前へ  次へ

     俺は王になる。俺は嵐になりたいんだ。
     立ちふさがるものは全て壊してやる。
     ――夢はもう手の届くところまで来た。
     俺は絶対後悔しない。後戻りしない。
             ――アインデッド・イミル




     第三楽章 ゼアの前奏曲




 規則正しい足音が、砂埃を蹴立てながら朝まだきの街道筋に響いていた。
 次の日の朝ルクリーシスの三点鐘に、ラトキア‐メビウス連合軍はエトルリア軍を残してジムハエをゼア砦に向かって発った。ジムハエでの軍議はおおむね三軍の主張を通せたと満足できるような結果に終わっていた。
 アインデッドは兵一万の半分とエトルリア軍副官が連れて参加するエトルリア軍の半数を指揮する。ゼア戦線の情勢に応じてランは残ったラトキア軍とエトルリア軍の半数から必要なだけの援軍をゼアに差し向け、最終的にはゼアが陥落ししだい、残りの兵を率いてアインデッド軍、アルドゥイン軍と合流して、三軍の合同のもとにヒダーバード攻略が実施される。軍議の結果はそのようなものであった。
 とりあえず、ランはルカディウスと共にサナアに戻って、ルカディウスはラトキア軍の精鋭を半分に分けてゼアのアインデッドのもとに送り出す予定になっていた。アインデッドはいったんサナアに戻って軍を分けてからゼアに向かうよりも、とりあえず手元に連れてきていた五百騎のうち五十騎をルカディウスの護衛に分け与えただけで、残り四百五十騎を率いてアルドゥインと共に戦場に出、ゼアで残りの軍と合流するほうがずっと効率的とみたのだった。
 ランの連れてきたエトルリア兵二百騎もまた、その半数をアインデッドの配下として残し、ランとルカディウスは百五十の兵を率いただけですでに朝一番でサナアに向けて発っていた。
 あるいは一夜明けたアインデッドの表情がこのところのものと比べて明るかったのは、身辺から何かと心にかかるルカディウスの黒い影が消えていたからであったのかもしれない。少なくとも、アルドゥインの鋭い目はその辺りの、アインデッドの様子の変化を見逃す事はなかった。
「見事な眺めだな、アル」
 アインデッドは、おのれの部下たちと頭の中で比較して、相手の弱点を探るかのように、じっと鋭い鷹のような目で、次々と出て行く紅玉騎士団の行進を見やっていた。
「さすがに中原の雄メビウス、それにアルドゥインの部下だけあって、実によく訓練してある。――俺もこんな部下を率いて戦いに出たいものだな」
「もともと紅玉騎士団は立派な騎士団なんだ。俺の手柄ではないよ」
 アルドゥインは穏やかに微笑んで言った。しかしその磨きぬいた黒檀のような目は隠しおおせない誇らしさと満足をたたえて、いかにもいとしげにおのれの部下たちの上に注がれていた。
「ともあれ今日の夕刻までにはゼアに着くな」
「そうなったら早速、明日には討って出られるんだろう? ありがてえ。やっと本気で戦えるんだな」
 アインデッドは言いさして、いぶかしげにアルドゥインを見た。
「なんだ? どうして笑っているんだ?」
「いや――その様子を見ていると、まるで戦うために生まれてきた悍馬に、飼い葉のみを与えて戦うことを禁じていたみたいに思えてな。世界広しといえども、お前ほど楽しげに戦うことを口にする将軍はいないだろうな」
「将軍であろうとなかろうと、な。アルドゥイン」
 アインデッドは苛々したように言った。
「俺にとっちゃ、戦場だけが唯一、生きていると感じられる場所なんだ。宮廷なんてなくたっていい。どこの国に剣を捧げていたっていいんだ。俺にとって大切なのは、剣をふるい、兵を率いて目の前の敵を屈服させる事だけなんだ」
「それは戦時にあっては最高の資質だろうな。けれどいったん平和の時代が訪れたら、相当人々を困らせる事になるだろう」
 心やすだてにアルドゥインはからかった。一夜をしんみりと思い出話を語り明かした両雄のようすからは、それまでの長い無沙汰のへだてもすっかり消え失せたようで、二人はまた、傍目からも篤く深い友情で結ばれているように見えた。
 ことにアルドゥインの寛いだ様子や、アインデッドが年上の優しい友に微妙に甘えかかるような様子を見れば、誰しもがそう思ったに違いない。
