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 同日、ユーリースの刻。
 アルメニーの館に妙なものが届いた。それ自体は妙ではないのだが、贈り主と贈られた相手が紅玉将軍とアラマンダ公爵というと、とたんに人が首を傾げたくなってしまうようなもの――妙に豪勢な花束である。
 温室栽培でもないかぎり、冬のオルテアでそんなに種類を集められるわけでもないので、花は水仙と雪鈴蘭だけであった。といっても鮮やかな黄色と白の彩りがなかなかきれいで、香りはとても良い。
「お見舞いとは言っても、サラキュール様にお花なんてね」
「皇太子殿下のところと間違えたのではなくて?」
「でも、確かにサラキュール様に、と言われたわよ」
 侍女たちは不審物でも運ぶかのような顔をしながら、その花束を生けた花瓶をサラキュールの部屋に持っていった。
「サラキュール様、紅玉将軍閣下からお見舞いにと、こんなものが届きましたが」
 ベッドの上でジークフリートと二人で海図を眺めていたサラキュールは、ちょっと顔を上げて近くのテーブルを指した。
「ではその机の上にでも飾っておいてくれ」
「かしこまりました」
 侍女は命じられたとおりに花瓶を置き、また下がっていった。足音が遠ざかってから、サラキュールは感心したように言った。
「アルドゥインのやつ、手際よくやってのけたな。まさかこの日のうちに片がつけられるとは思わなかった」
 花束を贈る――というのが、刺客を捕らえた合図として二人が選んだ連絡方法だったのである。それはすなわち、ラルホーン伯を討てという合図でもあった。
「では……今夜中にいたしますか」
「ああ」
 サラキュールは傍らのジークフリートをそっと見た。
「その前に、エルウィッヒに会いたい」
「お会いして、どうなさいます」
 どこか詰るような響きを持った声音で、ジークフリートは言った。
「ラルホーン伯の罪と、彼を討つことをお話しになるのですか?」
「……そのつもりだ」
「父親を殺すせめてもの償いに、ですか?」
「おぬしには、隠し事ができぬな」
 サラキュールはため息をついた。
「だが、償いというつもりではない。一門どうしで内紛を起こすわけにもいかぬだろう。何も知らずに父親を討たれたら、彼も仇を討とうと考えるだろう。その日のうちにフリアウル騎士団と戦闘になるかもしれぬ。それは避けたい。が、全く争いにならぬというのも困る。事情を説明して、伯父を討った後の計画を立てたい」
「……しかし、そこで反対されたり――あるいはその場で父親を守ろうと、襲われたら何となさいます? エルウィッヒ様も加担している可能性もございますのに」
「もしエルウィッヒも与していたら、もう少しまともな方法を取っていただろう。エルウィッヒは父親と違って賢いからな。だから彼は無関係だ。彼なら、何を一番に考えるべきか判っているはずだ。それに、向こうと争いになったら、エルウィッヒまで殺さねばならぬではないか。そんなことはしたくない」
 きっぱりと言い切られて、今度はジークフリートがため息をつく番だった。
「判りました。では私もお止め立ていたしません。ですが、くれぐれも外には漏れぬようにお気をつけください」
「わかっておる。伯父に知られてはことだからな。といってエルウィッヒをここに呼ぶわけにも参らぬし、向こうに行くわけにも参らぬ。誰かの屋敷を隠れ蓑に使いたいが……それはグスターヴ殿に頼むか」
「ではスアルドネ候にお願いに行って参りましょう」
「私から手紙を書く。少し待っていてくれ。それからクリジェスに、いつなりとも発てるように軍装を整えておくように伝えてくれ」
 少し驚いたような顔を、ジークフリートはした。クリジェスは身辺護衛のために連れてきているアラマンダ騎士団の団長である。
「屋敷に攻め込むおつもりですか」
「そんな大仰なことはせぬ」
 サラキュールは苦笑した。
「が、念のためだ。エルウィッヒは説得するし、できるだろうが、いざ伯父を討った時、主を守ろうとか、仇を討とうという真面目な輩がいると困るからな」
「――クリジェス殿に騎士団の出発準備、スアルドネ候にエルウィッヒ様との面会ができるようにしていただく……と、これだけでよろしいですか?」
 もう何も問い返さず、ジークフリートは用件を確認した。サラキュールは無言で頷いて、その間に書いていた手紙を畳み、封蝋を捺した。
「なるべく早く頼む」
「心得ております」
 ジークフリートは手紙を受け取って一礼し、すぐに出ていった。
 エルウィッヒに黒鉄提督、ヴェルザー候グスターヴからの呼び出しがかかったのは、その日の夕刻、もうまもなくサライアの刻になろうかという刻限であった。フリアウルはヴェルザーに近く、イル川流域を領地に持つ。ヴェルザー候とは旧知の仲で、エルウィッヒは黒鉄海兵隊に所属しており、現在は一隻の軍艦を預かる大将である。
 そのような事情があったので、急な呼び出しには驚いたが、さして不審に思うこともなくヴェルザー候の屋敷に赴いたのであった。
 父のカミーユは黒髪と暗い色の瞳を持っていたが、エルウィッヒは母の暗い金髪をいくぶんか受け継いだらしい。彼の髪は根元が黒っぽく、毛先の方は淡い蜂蜜色をしていた。瞳もどちらかというと茶色に近い黒で、光の加減では全く茶色にしか見えなかった。
 屋敷に着くと、ほとんど取次ぎらしい取次ぎもなく応接間に通され、すぐにグスターヴが現れた。慌ただしげな様子で、急な用事であったのは間違いないようだ。
「すまんな、エルウィッヒ殿。急に呼び出して」
「大事ありませんが、いったい何事ですか」
