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                                 *



 シェハラザードの凱旋から一ヶ月。
 ユーリースの月が終わるまで続いた国境線上でのエトルリアとの戦いも終結した。実際のところ講和条約を結ぶまでの惰性で戦いが続いていたのであって、ミシアの会戦で大方の勝敗はついていたのである。
 それに、一時はまた戦場に舞い戻って喜んだのも束の間、全く戦い足りない、手応えがなさすぎるとアインデッドは嘆いたものだったが、ミシアで行われた戦闘でのアインデッドの戦いぶりがエトルリア軍の間にも知れ渡り、彼が出るというだけで敵はさっさと撤退する、という事態になっていたのである。
 ともあれ賠償金や人質となったラン公子の引渡などの細々とした諸事はさておき、一応の講和条約が結ばれ、ラトキアは名実共にその独立を取り戻した。街はまた平和を取り戻し、すっかり影を潜めていたシャーム名物の肉饅頭や串焼きのカバブーを売る屋台もぽつぽつと戻り始めていた。
 アインデッドは地位を求めてここまできたはずなのに、いざなってみると、シェハラザードに「与えられた」と思うからか、自分にくっついた右府将軍という新たな肩書きが鬱陶しくてならなかった。
 だがそれも最初のうちだけで、大公以外に軍内で彼に逆らえるものはいないと知ってからは、それを大いに利用して騎士団内の人員や部署の整理を始めた。
 何しろもともとが建国から三十年しか経っていない若い国であった上に、敗戦で指揮系統や騎士団そのものが崩壊、混乱していたし、直さなければならないことや新しく始めることなど、やることは探せばいくらでもあったのである。
 とりあえずは形式を整える事から、とアインデッドは今まであまりそれぞれの部署のはっきりしていなかったラトキア騎士団の編成を直したり、それまでは五色騎士団が持ち回りで行っていたらしい市内警備のために、新たに兵役経験者を募って警備隊を結成したりといった作業から手を着けた。
 実を言えば彼は、大雑把でいい加減なところがある一方で、自分の趣味や実益――これで言うならば戦争――に関することなら、どんな細かい、面倒な作業でも熱中できた。思う存分戦えなかった鬱憤をここで晴らしてやろうといわんばかりの情熱を傾けたので、人数編成もままなっていなかった騎士団は、一月の間にツェペシュ時代よりもずっとうまくまとまってきていた。今は軍に熱中していたが、これが片付いたら、まだ見たこともない領地の管理にも着手する予定だった。
 しかしそれは今のところいつになるのかわからなかったので、先の戦争で戦死した前ルクナバード伯フリッツが雇っていた執事のオスウェアルドという男にそのまま仕事を継いでもらい、簡単な指示だけ与えて領地の管理を任せる事にした。
 黄騎士団は引き続いて国境警備隊としての役割を当てられ、この団長にはダンゼルク伯爵のロディエが引き続き就任した。独立戦争の最後の最後になって登場したスエトニウスは、カルル地方の国境警備隊長に任ぜられた。本人はシャームに居つづけられると喜んだのだが、カルル地方は人口も少ないし隣り合う国もない地方で、実際に現地で任務に就く必要もない、全くの閑職である。武人ならば活躍の場が無いと嘆かなければならないところだった。
 シェハラザードの命令で行われたこの人事は、実のところ「役立たずは役の無いところにやっておけ」という身も蓋もないアインデッドの意見によるものであった。しかしそれを他の団長たちが知ったところで、批判が出ることはなさそうだった。
 何といってもスエトニウスは先の戦いでは負けそうと見るやさっさとラトキアを離れた上に、娘婿のもとで安閑とした亡命生活を送っていたことは周知の事実、勝利が確実になってからやっと援軍をつれて戻り、戻れば戻ったで手柄顔をしたもので、実際に戦って苦労した武将たちにはたいへんに評判が悪かったのである。
 新しい赤騎士団団長は、セナメンの副官だったカーンが任ぜられていた。これをアインデッドはもっと人数を多くして、ゆくゆくは歩兵部隊にするつもりであった。なにしろ人材の少ないラトキアのこと、一人一人が勇猛であってもしかたのないことはいくらでもあったのである。
