそのあまり品が良いとはいえない行儀を見ていた。
「イズラルと和平しないでくれ」
「何だ?」
 アインデッドはうさんくさそうな顔をした。――ある程度予想はしていたものの、サナアから本人が来て言う言葉ではないように思えたのである。
「何を言っている。ただいま交渉中だぞ。はいそうですか、と簡単にやめられるものでもないだろうが。馬鹿な」
「馬鹿じゃない。今お前が和平をしてしまったら困るんだ」
 アインデッドの目がぎらりと光った。
「誰が困るって言うんだ。またぞろ、俺が困るんだアイン、なんてほざく気じゃないだろうな」
「ち、違う。どうしてもとにかくアイン、ゼアもヒダーバードも行きがかり上アルドゥイン将軍が先陣を切ったが、お前に次こそ先陣を取ってもらわなくてはならなかったんだ。……俺の考えでは」
「何が『俺の考え』なんだか知らねえがな」
 アインデッドはいやというほど顔をしかめた。
「俺にはからずに訳のわからねえ陰謀ばかり巡らせて、それで済むと思ってるんだったら間違いだぞ。俺にちゃんとぶっちゃけろ――でなけりゃ貴様の思うようになんて動いてやらねえぞ、俺はもう二度と。――俺を思い通りに動く人形だと思うのをやめろ、って一体、何回言ったら判るんだ?」
「そ、そんなこと」
 ルカディウスはおとなしく言った。
「とんでもない。思い通りに動かすつもりなんか。それにお前は俺の思い通りになんか動かされないだろう。俺が考えていたのはひたすら、ペルジア相手にいかにラトキアのアインデッド将軍が凄いか、手強いかっていうことを叩き込んでほしい、ということだった。俺がついていこうがいくまいと――この今回のいくさはどうせ色々と作戦の必要なものじゃない。ペルジアは兵の数だけは多いが、ペルジア正規軍といったところでその大多数は徴兵された農民だ。それがラトキア黒騎士団の前に十倍いたって歯の立つような相手じゃない」
「そんなくだらねえ世辞を言いに来たのか」
 アインデッドはそっけなく言った。ルカディウスはめげなかった。
「おまけにメビウスからアルドゥイン将軍が来ている。お前とほとんど同い年ながらも、ペルジアのトティラ将軍ぐらい、というか新しい中原の英雄として有名なアルドゥインだ。いわばお前は、すでにアルドゥインという宮廷の華がいるダンスパーティーに途中参加でデビューした姫君みたいなものなんだ」
 仮にルカディウスには何の他意もなかったと弁解したとしても、この言葉はアインデッドにとって鬼門だった。たちまち、彼のただでさえ良いとは言えない機嫌が明らかに不機嫌の方へ転がってしまったのをルカディウスは感じた。
「俺の前でよくもまあ俺を姫様呼ばわりして、あまつでさえ他の武将を褒める口を利くな、てめえは」
「いや、だからこそ」
 ルカディウスは汗を拭いながら、
「俺としては、ペルジア国民に対して、ラトキアのアインデッド将軍はあのアルドゥイン将軍より恐ろしい、というイメージをしっかりと植えつけておいてほしかったんだ。今後の展開のためにも」
「今後の展開ってのは一体何なんだ」
「それはまあ……いずれわかる」
 ルカディウスはじれったげに、
「だが今はこんな話を悠長にしている場合じゃない。――どうする、アイン。――このまま、紳士的に、ナーディルとアクティバルたちを引き渡してもらって、イズラルと一戦も交えることなく引き下がってそれでいいのか?――お前の剣は充分に血を吸ったのか? それに――」
「うるせえな」
 凶暴にアインデッドは言った。痛い所を突かれたので。
 アインデッドは今度こそ冗談ではなく機嫌を損ねたようだった。むっとした顔のままディヴァンに身を投げ出し、長い脚を組んで噛み付くように言った。
「こんな弱っちい敵あいてに何をしろってんだ。そりゃゼアは見てのとおり落としたさ。簡単だった。まるで赤子の手をひねるみたいだったっていうのか。たかが一日か二日戦ったくらいで何がわかる――しかも自分の案とはいえアルドゥインがさんざんお膳立てしといてくれた砦だぞ。ヒダーバードをメビウスに譲るためには仕方がなかったが――まあいい、あんまりそんなことばかり言ってると、血に飢えた狼扱いされるだろうからな。ともかく今回はナーディルをこっちに引き渡してもらえれば、戦い続ける口実は何もないんだよ。畜生め」
