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 一方、ルカディウスの方は、これまた異様なまでにアルドゥインに関心を示していた。アルドゥインが入ってきて最初にいたって尋常な挨拶をして座に着いた時から彼を見つめていたのだが、それはアインデッドのアルドゥインへの関心とはかなり様子が違うようだった。
(いずれにしても、あんまり好かないな)
 セリュンジェがそのようにしてじろじろとその首脳会談の面々を観察していたのは、むろんそんなに長い時間ではなかった。実際には一分もなかったであろう。そして、誰かが口を切ってくれるのをじっと待っていた時、おもむろにアインデッドは顔をあげ、そして静かに第一声を発していたのである。
「本日は会談に応じてくださり、まことかたじけなく思う、ラン殿。この度のラトキア未曾有の国難に際し、エトルリアより同じゼーアの盟邦を相手取ると知りつつ、早急なるご支援をたまわることができたこと、この篤い友誼への恩義を、全ラトキアはこの後どのような展開があろうとも、決して忘却するような事はないであろう。僭越ながらラトキアを代表し、幾重にもお礼申し上げる」
 アインデッドはちらりと、初めてランに目をやって軽く頭を下げ、再びどこを見ているか判らない目で部屋の片隅に視線を移した。
「またメビウスにおかれては同じく国難の時にあって、本来ならば我が方こそゼーア皇帝陛下の死後の平穏をおびやかす不逞の徒を退ぜねばらぬところ、逆にお力添えを賜えるのは心強きかぎりである。――自己紹介をお許し願いたい。それがしはこの度の反乱の首謀者であるナーディル公子、及びペルジア征討軍の総司令官をシェハラザード大公より勅命たまわったティフィリスのアインデッド・イミルと申す者。大公のご厚情により、黒騎士団団長、右府将軍を名乗る。今後ともお見知り置き願わしい」
 セリュンジェは初めてアインデッドの声を聞いた。
 それは、その物語めいた容姿にふさわしく、物憂げな、それも一種独特のイントネーションを持つ声であった。決して大きな声にはならぬのだが、大声で怒鳴りあっている人々をでも一瞬で静まらせてしまいそうな何かの響きを備えていた。
「これは、ご丁寧なるご挨拶、まことにいたみいる」
 すかさず口を開いたのはエトルリアの公子ランであった。
「それがしはエトルリア軍総司令官、エトルリア第一公子ランである。――エトルリアとラトキアは様々なる紆余曲折を経つつもこの度また友邦として、いくつもの試練を乗り越えてきた。またこの度の貴国のご災難については、そもそも我が父サン・タオが招いたも同然の事。その骨肉の不心得が今日の貴国のご難儀を招いたとあるからには、我が国とてどうしてこれを等閑に伏すことができようか。――この度の援軍はいうなれば当然のこと、決してご負担にはお感じにならぬよう、エトルリア王室を代表してこのランよりお願い申し上げる」
「これは、かたじけなきお言葉」
 アインデッドは今更ながらの、いくぶんわざとらしい長々しい挨拶に丁重にその頭を下げて答えた。
(どうやらこの将軍閣下、全くあの参謀の操り人形ってわけでもなさそうだな。俺と同じ傭兵あがりと聞いているが、どうだい。まるで生まれながらの外交官みたいな口を利くじゃないか。――それにしてもランの言い草は何だかね。今更ラトキア侵攻のこととか、サン大公のことを出す事はないじゃないか。あの将軍の恋人の女大公が愛妾だったってのは周知の事実なんだから、彼だっていい気はしないだろうよ。どうせペルジアを割譲するいい機会だっていう欲惚けの下心丸出しなのは見え見えだってのに。大義名分もいいところだぜ)
 セリュンジェのひそかな感想はさておいて――。
 アインデッドはそのエメラルドの目をゆっくりと上げ、もう一人の代表――すなわちメビウス軍の総司令官へと、初めてまともにその視線を移しつつあった。
「メビウス軍総司令官、紅玉将軍アルドゥイン・ヴィラモント殿」
 アインデッドの口調は、久々にあいまみえる友人に対してと言うにはいささか無感動が過ぎていた。