 アルドゥインは部下たちにこよなく慕われ、崇敬されていながら、それはまた一方ではおいそれとは近づき難い、という非人間的な『偉さ』をも感じさせてしまうものである。またアインデッドの方はその気まぐれであやうい、いつ爆発するかわからぬ態度といい、様々な伝説的な噂に包まれた神秘的なその周辺といい、すぐそこにいてさえも兵士たちにとっては全く自分たちとはかけ離れた存在にしか見えぬ人であった。
 二人ともすでに半分以上、一般の兵や騎士たちには生ける伝説のようなものであって、同じ陣を共にしているからといって心安く口を利くこともかなわないような偉人に見えていた。だが、その二人が互いにそうしていかにも心の通い合った、古馴染みの親友らしいあたたかな交流を互いの部下たちの前で見せていることは、部下たちにとっては思いもよらぬほどに、彼らの人間味をあらためて感じさせる事になった。
 もっとも、アインデッドにせよアルドゥインにせよ、そこまで計算しつくして旧交を温めようとしたのだとは、実際の彼らの気質から言っても思えなかったが。
「放っておけよ、アル。ほっとけよ」
 アインデッドはくっくっと笑って、旧友の背中をどやしつけた。
「いくさが世界中すべての国から消滅してしまう、なんて時代は決して訪れやしないさ! 訪れたとしても、この俺がいるかぎり、何でも構わないからいくさをしている所を探してこっちから出かけてゆけばいいのさ。そうだろう――俺は戦う事が商売の、戦う事しか知らない傭兵上がりのろくでなしなんだ。俺に戦いを与えないなんて、それこそ馬を走らせず、鳥をかごに閉じ込めとくようなもんさ!」
「相変わらずだな、アインデッド」
 アルドゥインは笑った。
「そういうのを何と言うか、知っているか?」
「……?」
「乱にありては乱を治め、治にありては治を乱す――乱世の梟雄とは、まさしくお前のような男のことを言うのだろうな」
「ふうん……乱にありては乱を治め、治にありては治を乱す。そいつは確かに俺のことに違いないや」
 アインデッドは満足げに言った。
「で、お前は何なんだい、アルドゥイン」
「俺か?」
 思いもよらぬことを聞かれたようにアルドゥインはちょっと押し黙った。それから、しばらく考えてから首を傾げながら答えたが、あまり自分でもぴったり来るとは思っていないようだった。
「俺は――俺はただの傍観者のようなものだと思う。何にせよ、俺から世を乱すようなことは、俺は決してないだろうと思う。でも、乱を治めるということもあまりしないのではないかと思う。――この世は半ば乱世のようなものだと思っているから」
「哲学者だな。ま、ともかくこれで二日でゼアを落とせるな。いや、一応ラトキアの援軍が到着してから二日後になるかな。本当は一日後と言いたいところだが、奴らだって疲れているだろうし。――まあいい。お前の隊は終わりだ。今度は俺の隊だ」
 メビウス軍の旗本隊五百と残り二千に続いて、ラトキア軍のアインデッドと共に残った四百五十もまた、粛々と動き出していた。もとよりラトキア軍はメビウスの紅玉騎士団のような生え抜きの精鋭たちではなく、烏合の衆の寄せ集めをアインデッドが何とか苦心してこれまでに鍛え上げた軍勢に過ぎなかった。
 だが、さすがに好戦的でいくさが本業だと自認するアインデッドが実際の戦場に出られない鬱憤をぶつけるようにして飛びついて鍛え上げただけあって、少なくとも旗本隊はずいぶんと見られるようになっていた。もともとラトキア国民は尚武の気性を誇っていたから、その意味ではラトキア軍にとってアインデッドは、願ってもいないうってつけの指導者ではあったのである。
「これでもまだ、新生ラトキア騎士団として結成されてからいいとこ半年かそこらだと思えば、ちょっとしたもんだろう、アル」
 アインデッドはそう自慢した。内心、アルドゥインの紅玉騎士団の鍛え上げられた見事な行進ぶりを見て、武人として感心したり称賛したりするのとは別に、それと比較して自分の軍はどうだろう、というひそかな不安にとらわれていたので、案外立派に彼らが行進するのを見て、とても嬉しかったのである。
「な? 奴らもどうしてなかなか立派にやるじゃないか。――これならメビウスの精鋭と比べたっていいぜ」
「それはむろん、お前の手足となって働く騎士団が使い物にならないような鍛え方をされているとは思わんよ」