 しかし第二隊長のポールが嘆いたように、先のエトルリア戦役で一番大きな損害を被り、人数を大幅に減らしたのが赤騎士団で、アインデッドが考えているような大歩兵部隊にできるまでには、まだ数年かかりそうであった。
 マギード率いる青騎士団はもともと騎兵が多かったので騎兵隊にするつもりであったが、今のところは全員が騎乗できるだけの馬を飼うことも、財政上ままならなかった。これも、いくら文句を言ったところで敗戦と相次いだ戦争から復興するまではどうしようもないことだった。
 結局のところ、人数や装備的に、アインデッドが現時点で思いどおりにできそうなのは、麾下の黒騎士団だけであった。
 みずから率いる黒騎士団には、アインデッドはことのほか厳しかった。練兵場に全員を集めて面接と試験を半月ほどかけて行った上で、合格者のみを残して後を配属替えにしてしまったのである。
 これはやられた当人たちにとっては不平たらたらの人事であったが、配属替えといっても除隊だとか僻地にやられたりといったことではなくて騎士団内の人事であったので、理不尽な処置とは言えず、表立った文句は出なかった。
 結局、残った面々をまた再試験して、これはと思ったものを旗本隊に、と順々に残りを割り振って、最後に黒騎士団に残った者はたった五千人であったが、アインデッドはそれで充分だと思っていた。あまり多すぎては自分の手足となって動くには支障が出るからであった。
 この黒騎士団に、ナハソールの次男のテオが、父親が団長であった関係から所属することになった。ミシアの戦いでは、少ない手兵ながら父と兄の仇を討とうと健闘した彼にアインデッドはたいへん好意を持っていた。
 それ以後のエトルリアとの小競り合いでも、若く未経験なこともあって、出された命令は余計な意見を挟まずに忠実にこなしたし、自分の判断が必要な場面でもなかなか優秀な武将になりそうな所を見せていたので、彼はまだ十六歳のテオを第一隊の副隊長に抜擢して、自分の手元で鍛え上げようと考えていた。
 アインデッドは黒騎士団を手足のように自分の意思どおりに動かせる軍隊に仕立て上げるつもりであったから、少しでも彼に逆らうか、言うことが聞けない者、彼の命令についていけない者は片っ端から配属替えをしていった。
 その軍内改革の中で最も人目を引いたのは、彼が新しく情報部隊というものを作ったことだった。伝令や敵情視察などの情報収集を主任務として行う部隊である。アインデッドは、傭兵としての経験や、盗賊たちを指揮してきた経験から、戦いの勝敗を決めるのは素早い判断と行動――そのために必要なのは情報量と命令の伝達速度だと考えていたので、それにはかなり重点を置いていたのである。
 この試みはラトキア軍にとって全く新しい、初めてのことであったから、彼らは戸惑った。アインデッドは兵士たちの戸惑いや不安を感じ取ってはいたが、実戦を経てみれば彼らも納得するだろうとのんびり構えていたので、あまり気にしなかった。だが、そんな刷新をいちどきにやられて戸惑うのは、何も兵士たちだけではなかった。
「アインデッド将軍」
「ああ……? ハディース殿。何ですか」
 旗本隊だけは自分で鍛えようと思っていたアインデッドは、これから練兵場に向かう所であったが、ハディースを振り切って行くのはどうにもはばかられたので、おとなしく立ち止まった。
 復旧作業と改築が進んでいるシャーム城は、至る所に足場が組まれ、木材や石材などの建築資材が積まれている。二人が立ち止まった通路は本丸と公女宮の間で、今は公女宮を兵舎にする改修工事が行われているので、鑿を振るう硬い音や、釘を打つ音で溢れかえっていた。
 とても静かに語り合える場とはいえなかったが、互いにそれを気にしているようではなかった。通りかかる人夫などがいなかったのが奇跡的というもので、現在のシャーム城に静かな場所というものはほとんどなかったのである。
「閣下は何を考えておられるのか?」
「と、おっしゃいますと?」
 少々詰問する調子でハディースは言ったが、アインデッドはとぼけた笑顔を見せた。しかしハディースはそんなことでは韜晦されなかった。
「シェハラザード閣下やグリュン閣下、マギード殿も、最近のあなたのなさりようには目に余るものがあるとおっしゃっているのはご存じないのですかな」
 すると、アインデッドはけろりとして答えた。
