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     これから中原に何かの災いが起こり、
     それに《東の狼》と《北の獅子》――
     アインデッドとアルドゥインの二人が
     大きく関わってくるだろう
                ――サライ・カリフ




     第一楽章 黒い炎




「メビウス軍総司令官、紅玉将軍、アルドゥイン・ヴィラモント閣下、おみえでございます」
 奏者番が告げた。
「ラトキア軍総司令官、ラトキア右府将軍アインデッド・イミル閣下、ならびにエトルリア軍総司令官ラン・ターリェン公子、すでに出座の上、アルドゥイン閣下をお待ちかねでございます」
「遅参つかまつった」
 ゆっくりとアルドゥインがその足を、ジムハエ唯一の旅籠である《金の鳩》亭の最大の広間のうちに運び入れたとき、声にならぬざわめきが彼を包み込んだようだった。
 このような寒村の一旅籠屋としては調度類もずいぶんと調っており、それなりに、古びてはいるが天井も高く立派なこしらえの広間である。広さはどこかの宮殿のようにとはいかなかったが、椅子にもきわめて古そうではあったが千花模様のつづれ織り風の布地が張ってあり、シャンデリアめいた飾り燭台も天井から下がっていた。
 普段はこの村で唯一の華麗なホールとして、様々な催しごとやもてなしなどに使用されているのだろう。だが、このような歴史に残るような会見のために使われるのは、この旅籠としても始まって以来の事であるのは間違いない。どのような用にもすぐ応じようと、かたくなって部屋の隅に控えているこの宿の六十がらみの主人と数人の使用人のおもてにも、非常な緊張と晴れがましさとが同時に見て取れた。
 部屋の中には、真ん中に大きな丸い大理石のテーブルを置き、その周りにかなり間を離して三つの大きめの椅子が置いてあった。そのそれぞれの両脇に少し後ろに引いて、やや小さな椅子が二つずつ。これは副官や秘書官用のものである。
 それに三方の壁にそって幾つかの椅子が並べてある。今日この会議に出席できるのは、各国から副官一名とあとはそれぞれから名簿を出してきて了承された、おもだった隊長たち三、四名のみ、とあらかじめ決められている。他の旗本隊の者たちは、万一に備えて全てこの村周辺の警備に当たっているのだ。
 アルドゥインはゆっくりと、薄暗い部屋の中に歩み入っていきながら、目を静かに同盟者たちの方に向けていった。
 その穏やかな、感情を全く見せない様子を見たかぎりでは、二年ぶりに別れた旧友と出会うアルドゥインがどのような感慨をそのうちに抱いているのか、また初めてまみえるエトルリアの公子に対してどのような関心を抱いているのかまったくうかがい知る事はできなかった。そのまま、落ち着いた、いつもと全く変わらないそぶりで用意された椅子に腰を下ろし、軍議の始まりに備えて静かに待っていた。
 声にならぬどよめきが起こった一角には、ラトキアとエトルリア双方の副官たち、おもだった者たちが壁沿いに椅子を並べて控えていたのであった。――彼らの大半は噂にはさんざん聞かされているであろうけれども、実際にこのメビウスの紅玉将軍を目の当たりにするのは初めてのことである。
 どのように噂が高かろうと、本当にそれは話半分のこと、まことにそんな体格、技量に美貌すらをも兼ね備えた英雄がいるわけはないだろう――。そのようなたかをくくったその気持ちが、本物のアルドゥインを目の前にして息を呑む驚嘆と、そして次第に驚きに満ちた賛美に変わってゆく――その心の動きはアルドゥインにも、また彼の後ろにひっそりと従っているセリュンジェにも、既に慣れ親しんだものであったのだ。
 そして――。
(ティフィリスのアインデッド、ラトキアの右府将軍)
 アルドゥインがゆっくりとその黒曜石の瞳を旧来の知己に向けていくのを、セリュンジェはじっと食い入るように見つめていた。
(これが、ティフィリスのアインデッドか――)
