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     おお、エリニスの三姉妹
     ヌファールの娘たちがやってくる
     アレクの髪は生ける蛇 松明もて咎を照らす
     メグの翼は荒鷲の如く はばたきは罪をささやく
     ティシィの笞は情けを知らず 罪人を打つ
     やがてカエキリアの狂気が彼らを捕らえようとも
     かの女神らは罪人を追うだろう
     死を以ってその咎をあがなうまで
                   ――《復讐の女神たち》




     第二楽章 復讐のアルマンド




「サラキュールが来ただと? どういうことだ」
 カミーユは苛立ちを隠そうともせずに召使を睨み付けた。
「あやつは病重く、アルメニーの別邸に引きこもっているはずだ。よく似た別人か、名をかたる偽者ではないのか」
 主人の当惑と怒りを受け止めかねて、召使は目を伏せた。
「ですが、確かにサラキュール様でございます。詳しいことは仰られませんでしたが、是非とも話さねばならぬことがある、今すぐにお目にかかりたいと仰せで、ただいまお屋敷の門前にてお待ちになっておられます」
「一人で来たのか」
「いえ、従者を一人お連れです」
 召使には、訪問者の言葉を主人にそのまま伝えるしかない。これ以上のことは何を聞いても判らないだろう。カミーユはなおも苛立たしげに眉間に深い筋を刻みながら、渋々門を開けてやるようにと命じた。そして自分は、客を迎えるための応接間に向かった。
 これが目下のものならば、先に通して待たせておいてもいいのだが、年下とはいえ一族の長であるサラキュールをどうしても立てなければならないことが、カミーユには腹立たしかった。
 本来ならばおのれの父、ライムンドがアラマンダ公となるはずであり、サラキュールなどは傍系の子孫に過ぎないはずだった。それなのにライムンドは弟のリアザンに公爵位を譲ってしまい、フリアウル候に降りた。
 それならば、息子のカミーユこそが次のアラマンダ公となるべきであったのに、従弟のヴァルトゥールがそのまま爵位を継いだ。あろうことか父までもが、ヴァルトゥールを推したのだ。そのことが、カミーユには許せなかった。
 だからこそ、正統な血筋に爵位を戻すためにカミーユはヴァルトゥールを殺した。それは正しいことであったとカミーユは信じている。あれは正義のために流された血なのだ。だのに、その苦労もむなしくまたもアラマンダ公の地位はカミーユには戻らず、ヴァルトゥールの息子に渡ってしまった。
 カミーユがどれほど悔しい思いをしたかなど、あの会議に出ていた誰一人として知らぬことだろう。もう一度、爵位を取り戻す機会が訪れたのはそれから十五年後だった。十五歳になったサラキュールは、顔だちこそ母のリュクレイアに似ていたが、とても十五歳とは思えぬ冷徹な目をしていて、それが恐ろしいほどヴァルトゥールに似ていた。
 その目で見られたとき、カミーユは知らず背筋が凍るような思いがしたものだった。ヴァルトゥールの息子は、何も知らぬはずなのに、まるで全てを知っているかのように、冷ややかな目でカミーユを見たのだ。
 そしてこの時も、一族はサラキュールを当主として選んだ。エルウィッヒが彼よりも劣っているとは、カミーユは思っていなかった。なのにサラキュールが選ばれ、エルウィッヒもが年下の彼が当主となることを認め、歓迎した。それがカミーユには判らなかった。
 なお腹立たしかったのは、成人するまでは補佐が必要だろうと年長の親族たちが補佐を申し出た時、彼がこの提案を突っぱねたことである。カミーユは別として、他の親族に悪意があっての事ではない。
 わずか十五歳で武勇を知られた人とはいえ、家長として領内を治め、身内のことに気を配らねばならないのは一人では心細かろうし、大変に違いない。だから一人前になるまで助けてやろうという、いわば親心である。
 だがサラキュールは、親族の面前でこう宣言したのである。
「貴兄らのお心遣いはありがたく思いますし、大変嬉しく思います。むろん幼きこの身には皆様の助言を必要とするときもございましょうが、このサラキュールに全ての裁量をお任せいただきたい。仮にも一族の当主たるものが、それぞれに一家の長たる貴兄らの手を借りて領地を仕切るとあってはアラマンダ公の名折れ。亡き父に顔向けができませぬ。まずは最初のわがまま、聞き届けてはいただけぬでしょうか」
 何と生意気な、とカミーユは思ったが、彼よりも年長の親族たちはこれを好意的に受け止めたのであった。
「これは、とんだお節介を申してしまったようだな」
 膝を打って笑ったのは、長老のハーゼルゼット候であった。
「いかさま、頼もしい公爵殿が誕生したようだ」
