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 ルシタニアに突如現れ、去っていった軍勢は略奪を行うこともなく、ただ先を急ぐといった感じで街道を、そして村や町を通り過ぎていったのだという。彼らが途中で休憩し、食料を買い求めに来た村の農民の証言によれば、話している言葉はメビウス語のようであった、とのことだった。
 その他にも、一部の騎兵の馬具についていた紋章や装備、目撃された者の人相などの細々とした風体や軍の構成、行動についての報告をアルドゥインに伝え、一息おいてからサルヴィアスは続けた。
「今現在、ペルジア国内にては内乱の兆しもなく、メビウスとことを構える事態もなければ、それが閣下の仰るハークラー候の軍勢であったとみて間違いございますまい」
「でありましょう。俺もそう思います」
 考え込むような顔をしながら、アルドゥインは答えた。両前足を挙げた一角獣の紋章はそこまで珍しいものではないが、だからといってありふれたものでもない。同じ一角獣の紋章入り馬具を揃えた一団、向かった方角などの事実を考え合わせれば、これはほぼ確実な情報であった。
「して、軍勢の向かった先は判るでしょうか?」
「詳しい行き先はわかりません。しかし、南東の方角であったと聞いております。真っ直ぐに彼らが進軍したのだとすれば、向かう先にはゼーア皇帝領があります。とすれば、向かう可能性が最も高いのはヒダーバードではないでしょうか」
「ヒダーバード?」
 サルヴィアスの言葉にアルドゥインは目を見開き、問い返すような声を上げた。彼の驚きは予想の範囲内だったのか、サルヴィアスは頷いた。
「もちろん閣下もご存じのことと思いますが、ウジャス陛下は去るヌファールの月に薨去あそばされました。陛下のお命を楯にペルジア政府に対してなんらかの要求を行うことは不可能です。しかし、陛下の葬儀は告別の儀を半ば過ぎたところで、この後にも幾つかの儀式がまだ残っております。それを阻むということは充分に我々ゼーアの臣に対する脅迫となりますので、或いは……」
「お亡くなりあそばした後でさえ、ウジャス陛下はペルジア政府に対する脅迫の切り札となりうる、ということなのですね」
 アルドゥインはサルヴィアスの言わんとしたところを理解した。向かった方角にヒダーバードがあるのなら、ルノーの目的が死後のウジャス帝を――というよりも、ペルジア政府の面目を利用することであるのは確実だろう。そして今のペルジアに、正面からルノーに抗議し、或いは排除する力が――どころか意思があるかも疑わしいが――ないこともまた、アルドゥインはよく理解していた。
 情報収集が間に合わず通過を許してしまったルシタニアはともかく、領内深くに入りこまれた今でさえ、ペルジア政府が侵入者に対して全く何の手立ても講じようとしないことからもそれは読み取れた。ペルジアの守護を一手に担い、実質上の大公と言っても良いほどの影響力を持っていたトティラ将軍が重い病の床に伏せっているらしいという噂が、去年あたりから囁かれていた。
 公式発表があったわけではないが、噂は真実であるらしい。イズラルにはもはや、侵入者を非難することはおろか、引き止めるだけの力もなく、全ての雑音を排除してそれらを断行できる人間もいないのだと、アルドゥインはサルヴィアスとの会話とこれまでの経緯から判断した。
(リール公女が出てこないというのは少々意外だが……ラトキアとの折衝で手一杯なのかもしれない)
 考えながら、アルドゥインはかすかに首を振った。リール公女では、ラトキアの内乱介入とハークラー候の国境侵犯という二つの問題を同時にさばくだけの力量はないだろう。仮に彼女に気概があったところで国家として軍事的に無理が大きいし、政治的には彼女自身の力量不足がある。
(協力は期待しないほうがいい――というよりも、無理だな)
 すぐに結論を出したアルドゥインは再びサルヴィアスと目を合わせ、口を開いた。
「貴重なる情報を下さり、かたじけなく存じる。サルヴィアス殿。ひいては卿のご好意に甘えて、一つ聞いていただきたいお願いの筋があるが、よろしかしろうか?」
 サルヴィアスは鷹揚に頷いた。
「私の手に負えぬことでなければ何なりと。して、どのようなことでございましょう?」
「ハークラー候の目的地が明らかとなった今、事は一刻を争うゆえ、できうる限り速やかに全軍を率いヒダーバードに向かいたい。そこでイズラルへの親書を代わってお届けくださるようにお頼み申したいのだが」