 列席する大半の連合軍の人々が、アルドゥインを目の当たりにするのが初めてであるのと同様に、ヴェルザーのセリュンジェもまた、世評に高い新しい英雄、ラトキアの救世主、そしてシェハラザード大公の最愛の恋人であるとひそかに噂されるこの若い将軍を初めて見るのだった。
(こいつが、アルがあんなにいつになく気にかけていた、アルの昔の相棒なのか……)
 アルドゥインが傭兵時代の親友だと言った相手であるだけに、メビウスでの親友第一号を自認する身としては微妙な対抗意識のようなものも当然生じずにはおかない。
 もう一人の司令官、エトルリアのラン公子はそれに比べれば、悪名は高かったけれどもあまりセリュンジェの関心をひかなかった。他のメビウスの副官たちにとっても全く同じことであっただろう。
 ランは肖像画もすでによく出回っているし、それにもともと、乱暴で荒々しく、女好きで武勇の誉れ高い――という以外には、それほど政治的に重要人物というわけでもない。このところの幽閉生活のためにずいぶん様子が変わり、その横柄な態度にも多少の卑屈な感じが付きまとうようになっていた。
 何よりも髪が少し薄くなり、そのぶん顔がいっそう赤ら顔になって脂ぎった感じになり、ここ半年あまりでずいぶん老けた印象を強めてしまっていたが、そのエトルリア特有の四角張った顔と陰険な目つき、そして薄くて酷薄そうな唇は有名な肖像画のそれと少しも変わっていなかった。
(あんまり好感の持てるタイプじゃないな)
 それが、身も蓋もないセリュンジェのひそかな第一印象だった。
 だが、アインデッドは――。
 セリュンジェは非常な興味を隠すこともせずにその若い英雄を眺めた。セリュンジェの目に入ったのは、すらりとして、いかにも評判どおりにはっと人目に立つ、見るからに目立つ二十三、四くらいの年恰好の整った容姿を持つ男だった。
 彼はラトキアの右府将軍の準正装を身にまとい、長い黒いマントをつけて、アルドゥインを見た瞬間に思わずといった様子で軽く腰を浮かせたが、すぐにまたもとどおりに椅子にかけると、じっと自分を抑えているかのような様子で黙ってアルドゥインから目をそらして、目の前のテーブルに置かれているワインのグラスを睨みつけていた。
(黒い火――黒い炎みたいだ)
 それが、ヴェルザーのセリュンジェの、ティフィリスのアインデッドへの第一印象であったのだが、これは意外に普通の感想であったのかもしれない。というのも、アインデッドは上から下まで真っ黒の黒騎士団の軍服に身をかためていたので、確かに漆黒の装いであったからである。
 しかし、服装だとか、そのような表面だけの事ではなく、その魂の色合いから闇の色に染まってしまっているから、漆黒の装いに包まれて、さらにその姿全体が黒い炎に包まれてしまっているかのような、そんな印象を与えるのだ――セリュンジェにはそんなふうに感じられたのである。
(だが、綺麗は綺麗な男だな。アルドゥインが霞むほどの美男なんて、海軍大元帥と瑪瑙将軍以外では初めて見たぜ。全く、この二人の前じゃランが可哀相になるくらいだ)
 男が綺麗であったところで、セリュンジェには何の興味もない。
 だが、例のあやしげな副官――それもまたセリュンジェが部屋に入ってきた途端にアインデッドと同じくらい強烈に彼の目を引いたのだったが――が、アインデッドによこしまなシルベウスの愛情を寄せていて、それゆえにアインデッドのためならばどんな卑劣な手段も残忍な行動も厭わない恐ろしい執着を持っている、という噂は傭兵たちや紅玉騎士団の中――いや、もうそれは中原じゅうにいやというほど広まっていて、それがセリュンジェをひきつけたのだ。
(男にそんなシルベウスの執念を抱かせる男ってのは、いったいどんなつらをして、どんなふうなんだか)
 それが、エトルリアの色子のようなあんばいであったというなら、セリュンジェのような門外漢にもまだ理解はしやすい。男に恋をされるような男といえば、長い髪をきれいに編みこみ、透き通るなまめかしい服を着て女のように化粧をしているようなものしか、セリュンジェの貧困な想像には浮かんでこないのである。
 だが、今こうして目の前で見ているアインデッドには、いくら底意地の悪い目でしげしげと観察しても、いっこうに女のようなところも、また軟弱なところもセリュンジェには見出せなかった。