「それで、だ、だから、アイン」
 ルカディウスは急いで辺りを見回した。慌ただしく身を起こし、アインデッドの耳元に口を近づける。アインデッドは思い切り体だけを引いたが、場合が場合だったのでそこはいやいや我慢した。
「どうせペルジアの対応はああだこうだと引き伸ばされているんだろう? 何かこれといった手紙や申し越しはなかったはずだ――ないだろう?」
 アインデッドは無言で頷いた。
「だから、終わってから何とでも言うことができる。返事が遅すぎるゆえ、和平の意なしと判断した、とか。それこそ俺が何とかする」
「そんなことをやって、アルドゥインには何て言えばいいんだよ。あいつは絶対そういうことを許さねえぞ。というか、俺だってそこまでする気はねえし……」
 そのアインデッドの最後の言葉は口の中で呟きになって消えてしまったので、ルカディウスには聞こえなかった。
「アルドゥイン将軍にしては珍しい手抜かり――というより、俺をサナアに追いやった時点で事足りると思ったのだろうな」
 ルカディウスはしてやったりというほくそ笑みを浮かべた。
「だがおあいにくさまだ――俺のほうが今回ばかりはアルドゥイン将軍の先手を取ってやる。今すぐイズラルに攻めかかるんだ、アイン。ナーディルなんかこのさいどうだっていいんだ。というより最初から奴は捨て駒だ。
 今ならまだ、ペルジアの対応が遅いために和平の意思はないものと見た、全く知らなかった――で押し通せばそれで済む。こちらから首都圏に入り、火矢の一つでも射掛ければ、必ずたまりかねてリール公女は出てくる――いったん戦いになってしまえばあとはもう大混乱だ。アルドゥイン将軍でも今のあの弱いペルジア、リール公女以外には好戦的なもの一人としていない情けないペルジアをそうそう思った通りに動かすわけにもいくまい。
 ……とにかく多少の損害は構わず、精鋭だけ連れて先乗りするってのはいかにもいかにもだが、それは後から何とでも舌先三寸でごまかしがきく。ともかくペルジアを挑発するんだ――かなりの少人数だって構わない。どうせアルドゥインにこっちの意図を勘付かれるのは時間の問題だ。そうなれば必ずアルドゥインは我々をおさえ、リール公女をおさえてともかく和平を結ばせる方向へ話を持っていこうとする。だから、早くしないといけないんだ」
「その方向ってのは、俺が持っていきたい方向なんだよ。ばかが」
 アインデッドは不服そうに頬を膨らませた。
「ペルジアはいま三カ国連合軍などをひきうける気力も国力もありゃしない。今はうだうだと延ばしていても、首都を攻めてやればいくら奴らがぼんくらだとしても我々が本気だということを知るだろうし、どのような屈辱的な条件、どのような大金をかき集めてでも講和を望むに違いない。国が滅びるよりはそのほうがましだろう」
「けっ、男じゃねえな」
 アインデッドは罵った。
「それにしても、お前は何だってそう俺に戦わせたがるんだ?――俺だってそりゃ戦いたいけれど、もしそれが筋の通らないものなら、山賊じゃあるまいし、そうそう無理無体を仕掛けてゆくわけにもいかねえってのが俺の大嫌いな国際政治だっていうことくらいは分かってる。第一本当はその国際政治とやらが大好きなのはお前の方だろう。――今回に限って何だって、わざわざ俺に和平交渉をぶち壊してまでペルジアと戦わせようとしてゼアまで飛んできたりなんかしやがるんだ?」
「それは、アイン」
 アインデッドが納得しないと見て、ルカディウスはさらにアインデッドの頭を抱え込むようにして耳に口を寄せた。
 アインデッドはまたも顔をしかめたが、しかしルカディウスの最初の一言が耳に入ったとき、はっとしたように身をこわばらせた。ルカディウスがそのひそひそ話を終えて身を起こした時、アインデッドのルカディウスを睨みつける細めた目には、かすかに違った光があった。
