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「ウワアアアーッ!」
 ものすごい悲鳴が盗賊たちの集まっている方向から響いてきた。それも一つだけではない。剣がぶつかるような金属音、矢が空を切る鈍い音が男たちの悲鳴に混じっている。酔いが過ぎての喧嘩とは明らかに雰囲気が違う。音だけだったが、盗賊たちが何者かに襲われているとアインデッドは直感的に悟った。
「いったい、何が……」
 シロスが振り向こうとしたが、アインデッドはそれよりも早く身をひるがえしていた。それは考え、判断しての動きというよりは反射に近いものだった。
「伏せろ、シロス!」
 とっさにアインデッドはシロスを上から押さえつけるように茂みに倒した。その頭上で、流れ矢が次々と立ち木に突き立った。しかし隠れたおかげで、襲撃者たちには見つからなかったようだ。
「なっ、なんでぇ……」
 シロスは目を飛び出しそうなほど瞠り、先ほどまで自分の頭があったあたりの木に突き刺さる矢を見上げた。悲鳴や怒号はその間もやむことなく断続的に上がり、辺りの空気を震わせた。
 二人が顔を上げると、目を覆いたくなるような惨劇が眼前で繰り広げられていた。さっきまでシロスも交じっていた宴に、完全に武装した一団が襲い掛かってきたのだった。彼らの鎧には標章も何もついておらず、格好もまちまちで、一見したところ寄せ集めの傭兵のようだった。だが、その動きは統制の取れたもので、情け容赦なく逃げ惑う盗賊たちを切り伏せ、矢を射掛けている。
 それは、略奪目的の襲撃とは違うと一目で判った。盗賊たちの風体から金目の物を持っていると想像することはほとんどありえないし、これほどの大人数を襲えるだけの武器や人数を揃えた盗賊団がこの近辺にいるような話は、今まで聞いたこともなかった。何より、彼らの統率の取れた行動は一つの目的のもとで行われているものとすぐに判る。
 すなわち、目の前にいる男たちを皆殺しにする、という。
 酒がだいぶ入り、油断しきっていた盗賊たちは抵抗することもほとんどできず、一方的な虐殺となっていた。だがいくら深酒をしていたとしても、立ち上がることすらできなくなるというのは明らかに妙なことだった。あるいは、酒の中に何かの薬物が仕込まれていたのかもしれない。
「助けてくれ……っ」
 立ち上がろうとする足はもつれ、倒れこむ背中を襲撃者が切り下ろす。血煙が上がり、さっきまで薪の燃えるいがらっぽい臭いと、酒や食べ物の臭いだけが充満していた森の中には濃い血の臭いが立ち込め始めた。
「ああっ……」
 アインデッドの隣で、シロスが呻いた。思わず這い出そうとするのを、アインデッドは力ずくで抑えて引き戻した。シロスの方がずっと体重があるはずなのに、彼は腕の力だけでシロスを押さえ込んだ。
「駄目だシロス。今出て行ったら、お前も殺される」
「だからって……」
 見殺しにしろというのか、と続けようとしたシロスは、アインデッドの表情を見て言葉を失った。それは凄烈なものだった。目の前で殺されていく子分たちを救うことができない自分への怒りと苦渋、彼らを襲っている者への怒り、憎しみ、それら全てを自らの裡に閉じ込めて、アインデッドは瞬きもせず眼前の光景を見つめていた。
「……!」
 噛み締めた唇から血が一筋滴り落ちるのを、シロスは見た。彼が、これほど激しいものを秘めたアインデッドの顔を見るのは初めてだった。殺気を放つ顔や、凄んでみせる顔なら幾度も見てきた。だが、それが赤く激しく燃える炎であるならば、今のアインデッドは青白く静かに揺らぐ氷の炎であった。静かであるがゆえにいっそう、奥に秘めたその激しさをうかがわせるような。
「引き上げるぞ」
 いつしか悲鳴はやみ、辺りには静けさが落ちていた。一団のリーダーらしき人物が片手を挙げて合図すると、何人かが壺に入った液体を撒きはじめた。それが踏み荒らされてくすぶっている薪にかかったとたん、ぱっと炎が上がった。彼らが撒いたのは何かの油であった。息のあるものも完全に殺すためか、証拠を隠滅させるためか、どちらにしろ徹底した行動であった。
 炎は瞬く間に油のかかった部分をなめ、広がっていく。武装した一団はさらに薪に火をつけて、アインデッドとシロスの隠れている茂みの近くに放ってから、その場を足早に去っていった。
 その姿が完全に消えたことを確認してから、シロスが驚いたほどの素早さで、アインデッドは弾かれたように立ち上がって走り出した。
「ワン! オールデン!」
 倒れ伏す盗賊を一人一人抱き起こし、名前を叫ぶ。だが、応える者はいなかった。そうしている間にも、炎は広がって彼らの周りを囲みつつあった。最初に火をつけられた辺りでは、死体が燃え始めていた。
「シロス、お前も息のある奴を探してくれ」
「へ、へえ!」
 手を血まみれにしながら、アインデッドは生存者を捜し続けた。シロスも少し離れたところで、同じように首に手を当てて、脈がないかを一人一人確かめた。三十人近くを調べたところで、別の声が上がった。
「一人、息がある!」
 アインデッドとシロスがはっとしてそちらを見ると、街道沿いで言葉を交わしたあの男が、少し外れた所で倒れた盗賊の一人を抱え起こそうとしていた。駆け寄って顔を確認したシロスが、涙で濡れた顔をアインデッドに向けた。
「レクスだ! レクスが助かった!」
「喜ぶのは早いだろう。早く手当をしないと」