 何か緊急事態でも起こったのかと心配しながら、エルウィッヒは尋ねた。しかし海兵隊に関することなら、自分だけが呼び出されるのも妙だとも思った。そんな疑念が顔に出ていたのか、座るように手真似で指しながら、グスターヴは説明した。
「どうしても今日、今すぐに貴殿に話さねばならぬことがあるというので、客人が来ている。その取次ぎを頼まれたのだよ。案内するから、ここで少し待っていてくれ」
「かまいませんが」
 言い置いて、グスターヴは部屋を出ていった。しばらく間が空いて、再び扉が開いた。グスターヴはおらず、その客人だけが来たようだった。だが、彼の予想に反してそれは見知らぬ人ではなかった。
「こんばんは。ご無沙汰しておる、エルウィッヒ」
「サラキュール殿」
 予想もしなかった相手に、エルウィッヒは驚いて立ち上がった。
「お加減がよろしからぬと聞いていたが……」
「世の目を欺く芝居だ。本当は何事もない」
 エルウィッヒは目を何度も瞬かせ、信じられないといった様子でサラキュールをしげしげと見つめた。
「しかし何故、そのような」
「名を騙って呼び出すような真似をしてすまなかった。だが貴殿と私が会ったことを、なるべく伯父には知られたくなかったのだ。その理由も含めて、貴殿に話さねばならぬことがある」
 すぐに気持ちを落ち着けたようで、エルウィッヒは居住まいを正した。
「お伺い致します。どうぞお話しください」
 年上であるし、血筋でも目上であるはずなのだが、エルウィッヒの言葉遣いはあくまでサラキュールを当主として立てた丁寧なものであった。二人の母親は祖父らの末弟ラトー卿の娘であったので、幼い頃には従弟殿、従兄(あに)上と呼びあった親しい仲だが、サラキュールが当主になってから、二人の間には親しさと同時に決して崩されることのない礼儀正しさの壁ができていた。
「私は貴殿の父を討つ」
 ようやく、歯ぎしりの合間に絞り出すようにサラキュールは言った。
「……理由をお伺いしましょう」
 対するエルウィッヒはさして混乱もせず、静かな表情で、怖いくらいの声で尋ねた。あるいはサラキュールの表情から、これがただならぬ事態なのだということが察せられていたのかもしれない。
 サラキュールはありのまま全てを話した。カミーユとユナ皇后の癒着と二人の恐るべきたくらみ――アルマンドの家督を継がんとしてサラキュールの命を狙ったこと、その後にはパリス皇子を皇太子に擁立するためリュアミル皇女を暗殺し、ついでイェラインを暗殺しようとしていること、すでに一部は実行されつつあるということ。
 聞くうちに、エルウィッヒの顔から血の気が失せていった。時々何かを言おうとして口を開いたが、結局彼は一言も発さぬまま話を聞き終えた。
「だから、どうしても私が家長の権限で、一門内の争いで討つというかたちにしなければならぬ。……それで、病に倒れたふりをした。ことを卿に知られぬように運ぶために、卿の計画が思惑通り進んでいると見せかけねばならなかった」
 テーブルの上に軽く置かれたサラキュールの手が、血管が浮かび上がるほど固く握り締められているのをエルウィッヒは見た。
「すまぬ。私を恥知らずと、卑怯者と罵ってくれてかまわぬ。だが、卿のまことの罪状を公にせず葬り去る方法を、これ以外に思いつかなかった」
 うつむいたサラキュールの表情はこれ以上はないほど苦いものだった。しかし罵るかわりに、エルウィッヒは彼の両肩に手をかけ、優しく声をかけた。
「顔を上げてください、サラキュール殿。あなたとて、おのれの名誉がかかったことだ。辛い決断であったのでしょう。事の前に打ち明けてくださったことに感謝します」
「エルウィッヒ……」
「貴公の仰るように、事が公になればこれはフリアウル家だけでなく、アルマンド一門の問題――あなたの名誉を傷つけてしまうことは心苦しいが、父の命一つで一門を守れるのならば、結構ではありませんか」
 顔を上げると、エルウィッヒはかすかに涙ぐんでいた。
「我が父とはいえ、ここまで愚かだったとは思わなかった。当主に背反するのみならず、主君にまで仇なそうとするなど。今より、父のことはもはや父とは思うまい。父はどうあれ、私は貴公の味方だ、サラキュール殿。私に遠慮は要らない。そういうことならば、私が父を成敗してもよいくらいです。アルマンドの名を守るためならば、父の命もいくばくかの役に立ちましょう」
「そう言ってくれるか」
 エルウィッヒは答えるかわりに、サラキュールの手を取って強く握り締めた。サラキュールはその手に自分の手を重ねた。
「本当に相すまぬ」
「それはもう、仰らないでください。知らずにいたならば、父の仇としてあなたと戦ってしまっていた。そうなれば一門を巻き込む内紛になるし、恐らく――いえ、間違いなく私が敗れるでしょう。……教えていただいたということは、少なくとも、私はまだアルマンド一族にとって必要な人間と判断していただけたわけですね」
 感動的な台詞の後なのにちくりと厭味っぽいことを言うあたり、やはり彼もサラキュールの血族であった。が、サラキュールもこの程度の厭味には動じなかった。代わりに声を出さず笑った。
「無論だ。勝手にグスターヴ殿の部下を殺すわけにもいかぬだろう。何より貴殿には次のラルホーン伯、フリアウル候になっていただかねば困る」
 そっけない言葉だったが、エルウィッヒはそこに、自分を高く評価しているサラキュールの気持ちを読み取った。
「それは何よりありがたい言葉です」
 彼は微笑み、もう一度握った手に力を込めた。

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