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 予想もつかないところから現れたサラキュールは、どちらが君主なのかわからないくらい泰然としていた。
「遅れまして申し訳ございません、陛下」
 肩に蜘蛛の巣を引っ掛けたまま、平然と一礼すらしてみせたのである。アルドゥインにはもう驚くほどのことでもなかったが、イェラインはこの登場に口を開きかねない勢いであった。
「サラキュール、そなた……どうしてそんな所から」
「たまたま存じ上げておりましたので。このような際でございますので利用させていただきました。誓って、他の場所は存じませぬが」
 イェラインは怒らなかった。ただ、ひたすらに深いため息を一つ吐いただけだった。その気分が、アルドゥインは何となく判るような気がした。
「……では、報告してくれ」
「まこと陛下には申し訳なく、また私の監督の行き届かぬことを前もってお詫びいたします。陛下を暗殺せんと企て、エストレラ伯を刺した犯人――我が父の従兄、ラルホーン伯カミーユにございました」
 跪いて頭を垂れ、サラキュールは告げた。驚きの色がイェラインの瞳に浮かんだが、それ以上の反応はなかった。
「そなたを殺そうと企んだのもか」
「はい。恐らくは家督を継がんと欲したものでしょう」
 アルマンド家の家督を巡るいざこざは、当事者本人が有名な話と言っていただけあってイェラインも知っていたものらしい。そのことにさほど驚いた様子もなかった。
「そして、ラルホーン伯に手を貸し、陛下とリュアミル殿下に対する暗殺計画の首謀者は……まことに申し上げにくいことではございますが、ユナ皇后陛下でございます」
 イェラインはまたも無言であった。だが、今度の沈黙は驚愕のあまりの沈黙であった。その目は大きく見開かれ、顔の筋が引きつっているのが少し離れた所に立っているアルドゥインにもはっきりと見えた。
「ユナが、か……。それはまことか」
 がっくりと肩から力を落として、イェラインは玉座の背もたれに体を沈めた。
「はい。刺客がでたらめを申していないかぎり」
 イェラインの驚愕と混乱を思って、二人はしばらく黙って見守っていた。だが、さすが皇帝だけあって立ち直りも早かった。一分ほど額を押さえて黙りこくっていたイェラインは、やがて顔を上げた。
「そなたに送り込まれた刺客一人の証言では不十分だ。信じたくもないような話だが、そうとあっては慎重に慎重を重ねて調べた上、証拠を固めねばならぬ。余とリュアミルに送られた刺客は判ったのか」
「陛下にはギウリアと申す女が送られているそうでございますが、リュアミル殿下には誰が行ったものか、その刺客は知らぬと申しておりました」
「ではそのギウリアとやらを早急に捕らえ、もう一人の刺客も捕らえよ。このようなこと、近衛らには任せられぬ。アルドゥイン、そなたに任せてよいか」
「かしこまりましてございます」
 さっと礼をして、アルドゥインは答えた。
「して陛下。たってのお願いがございます。ラルホーン伯の処分、このサラキュールにお任せいただけぬでしょうか」
 イェラインはアルドゥインに向けていた目を再びサラキュールに戻した。
「我が身可愛さに申しているのではございません。ですが恥を忍んで申し上げれば、私は私の一族を守らねばなりませぬ。ラルホーン伯を反逆の罪に問えば、一門全体にその罪が及びます。二十の支族、そこに仕える数知れぬ臣――家長としてその者らを路頭に迷わせるわけには参らぬのです。ですから、ラルホーン伯は家長の座を狙い、それを私が個人の裁量で討ったと――そのようにしていただきたいのです。どうかこのわがまま、お聞き届けくださいますよう」
 初めうなだれていた頭をあげ、サラキュールはイェラインの目を真っ直ぐに見た。必死の表情がそこにあった。
「……アルマンドの一族ともあろう者が反逆の意を抱いていたなどと知られれば、国内外に動揺を与える。ましてフリアウルの嫡男が、となれば、その意に賛同するものも少なからず出るやも知れぬ」
 やがてイェラインはゆっくりと口を開いた。
