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 その日の夜、アルドゥインは約束どおり、オルテア郊外のアルメニーに堂々とたたずむアラマンダ公爵の別邸を訪れた。詳しい由来は知らなかったが、この一帯はアルマンド家の別邸があるからアルメニーという地名になったらしい。サラキュールは何度となくアルドゥインの公邸を訪れて泊まったりもしていたのだが、その逆というのは実はこれが初めてだった。
 ここだけでなく、メビウス各地にアラマンダ公の別邸というのが存在しているらしいが、どこにどれだけ、というのはアルドゥインも知らなかった。そこに主人が滞在するのは主に冬の間と、年に数回しかない伺候の時だけだというのに、周囲の森を含む広大な敷地を持ち、建物自体も主人の地位を示す如く大きなものであった。
 といっても日が完全に暮れてしまっているので、建物の外観を詳しく観察することは残念ながらできなかった。しかし手入れはされているのに磨り減ってしまっている彫刻や石の階段などは、そこに流れる歴史を感じさせた。
(さすが、国内屈指の大貴族……)
 明朝に迎えを寄越すようにと御者に告げて馬車を降りたアルドゥインが目にしたのは、そのようなものであった。雪が積もっているとはいえ門から玄関まで馬車で十分もかかるなど、市内では考えられない広さである。貴族の館というよりは、王族の小規模な宮殿といっても差し支えないくらいだろう。
 リアザンへの土産として持ってきた、籠に盛った果物を召使にことづけて、アルドゥインはしばらく玄関の隣に設けられた応接室の一つで待たされた。こうも広いと、伝えに行くにも戻ってくるにも時間がかかるらしい。五分ほど待たされて、アルドゥインはやっとサラキュールの待っている部屋に案内された。
 廊下にはランプが灯され、案内の使用人も手燭を持っていたが、市内と違って周りには建物などないし、街灯もあるはずがないので外がとても暗く、そのせいで建物の中も暗いような気がした。庭があるはずの窓の外をちらりと見てみても、何も見えはしなかった。わずかに、夜半から降り始めた雪のかけらが光を跳ね返してちらちらと光って見えていたくらいだった。
 案内された部屋は、サラキュールが使っている応接間か居間の一つであるようだった。どこもかしこも古めかしくはあったが、置かれている調度品はまだ新しい。といったところでゆうに三十年から五十年は経っていただろうが。
 木象嵌の床には深緑の絨毯が敷かれ、足音も出ないほどふわりとしていた。室内の布製品はみな緑系統の色で統一されていて、どことなく森の中に入ったような雰囲気をかもし出していた。壁布も、緑を基調に絡み合うアザミの葉を意匠化した模様を薄いベージュと黄色で描いたものだった。
 部屋の中央にかかっているシャンデリアは真鍮の台に切り子型にカットしたクリスタルガラスを飾りとして取り付けたものだった。それが蝋燭の光を受けて、きらきらと輝いていた。暖炉には火が入れられていて、アルドゥインのために用意されたのか、その近くにテーブルを移動させて、暖炉の正面に椅子が置かれていた。
 この豪華な部屋の中でくつろいだ姿を見せていると、たしかにサラキュールはただの若者ではなく、大貴族――それも中原屈指の――としか見えなかった。数百年、いや千年以上の時の流れがこの秀麗な青年の中に血となり肉となって形を成している――そう思わせるような眺めだった。
「待たせてすまなかったな、アルドゥイン」
「いや、この程度は慣れてる。さすが広い屋敷だな」
 それに対し、サラキュールは皮肉で答えた。
「単なる土地の無駄だよ」
 案内してきた召使を下がらせると、サラキュールはやはり暖炉の前の席に座るように言った。テーブルにはすでにもてなしの用意がされており、ワインと、薄い小さなクッキーなどの軽くつまめるものがいくらか置かれていた。
「まあ、まずは一杯ゆこう」
 話を始める前に、サラキュールは雪で冷やしてあった酒の瓶を取って栓を抜いた。かすかに泡立つ薄い薔薇色のワインがグラスに満たされていくのを、アルドゥインは何となく黙ったまま見つめていた。そのまま互いに何を言うでもなく、二人はグラスを持ち上げて軽く触れ合わせた。そして一口酒を流し込むと、サラキュールはやっと口を開いた。
