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     彼は黒き翼もて闇を運び
     炎を以て全てを焼き尽くし
     災いを以て我らを戒め
     悪魔によりて罪を糺す
        ――サライルの讃歌
          闇の魔術書より




     第二楽章 地獄の炎




 ディアナの月も半ばを過ぎたその日、アインデッドはまとまった自由時間が取れたので、シャームに入って以来連絡も全くできなかった盗賊たちに近況を尋ねようと思い立った。もし冷遇されているようなら、ルカディウスに文句の一つも言ってやらなければならないと思いながら。
「ルキウス」
「はい。何でしょうか、閣下」
 名前を覚えてからというもの、アインデッドはルキウスに用事を言いつけることが多い。それにルキウスは言いつけたことをてきぱきとこなすし、先回りして彼の要求しそうなものを整えてくれるような気の利いたところもあるので、近頃ではアインデッドの一番お気に入りの小姓であった。
「傭兵隊のシロスを呼んできてくれ。覚えているだろう、ミシアで一度お前に伝言を持たせた奴らだ。シロスがいなければ誰でもいい。来れる奴で話の判りそうなやつを何人か連れてきてくれ」
「かしこまりました」
 ルキウスは一礼して出ていった。
 彼が戻ってくるまで、アインデッドはぼんやりとディヴァンに身を持たせかけて何を考えるでもなく待っていた。半テルほども過ぎて、いくらなんでも遅すぎると訝しく思いはじめた頃になって、やっとルキウスは戻ってきた。
「ただいま戻りました、閣下」
 ルキウスは浮かない顔をしていた。彼が一人で戻ってきたことに、アインデッドは首を傾げた。
「どうした。何で一人で戻ってきた」
「閣下がお探しの部隊の者は、おりませんでした。城内の心当たりを全て見回ったのですが、どこにも」
「何だと?」
 とたんにアインデッドが身を起こしたので、ルキウスはびくりとした。機嫌の悪い時のアインデッドに悪い報告を持っていくと、物を投げつけられたり、下手をすると手や足が飛んでくることがままあったからである。だが、アインデッドは身を投げ出していたディヴァンから起き上がっただけで、それ以上の動きをみせなかった。
(どういうことだ……)
 急に、居ても立ってもいられないほどの不安がアインデッドの胸を締め付けた。それは彼が信じるおのれの直感と通じるものであった。ここでこのままじっとしていては、何か悪いことが起きる。そんな予感がしたのだ。
「本当に、どこにもいないのか?」
 念を押すように尋ねられ、ルキウスは頷いた。
「はい。宿舎の侍従に尋ねましたところ、本日の昼頃に全員がシャームを発ち、どうやらフェリス方面に向かったとのことです」
「今日の昼だと?……そんなことを、一体誰が命じたんだ」
 アインデッドは眉をしかめた。ルキウスは首を横に振った。
「申し訳ありません。そこまでは、私が尋ねた者も存じませんで……」
 少年の弁解を、アインデッドは途中で遮った。
「まあいい。それは後で調べれば判ることだ。お前はできるかぎりのことをしてくれたんだから、謝ることもない。とにかく、奴らはシャームを出ていった、向かったのはフェリスやポーラの方角、そういうことだな」
「はい」
 ルキウスの返事を待って、アインデッドは立ち上がった。
「おい、上着を取ってくれ」
 慌てて、衣装掛けに一番近かった小姓がアインデッドの上着を取って手渡した。それを羽織りながら、アインデッドはつかつかと扉に向かった。把手を掴んで開けかけた状態で、室内の小姓たちを振り返る。
「悪いが、少し留守にする。場合によっては、今夜は戻らんかもしれん。尋ねて来る者がいたら、適当にごまかして帰せ」
「かしこまりました」
 どこへ何をしに行くのかとは、誰も尋ねなかった。アインデッドもまた、振り返らずに出ていった。彼は真っ直ぐに厩舎に向かい、遠乗りをするからと適当な理由をつけて馬を引き出させた。将軍に昇進した祝いの品としてルクナバード市から贈られた、漆黒の駿馬である。名前をアインデッドはラストールとつけていた。
「ラストール、少し無理をさせるかも知れねえが、行ってくれるな?」
 まるで人に話すように、アインデッドは馬の鼻面を撫でてやりながら言った。応えるようにラストールが首を振る。その背に、彼はひらりと飛び乗った。たちまち、ラストールはその名の如く嵐のような速さで城門を抜け、市内へと駆け込んでいった。
「わあっ」
「何の急ぎだっていうのかしら、危ないわね」
 一瞬のこととて、物凄い勢いで走ってゆく騎手がラトキアの英雄その人であるなどと気づくわけもなく、通行人は慌てて道を空け、彼が駆け抜けていった後を呆然と眺めたり、その乱暴さに悪態をついたりしていた。
 アインデッドにとってはそんなことはどうでもよかった。ただ、ひたすら彼の心を締めつける嫌な予感が現実になっていないことだけを祈りながら、彼はラストールを駆けに駆けさせた。
「間に合ってくれよ……!」