「遠路はるばるとのおいで、まことにご足労であった。貴国メビウスこそはラトキアに比すべくもなき国難の時にあるにもかかわらず、貴重なるそのお力をお貸しくだされしこと、いくたび御礼を申し上げても言い尽くせぬところである。まずはそれについて、あつく御礼申し上げたい」
「ご丁寧なるご挨拶、まことにいたみいる。我が方とても貴軍の力をお借りできる事はまことに幸甚である。一刻も早き解決のためならば、何とぞどのような分担でもお申し付けくださるよう」
 アルドゥインもまた、いたって普通で当たり障りのない言葉を返した。アインデッドは奇妙なほど間を置いて、やがて気を取り直したように続けた。
「ともあれ時が移れば、宜しければ早速に軍議の方に移らせていただきたい。しかしそれがしは無骨なる者ゆえ、このような場をまとめる器にはござらぬ。そこで我が軍師、ルカディウス卿に進行役を任せたい次第だが、ご異存はあられようか、ラン殿下、アルドゥイン殿」
「いや……それは、特には……」
 ランはアインデッドの発言に一瞬、妙に渋ったふうを見せた。
 といってそれをきっぱりと拒否する口実も持ち合わせておらぬらしい。目をきょろきょろさせながら何か口実を探すように人々の顔を見回した。その間にルカディウスは立ち上がり、挨拶を始めていた。
「とんだ差し出口をつかまつります。それがしはモリダニアのルカディウスと申すいたって身分低いものでございます。三強国を代表されるお歴々の軍議に口を挟めるような身分ではございませんが、手前主人のアインデッド、もとより寡黙の性なれば、これよりそれがしが主人に代わりまして進行役承りますれば、不調法お許し下さいますよう」
(よく喋る男だな……)
 セリュンジェはひそかな、多少嫌悪感の入り混じった感想を抱いた。アインデッドが挨拶をしている分にはさしてお喋りとも思わなかったのだが、ルカディウスのその外見と、その流暢すぎるほどの喋り方には妙な違和感が付きまとっていた。
 一方アインデッドの方は、いったん口をつぐんでしまうと、これで自分の仕事は終わったとでもいうようにおのれの副官の言葉――それはどう考えても、彼自身の代表しているラトキアにとってこそ有利なように軍議を運ぶための方策であったはずなのだが――に対して全く何の興味も持てないかのように――いや、それどころか、この会談そのものに何の関心も興味も見出せないかのように、ひたすら時が過ぎるのを待っているかのようであった。その物憂げないかにも心ここにあらずといった態度は、ランのいかにもそわそわした態度と好対照を成していた。
 それは確かに寄せ手の一方の大将としてはいくぶんおかしな態度であったが、やはりアインデッドのその一種独特の、つまらぬこの世の瑣末事になど何の関心も持てぬ、とでも言いたげな超絶的な態度は妙によく似合ってもいたのである。
(それにしても――)
 アルドゥインはこの展開をどう考えているのだろうかとセリュンジェは思う。
(このルカディウスとかいう野郎はどうもいけねえな。アルは相手の出方を見ようとしてるんだろうけど。こいつの腹黒さといったら、直感だけでもこんなに感じられるのかと思うほどだぜ。気をつけろよ)
 アルドゥインの人物を底の底まで見極めてやろうとするかのように陰険に輝く細い目。
 それはまた、その前で椅子にかけて暗鬱な秀麗な横顔を見せているアインデッドに向けられる時、セリュンジェにさえはっとさせられるようなじりじりと身内を焼き焦がす陰火を燃え上がらせる。
 アインデッドがどうしてこんなふうに絶えず異様な執着をあらわにした目つきで見つめられながら、鬱陶しくもなく平然としていられるのだろうとセリュンジェは思った。
 いや、或いは平然としてはいないのかもしれない。鬱陶しくてたまらないのを我慢しているだけなのかもしれない。そういえば、彼は部屋に入ってきてからただの一度も、おのれの副官の方にその顔も視線も向けようとはしない。
 あれこれとかけひきが始められた時にも、全くおのれには関係もないし、ひとかけらの関心も持てぬというように冷たくその表情を崩さない。しかも、挨拶以来一言も口を出さない。
(まさか、あれだけが決められた台詞で、それしか言えないなんて事はないよな?)