「昼にも話したが、アラマンダ公爵はアルマンド一門の総領だ。ラルホーン伯はフリアウル侯爵の息子が代々継ぐ爵位で、そのフリアウル候は一族ではアルマンド公に次ぐ家柄、ということになっておる」
「ということは、あの人はそのうちフリアウル候になる、ということか」
「ああ。現当主のライムンド卿が亡くなるか、隠居なさればな」
 サラキュールは頷いた。
「それはまあ、別の話だ。ともあれ私がアラマンダ公爵として一門の当主をつとめるようになったのは、十五歳の時からだ。だがそうなるまでは決して順調、というわけにはいかなかった。父――先代公爵ヴァルトゥールが死んだ時、祖父はもう隠居しておったし、私はむろん生まれたばかりの赤子だったので、アラマンダ公爵の地位は空位になった。そこで誰がアルマンド一門の長となるかで多少もめたのだ」
 興なさげに淡々とした語り口で、サラキュールは続けた。
「もちろんそれは、嫡男である私が成人、あるいは自ら領地を治め、公爵の務めを果たせるようになるまで、という期間限定のことになる。だが、たかだか二十年足らず――私の場合はたった十五年だったが――それでも公爵の代理人に就きたいと願う者はけっこういてな。カミーユ伯父……いや、ラルホーン伯もその一人だ。というより、ラルホーン伯は自らが次のアラマンダ公爵であると主張した」
「ラルホーン伯、というのはお前とどういうつながりになる? 家柄が高いというのは判ったが、嫡流のお前を差し置いて公爵を継げる位置にいるのか」
「面倒なのでカミーユ伯父と呼んでおるが、彼は私の父の従兄だ。正確を期せば、祖父の兄の息子だ」
「兄?」
 アルドゥインの疑問を先取りしたように、サラキュールは続けた。
「うむ。今でこそアルマンド家の嫡流は祖父の血筋だが、祖父は次男だ。長男の大伯父は幼い頃病弱だったため、成人するまで生きていられるかわからぬと言われておった。そこですぐ下の弟である私の祖父に嫡男を譲り、自らはフリアウル候を名乗った。結局、大伯父は無事に成人し、今も健在なのだが、公爵位は祖父の血筋――つまりは私に譲られたままになっておる。そういった経緯があるから、我こそが本家だ、というカミーユ伯父の気持ちは判らなくはないのだが……」
「今に至るまで、そうはなってないわけだな」
 アルドゥインが口を挟むと、サラキュールはふっと笑みを浮かべた。
「ああ。そしてここにも面倒な話がある。祖父と大伯父のライムンド卿は仲の良い兄弟でな、互いの息子の世代になったら、親族会議を開いてどちらがアラマンダ公になるかを決めようと約束した。そうすれば、再び長男の血筋に公爵位が戻ってくる可能性もあるからな。しかし、これがまた問題で――私の父は、それは出来の良い息子だったのだ。カミーユ伯父など話にならぬくらいのな。私の年の頃には父はアラマンダ公になっていたのに、彼がいまだフリアウル候を継げぬのでも判るだろうが」
 サラキュールの台詞は、それが自慢なのか単なる事実なのかが判りづらかった。しかしこういうところでつまらない自慢をする男ではないので、これは事実として述べただけなのだろうとアルドゥインは結論付けた。
「結果、一門の会議で、誰の異存もなく私の父がそのままアラマンダ公を継ぐことに決まった。ライムンド卿も、自分の息子であるカミーユ伯父より父を推したそうだ。そして翌年父はアラマンダ公を継ぎ、私が生まれ、これで一族は安泰――という矢先に、例の事故が起きた」
「馬車が崖から落ちたという、あれか」
 その話は以前にサラキュール自身から聞いていた。
「そうだ。アラマンダ公に推してくれた礼を兼ねて、ライムンド卿に私が生まれた報告をしに行く途中――つまりはカミーユ伯父も住んでいるフリアウルへ向かうための道筋で。数日雨も降らずよく晴れた秋の日、崖際とはいえそれまで一度も事故など起きたことのなかった場所で、な。そして父が亡くなり、カミーユ伯父は今度こそ自分が総領だと名乗り出た――」
「……」