 たしかに、ランのように筋骨隆々というタイプではないかもしれない。すらりとした細身で、むろん非常に強い戦士だと聞いているから筋肉がついていないなどということはないはずだが、服の上からだとそれがほとんど目立たないくらい、痩せ型のほっそりとした体つきに見える。ことに細面なのでそのように見えるのだろう。だが、細身といえばアルドゥインも同じようなものだったし、髪を長く伸ばして後ろで束ねていても、少しも女性的な感じはしなかった。
 むしろ普通の男よりも男性的に見えるくらいだ。といって、むろん目鼻立ちは確かに整っている。顔だけならば美女といっても通じるくらい綺麗に整っていたが、しかしその容貌の中で何よりも際立ったのは、その顔立ちの美しさよりもはるかに、エメラルド色の瞳の強烈な輝きであった。
 全体にとても印象的なその容姿、容貌の中でも、その二つの瞳の強烈な印象は激しく際立っていた。
 つねに、何かを渇望しているような瞳である。真正面から見つめられると、誰もが思わず受け止めかねて目を伏せてしまいたくなるような、それほど強い光を放つ瞳なのだ。男にしては大きなくっきりとした二重の目だったし、異様に強い輝きを持っていたが、それだけでなく、何か狂おしいような思いつめたものを常にはらんでいた――それが見る者を異様に惹きつけてやまぬ、そんな感じがした。
(へえ……)
(この人とアルと、カーティス公が一緒にいた時は、さぞかし凄い眺めだったろうな……。一人でも十人分ぐらい目立つのに、それが三人だぜ)
 セリュンジェの身も蓋もない観察に気づいているのかそうでないのか、アインデッドのほうは、アルドゥインが入ってきた瞬間から、そちらを見ようが見ていなかろうが、ただひたすらその注意はアルドゥインに向かっているとはたから見てもすぐに判った。
 すでにアルドゥイン以外の人間は一切目に入っていないといった感じで、当然その後ろに控えているセリュンジェになど目もくれようとしない。紹介されたとき、一瞬その燃え上がるような瞳がセリュンジェの上をかすめたが、そのまま何の感興もなさげにそらされ、その目はまたアルドゥインの上に戻っていった。
(変な奴だな――。確執があるのはクラインのサライ摂政公だと聞いていたが……アルとも何かあったのかな)
 そろそろ軍議も始まろうとしていた。迂闊にきょろきょろできなくなる前に、セリュンジェはアインデッドの軍師、ラトキアの参謀モリダニアのルカディウスにもう一度視線を移した。男の外見にあまりこだわるつもりのないセリュンジェも、ルカディウスを見ては何か言いたくなってしまった。
(男に惚れる男がどんなもんか見てみたかったが、こんなご面相とはなあ)
 こいつがそうなのかと、これまたアインデッド将軍に対するのとはちょっと違った興味で眺めてみたラトキアの副官、モリダニアのルカディウス卿というのはまた、セリュンジェにとっては不気味な見ものであった。
(こりゃまた……)
(どこであんな大怪我したんだか……)
 無残に焼けただれている上に、何かの獣に引き裂かれたような痕を残す左側。引き攣れてしまって、そこだけ歪んでしまっている。眼帯をしてはいるが、それで隠しきれるものではない。
 そのあまりの酷さに、無事に残った右顔の長所もかき消されてしまっている。髪は茶色がかった黒で、ぼさぼさしているなりにまとめている。灰色がかった病的な肌色に、呪いに満ちたような目つき。体をしっかりと魔道師じみた黒いローブで覆い、顔と手しか見えない。だがそれだけでも彼がかなりの痩せぎすであることは判る。
(俺ならこんな奴とお友達になるのはごめんこうむるんだけど)
 アルドゥインはどう思っているのかと密かに目をやる。
 アルドゥインは当然、大きな興味を持っているはずだが、このような場ではおなじみとなった全く表情のない顔をしていて、どんなにセリュンジェが見つめていても、何を考えているのか、何を思っているのかさっぱり判らなかった。



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