「となれば、ラルホーン伯の罪は表に出さぬまま処分するが良いだろう。反逆ならずとも当主への背反は充分に死を命ずるに値する罪だ。それは余からもそなたに是非とも頼みたいことであった。だが、そなたの名誉は傷つくぞ。私闘という形にすれば、そなたをラルホーン伯を独断で討った罪に問わねばならぬ」
「そのようなこと、我が一門を守れるのであれば些細なことにございます。領地の没収なり、地位の剥奪なり、どうぞご存分に罰してくださいますよう。手加減をすれば疑いを招きますゆえ」
 毅然とした面持ちでサラキュールは言い切った。自棄の勢いではない。一族を守らねばならない責任感と、誇りと揺るぎない信念に支えられたものであった。アルドゥインはその強さを羨ましいと思った。それはかつて自分が命と引き換えに捨ててきたものであったから。
「では、サラキュール。アラマンダ公爵、アルマンドの当主として、そなた個人の判断によってラルホーン伯を討て。これは皇帝の命令だ」
「しかと承りました。時期はいかがいたしましょうか」
「ふむ――?」
 イェラインはすぐにはその質問の意味をはかりかねた。
「今すぐにでは、皇后陛下に計画の失敗を悟らせてしまいますし、皇后陛下を――罪に問うた後では、ラルホーン伯に警戒されてことを運びにくくなります。あるいは自暴自棄となって何をしでかすか判りません。あの男はあまりにも愚かすぎて、何をするのか予想もつきませぬ」
「そうだな」
 最後の罵倒にはあえて目をつぶり、イェラインはちょっと考えこむようだった。計画が失敗したと知られては、刺客を引き上げさせて証拠を消されてしまう可能性がある。自らの伴侶が自分を殺そうとしているという事実はイェラインを打ちのめしもしたが、彼はあくまで皇帝であった。後の禍根を考えると、ここで一気に計画の芽までも潰しておかねばならなかった。
「ではラルホーン伯を先に討て。その後、時を移さずユナの罪を問う。そのためには、残る二人の刺客を捕らえるのが先決だ。それを合図にラルホーン伯を討て。アルドゥイン、一刻も早く刺客を捕らえるのだぞ」
「かしこまりました」
 アルドゥインとサラキュールはもう一度深く頭を下げて承った。
 イェラインとの謁見の後、サラキュールはまた「失礼して」例の通路から出ていった。そのままアルメニーの館に帰るのだという。アルドゥインの方は紫晶殿に足を運んだ。そして呼び出したのはトオサであった。
「いかがなさいましたか、紅玉将軍」
 紫晶殿を出たところの庭先で待っていると、トオサは五分ほどでやってきた。アルドゥインは単刀直入に切り出した。
「トオサ殿にお願いがあって参りました。皇帝陛下よりの内密の命なのですが」
「どのようなものでしょうか」
 とたんにトオサの顔はいつにも増して真剣なものになった。どんな命令であれアルドゥインに協力するように、というイェラインからの書付をもらってきていたが、それを見せる必要はないようだった。
「トオサ殿はリュアミル殿下付きの女官長でいらっしゃったな。現在リュアミル殿下に付いている女官の名簿があればそれをお貸し願いたい。それから、皇后陛下付きの女官の名簿も手に入るのならば」
「そのようなものでよろしければ、すぐにでも」
 ちょっと拍子抜けたように、トオサは頷いた。そこは女官歴の長さがものを言ったのか、何のためにとは尋ねなかった。
「ですが皇后陛下付き女官の名簿は難しいかもしれません。あちらの女官長のビューラとは、あまり交流もございませんし……」
 女官同士の関係は、皇后とリュアミルの関係を如実に反映しているようである。無理のないことかと、アルドゥインはちょっと肩の力を抜いた。
「無理にとは申しません」
「いえ、できるかぎり手を尽くしてみましょう。時間をいただければ今日中にご用意できると思います」
「お願いします。今日は一日、紅晶殿におりますから」