 言葉を失ったアルドゥインを見つめ、サラキュールはいったん言葉を切り、頬の片隅に皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「おぬしの考えていることは判る。事情を知る前と知らぬ前とでは、同じ物事でもずいぶん違って受け止められるからな。だから祖父も、私がアルマンド家を正式に継ぐか否かの親族会議が行われた十五の年まで、この事を話さずにいた。おかげで十五になるまで、私は両親の死んだ場所に詣でることもできなかった。何も判らぬがまあ、隠すだけの疑わしいことがあったに違いないのだろう」
 サラキュールはグラスを持ち上げると、なくなりかけたワインを再び注いだ。面白がるような笑みがそのおもてに浮かんでいたが、目は全く笑っていなかった。むしろ、抑えた怒りが見えるようだった。
「それで……真実はどうなんだ」
「真実? 真実はヤナスとヌファールのみがご存じのことであろうよ。事故で片付けられた。目撃者などいなかったし、父母と従者、御者は即死で、状況を語れるものは生き残っていなかったから。それに暗殺であれば、それはそれで大問題になる」
「しかし……」
「おぬしが殺されかけた時も、黒幕はうやむやのままにされたであろう? どうせおぬしの叔母の誰かであったのだろうが」
 優しい口調でサラキュールは問い返した。アルドゥインは眉をしかめた。
「まあ……そうだが」
「なまじ公爵などになると、面倒なことばかりだ。親の仇がいるのかも判らぬし、いたとしてもどうにもできぬ」
 ため息まじりに言い、サラキュールは椅子の背もたれに体重を預けた。
「しかしあれが偶然であれ謀略であれ、私が死ななかったことはカミーユ伯父にとって予想外だっただろう。私も一緒に死んでいてくれればよほど話は簡単だったのだろうがな。私が生き残ったことで、またも一門は紛糾した。私を跡継ぎにして誰かが補佐をするか、それとも今度こそカミーユ伯父が継ぐかで。これはずいぶん長く争ったらしいが、結局ハーゼルゼット卿が結論を出された」
「ちょっと待て。そうやって当然のように親戚の名前を出すな。ハーゼルゼット卿と言われてもわからん。たしか昼にもその方の名前を言っていたようだが」
 サラキュールは面倒そうな顔をしたが、説明してやった。
「ヴィンセント・ド・ハーゼルゼット。私の曽祖父の末弟で、一族の長老だ」
 ともあれハーゼルゼット卿の出した妥協案はこのようなものであった。公爵位はヴァルトゥールが正式に継いだものなのだから、カミーユには爵位を請求する権利はなく、嫡男のサラキュールがアラマンダ公を名乗るべきである。
 しかし赤子であるし、カミーユが納得できぬ気持ちもわからぬではないから、サラキュールが十五歳になったら彼の息子のエルウィッヒとサラキュールの、どちらがより公爵位にふさわしいかをもう一度親族会議にかけて見極める。その間は公爵位は空位とし、祖父のリアザンが当主の代理を務める――。
「カミーユ伯父と父の争いはもう結論が出たことなのだし、いつまでもカミーユ伯父が祖父らの代の約束を持ち出す謂われもなかったのだが、どうにも長男やら嫡流やらにこだわる連中もいたらしくてな。そやつらを懐柔するためにハーゼルゼット卿が苦心して考え出された案だったそうだ」
「それで、お前が公爵家を継ぐことになった、と」
「歴史は繰り返すというのかな――やはり、エルウィッヒより私の方が出来が良かった。いや、出来の問題ではないな。あれはいい意味で野心のない男でな。エルウィッヒは自分がどの程度の器か知っておるし、自分に切り回せる範囲を良くわきまえておる。国家や政治というものは、彼にとっては漠然としすぎて手を出す気にもなれぬらしい」
「エルウィッヒ殿は、お前がアラマンダ公であることに異存はないわけだな」
 サラキュールは頷いた。
「私と彼は良い友人だ。別に諍う理由などないからな。いまだ異存を唱えておるのはカミーユ伯父ただ一人だ。あの御仁は、いまだに自分がアラマンダ公になれなかったことを恨みに思っているらしい。息子のエルウィッヒも呆れるほどに」
「お前も、色々大変なんだな」
 アルドゥインは感慨深げに呟いた。

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