 アルドゥインはアインデッドを嬉しがらせるような返事をした。アインデッドはほれぼれとラトキア騎士団の精鋭がおのれらの前に来ると一斉に旗指物を斜めに掲げ、「ラトキア! ラトキア!」という歓呼の声を上げて、それからさっと旗をなびかせて通り過ぎていくのを見送っていた。
 ランはもともと二百しかジムハエにつれてきていなかったので、そのうちの半分を残していったといっても百騎しかエトルリア軍はいなかった。それで、メビウス軍と合わせても三千を五十越えるだけの軍勢でしかなかったが、皆が良く手入れの行き届いた軍馬に乗り、旗指物をなびかせ、隊列一つ乱さずに行進していく様子を見ていると、とうてい三千かそこらしかないようには思えぬほど勇猛果敢な印象が辺りをはらった。
「さあ。俺たちも出かけるとしよう。亭主、世話になったな」
 アインデッドはすでにジムハエの宿のかかりはすべて支払わせてあったのだが、特別に褒賞として砂金一袋ずつを、うやうやしくひざまずいて見送っているジムハエの村長と《金の鳩》亭の亭主にそれぞれ与えた。
 この小さな寒村の住民たちは、最初は一体どのような恐ろしい事が始まるのか、見たこともないような多数の軍勢に、この小さな村などまるごと踏みにじられてしまうのではないかとびくびくしていたのに違いなく、何事もなくたった一晩で兵士たちが出立していくばかりか、略奪も無法な行いもなく、それどころかちゃんと金を支払い、褒美まで与えたと知ってひどく驚いたり感激したりしているようであった。
 最初は窓のうちに身を隠してこわごわ様子を覗いていた村人たちだったが、今彼らが出立していこうとするときになると、家々から出てきててんでに用意したらしい小旗を振って彼らに歓呼の声をかけるほどだった。
「お前はずいぶん彼らに手厚くしてやったようだな、アイン」
 アルドゥインはその様子を見て、自らも愛馬にうちまたがりながら言った。
「生来の貧乏性でね。こんなふうにしてくれりゃいいのにと思ったことを、そのまましてみただけさ」
 アインデッドは苦笑しながら黒い毛皮の襟付きの、右府将軍のマントを跳ね上げた。アインデッドはもとより一泊だけの会談と軍議のためだけに着替えなどを持って来るような洒落者ではまったくありはしなかったので、夕べジムハエに到着した時と同じ黒ずくめの準礼装の姿であった。
 赤い髪は面倒くさいのでゆるい三つ編みにしてそのまま背中に垂らしていた。礼装は別段取り立てて豪華な装いでもなければ、洒落たものでもない、質実剛健なラトキアとしてはまあまあ手が掛かっているかな、という程度のものであったが、今日初めてラトキアのこの噂に高い右府将軍を目の当たりにする紅玉騎士団にも、ジムハエの村人たちにも、おそろしく強烈な印象を与える姿であった。
 紅玉騎士団の方は、よくよくしつけが行き届いていたし、綺羅星のごとき英雄、武将たちにはオルテア城ので見慣れていたから、それほどぶしつけな驚嘆をあらわにするようなこともなく、ちらちらと横目で好奇心いっぱいにその姿を眺めながら通り過ぎていったに過ぎなかった。
 だが、ジムハエの村人たちはもっと素朴な驚きをあらわにして、村長たちも、また村の住民たちも一様に目を丸くしてこの伝説から抜け出してきたようなロマンチックな風貌を持つ美貌の紅玉将軍に見とれ、これまた物語の美姫のような容姿の右府将軍の姿がその傍らにほっそりとした百合のひともとのように寄り添っているのを、
(まるで物語のようだ――)
(本当に吟遊詩人の話みたいじゃないか!)
(これ以上に綺麗な人なんているのかねえ!)
 などと囁き交わしながら飽くことなく見とれているのだった。
 もっとも見られている方はとっくにそのような視線の対象になるのは慣れっこだったので、つゆほどにも気に留める様子はなかったのだが。
 一方また、今まさに彼らの前を通り過ぎていくラトキア軍の騎士たちにとっては、その黒い凛々しい姿はすでに彼らの勇気と忠誠の象徴のようなものだったので、彼らはうっとりと心からの崇拝を惜しみなく注ぎかけながらアインデッドの前を拝礼して通り過ぎ、アルドゥインにはセリュンジェがアインデッドに見せたのと同じような目を注ぎながら通り過ぎていったのだった。
「世話になったな、村長、亭主」
 最後の部隊も通り過ぎた。アインデッドが村人たちの名残惜しげな視線を断ち切るように言って、彼もまたおもむろに愛馬にうちまたがったのだった。



前へ  次へ
web拍手


inserted by FC2 system