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     われ、アスキアのアルドゥインは、
     メビウス皇帝陛下に捧げたるこの剣を
     皇太子リュアミル殿下にも同じく捧げ、皇家に永遠の忠誠を誓う。
     いかなる艱難辛苦が君にあろうともわれは変わらず君を護らん。
     我が忠誠を疑う時あればいつなりともこの剣を押し、
     我が命を奪いたまえ、我が君。
     されど我が魂はとこなしえに君を護らん。
     いざ我が剣を受けたまえ。
                            ――アルドゥイン




     第一楽章 アルマンド――葬送の炎




 ゼア砦をアインデッドに任せ、アルドゥインは順次戦線離脱した紅玉騎士団を率いて一路ヒダーバードを目指して駆け続けた。アインデッドが告げたとおり、しばらく行くと前方にラトキア赤騎士団の姿が確認できた。
 赤騎士団の方でも、後ろから追いついてくる紅玉騎士団に気がついたらしい。赤騎士団は速度をゆるめ、紅玉騎士団は速度を上げたので、二つの軍は次第に一本の流れを作っていった。どちらからも連絡や申し合わせがあったわけではなかったが、乱れも迷いも無い動きだった。
 紅玉騎士団の統率にはむろん較べるべくも無かっただろうが、この赤騎士団も人数は少ないながら、乱れのない動きはさすが黒騎士団に次いでアインデッドが鍛えただけのことはあった。
 しばらく行くと、団長の房飾りをつけた兜でそれと判る一騎が騎士たちの合間を縫ってアルドゥインに近づいてきた。轡を並べると速度を合わせ、兜の面頬を上げた。まだ若いラトキア人の顔が覗いた。
「ヴィラモント将軍閣下ですね。私は赤騎士団団長、カーン・アイスと申します。将軍のご命令に従うようにとのアインデッド閣下からの指示をいただいております。何なりと、どのような分担もお申し付け下さいますよう」
「ありがとう。よろしく頼む」
 アルドゥインはちらりと相手の顔を確認して頷いてから、前を見据えた。今回彼らがヒダーバードを目指して走っている街道は、二年前に紅玉騎士団がイズラルから向かったのとは反対方向――ペルジア南部から北上するルートである。
 ヒダーバードは戦乱時代の堅固な城砦形式をよくとどめた城であったから、守るに易く攻めるに難いと、前回は守る側に立って戦ったアルドゥインも承知している。ルノーやその騎士団を率いる者の才能と実力次第ではあるが、場合によっては圧倒的な人数の差があっても難しい戦いとなるだろう。
 それにまた、アルドゥインにとってはリュアミルの奪還こそが最大の目的であり、ただ攻め落とせば済むという問題ではない。もし人質の命を楯に取られたならば、内心の焦燥とは裏腹に戦いが長引く可能性も捨てきれない。アルドゥインの脳裏には二年前に歩き回ったヒダーバードの内部構造が慌ただしく展開されていた。彼はそこにどのように兵が配置されているかを予測し、どう攻めるかを休む間もなく考え続けていた。
「ヴィラモント将軍!」
 カーンの声で、アルドゥインは我に返った。
「間もなくヒダーバード市城が見えてまいります。いかがなさいますか」
 真夜中ではあるが、周囲に伏兵がないとも限らないので、一旦進軍を止めて斥候を出すという手も考えられる。だが、アルドゥインはその考えを即座に振り払った。二年前の紅玉騎士団と今のルノー軍の数はあまり変わらない。だが紅玉騎士団ならば五千の兵を分散しても充分に戦えるだろうが、寄せ集めの傭兵団も含めたブランベギン騎士団にそこまでの統率力はないと考えた方がいい。
「速度を上げて、一気にヒダーバードを目指す」
 迷いのない声で、彼は言った。
「了解。速度上げー!」
 カーンが声を張り上げると、たちまち伝令役の騎士たちがその命令を繰り返し伝えていった。それはまるで水面に波が及んでいくようであった。間もなく、地をどよもす蹄と軍靴の音がいっそう高まり、全軍はその進軍速度を上げた。
 メビウス‐ラトキア連合軍がヒダーバードの城門まで距離にして五百バールのところに到着し、陣を布いたのは、それから半テル後のことであった。アルドゥインが内心で懸念を振り払ったとおり、伏兵のたぐいは一切見当たらなかった。眼前に黒々と佇むヒダーバードは、まるで城自体が眠っているかのように静かであった。
