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 城内にある私室の一つに入ると、グリュンはアーフェル水を持ってこさせた後は侍従を下がらせ、人払いをした。絨毯の上に置いたクッションに胡坐をかき、まずはアクティバルの話から聞くことにした。
「実はな、グリュン殿――貴殿たちがおらぬ間に、わしの身に不可解な出来事が三度も起きたのだ。聞いてはくれまいか」
 そう前置いて、アクティバルはこの一ヶ月弱の間に立て続いた変事を語った。グリュンは顔を赤くしたり青くしたりと忙しかったが、表情は一貫して苦虫を噛み潰したようなものであった。
 語り終えてから、アクティバルは反応をうかがうようにグリュンを見つめた。
「これをどう思う、グリュン殿」
「どうも何も、陰謀だ! れっきとした暗殺未遂ではないか! おぬしが将軍職に戻っては困るものの仕業に決まっておろう」
 グリュンは語気荒く断言した。
「ちい姫様をたぶらかしたばかりか、おぬしの命までも狙おうとは、何たる不届きな――! あの、赤い髪の悪魔め!」
「まだそうと決まったわけではないぞ、グリュン殿」
 アクティバルはまだ冷静であった。グリュンがかっかとしている分、逆に感情的にならずに済んでいたのかもしれない。
「貴殿の言うのは、イミル将軍のことだろう。だが確たる証拠はまだ得られておらんのだ。話しただけでは、とてもそうとは思えぬしな」
「それこそあやつの演技だ。騙されているのだ、アクティバル」
 グリュンは言い張った。
「生まれも育ちも卑しい、得体の知れぬ男なのだぞ。今でこそ上辺を取り繕っておるが、それまでに何をしてきたのかも判らぬ、怪しい奴なのだ。内心を包み隠す事くらい造作もないことに違いない」
 グリュンのこの発言はある程度の真実をついていないこともなかった。敵意をむき出しにしているので単なる中傷にしか聞こえなかったとはいえ、そうでなければ、もっと多くの人々の共感を得ることもできたかもしれない。
 間近で聞いていたアクティバルも、すぐに同意はしなかった。だが何か思うところはあるような顔つきになった。
「演技、か。だとすれば大した役者だということになるが」
「それだけは認めてやらずばなるまいよ」
 吐き捨てるようにグリュンは言った。
「それともう一つ、これも内密に願いたい話なのだが、貴殿にどうしても頼みたいことがある」
「何だ、言ってくれ、アクティバル殿」
 アクティバルは先程よりもさらに秘密めかして声を低めた。
「青騎士団の一部に、アインデッド将軍の引退を望む声があるのだ。それで、彼らは東北部の諸卿らと通じ、アインデッド将軍ではラトキア騎士団を率いるに値せぬということを大公閣下に示そうという計画を立てているのだ。わしの頼みとは他でもない、ことの終わった後、大公閣下に弓引く結果となる諸卿らの執り成しを、貴殿にしてもらいたいということなのだ」
 聞いている間に目を見開いていったグリュンであったが、アクティバルの予想とは違い、それは計画の不敵さに驚いたものではなかった。
「なんと、おぬしもか!」
 感に堪えたようにグリュンは言った。
「とは?」
 アクティバルもこの反応に驚いた。グリュンは頬を紅潮させた。
「実はケラメイスのタシェト殿とファセリスのデュシー殿から、すでにおぬしと似たような話を聞いておってな。彼らの話では、あの男に代わる将軍としておぬしに是非とも話を通してほしいということであったが、そういうことならば話は早い。我らの計画も目的も、全く同じではないか」
 グリュンはもう計画の大半がそれで成し遂げられたかのようにほくほくした表情を浮かべた。アクティバルは彼ほど浮かれた様子ではなく、慎重に頷いた。
「では早速、わしは青騎士団の者たちにこの事を知らせよう。ところでラバックは貴殿と共にエルザーレンに向かったが、このことは?」
「ご存じない。これは、ヒダーバードからの帰途に打ち明けられた話なのでな」
「そうか。だが我が息子が否を唱えるはずもない。わしの方からこの計画についてを知らせよう。わしと息子との連絡ならば誰も疑うことはないし、他の二卿と連絡を取るのもたやすい」
「どうやら天は我々に味方してくれておるようだ。これこそ、ヤナスの導きというものであろう」
 相変わらずの上機嫌でグリュンはヤナスの印を切った。
 しかし彼は知らなかった。グリュンの目的はあくまで「シェハラザードのため」であったが、アクティバルの目的は「ナーディルのため」であったこと――詰まるところ、アクティバルにとってはシェハラザードすらも、ナーディルの一日でも早い大公即位のためには邪魔な存在であったということを。
 そして二人に決定的に欠けていたのは、その計画の覚束なさと、見せかけとはいえ反逆を企てる事の重大性――事後もシェハラザードは彼らを強く罰しはしないだろうという予測はあくまで願望にしか過ぎないものであるという認識であった。
 パーティーの翌日からグリュンの機嫌がいやに良くなったことに気づいたのは、やはりアインデッドであった。いつもなら挨拶をしても無視をするか厭味を言うかするところなのに、笑顔――しかも含みのある――で同じ言葉を返されては、厭味に慣れていただけにいっそ不気味であった。
 一日だけならば何かの間違いかと思うところなのだが、三日目に入ったところでアインデッドは本格的にこの異常事態について考え始めた。朝見の間を出て練兵場に向かう途中でまたしてもにこやかな挨拶を返されて、いいかげん気持ち悪くなってきたのだ。