 目を細めて頷いたのはライムンドとリアザン兄弟の末弟、サラキュールにとっては母方の祖父にもあたるラトー候。傍系ながら実力者として知られる彼の言葉は重い。
「貴公の申されるとおりだ。そのとおり、全て貴公に委ねるといたそう」
 カミーユの父、本来ならアラマンダ公となるはずであったライムンドまでがそんなことを言った。こうして一族は名実共に幼いサラキュールを当主として認め、盛りたてていく事に決めたのである。
 従弟の息子は生意気が過ぎると不平をもらしたカミーユに、ライムンドは鷹揚に笑ったものである。
「よいではないか。今から目上の者の顔色をうかがうようではかえって先が思いやられる。若いうちはあのくらいでよい」
「しかし、あまりに……」
「行く末頼もしい男児ではないか。亡きヴァルトゥールに良く似ておる」
 サラキュールは馬鹿ではなかった。補佐は要らぬと言い切ったし、口うるさい横槍は無視もするが、目上の人々に対する礼は欠かさなかった。後に、自分を支持してくれた一族全ての候、伯のもとを訪問し、当主就任の挨拶と支持への礼を述べてまわり、彼らの顔を立てることも忘れなかった。
 それでも幼い公爵に何か失敗があれば、それ見たことかと彼を支持した一族を見返せるし、今度こそ自分がアラマンダ公になれる、とカミーユは思っていた。だが悔しい事ながら、それから十一年というもの、サラキュールが失態を犯したことはついに一度もなかった。どころか、彼は見事に広大な領地を切り回してみせ、二十歳という異例の若さで海軍大元帥に就任し、ますますその権威と影響力は高まる一方であった。
 最初のうちは長男の血筋こそアラマンダ公になるべきだとしてカミーユを支持してくれていた一族の者も、サラキュールが当主であることに納得し、しだいに彼から離れていってしまった。
 こうなっては、カミーユの思惑など無意味である。
 このままでは永遠に、ライムンドの血筋に公爵位が戻る事はない。カミーユの焦りは年を追うごとに募っていった。
 一族の者が今では皆サラキュールを当主と認めているのは、彼の実力がアラマンダ公爵、アルマンド一門の長にふさわしいものであると誰の目にも明らかなことだったからである。だが、カミーユはそれに納得できなかった。彼にとっては、血統の正しさこそが全てなのだった。
 だからこそ彼は、同じように妾腹の皇女などが皇太子となることも許せなかった。更にはその卑しい下級貴族の娘を、サラキュールが積極的に支持し、彼女の騎士然とふるまっていることに激しい怒りを覚えた。
 一方、ユナ皇后は妾の子であるリュアミルが嫡子と認められ、長子ということで皇太子となり、正妃のおのれが産んだパリス皇子に帝位が巡ってこないことに憤激していた。そのリュアミルの最も有力な支持者である海軍大元帥、アラマンダ公サラキュール・ド・ラ・アルマンドは、その政治的影響力、軍事力のどれを取ってもユナにとって最大の政敵であった。言い方を変えれば、アラマンダ公を味方にすれば、風向きは大きく変わるということでもある。
 ユナはパリスを皇太子に据えるために、支持者としてのアラマンダ公が欲しい。それにはリュアミルを支持するサラキュールが邪魔であった。カミーユはおのれがアラマンダ公となるためにサラキュールが邪魔であり、正統な血筋のパリスにこそ帝位が与えられてしかるべきだと考えた。
 そこでユナとカミーユの思惑が一つのものとなったのである。
 カミーユは二十六年前にした決断と同じ決断を、再度することになった。それはサラキュールが結婚し、彼に嫡子が生まれてしまう前に済ませねばならなかった。ヴァルトゥールのときのような失敗は、二度と犯せない。
 なのに、そのサラキュールは今、自分に会って話をしようというのだ。だが少なくとも、カミーユには話すことなど何もなかった。それが公爵位を自分に譲るという話なら別だったが。
 死に切っていないのなら、あるいは自分で手を下すより他にない――。暗い決意を固めて、カミーユは窓枠を握りしめた。
 その時である。
 彼の物思いはノックの音で破られた。
「カミーユ様、サラキュール様がご到着です」
「お通ししろ」
 答えるとほぼ同時に扉が開き、サラキュールの姿がそこに現れた。だが、カミーユが予想していたものとは全く異なっていた。彼の様子は記憶のうちにあるものと何も変わらない。やつれた様子も、どこかに異常を抱えている様子も見受けられはしない。皮肉っぽい物腰で、こちらを見つめている。
 言葉を失ったカミーユに、サラキュールは微笑みかけた。
「どうなさいました――カミーユ伯父?」
 十一年前に彼をぞっとさせた、あの冷たい光を帯びたヴァルトゥールの目がカミーユを見た。
「……元気そうで何よりだ、サラキュール。ずいぶん病篤いと聞いていたが」