 アインデッドはつとめて冷静に言い、完全に二の腕から切り落とされたレクスの右腕に布を巻きつけ、止血器代わりに手近にあった木の枝を差し込んでねじり始めた。きつく布がねじられていくにつれて、吹き出す血はいくらかおさまり、やがて止まった。
 他にもあちこちに切り傷を負い、状態はひどいものだった。彼を見つけてくれた男も、慣れた手つきで足の傷に布を巻いている。
「何であんた、ここに来た」
「一人で行っちまったから、心配だったんだ。顔に見覚えがあるような気もしたし。……あなたは、アインデッド将軍でしょう?」
 アインデッドは一瞬手を止めて、男の顔を見た。それから、軽く頷いた。
「ああ」
 彼はやっぱり、と呟いただけだった。その額に汗がにじみ、炎の赤が映っていた。やっと応急手当を終えて三人が立ち上がると、炎の壁が眼前を覆っていた。武装集団が点けていった火は、生存者を探す作業の間に彼らを完全に取り囲み、森の木を焦がすほどになっていた。
「くそ、思ったより火の手が早かったな」
 アインデッドは汗を拭いながら言った。炎の熱と、乾燥した空気が肌を焼く。レクスを担いだシロスが、不安に満ちた眼差しでアインデッドを見た。
「おかしら、おかしらは炎を使いなさるじゃねえか。その力でどうにかならねえんですか?」
「簡単に言うな。炎は一度つけば勝手に広がる。それを収めるのは、出す時の倍以上に力を使うんだ。これはスペルで作った炎でもないし、ましてここまで燃え広がったら、俺自身が危ない」
「じゃあ……」
 シロスの表情は絶望的なものとなった。
「戻すのは無理でも、道を作ることなら……」
 アインデッドは呟くように言い、炎に掌を向けて両手を差し出した。目を閉じて炎に意識を集中する。体の中心から生まれた熱が、皮膚の下を這って肩から指先に向かってゆく。目を閉じたまま、瞼にうつる炎の照り返しを意識から締め出し、アインデッドはその熱が炎となって流れ出す光景を心の中に描いた。
 やがて彼の掌が炎に包まれ、燃えはじめた。
「ああっ……」
 スペルの力を初めて見ただろう男も、何度か見ているはずのシロスも息を呑んで見つめる。アインデッドは二人を振り返り、短く告げた。
「少し離れるか、できなければ肌を隠せ。火傷するかもしれないから」
 シロスは慌てたようにレクスの体を抱きしめてやり、自分の体で隠した。男も訳が判らないながらそれに倣ってマントを引き寄せる。
 それを待って、アインデッドは掌を目の前に広がる炎の壁に向けた。するとアインデッドの生み出した炎がその壁に向かって弾けた。一瞬、炎に向かって空気が動いた。原理こそ見ていた二人にはわからなかったが、アインデッドの放った炎が通り道にあった全てのものを吹き飛ばし、空気がそこだけ薄くなったせいだった。
 後には焼け焦げて何もなくなった地面だけが残り、炎が割れて彼らの前にやっと通れるほどの道ができた。
「早く通るぞ。そんなに持たない」
 レクスを背負ったシロスを先頭に、見知らぬ男、アインデッドの順に炎の輪から抜け出した。馬をつないでいた街道筋まで逃げ切ると、誰からともなく深いため息が漏れた。盗賊たちを襲った一団は既に消え失せていて、街道のどの方向をを見晴るかしてみてもその影すら見当たらなかった。
 早急にきちんとした手当が必要なレクスのために、アインデッドは急いでシャームに戻ることにした。男が自分の使っていた一頭立ての荷馬車に載せていた荷物を掻き分けてどうにか場所を空けるとレクスを横たえ、手綱を取った。シロスは離れたところにつながれていたので逃げ出していなかった馬の一頭をどうにか宥めて連れてきた。
 三頭の馬の蹄の音と、車輪のがたがたいう音が響き始めた。
「ありがとう。あんたのおかげでレクスを助けられた」
 アインデッドは改めて男に礼を言った。男は首を横に振った。
「将軍がいなかったら、あの炎からは逃げられなかったでしょう」
「こんなことに巻き込まれもしなかっだろうがな」
 少々苦々しい顔をしながらアインデッドは言った。それから、ふと思い出したように表情を緩めた。
「そういや、あんたの名前を聞いてなかった。俺が誰だかはばれちまってるのに」
「おれはエノシュ。シャームで靴屋をやってます」
「そうか。……災難だったな」
 エノシュはアインデッドの言葉をあまり聞いていなかった。彼にも色々と聞きたいことが山のようにあったのである。
「あの人たちは、将軍の部下だった人たちじゃないんですか? 凱旋パレードの時に見た覚えのある人がいた。それがどうして、こんな事に……」
「……俺がレント街道を荒らしまわってた盗賊だったって噂は、ずいぶんと広まっているんだろうな?」
 答える代わりにアインデッドは被せるように言い、横目にエノシュを見た。彼は小さく頷いた。
「そんな話は聞いたことが」
「俺は、つまらねえ嘘をつくつもりはない。それは本当だし、こいつらが部下だったことも隠しはしない。でも、それでは困る奴が誰か、俺の名を騙って部下どもを追い出し、あんなむごい殺し方をしたんだ」
 言いながら、アインデッドは拳を強く掴んだ。ふいにエノシュのほうを見たので、彼はびくりとした。
「もうすぐシャームの市門だ」
「あ……」
 前方に目をやると、確かにかがり火を両脇に焚いた門の影が黒々と迫っていた。喋り続けていたので気づいていなかったが、いつの間にか彼らは森を抜けていた。

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