(……じじいに何があったんだ? シェハルがこの前、きついことを言ったからか?……いや、それで反省して態度を改めるぐらいなら、俺だって苦労しねえ。何か別の理由があるんだ)
 とはいえそれが何なのか、アインデッドには皆目見当もつかなかった。どうせ自分にとっては良からぬことだろうとは予測できたが。
(こうも忙しくなきゃ、どうにかして調べるんだがな……。まあ、グリュンのじじいだけで、ルカディウスの奴が変な動きをしてないならナーディルに関わるようなことにはならないはずだろう……)
 それでも自分に何らかの面倒が降りかかってくるのは決して嬉しいことではなかった。アインデッドは遠ざかっていくグリュンの後ろ姿を何とも言えぬ表情で見やった。ため息をつきつつ、彼も背を返して執務室に向かった。
 アクティバルはグリュンとは違って変わった様子もなく、青騎士団の練兵を引き受けていた。ただ、自分に反抗的な一部の隊長たちと親しくしているようだ、ということにはアインデッドはきちんと気づいていた。それも彼の不安材料の一つであった。
 今のところアクティバルは表立って彼に敵対する様子を見せていないが、グリュンを代表とする反対勢力と親しくしてそちらの意見に染まってしまったら、困ったことにはなってもいいことなど何一つとしてない。だからといってアクティバルの交友関係にとやかく口出しできるものでもない。元将軍なのだから、以前から親しかったのだと言われればそれまでだし、実際グリュンとはツェペシュ大公の時代から数多くの労苦を共にしてきた同僚である。交流を阻むべき何の理由も、アインデッドは持っていなかった。
(何だろう、ものすごく嫌な予感がする)
 アクティバルと話している時、或いは彼に関することを考えに乗せる時、アインデッドはいつも胸の底がざわつくような、何とも言えず落ち着かない感覚を覚えるのだった。それは彼に危険が差し迫っていることを知らせてくれるあの感覚であった。
 アクティバルがグリュンと仲が良いこと、青騎士団の一部と親しくしている事、息子と頻繁に連絡を取り合っていること。
 一つ一つはもっともな理由があることだし、さして問題とも思えない。しかし、自分に敵対しているという関係で、青騎士団の幹部たちがグリュンと結託するということは考えられる。そこに親友のアクティバルが絡むことも考えられる。そう思うと、このところ目に付くそれらの動きに、アインデッドはどうしても不安を取り去りきれなかった。

 彼の予感が的中したのは――急を知らせる早馬がシャームに届いたのは、サライアの月も終わり、リナイスの月に入ろうとする頃であった。
「黄騎士団東方第二部隊よりの早馬が到着いたしました。緊急事態でございます!」
 のんびりとした朝見の雰囲気は、下座の廷臣たちが何事ならんと振り返る中、広間に駆け込んできた侍従と騎士の叫び声で一変した。
「いったい、何事が? 苦しからぬ、ここまで参って報告せよ」
「はっ」
 瞬時に緊迫した空気の中、シェハラザードの許可を受けて黄騎士団の軍装に伝令の腕章を付けた騎士が玉座の手前まで急ぎ近寄ってきた。さすがに君主の前で全力疾走はできなかったが、走る一歩手前のような慌ただしい足運びであった。シェハラザードたちの並んでいる上座から三バールほど離れたところで、騎士は跪いた。
「一大事にございます。ファセリス伯ジロ・デュシーならびにケラメイス男爵フオジ・タシェトの二卿が兵を興しました」
「なんだと――」
「反乱か」
 広間はざわめいた。シェハラザードは使者への質問と応答が聞こえるように、廷臣たちを黙らせるために片手を挙げた。
「首謀者はその二卿だけか。反乱軍の規模はいかほど? また、一体何を理由としての挙兵か?」
 つとめて冷静になろうとしながらも、シェハラザードの声はかすかな動揺を隠しきれていなかった。だが、彼女の声のわずかな震えは広間のざわめきに押されて、すぐそばでそれを聞いたアインデッドやナーディルぐらいにしか判らなかった。
「布告によれば、先のいくさでの恩賞に不服あり、大公閣下に再考を願うとのこと。恩賞をいただけるならば、すぐにも兵を引くと申しております」
「世迷言を――。あの辺りの領主たちは、先のいくさでは何もしていないではないか。兵の一人、軍資金の一レアルも出さずにいた者たちが、よくもぬけぬけと」
 シェハラザードは呆れ果て、見下げたといった感じで眉を寄せた。
「いかがなさいます、シェハラザード閣下」
 マギードが玉座に視線を向けてきた。
「宰相殿はどう思う。彼らの要求どおり、恩賞の再配分を行うべきと思うか?」
 宮廷全体の意思を確かめるように、逆にシェハラザードは尋ね返した。マギードは否定の意味を込めて小さく首を振った。
「閣下の仰られたように、これは正当な権利の主張ではなく、無法者の脅迫にも等しい行為――。要求を退ける理由こそあれ、受け入れる理由はございません。」
 シェハラザードは頷いた。
「反乱ならば、ただちに制圧せねばならぬ。イミル将軍、征討軍の編成ならびに全ての指揮はそなたに一任するということでよいだろうか?」
「はっ。かしこまりました」
 名を呼ばれ、アインデッドは軍服の裾を軽く翻して片膝を折り、右手を胸の前に当ててうけたまわる仕草をした。
「では――」
 シェハラザードが言いかけたところで、別の声が下座から遮った。
「閣下、しばらく我が差し出口をお許し願えますでしょうか」



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