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 アインデッドは後ろのレクスが乗せられた馬車にちらりと目をやり、もう一度エノシュを見た。
「事が事だ。城に連れて戻るわけにもいくまいから、あいつらを匿えるようなところを知らないか?」
 エノシュはほとんどすぐさま答えた。
「俺の家でもよければ、すぐに連れていけます」
「いいのか?」
 ちょっと驚いたように、アインデッドは言った。エノシュは頷いた。
「家族はいませんし……それに、今は使ってない徒弟用の部屋が空いてます。とにかく、怪我をした人は早く医者に見せなきゃならないでしょう」
「何から何まで、すまないな」
 アインデッドは軽く頭を下げた。今度はエノシュが驚く番だった。将軍ともあろう者がまさか頭を下げたり謝ったりすることがあるとは思わなかったのである。
「でも、どうやって説明しましょう?」
「山賊に襲われたらしい怪我人を見つけて保護したとでも説明してくれ。あの森で見つけたとか、火事があったなんてことは言わないように。それで、あんたはそのまま行ってくれ。シロス、お前もだ」
「へ、へえ」
 それまでアインデッドより少し遅れたところで馬を駆っていたシロスは、振り向かれてびくっとしたように鞍に飛び上がった。アインデッドは彼に、もう少し近づくように手まねで示した。
「お前とレクスは傭兵の旅仲間だってことにする。街道沿いで二人して野宿していた所を山賊に襲われ、自分は何とか逃げおおせたがレクスが手ひどくやられた。そう言うんだ。本当のことは、絶対に言うんじゃねえぞ」
「でも、ワンたちの……」
「ばかやろう。もし生きていると知れたら、お前もレクスも今度こそ息の根を止められるぞ。助けてくれたこの人にも迷惑がかかるんだ。俺が犯人をとっ捕まえるまで、絶対にこの事は口にするんじゃねえ。名前も、適当に偽名を使え。絶対に、お前が俺の部下だったと誰にも知られちゃいけねえ」
 反駁しかけたシロスだったが、アインデッドの真剣な勢いに気を呑まれたかそれ以上口答えはせずに、了解したという意を告げた。
「おかしらは……?」
「俺は別の門から入る。エノシュ、あんたの家の近くに落ち合う目印になるようなものはないか?」
「ええと、俺の店は記念碑通りにあります。靴屋は一軒しかありませんから、それでわかると思います。表に看板が出てます」
「記念碑っていうと……エトルリア兵に壊された、あれか」
 アインデッドは市内の様子を思い浮かべるような顔をしてから頷いた。シャーム市の中心街に近い場所にはかつてラトキアの独立を記念する石像が建てられていた。ツェペシュ大公の騎馬像と彼を讃える市民たちの群像で構成されていたそれは占領中にエトルリア兵によって破壊され、現在新たなものが作り直されている最中であった。
「すぐに落ち合えると思うが、じゃあよろしく頼む」
 言い置いて、アインデッドは街道から下りた。彼に一声かけられると、その意味を解したのかラストールはたちまち速度を上げ、郊外に広がる畑と畑の間の道ともつかぬ草原を一気に駆け抜けていった。
 すぐにといった言葉どおり、エノシュたちが目印の記念碑前に来たときにはすでにアインデッドは到着していて、彼らを待っていた。顔だけで何の検査もなく門を抜けられるアインデッドと違ってエノシュたちは手形の確認が要ったし、けが人を連れているということで説明にも苦労したので、余計に時間を食ったせいもあるだろう。
 そこからはエノシュが先に立ち、自分の店まで連れて行った。真夜中のこともあって人目はないが、万一のことを考えて極力音を忍ばせて、店を通らずに二階に上れる裏口からレクスを運び込んだ。
 エノシュが空き部屋に置かれていたベッドの上掛けを剥がし、アインデッドとシロスがその上にレクスを横たえた。エノシュは囁くように尋ねた。
「医者を連れてくる暇がなかったんですが、これから呼んできましょうか」
「医者を呼んだら、そこから割れるかもしれない」
 上着を脱ぎ捨て、袖をまくりながら短くアインデッドは言った。
「間に合わせの治療しかできねえが、仕方ない」
 彼は室内を見回し、エノシュが持って入ってきた手提げランプの他に天井の吊り下げランプと短い蝋燭が刺さったままの燭台を見つけ、手を上げただけでそれらに火をつけた。薄暗かった室内がやっと明るくなる。
「あんた、靴屋だったな。石炭酸液はあるか?」
 突然の質問に、エノシュは数瞬目を宙に泳がせた。革を扱うので、加工や防腐剤に使う薬のたぐいには事欠かない。
「ええと……あります」
「なら持ってきてくれ」
 もうエノシュを振り返りもせず、レクスの傷口に巻きつけた布を慎重な手つきで剥がしながらアインデッドは言った。何に使うのか質問している場合ではないと判ったので、エノシュは他にいるものはないかと尋ねた。
「水と、湯とありったけの包帯と、鋏。裁縫用の針と絹糸。あれば傷薬を」
「わかりました」
「湯を沸かすのは、おれがやる」
 シロスはエノシュの後に続いて部屋を出た。さいわいにして汲み置きの水が甕いっぱいに残っていたので汲みに行く時間は省けたが、それでも沸かすのは時間がかかる。しかし他のものはすぐに揃えることができたので、エノシュはかまどに薪をくべているシロスを台所に残して二階に駆け戻った。
 アインデッドはベルトに差していた短剣で、血に固まった布を腕の傷口から切り離している所だった。エノシュは傍らの引き出しつきの棚に持ってきたものを置いた。
「石炭酸はどれだ?」
「この瓶です」
 コルク栓を抜きながら、エノシュは差し出された手に瓶を乗せた。何をするのかと見ていると、アインデッドは石炭酸液を手に擦りつけ、次に少し水を薄めた液を布にとって傷を拭いはじめた。
「いったい、何を?」
「こうすると傷が腐りにくくなるそうだ。うろ覚えだけどな」
 アインデッドは手を止めないまま口疾に答えた。それから棚を顎でしゃくった。
「火傷に薬を塗って、包帯をしてやってくれないか」
「わかりました」
 エノシュが言われたとおりに油薬を火傷に塗りこみ、包帯を巻いている間にアインデッドはレクスの右腕の傷を処置しようと屈みこんだ。だが、苛立たしげに眉をひそめて顔を上げる。
「暗いな……」
 アインデッドは何事か呟いた。エノシュにはそれが何語なのか、何を言っているのか聞き取れなかった。呟きが終わったとたん、ベッドを囲むように鬼火のような青白い光が幾つも現れた。驚いたエノシュが飛び上がりかねない勢いで見回すと、アインデッドはこともなげに言った。
「気にするな。魔道で明るくしただけだ。……これだけでも使えて助かったぜ」
「……」
 気にするなとは言われても、簡単にできるものではなかった。魔道にあまり関わりを持たないゼーアの、その中で最も縁がないラトキアの民なのだから仕方がない。
(この人、剣と炎と、何が幾つできるんだ?)
