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     戦士の栄冠は戦争ではなく勝利で
     目指す勝敗はまた時の運
     勝利こそ不動の徳の賜物
             ――アルカンド




     第三楽章 サラバンド――修羅の巷


 春の雪解けの激流にも似た怒涛のような進軍中にも、アインデッド軍に同行したメビウス軍からひっきりなしに伝令が駆けつけてくる。いまや激しく繰り広げられている市中での戦いを知らせる伝令である。
「閣下! ここより南二バルのイズラル西郊外の草原にてラトキア軍とペルジア軍およそ一万が激突しております! ただしどうやらそこにはアインデッド将軍自身と旗本隊は見受けられません。ラトキア軍の主力はリール公女率いる本隊を求め、さらに市中深く侵入している模様であります」
「ペルジア軍はかなり大勢の死傷者が出ている様子であります。情勢は人数の圧倒的な違いにもかかわらずどうやらペルジア軍やや不利のようであります」
「リール軍の本隊は!」
 アルドゥインは怒鳴った。
「アインデッドとリール公女をぶつからせてはならない。よし、軍を分ける――リール軍を分断し、混乱させよ。一隊ずつに分かれて一斉に各方面からリール軍にかかり、撹乱する。アインデッド軍とリール軍の間に割り込み、極力かれらを混乱させろ。混乱させては直ちに引き上げ、あらためて陣を整えなおして再度混乱にかかれ。了解?」
「かしこまりました!」
「第二隊はリール公女の本陣を探せ。白旗を揚げ、リール公女にメビウスのアルドゥインが御意願いたいと大声で触れつつリール公女軍を駆け抜けろ。決して戦闘に入ろうとしていると誤解されぬように旗を大きく掲げ、大声で俺の名を触れつつ割って入る」
「かしこまりました!」
「セリュンジェ、護衛を」
「はっ!」
「報告、報告! アインデッド将軍の旗本隊と見られるきわめて精悍な二千あまりの兵が一気にイズラル市内に突入し、ペルジア軍の激烈な抵抗をものともせずまっしぐらに碧玉宮方面を目指しております」
「なんだと?」
 アルドゥインは声を荒げた。
「何と無謀な」
 覚えず、セリュンジェもわめいていた。
「いやしくも天下のペルジアの心臓部を、たかが二千の兵でだと?」
「それがアインデッドという男だ、セリュンジェ」
 一瞬の驚愕から立ち直ると、アルドゥインは馬首をたてなおした。
「こうしてはいられん。我々も碧玉宮を目指せ」
「閣下! 向かいに敵軍が!」
「来たか」
 報告を待つまでもなかった。たちまち、公都を死守せんとする決死のペルジア正規兵の一隊が、「ウラー! ウラー!」の大声を上げながら彼らの行く手に立ちはだかっている。
「どうするんです――閣下」
「やむをえん」
 アルドゥインは叫び返した。
「全員戦闘用意! ただし無益な殺傷は必要ない! ともかくここを切り開いてまっすぐに碧玉宮、ないしリール公女の本隊を目指す!」
「了解!」
 アルドゥインが大剣を抜き放つ。相手はまさかいきなりメビウス軍の本隊とぶつかるとは思っていなかったらしい。しかし必死の形相で、ほとんどがむしゃらに襲い掛かってきた。
「中央突破!」
「無益な殺生をするな! 一丸となって突破せよ!」