「いかがなさいます、ヴィラモント将軍」
 傍らのカーンが尋ねた。
「夜襲をかけますか、それとも朝を待ちますか」
「そうだな……」
 アルドゥインはしばし黙考した。
「この暗がりでは何が起きるか判らないし、殿下のご無事を確認することもできない。斥候を出した上で朝を待ち、情報が入りしだい一息に仕掛けよう。《弓の陣形》を取るので、赤騎士団には後衛を頼みたい。斥候はそちらの伝令部隊からも出していただけようか?」
「かしこまりました」
 下された命令に、カーンは異議を挟むことも問い返すこともしなかった。ただちに伝令が飛び、白と赤の軍勢はヒダーバードに弦を向けた半円の形に陣形を組み替えた。その夜はひたすら、斥候の帰りと夜明けを待つばかりの時間であった。一テルごとにラトキア軍の伝令が本陣に斥候からの報告を告げに来たが、さしたる動きは見られなかった。
 城側に動きが見られたのは陣形を整えてからおよそ三テルも経った頃であった。アルドゥインの天幕前に、慌ただしく伝令が駆け込んできた。緊急の際には直接報告するようにと命じていたので、駆け込んできたのは斥候の腕章を付けた兵士であった。
「申し上げます!」
 眠っていたわけではないらしく、すぐに少々急いだ様子でアルドゥインが天幕を出てきた。天幕前の広場に並べた床机の一つに座ると、斥候兵はその前に片膝をついた。
「ヒダーバード市城に動きあり。南の門より隊列を組んで出てまいりました一軍が、城前に陣を張る模様。旗印などは見えませんが、鎧の様子からブランベギン騎士団と思われます。その数、およそ四千!」
「来たかっ」
「閣下!」
傍らに控えていた副官、副将らは一斉に色めきたったが、アルドゥインはすぐには何の言動も見せなかった。一拍おいて口を開く。
「伝令。直ちに全軍に対し戦闘用意を整えるように。紅玉騎士団は現在の陣形を維持しつつ前進、敵より百バール圏内を合図として左右に分かれ敵軍を挟撃。敵の防衛線を突破し次第ヒダーバード城に突入する。赤騎士団は紅玉騎士団が分かれた後この間隙を閉じるべく敵を包囲し、三方からの同時攻撃を行う」
「はっ。復唱いたします!」
 常に天幕前に控えている伝令が数人、復唱を終えるなりそれぞれの受け持つ方向へと駆け出していった。すると波が広がるように、にわかに陣内が慌ただしくなる。伝えるラトキア軍の伝令も、受け手の紅玉騎士団も勝手が違うだろうが、それでもその伝達速度は普段の紅玉騎士団よりもずっと早い。見習うべき編成かもしれないと、アルドゥインは思いを新たにしていた。
「前進!」
 号令とともに、全軍がヒダーバードに――ざわざわと動く敵陣に向けて進軍を始めた。彼らを迎え撃つために陣形を組み替えるか、それとも戦闘準備を整えようとしているのか、ずらりと並べられた背よりも高い楯の後ろに垣間見える敵軍の動きはいっそう慌ただしいものとなった。
 両軍の距離が攻撃目安の百バールに近づこうとしていた時であった。
 突然、敵陣の中ほどから夜目にも鮮やかな白い旗が揚がった。前線から報告が来るよりも先にそれを目にしていたアルドゥインは、全軍に一旦停止をかけた。目を凝らしてみても見間違えなどではなく、白い長方形の旗は前へと進みながら大きく振られている。
「何だ……何のつもりだ?」
 傍らのセリュンジェが独り言めいた呟きをもらした。これが本当の降伏か、それとも罠かと疑っていたのだ。
 息を詰めるようにして、それでも臨戦態勢は解かぬまま見守る紅玉騎士団と赤騎士団の前で、前衛の楯が一部開けられてそこから数騎の騎士が出てきた。白旗は相変わらず、最前列の騎手がまっすぐに掲げ続けている。彼らは両軍の相対する中間地点まで来ると馬を止め、声を張り上げた。
「軍使――軍使! 交渉を受け入れられたし!」
「どうします、閣下?」
 アシュレーが難しい顔をしてアルドゥインを見た。
「軍使と名乗るものに攻撃を仕掛けるいわれはない。ともあれ口上を聞いてやろう。クジャヴァ副将はここに残れ。もしもの場合には俺の代わりに指揮を任せる。セリュンジェ、ヤシャル、護衛を頼む」
「はっ」
 陣の後方にいたアルドゥインが最前列まで出て行くには、少々時間がかかった。その間、軍使たちはじっと待っていた。将軍の鎧兜でそれと分かるアルドゥインの姿が見えると、はっとしたように彼らは下馬した。