 手っ取り早く言えば、伝令に割いている暇も人手も惜しいということである。サルヴィアスはアルドゥインの思いを充分に汲み取っていたので、再び頷いた。
「お任せください、アルドゥイン殿」
「かたじけない」
 ハークラー候の始末はメビウス軍がつけるのでペルジアは静観していてほしい、という内容の親書を書き上げたアルドゥインは、それをサルヴィアスに託して慌ただしく辞去の挨拶と情報提供への礼を述べ、ルシタニア伯の居城前で待機していた紅玉騎士団の元へと急ぎ戻った。
 アルドゥインは愛馬に飛び乗りながら声を張り上げた。
「全軍に伝令! これより全速力にてヒダーバードを目指す!」
「了解!」
 号令と共に、白と紅の一団は流れとなって動き出す。土煙を上げてヒダーバードの方角へと去ってゆく騎士団の後から、ルシタニア伯の紋章をつけた早馬がイズラルに向けて飛び出していった。
 とはいえルシタニアからヒダーバード間は通常でも五日はかかる道のりである。休憩は必要最低限に抑えていたとはいえ、一日に走破できる距離はアルドゥインの焦燥をよそに劇的に伸びはしなかった。そんな中、ルシタニア伯のもとを発って二日目の早朝、先に遣っていた斥候が戻ってきた。
「ナーディル公子の軍がヒダーバードに?」
 斥候が持ち帰ってきた報告は、このような時には滅多に驚かないアルドゥインを驚かせ、また当惑させた。アシュレー副将は同じように難しい顔をして傍らのアルドゥインを見やった。
「どちらも考えることは同じということでしょうか、閣下」
「だろうな……。遅かれ早かれラトキア軍もヒダーバードを目指して進軍してくるはずだ。ラトキア軍の目的も同じヒダーバードとなると、我々だけで片をつける、というわけにはいかない。ラトキア軍の進軍状況は判っているのか?」
「はっ。詳しくは確かめることはできませんでしたが、我々が偵察した時点ではラトキア領内に留まり、情勢を探っているようでございました。ですが情報はすでにラトキア側にも伝わっているものかと存じます」
「では、すでにヒダーバードを目指して何らかの動きを見せていると考えた方がよいだろうな」
 独り言のようにアルドゥインは言った。三番隊第二千騎長のトマが彼の顔を窺いながら尋ねた。
「いかがなさいます、閣下。ラトキアを無視することはできますまいし、何らかの交渉は行わねばなりませんが……」
「目指すものが同じなら、共闘を申し入れるのも一つの手ではあるな」
「しかし、ラトキア軍は反乱軍に与するペルジアをも相手にしている。ラトキア軍と手を携えるというのなら、我々もペルジアを敵として戦うことになる。それでは先にアルドゥイン閣下が申し入れた相互不干渉に反するぞ」
 トマの言葉を皮切りに、軍議に集った千騎長や百騎長が口々に意見を交わす。彼らの議論を黙って聞いていたアルドゥインだったが、会話の切れ目にようやく口を開いた。部下たちの顔を見回しながら言う。
「共闘するにしろ、しないにしろ、目的地が同じである以上ラトキアとの交渉は必至だ。結論を出すためにも、ラトキア軍に会談を申し入れる。何か意見は?」
 千騎長、百騎長たちからの返答はなかったが、それは同意を示すものであった。軍議の終了後ただちに会談申し入れの書状が作成され、使者が送り出された。もう少し軍を進めることもできたが、使者の帰りを待たねばならないのでアルドゥインはクーナウという小さな村で一旦全軍停止をかけた。
 その日の夜であった。
「今回出てきてるラトキア軍の総大将、アインデッドっていうらしいな」
 アルドゥインのためにアーフェル水を持ってきたセリュンジェは、彼の暗い雰囲気をどうにかして紛らわそうとしてか、ことさら明るい声で話しかけた。話しかけられたアルドゥインはと言うと、ぼんやりと床机に肘をついて考えにふけっている様子であった。セリュンジェは構わずに続けた。
「お前がよく話してくれた、一緒にメビウスまで来た友達――アインデッドって名前だったよな。サライ摂政公とも旅仲間だったって聞いたときも思ったが、お前って奴はどこでどういう知り合いがいるのか判ったもんじゃねえな。しかもそれが折り紙付きの有名人ばかりときてる」
 感嘆のため息混じりにセリュンジェは言った。アルドゥインはようやくセリュンジェに目を向けた。
「ラトキアのアインデッド将軍が、俺の知るアインと同一人物ならな」
「何でそんな、暗い顔してるんだ? 昔の知り合いなら、話をつけやすいんじゃないか? もう少し喜べよ」