 アルドゥイン、セリュンジェそして後に続く騎士たちの叫びがペルジア兵の絶叫に飲まれる。それは――久々に、あるいは彼が紅玉将軍となってからその麾下となったものに初めて見せる、アルドゥインの戦う姿であった。
「ああっ……」
 あまりのことに、敵ならず味方でさえ一瞬鼻白んで息をのむ。
 アルドゥインはあたかも白い一陣の嵐が吹き荒れるに似た。その頭を低く下げ、馬の首に身を伏せ、馬と一体になって大剣を振りかぶって突進していく勢いに、一瞬として対抗しうる者はいなかった。
 多くはまるで彼に近づいた、と見えた瞬間吹っ飛んで地上に叩きつけられた。あまりのすさまじさに、それが剣に切り飛ばされたのか、それとも馬の蹄にかけられたか、それとも左手の盾に払いのけられたのか、どれほどの被害を受けたのかさえ、地上に叩きつけられてからしばらく経つまで全く見て取れないほどだった。たちまちのうちにペルジア軍は浮き足立った。
「わああーっ!」
「くずれるな! 敵は少数だ!」
 必死に叫びたてるペルジア軍の隊長たちの叫びもむなしかった。
「アルドゥイン閣下に遅れるな!」
「後れを取るな!」
 紅玉騎士団の精鋭たちでさえ、半ばうろたえ気味に態勢を立て直し、アルドゥイン一騎が切り開いた真っ二つの道へと慌てて切り込んでいく始末であった――その時にはアルドゥインは、これまでのじっと耐えてきた全ての怒りと焦慮と苛立ち、もどかしさといったものをありったけここにぶちまけ、爆発させるように、剣を振るって切り進みながらはるかに百バール先を駆けていた。
 たまたまここでアルドゥインと激突する羽目になったペルジア軍こそ不運であった。恐らくはそれと同じような不運を、ずっと髀肉の嘆をかこっていたアインデッドの本隊とぶつかったペルジア軍もいやというほど味わっていたに違いない。
(こいつぁ……たまったもんじゃねえぜ。アルドゥインのやつ、完全に怒っていやがるな。初めて見たぜ。こんな凄まじいアルドゥインってのも……たとえ何があろうとも、アルドゥインとアインデッド将軍の敵にだけはなりたくねえッ……)
 アルドゥインの切り立てていった後になかば気を飲まれつつも、必死で防戦してくるペルジア兵を本能的に切り払い、慌ててアルドゥインの後を追う。アルドゥインの姿はすでに本隊から離れてしまっている。はるかに先の方に上がる凄まじいかぎりの血しぶき、血煙と悲鳴、ペルジア兵の絶叫とがアルドゥインの位置を遠くからでも判らしめる。
「なんて、戦いぶりだ……」
 セリュンジェは密かにうめいた。
(冗談じゃねえ……たった一騎で、ペルジア正規軍を全滅させかねねえぜ……よっぽど、頭にきてんだろうな。いつもはあんな落ち着いてるやつが……)
 行く手には碧玉宮がある。アインデッドとリールの激突を阻止し、アインデッドの生命を危地から救い、そしてアインデッドの碧玉宮への突入をも阻止せねばならない。いまやアルドゥインは必死であった。戦場の修羅と化して、アルドゥインは愛用の大剣を右に左に振るいつつ、死都と化したイズラルの路上を突き進んでいくのだった。
 ペルジアの公都、碧玉宮に攻め上り、第三公女リール率いるペルジア正規軍三万とラトキア黒騎士団の精鋭五千は激しい市街戦を始めていた。そしてヒダーバードに残されたメビウス軍のアルドゥインと、事態を知り彼に釈明を求めたペルジアの将軍トティラは、血気にはやるアインデッド、ひいては軍師ルカディウスの野望を阻止するべく、それぞれにイズラルへと急いでいた。