 互いの声が聞こえるように十バールほどの近さまで寄って、アルドゥインは馬を止めた。白旗を従者らしい別の騎士に預けて、両手を挙げて武器を持っていないことを示しつつ、最前列の騎士が叫ぶように言った。
「口上を申し述べますこと、お許しいただけましょうか?」
「よかろう。近づくことを許可する」
 アルドゥインが大きく頷いてやると、軍使の一団はさらに間を詰めて一バール半ほどの所で止まった。何かあれば紅玉騎士団側から射かけられる危険があり、なおかつ彼ら自身の武器は届かないであろう距離であった。
 胸に一角獣の頭部を彫り込んだ鎧でブランベギン騎士団のものと知れる別の騎士が一歩前に出た。彼はその場でアルドゥインの前で君主にするのと同様の正式な礼を取り、頭を下げた。
「それがしはブランベギン騎士団副団長、エレックと申します。これにあるはブレトン傭兵団団長のヴルフェリウス」
 彼より少し下がったところで、紋章のない鎧を――傭兵であったのだろう――身につけた男も同様に片膝をついた。
「ヴルフェリウスでございます、紅玉将軍閣下」
 紹介されると、ヴルフェリウスは下げたままの頭を一層深く下げた。アルドゥインはエレックに小さく頷きかけ、二人とも顔を上げるようにと告げた。
「して、降伏を願い出たいとはどういうことだろうか。名乗りのとおりならば貴殿らは騎士団副団長と傭兵団長。主たるハークラー候、或いは騎士団長ならばともかく、貴殿らは降伏するや否やを決められる立場ではないはずだが?」
「はい。閣下の仰るとおりでございます」
 エレックはヴルフェリウスとちらりと目を見交わしてから、真っ直ぐにアルドゥインを見上げた。そうして顔を向けると、彼が思ったよりも若いことが判った。松明のもとに照らされたその顔が青ざめているように見えるのはもとの顔色なのか、それとも緊張や恐れのためなのかは定かでなかった。
「降伏は主ルノーの意思でも、騎士団長ワイスの意思でもございません。私と、このヴルフェリウスが現在のこの状況に鑑み、部下たちの意見を汲んだ上で独自に判断いたしましたものです」
「それはつまり……」
 アルドゥインは考えながら喋るように口を開いた。白旗が揚がる前の敵陣の騒動は、どうやら彼らが裏切ったために起きたものだったのだろう。
「貴殿たちは、ルノーとそれに従う騎士団長を裏切ったということか」
「さようご理解くださいまして結構です」
 今度はヴルフェリウスが答えた。周囲のざわめきの中で、再びエレックが口を開いた。
「一度なりとも剣の誓いを以て仕えた主を裏切る事は、確かに騎士にあるまじき行いかもしれません。しかし剣の誓いに従えば人の道に背くことになるならば、そのような誓いはもはや神の加護に値せぬもの。誓いに背く事はヤナスとヌファールに背く事ではなく、むしろ神々の御心にかなうことではないでしょうか?」
 アルドゥインは何も答えなかった。だがエレックの考えを否定するものではないということは、その沈黙から読み取ることができた。
「罪を逃れようという気はございません。たとえ一時なりともあのような男に剣を以て仕え、皇女殿下への非道極まりない犯罪を――ひいてはメビウス皇帝陛下に弓引くような行動を止めることもできず、ここまで従ってしまったことは、やはり我々の罪です。我々はどのような罰でも受ける覚悟です」
「それは、俺のすることではない。立ってくれ、エレック殿、ヴルフェリウス殿」
 低く、小さな声でアルドゥインは言い、エレックの肩に触れた。
「それで、ルノーと騎士団長と――彼らに従うことを決めた者たちは?」
「ブランベギン騎士団は全て私の支配下にあります。ワイス団長ならびにあくまでルノー様に従おうとする一部の騎士団員は本陣に留め置き、最も信頼の置ける部下に見張らせています。ルノー様は出陣なさらなかったので、護衛の者とともにいまだヒダーバード城内にとどまっていますが、身柄を確保してリュアミル殿下を救出するために数名を向かわせました」
 どうやらルノーの部下たちの大多数はメビウス軍と戦う気などなく、エレックとヴルフェリウスは最初からリュアミルを助け出して降伏する機会を窺っていたらしい。その返答は淀みなかった。



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