「ふん」
 彼は一言だけ、吐き捨てた。
「貴様らしいな。――汚くて、せせこましくて、残酷でよ。……なるほどな。そういうことを考えていたのか、貴様は」
「そうだ、アイン」
 だが、今度は、ルカディウスはひいてはいなかった。
 その目は爛々と異様な光をたたえて光っていた。食い入るようにアインデッドを見つめるその狂ったような目から、アインデッドはふっと彼らしくもなく目を伏せ、視線をそらしたのだった。
「そうだ、アイン――それが俺の究極の目的だ。俺はそのために生きている――俺はそのためなら何でもする。今回、お前にはどうしてもそうしてもらわなければならないんだ――ペルジアをいったん武力で危うくし、それをアルドゥイン将軍の仲裁によって『許してやら』なくてはならないんだ。あくまでもそういう形を作らなくてはならないんだ――エトルリアと共同でも何でも構わない。――とにかくお前が先陣でさえあれば。それが俺のその目的がかなうかどうかの第一歩なんだ」
「勝手にしろ」
 アインデッドはまた吐き捨てた。だが、彼にもあらずその語気は、日頃ルカディウスに対して向けているものからはずいぶんと弱くさえ響いたのだった。
「――で、どうしろとおっしゃるんだ、俺に、軍師様は?」
 アインデッドは何かを跳ね返すように皮肉に言った。ルカディウスにはその程度の皮肉など通じなかった。
「今すぐに、兵を率いてイズラルへ。ある程度近づき、リール公女が出てくれば五千の旗本隊のみを率いて市中へ」
「五千だと。五千でイズラルの十万に対して何ができる」
 アインデッドがびっくりしたように言った。
「持ちこたえることが」
 ルカディウスは即答した。その目はなおもぎらぎらと光っていた。
「残りの兵にもどんどん追ってきて合流できるように俺が計らう。――とにかくこの大人数を率いてイズラルに攻め上るのじゃ進軍がのろくてどうにもならない。本当は五千も要らないぐらいだが、もしもアインの身に万一怪我でもあろうものなら取り返しがつかないから、それで五千、だ。そんなに長い時間持ちこたえる必要もない――すぐに本隊が合流するし、それにすぐアルドゥインが動き出す。我々が動いたと聞き次第アルドゥイン将軍には俺のたくらみはのみこめる――もちろん肝心の所はそうもいくまいが……もしそれができるのだったら、俺の野望もこれまでってことだ……」
 その最後の部分は口の中で呟くように言われたので、アインデッドは聞き取ることができなかった。
「で、アルドゥイン将軍がいずれ抑えてくれる、というのを前提にしての無茶な突撃だ。しゃにむに碧玉宮をおびやかすんだ――めちゃめちゃに暴れまわるんだ。ラトキア侮りがたし、アインデッド恐るべし、の印象をかたくペルジア人民に焼き付け――アルドゥインの工作を受けてその恐るべき矛先をようやく収めてやった、という恩を着せるんだ。そして――」
「そして?」
 アインデッドは何となくまずいものでも飲んだようなしかめ面で尋ねた。
 ルカディウスは黙って意味ありげににやにやと歪んだ笑いを漏らした。そして、普段ならアインデッドに尋ねられれば自慢げに得々と説明をしだすところが、それでどうするのだともなんとも言わなかった。
 アインデッドもまた、普段の彼であったら怒りそうなものを、強いて追及しようとはしなかった――彼にもあらず、あたかも、何か不吉なものをその口から引き出すことを恐れでもしたように。
 若い蜂の群れが大きな元の巣を離れ、みずからの道を求めるあの姿にも似て、アインデッド率いるラトキア軍がゼア砦を離れ、アルドゥイン率いるメビウス‐ラトキア連合軍をヒダーバードに置き去りにして一路イズラルへすさまじい勢いで攻め上っていったのは、その直後だったのである。


2011.4.20

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