 市門を手形も何も必要なく顔だけで通れたのは、逸っているアインデッドにとっても市門の警備にとっても幸いなことであった。もしとどめられて照会などにもたもたしていたら、力ずくで通りかねないほど焦っていたのだ。もしそうなっていたら、同じラトキア軍のものでも無事ではすまなかっただろう。
 ともあれ日暮れ前にシャーム市を出て、フェリス地方へと続くフェリス街道に進み、郊外を抜けて人家も疎らな森林地帯へと入ったのは、すでに日もとっぷりと暮れた頃であった。
 道々盗賊団の者たちの消息を尋ねまわり、ほんの一テルほど前にそれらしき一団が通っていったと農家の者に教えられて、この日のうちに追いつけると踏んだアインデッドはさらに先を急いだ。
 と、前方に道の脇に馬をつなぎ、野宿をしようというのか、荷車の脇で焚き火の用意をしている男を見つけて、アインデッドは声をかけた。男の傍らの荷車には束になったなめし皮が積んであった。猟師風ではないし、革細工を作る職人が仕入れの途中に野宿しているといったところだろう。
「旅の人とお見受けするが、シャームから来たのか?」
「いや、戻るところだが」
 男は手を止めて、馬上のアインデッドを見上げた。彼の年の頃は二十半ばかそれよりも少し上と見え、ラトキア系の黒髪と濃い茶色の目をしていた。
「それなら、シャームの方から来た百人くらいの団体とすれ違わなかったか?」
 男は不審そうに首を傾げたが、素直に答えた。
「すれ違いはしてないが、かなり大人数で旅をしてる連中が、この奥に野宿しているみたいだ」
「そうか。ありがとう」
 アインデッドはひらりと馬を下りた。歩いていこうとすると、男が呼び止めた。
「悪いことは言わない、そっちには行かないほうがいいぞ。何か物騒な感じのする、盗賊みたいな奴らだったからな」
「それなら間違いない。俺の探している奴らだ」
 歩き出しかけて、アインデッドは思い出したように振り返った。
「教えてくれてありがとう」
「あっ、あんた……」
 それ以上男との会話をすることもなく、アインデッドは進んでいった。街道沿いには木立が広がっており、少し入れば街道からは何も見えなくなる。アインデッドは耳を澄ませて、かすかなざわめきを聞きつけた。彼はそっと足音を忍ばせてざわめきと、今は木立の合間から漏れて見える焚き火の明かりを頼りにその傍へと近づいていった。
 思ったとおり、そこでは盗賊たちが焚き火を囲んでいた。酒がだいぶ入っているらしいことが、彼らの傍に投げ出されている壺や革袋の量で知れた。わいわいと話をしているのだが、その内容一つ一つを聞き取ることは難しかった。
(俺が追い出したと奴らが思ってるとしたら、ここで俺が出て行っても、奴らは話を聞かないだろうし、話を聞くこともできないな……。酒が入ってちゃなおさらだ。誰か話の通じそうな奴が来るのを待つしかないか)
 アインデッドは親指の爪を噛みながら考えた。盗賊たちの様子を窺いながら、五分ほど待っただろうか。車座の中から一人が立ち上がり、アインデッドの隠れている茂みに近づいてきた。
 近づいてきたのは、シロスだった。彼はアインデッドには気付かず、アインデッドに背を向けるような格好で、草むらに向かって小用を足しはじめた。それが終わるのを待って、アインデッドは戻ろうとするシロスの肩を掴んで、茂みに引き込んだ。
「なっ、何だ……」
「静かにしろ、俺だ」
 慌てふためいて叫びかけるところに、アインデッドは口を塞ぎながら低い声で囁いた。振り向いたシロスは、突然現れた彼に目を見張った。騒ぐな、と手まねで示すとシロスは了解したというように頷いたので、アインデッドは手を離した。
「おかしら……どうしてここに?」
 同じように茂みに身を隠しながら、シロスが尋ねた。
「お前を呼び出そうとしたら、今日シャームを発ったと知らされたんでな。多分こっちに向かうだろうと思って馬を飛ばしてきた」
 アインデッドの答えに、シロスはまた驚いたようだった。
「どういうことで? おれたちがいると出世の邪魔になる、シャームから出て行けと命令したのは、おかしらじゃねえんですかい?」
 予想していた返答に、アインデッドはちっと小さく舌を打った。
「俺はそんな事、命じちゃいない」
「でも、たしかにあんたからだと……」
「俺が直接言ったわけじゃねえだろう。何だってそんな馬鹿な話を鵜呑みにしやがるんだ。そいつが俺からの命令だと判る、何か証拠になるものを持っていたのか?」
「いや、ただ、おかしらからの命令だと言われただけで」
 畳み掛けるようにアインデッドが尋ねると、シロスの答えはいくぶんしどろもどろになってきた。
「その命令を持ってこさせたのは誰だ?」
「それは……」
 アインデッドはシロスが答える前に言った。
「誰からかは、判らないのか」
 シロスは無言で頷いた。こみ上げてきた感情を抑えるように一呼吸おいてから、アインデッドは言った。
「とにかく、詳しい話は後だ。すぐに皆を連れてシャームに戻れ」
 シロスは何か反駁しかけたが、アインデッドの強い目に促されるように立ち上がった。そして一歩踏み出しかけた、その時だった。



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