「存じ上げておりますよ」
 この返答に、ハディースはたじろいだ。彼らの不満を知らないでやっていることであろうから、それを諌めようと思って来たのに、その返事は意外だった。
「なら……」
「しかし、なさりようがどうのと仰られても、俺は右府将軍として、軍をより良くするために努力しているだけです。あなたがたがどうお感じであれ、何も間違った事はしていない、と確信しています。夜中にふらふら街に出て行って、か弱い女性や罪のない市民に狼藉を働いただとか、そんな『なさりよう』ではないんですから、文句を言われる筋合いではないと思うのですが」
 ハディースの口調が厳しくても、アインデッドは平然としていた。その態度に、ハディースはひそかに心の中で感心していた。だがここは先達として心を鬼にして、と思って彼は続けた。
「では、兵士たちがあなたの、軍内の急な改革についていけないと申している事はご存じですかな? 私にも、よく判らぬことばかりで皆とまどっているのですよ」
 そう言ったとたん、アインデッドの浮かべた表情にハディースはまたたじろいだ。その表情を、彼は理解できなかったのだ。
 まるでそれは神が下界の様子を眺め、そのあまりの愚かしさに軽蔑の眼差しを向けたような――そんな意味合いを込めたような微笑みだった。ハディースは、今まで自分が言っていたのはとてつもなく場違いで間違ったことのような気がしてきた。
「それも存じておりますが、それが何だと仰るんですか」
「な……なんてことを」
 ハディースは、ラトキア右府将軍という肩書きを持つティフィリスの若い狼の瞳を、信じられないといったふうに見つめた。ハディースのみならず、ラトキア騎士団をすべて敵に回しかねない発言であった。今彼の目の前に立っているのはラトキア右府将軍ではなく、何か理解しがたい考えを持つ、別の生き物のように見えた。
「ついていけない……ですか」
 アインデッドは演技たっぷりにため息をついてみせた。
「でも、ハディース殿。確かについてきている者もいるんですよ。俺の旗本隊は実によくやってくれています。そうであればこそ、彼らを選んだんですが。時間をかければ、言葉を尽くせば俺のやっていることが理解できるというのならそれは結構。だが、そこまで悠長にしていられませんのでね」
「……」
 言いながら、アインデッドはちょっと目を上げてハディースを見た。
「ついていけないと言う前に、ついていこうという努力をなさっておいでなのか、逆に俺はお伺いしたいですね。俺のやろうとしていることを『理解しよう』という努力をする前に、俺がよそものだから、あなたたちとは違うティフィリス人だからという理由で『理解できない』と思っておいでではありませんか?」
 ハディースは、言葉に詰まった。
「それは……そんなことも、あるかもしれないが……」
「が、何ですか」
 ハディースは、十は年下のアインデッドにやり込められかけていた。だがそれを悔しいとも、いけ好かないとも思わなかった。ただ、彼の言うように理解しようという気を起こさなかった自分に気付いたのだった。
 彼はそんな時、おのれの非を素直に認めて謝れるだけの度量のある男だった。そこで表情を引き締め、小さく頭を下げた。
「すまない。私とした事が、自分の理解が至らない事を貴殿のせいにしてしまった。許してほしい」
「何をおっしゃっておいでかな。俺には、ハディース殿に謝られるような事をされた覚えはありませんよ」
 アインデッドはハディースに向かって笑ってみせた。そうすると、年に似合わずあどけなくていたずらっぽい表情になる。
「私にも、何のことだか判らなくなってしまったな」
 ハディースも言い返してにやりと笑った。やはり、この男とは気が合う――。それが、二人の男に共通して流れた思いだった。
 こののち、右府将軍アインデッドと白騎士団団長ハディースは政治的にも個人的にも、つながりを深くしていくのであった。


「Chronicle Rhapsody23 ラトキアの復活」 完


楽曲解説
「カデンツァ」……協奏曲中に入る、即興の技巧的無伴奏部分。または終止形。アインデッドの独壇場ってことでつけてみました。


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