 セリュンジェは何の気もなく言った。だがアルドゥインの憂い顔は晴れなかった。
「俺と別れた後のアインデッドが、どんなふうに変わったのか、変わっていないのか、それは会ってみなければ判らないことだ。もしも今の彼が悪い方向へと変わってしまっていたら、ことによると赤の他人を相手にするよりも難しいことになるかもしれない」
「そんなに扱いにくい相手なのか、アインデッド――将軍ってのは? 昔お前から聞いた話からじゃ、そんなふうには思わなかったが」
 尋ねられたアルドゥインは目を伏せて、どう答えればいいのかと考えるように小さく首を振った。
「あいつが俺に、別れる前と同じ友情を持ち続けてくれているなら、メビウス軍に協力してもらうことも容易だろうし、心強い友軍を得られるはずだ。だがサライと別れざるを得なかった経緯が、あいつの心を頑なにしてしまっているかもしれない。俺はその過去を思い出させる存在に他ならないし、あいつの性格からして、かつての友だからとて簡単に信じる気にはならないだろう。そうなったら、まずは心を解くのに時間がかかるだろう。これは本当に、運任せだ」
「お前の言うとおりだとは思うが――心もとないことだな」
 セリュンジェは天を仰いだ。
 使者が戻ってきたのは、翌日の夜半となってからであった。どんなに遅くなったとしてもすぐに報告するようにと命じておいていたので、使者は取次ぎらしい取次ぎもほとんどなく、アルドゥインの天幕に入ってきた。
「ただいま帰還いたしました、アルドゥイン閣下」
「報告してくれ」
「はっ。報告いたします。ラトキア軍は会談の申し入れを受諾。場所はジムハエの村にて、時間は明夜ルクリーシスの三点鐘を指定との事。こちらがアインデッド将軍よりの親書でございます」
 報告して、使者は手にしていた書簡を差し出した。アルドゥインは受け取るとすぐに開き、書かれている内容が報告と同じであることを確かめた。一読してから大きく頷く。
「ご苦労だった。会談には旗本のみを連れて行くゆえ、準備を始めるように伝令を。他の部隊には引き続き待機を命じる。移動は会談の結果次第となるだろうからな」
「かしこまりました」
 命令を伝えるため、ただちに出ていこうとする使者の背に、アルドゥインは思い出したように声をかけた。
「あ――カトライ」
「何でございましょう?」
 カトライはすぐに振り返った。声をかけたのに、アルドゥインは少し迷うような素振りを見せた。不審げに見つめるカトライとセリュンジェを前にして彼は一瞬目を伏せ、それから意を決したようにカトライを見つめ返した。
「アインデッド将軍に直接面会したのか?」
「はい。ご返答と親書をいただきました時に」
 彼の返事を聞いて、アルドゥインはかすかに遠くを見るときのような目をした。だが、それはわずかな間のことだった
「一つ、聞きたいことがある。アインデッド将軍はどんな男だった?」
「そうですね……非常に印象深い方でした。閣下とは全く違うようですが、強い力を感じさせる方で」
 どう言って説明したものかと考えながら、カトライは答えた。求めていた答えではなかったので、アルドゥインは質問を続けた。
「髪の色――それに、瞳の色は何色だった?」
 それは意外な質問だったらしく、カトライはちょっと虚を衝かれたようであった。だが印象深いと先に言っただけあって外見的特徴もはっきりと覚えており、答えはよどみなかった。
「鮮やかな、赤い髪でした。瞳は緑色です」
「そうか……」
 アルドゥインは何かを確信したように頷き、ため息のように呟いた。彼が何を確かめたかったのか、セリュンジェは何も言わなかったがこの時には全て理解していた。そこでカトライが退出した後、ためらいがちにではあったが声をかけた。
「やっぱり、本人なんだな?」
「……そのようだ。髪の色と瞳の色さえ確かなら、十中八九間違いないと思う」
 アルドゥインは頷いた。その目にある光は、旧友との二年ぶりの再会を確信したにしては暗く、幾分か錯綜しているようでもあった。
(アインデッド……お前に、こんな形で会うことになるのか)
 胸に去来するものが懐かしさばかりでないことは、アルドゥインもすぐに認めた。懐かしさと、漠とした期待に交じる、惧れとも不安ともつかない感情。それは確かに、何かの予感であった。


(2010.10.20)

「Chronicle Rhapsody30 動乱の水晶殿」完

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