「ああ、あれは芝居ですからね」
 軽く肩をすくめ、目を伏せて、あっさりとサラキュールは言った。
「芝居とは、解せないな。何のためにそんなことを」
 声の震えを押し隠して、カミーユは冷静を装った。そんなカミーユを、サラキュールは一瞥した。自分の中に冷たい氷の芯があると想像した。これから自分は氷になる。その氷が、余計な感情を凍らせていってくれる。この男を憎む気持ちも、蔑みも、怒りも、全て凍るのだ。そう考えた。
「何のために、ですか。簡単なこと。貴殿を泳がせておくためですよ」
 その甲斐あってか、出した声は自分でも驚くほどに冷静で、そして切りつける鋭さを持っていた。
「何のことを言っているのか判らぬな、サラキュール」
「判らぬと仰るならそれはそれで結構。世間話をしている暇はありませんのでね。カミーユ伯父――いや、ラルホーン伯カミーユ・ド・フリアウル。ド・ラ・アルマンドの当主として貴殿に命じる」
 サラキュールは夜よりも黒い瞳で真っ直ぐにカミーユを見据えた。
「何を命じるというのだ」
「死を」
 物騒なその言葉にも、カミーユは動揺を見せなかった。落ち着き払った様子で肩をすくめ、窓際に寄った。
「理由は何だ」
「知れたこと――。当主に対する反逆だ。貴殿は自らがアラマンダ公たらんと欲し、私を殺そうとなさった」
「証拠がどこにある」
 胸を張るようにして、カミーユは言った。虚勢であったのか、それとも真実後ろめたいことなどないと考えていたのか、それは定かではなかった。
「出せと仰せなら幾らでも出してさしあげられるが、貴殿に見せる必要などない。私が確信できればそれで充分だ。どんな証拠を出そうと、貴殿は否定なさるのだろうからな」
「そのような理由が認められるものか。当主の権限を逸脱している。皇帝陛下のお耳に入れば、貴公もただでは済まんぞ」
 カミーユは噛み付くような勢いで言い返した。その勢いを、サラキュールは涼やかに受け流した。
「ならば、もう一つ付け加えようか。貴殿は二十六年前に私の父と母を殺した。手を下したのは別の者であろうが、命じた貴殿の責任だ。これも立派に、当主に対する反逆だ。ついでに私にとっては仇討ちでもある。当主も含めて四人も殺していれば、貴殿に死を命じるのも当然ではないかな?」
 すかさず、カミーユは反駁した。
「あれは事故だ。事故で死んだ父母に、仇などいようはずがない。貴公は理由のない殺人を犯すことなるのだぞ」
「事故、か」
 サラキュールの形の良い唇が、笑うように歪んだ。均整の取れた線と面と彫り深い曲線が重なり合い、徹底的な軽侮の表情を作り出していた。
「かもしれぬな。そういうこともあるのだろう。貴殿にとって、あまりにも都合のよい偶然が重なったものだが。フリアウルに向かう主街道が突然の事故で塞がり、崖ぎわの旧道しか通れなかったことも、崖から落ちて死んだはずの死体に矢傷と刀傷としか見えぬ傷があったことも――全て偶然なのかもしれぬ」
「なぜそれを……」
 カミーユはぞっとしたようにサラキュールを見た。その言葉で、自らが犯人であると決定的に知らしめてしまうにもかかわらず。だが、サラキュールの瞳は黒い鏡のようにカミーユを静かに映しているだけだった。
「あれが事故ではなかったことなど、お祖父様たちやライムンド卿、ハーゼルゼット卿はそもそもの初めから承知しておったわ。だが、あえて事故ということにして片付けた。私も今日まで目を伏せてきた。――何故だかお判りか? 言っておくが、貴殿個人のためなどではないぞ」
 しかしカミーユは答えなかった。答えられなかった。ただ、サラキュールの暗い微笑みを見つめているばかりだった。
「ド・フリアウルの嫡男ともあろうものが公爵位欲しさに同族殺しを犯したなどということになれば、一族の恥になったからだ。それだけではない。他の政敵に付け入る隙を与え、我が一門の力を失わしめる結果になったからだ」
「ならば――」
 目を見開き、喉が張り付いていたようになっていたカミーユだったが、何とか言葉を絞りだした。
「ならば今貴公がしようとしていることも、同じではないか」
「同じと見えるか。これは心外だ」
 彼が浮かべたのは、凄みのある笑顔だった。
「貴殿がなされた同族殺しは、おのれ一人の欲のためだ。だが私は、私個人の目的ではなく、一門を守るために貴殿を殺す。我がアルマンド一門から反逆者を出すくらいなら、私一人が同族殺しの汚名を着る方がまだましだからな!」
 サラキュールは言い捨てた。だが激したのはほんの一瞬だけで、すぐにまた水のような平静と、氷のような冷徹さを取り戻していた。そして、彼は腰に下げた長剣をすらりと抜き放った。

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