 ――そのころ。
 物語は、しばし前に立ち返る。
 アルドゥインが見抜いたとおり、アインデッドの軍師ルカディウスは、アインデッドが恐らくはヒダーバードかゼアが落ち次第、ナーディル公子の生死がいずれにもせよペルジア宮廷と和平の交渉に入り、首都イズラル攻めはよほどのことがないかぎり敢行すまいと読んで、いちはやくサナアを離脱し、急ぎアインデッドと合流すべく少人数でゼアへと向かったのだった。
 もともと小柄でさほど兵隊くさくもなければ、クラインはモリダニアの生まれだけに間違ってもペルジア人やエトルリア人には見えない利点のあるルカディウスのこと、ラトキアの軍服を脱ぎ捨てて、平民の服に身を包んでしまえば、時節柄外国人が街道を旅するのをいぶかられる程度だった。それも抜かりのない彼のことゆえ前もってペルジアの手形を裏ルートで手に入れてあったので、旅の商人のふりをして街道を急ぎさかのぼることはそれほど難儀なことでもなかった。
 そうでなくてもペルジアはこのたびのラトキアとの戦争で、正規軍の大半をイズラルの警備に召集し、あとはゼア、ヒダーバードに兵を分けているので、それ以外の街道筋にはほとんど見張りの兵さえも出していない。ルカディウスはごく少しの護衛だけを連れて、ほとんど不眠不休でイズラル街道を目指し、時に夜などは街道を離れて草原や農地を突っ切る無茶もして、悪運強いというかいまだ運に見放されず――というべきか、さしたる妨げにもあわぬままペルジアを文字どおり横断したのだった。
 だがこれはルカディウスにとっても非常な賭けであった。当時のこと、いったん連絡の離れたアインデッドがどのように――ルカディウスの言い置いた、あるいは読んでいるとおりに行動しているかどうかは、これはどうにも知りようがないし、連絡のつけようもない。アインデッドのように専属の伝令部隊を置いているわけでもない。
 しかもアインデッドはそれを知っていて彼に連絡をつけようともしなかった。ルカディウスにとっては、アインデッド率いる連合軍がもしルカディウスの予想したルートを離れてしまっていたらもう、アインデッドと合流する術は――少なくともルカディウスの思惑に間に合うようには――ありはしないのだ。
 それゆえ、ルカディウスはすぐ後ろについてきてしまったにしろ、ランを口うまく騙して、サナアで残りの軍をまとめてから追ってくるように説きつけ、国おもてで異変が起こった、という口実のもとに十名に満たぬ人数で馬を飛ばし続けてきたのだったが――。
 これほどに肝を冷やした旅程はルカディウスにせよ珍しかったので、ようやくにイズラル街道に入って、付近の農家でほんの三日ほど前に恐ろしげな軍隊が街道をヒダーバード方面に攻め上っていった、という話を聞き、旗印や様子を問いただしてそれがまさしくアインデッド率いるラトキア‐メビウス連合軍だと確信した時はさしものルカディウスも全身の力が抜けていくような心地がしたものだった。
 だが、そこで安心しているわけにはいかなかった。このさき、ともかくもアインデッドが完全にペルジアとの和平交渉を済ませてしまわぬうちに、イズラル相手の戦端を開かねばならないのだ。
(もし、アインデッドがペルジアとの和平交渉を終え、ナーディルが引き渡されてしまえば、ペルジアに攻め込む理由が全くなくなってしまう。――和平条約を結んでおきながら、なおかつイズラルに不法に攻めかかったということになれば、今度はラトキアの立場がない。最悪の場合には国際平和のためにと今度はメビウスとの戦いになる可能性さえ考えられる)
(まあ、アルドゥインにはそうできないだろうが……それにしても、そういう危険をはらんだ展開になってしまったらことだからな)
 ルカディウスにはルカディウスの思惑がある。というよりも、ルカディウスの方はその思惑だけで動いてきたと言ってもいいのだ。その思惑の中では、どうしてもアインデッドは一回でもよいから、イズラルのペルジア正規軍と剣を交え、そしていかにその恐るべきかをペルジア軍にはっきりと焼き付けてくれなくてはならないのだ。
(べつだん、勝利を収めなくてもいい。もとより、今のラトキア軍の人数で一国の首都を落とせるわけがない。だが、そうではなくても……)
 ルカディウスのたくらみは深い。


2011.4.10

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