 トオサはきっぱりと言い、アルドゥインはそれに一礼して応えた。セオドリウスが以前紫晶殿の庭師として勤めていたと聞いていたので、あるいは全ての刺客が何らかの形で紫晶殿に勤めている、勤めていたものではないかとアルドゥインは考えたのである。用事が済むと、次は水晶殿に戻って、水晶殿の女官長イェフィスカを呼びつけて同じように女官の名簿を出すように命じた。
 こちらはトオサほど話が通じる相手ではなかったので、イェラインの書付をちらつかせて言うことを聞かせる必要があった。だが、ほどなくして目当てのものは手に入れることができた。名簿を持って、アルドゥインは紅晶殿の執務室に向かった。
 王宮ともなると勤めている人間の数は半端ではない。必ずしも名前が音の順になっているわけでもなかったので、全員の名前を確かめていく作業は思ったよりも大変なものだった。しかし、一時間ほども辛抱強く名簿とにらめっこを続けた結果、求めていた名前を見つけ出した。
「ギウリア……これだな」
 他に同名の者がいないことを確かめる。所属を見ると配膳係とあった。それなら毒を入れる機会は充分にあるはずだ。間違いないようだった。一刻も早く捕らえるように命じられている。アルドゥインはすぐに次の行動に移った。
 水晶殿の炊事場は、数千人の女官や侍従、勤務する兵士たちの食事まで作らねばならないので、そこに勤めている者はほとんど一日中働き続けているといっても過言ではない。皇族の食事は召使たちのものとは別の台所で専属の料理人たちが作るのだが、朝食後の小休止を終えて、こちらも昼食に向けての下ごしらえや準備でそろそろ慌ただしくなり始めていた。
 食事以外にも、皇帝が飲み物やちょっとした軽食を所望した時など、すぐに対応できるよう常にかまどには火が入れられ、大して時間を取らずに調理できるものやスープなどが温められている。
 この日も、昼食まであと一テル半といったところでイェラインから軽食の求めがあった。朝食がいつもよりも少し早かったこともあったので、さして不思議なことでもなかった。五分と経たないうちに薄切りパンの焼いたものと果物のジャム、それと濃厚なスープとが用意された。
 それらはまず配膳室に運ばれ、毒見役によって全ての食品が少しずつ試される。その後配膳係の女官あるいは給仕係の侍従が皇帝の下に運ぶのである。できたての温かいものは食べられないというのが、王族の定めというものであった。
 盆を持って運んでいた女官は、ひと気のない廊下で不意に足を止め、周囲に素早く目を走らせた。誰もいないことを確かめると、彼女は食事の載った盆を窓辺の飾り棚の上に置き、空いた手でお仕着せのポケットから液体の入った小さな瓶を取り出した。
 スープ皿に被せられた蓋を開け、瓶の中の液体をほんの少しだけ垂らす。かすかに緑がかったその液体は、数秒だけ油の皮膜のように広がった後、カラメル色のスープに混ざっていった。彼女は何事もなかったかのように蓋を閉め、歩き出そうとした。
「ギウリアだな」
 数秒も経たず突然後ろからかかった声に、彼女はぎくりと立ち止まった。振り返ると、そこには長身の青年が立っていた。
「ヴィラモント将軍……」
 誰かと見間違えようもないし、判らないはずもなかった。メビウス宮廷に南方系の沿海州人は彼一人しかいなかったのだから。
「その食事を運ぶ必要はない。お前には別の用事がある」
 アルドゥインは重々しく告げ、ギウリアの手にしていた盆を取り上げた。彼に続いて現れた数人の近衛兵の一人がそれを受け取り、どこかへ持ち去っていった。彼らの登場の意味する所を、ギウリアは嫌でも悟らねばならなかった。

「Chronicle Rhapsody24 紅の氷雪」 完 (脱稿・2006年4月8日)


 おまけ
黄金(こがね)提督……カミラ伯アルフォンソ・ラ・ヴァリーニ
白銀(しろがね)提督……エストレラ伯アリアガ・ラ・フォアメルリ
赤銅(あかがね)提督……パアル候ジグムント・ド・ハドラヴァ
黒鉄(くろがね)提督……ヴェルザー候グスターヴ・ド・スアルドネ
青銅(あおがね)提督……ラガシュ伯バートリ・ラ・ホルスティ


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