 噂では、彼はティフィリスの王子だか公子だかで、ひどく物語めいた運命の変転に弄ばれた末についにラトキアにたどり着いてシェハラザード公女と恋に落ち、ラトキアのために戦う事になったのだ、ともっぱら言いはやされている。
 その流浪の旅のどこでこの不気味な参謀と出会い、どういう経緯で共に戦うようになったのかは判らないが、そのロマンチックな経歴が噂どおりであれば、別段おそろしく常人と異なって偏屈だということもないはずだろう。
 これはまたセリュンジェたち、アルドゥインと親しいものしか知らぬ事だが、セリュンジェたちはアルドゥインの口から、ティフィリスのアインデッドとはかつて共に旅をした仲間であった事、その時には彼は《災いを呼ぶ男》と名乗る、陽気でうら若い青年であった事も聞いていた。
 ティフィリス出身のその貴種流離譚のロマンチックな主人公と、アルドゥインから聞かされる若々しいかつての友の肖像とは、何故かは知らず微妙な食い違いを見せてセリュンジェの目には映る。
「……まずヒダーバードの前にゼア砦があります。これをどうやって攻略するかがこの度の最も大きな問題で……」
「それにはアルドゥイン閣下の紅玉騎士団を投入し、その隙にエトルリア軍とラトキア軍でヒダーバードを目指すというのは」
「しかしながら、ヒダーバードを最終目的とし、ハークラー侯爵を捕らえる命を帯びておりますのは我らメビウス軍。ラン殿下の仰るには無理がある」
 一応軍議らしいものは始まっていた。各国の副官や秘書官たちは膝の上に慌しく地図を広げたり、メモを取ったりして忙しい。セリュンジェも仕事上それはきちんとこなしている。しかしもっぱら喋っているのはルカディウス一人に近く、さしもの陰謀家ランも、この浴びせるような言葉に口を挟む隙を見出すのには一苦労しているようであった。
 はっきり言って、セリュンジェは喋りすぎる男は嫌いであった。かといってアインデッドのように黙りこくったままというのも好きではなかったが、ルカディウスに対する嫌悪感と比べれば、アインデッドのほうがまだしも好感がもてるというものであった。
 そしてふいに――。
 その場の空気が一瞬、凍り付いてしまったようだった。
 それまで何の動きも見せなかったアインデッドが、ゆらりと立ち上がったのである。それはまさに、辺りを静まらせる何かを持っていた。立ち上がったときに、今まで机の下にあって見えなかった左手に、衣装が黒いために余計に目立つ白い包帯が巻かれているのにセリュンジェは気づいた。
「このような軍議、何年続けたところで同じだ。――俺はサナアに戻る。お前たちだけで続けていろ」
「アインデッド――アインデッド将軍!」
 ルカディウスのうろたえようからして、この行動は全くの予想外だったらしい。アインデッドはおのれの副官を振り返りもせず、広間を出て行ってしまった。ルカディウスは慌ててその後を追う。
 ランはぽかんと口を開けていた。セリュンジェもどちらかと言えばランの心境に近かったが、口を開けたりはしなかった。
「アインデッド将軍はご気分がすぐれぬようだ。ここはひとまず中止して、一テルの後にまた開始ということにしよう。主人、皆様に何かお好みの飲み物と食べ物などお運びしてさしあげるよう」
 アルドゥインだけは相変わらず冷静に、アインデッドの不調ということにして、この場の収拾を付けたのだった。



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