 驚き呆れて、ついでに感心しているエノシュをよそに、アインデッドは慎重な手つきで針を使い、切り落とされた腕の断面の所々を縫っていた。手術と言うにはあまりに設備も技術も足りないものだったが、ないよりはましだった。
 昔学んだおぼろげな医学の知識と、最近ではルカディウスが医者になりすましていた時に横目に見て覚えた知識のおかげだった。それがなければ、アインデッドには傷口を焼いて塞ぐくらいのことしかできなかったに違いない。
 しばらくして、いっぱいに湯を満たした桶を抱えて入ってきたシロスはベッドの周りを鬼火が囲んでいる光景に目を丸くしたが、アインデッドがこの程度の魔道を使うことは知っていたらしく、一言も発さなかった。
 大きな傷の縫合と処置はアインデッド、小さい傷を洗い、薬を塗るのはエノシュ、包帯を巻くのはシロスという分担ができあがり、三人は黙々と治療を続けた。ようやく全ての処置が完了したのは二テル近くが経ってからだった。
「――終わりだ」
 最後の傷に布を当てて、アインデッドはほっとしたように身を起こした。片づけをはじめていたエノシュとシロスも、深い息を吐いた。レクスはまだ意識を失ったままだったが、呼吸は落ち着いてきていた。
 鬼火がふいに消えて、室内は蝋燭と灯火のほの赤い明るさだけで満たされた。昼のような明るさに慣れていた目には、急に暗くなったように思われたが、一分ほど経つと慣れてきた。
 ふと不安に駆られたような口調で、シロスが言った。
「……これからどうしやしょう? おかしら」
「先にも言ったが、お前たちを襲わせた奴に、生きてると知れたら命を狙われるだろう。隠れるしかないな。――レクスはしばらく動かせないし……動かせるようになるまでここで面倒を見てもらえないか、エノシュ?」
 アインデッドはシロスに向けていた視線をエノシュに移した。当然予想される成り行きだったので、エノシュは驚かなかった。
「それはまあ、ここで見捨てるようなことはできませんから」
 彼が頷くのを見て、アインデッドはちょっと微笑んだ。近くの椅子に無造作に放り出していた上着を取り上げ、ポケットの幾つかを探って何かを取り出した。
「悪いな。とりあえず今夜の礼として受け取ってくれ」
 差し出されたものを受け取ってみると、レアル金貨であった。彼にしてみれば一旬分の稼ぎ以上の金額である。泡を食ってエノシュは返そうとした。
「こ、こんな大金、受け取れませんよ」
「こっちの勝手な事情で巻き込んじまったわけだし、あんたには迷惑を掛けた。これからもかけることになると思う。迷惑ついで、こいつらを匿ってやって欲しいんだ。その家賃の前払いだと思ってくれればいい」
 返した手を押し戻されて、返すに返せなくなってしまった。
「それから、今日見聞きしたことは、口外しないと約束してくれるか?」
「……」
 エノシュが黙っていると、アインデッドは説得するように続けた。
「俺には犯人が誰だか、その目星はついてる。だが証拠がない。あんたがこの事件を知っている――目撃者だと知れれば、あんたの身も危険にさらされることになる。だから、そいつに裁きを受けさせるまで、それまでは何も知らない顔をしていてほしいんだ」
「わかりました」
「むろんあんたにもこいつらにも護衛をつけるし、費用も出す。――というか、裁判の時まで、三人とも護衛しなきゃならないから、一緒にいてもらえるとありがたい」
 アインデッドの言い方があまりにあけっぴろげだったので、時と場合も忘れてエノシュはつい笑みを漏らしてしまった。
「それも、わかりました」
 この若く美しい異国人の将軍がシェハラザードを騙してラトキア大公の地位を狙っているのではないかと聞いて以来、彼を疑っていたエノシュだったが、こうして言葉を交わしてみると、彼にはそんな裏があるようには思えなかった。
 もしそうなら、自分の過去を知っている者たちを殺そうとはしても、連れ戻しに来たり、助けたりなどしないだろう。首尾を見届けにきただけだとしたら、目撃者であるエノシュは即座に殺されていたはずである。
 エノシュはともかくアインデッドを信じることにした。


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