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 そしてここはゼーア。
 ラン公子率いる二万のシャーム占領軍及びその後本国から送られた援軍のあわせて三万のエトルリア軍と、シェハラザード公女率いる約五万のラトキア軍とが対峙し、すでに膠着状態は一旬に及ぼうとしていた。
 タリムでの旗揚げの後シャームに向けて進軍を開始したシェハラザード軍を阻むものはミシアにたどり着くまで現れず、ほとんど無人の野を行くがごとき勢いであった。進んでゆく先々の村や町で噂を聞きつけた人々がなけなしの武器や、鍬や鋤などとといった武器になりそうなものを手にして行軍に加わり、女もまたスカートをたくし上げ、食料を詰め込んだ袋を担ぎ、荷車を引いて彼らに加わった。
 その数は日に日に増える一方で、初めのうちはやっきになって名簿を作ろうとしていたルカディウスであったけれども、五日目あたりにはとうとうお手上げになってしまって、ついには諦めてしまった。しかし、義勇兵は集まっても万はいくまいと考えていたルカディウスやアインデッドにとって、これは嬉しい誤算であった。
 ろくな武具も身につけていない義勇兵を前線に出すわけにもいかなかったので、彼らのうちのどれほどが実際の戦力になるかは判らなかったが、少なくとも正規の兵士たちの士気を鼓舞したし、外見上だけでも数の差は圧倒的だったので対するエトルリア軍への威圧になった。女たちが差し出してくれる食料が、大いに役立ったのは言うまでもない。
 単なる数の差だけで言えばシェハラザード軍が圧倒しており、この戦いは一見するとシェハラザード軍が優勢のようにも思えた。事実シェハラザードはそう思っていたので、当初はすぐにもシャームに入るのだと即時開戦の構えを見せていた。それに反対したのがマギードやハディースといった武将たちであり、アインデッドも例外ではなかった。
「それは無謀と言うものです、殿下」
 本陣となっているテントの群れの一角が作戦会議の場となっていて、テントの中では床机を並べて武将たちが膝を突き合わせて軍議を行っていた。その中でマギードは渋面を作りながら言った。
「シャームを目前にしながら、待ちぼうけろと言うのですか」
 何故反対されるのか判らない、と言いたげにシェハラザードは声を荒げた。
「それがしの申し上げたいのはそういう事ではございません。ただ、現在のわが軍の状況では、エトルリア軍を相手にして互角になるかどうか、際どいところなのです」
「どういうこと? 数は充分ではないの」
 シェハラザードの無邪気とも思える発言に、その場に加わっていたアインデッドは頭を抱えたい気分になった。女の身ながら彼女はよくやっているが、予め作戦を立てて戦う本格的な戦闘はこれが初めてであること、そもそも彼女が戦争に向いてなどいないことがここ数日で露呈していた。
 要するに彼女は「わたくしが父上の国を取り戻す」という意気込みに燃えていたのはいいが、それしか考えておらず、そのためには猪突猛進に攻め込むしか頭に無かったのである。いくら彼女が政治に興味を持っていたとはいえ、兵法は聞きかじっただけでまともに学んだことなどなかったのだから、これは彼女を責めるわけにはいかなかったが。
「タリムでは、五万か六万が集まれば充分にエトルリア軍と渡り合えると、あなたも言っていたわね、アインデッド?」
 急に話を振られて、アインデッドは頭を上げた。新参者の、しかも何故ここに、というようなティフィリス人のアインデッドは、まだラトキア軍内で完全に仲間として受け入れられているとは言いがたかった。しかしだからといってシェハラザードの機嫌を取るために迎合する発言をする気は無かった。
「数だけで言えば、確かに充分でしょうね」
 ラトキアの武将たちの手前、アインデッドはこの頃シェハラザードに対してたいへん丁寧な口を利くようになっていた。
「なら……」
 シェハラザードは勢いのまま進めようとした。が、アインデッドはそれを牽制した。
「しかしそれは飽くまで数は、ということです。確かに我が軍はタリムを出てから五万ほどに増えましたが、それは全て近郊の農民たちが大した武器も無く行軍に加わっただけ、実際の戦力になりうる者はほとんどおりません。ですから実質、我々の軍勢はタリムを出たときと変わっていないとお考えいただいたほうがよろしいでしょう。今は見た目の数のおかげでエトルリア軍も攻撃を思いとどまっているようですが、戦闘を始めてこのことに気付かれては元も子もありません」
「アインデッド殿の仰るとおりです、殿下」
 ハディースがアインデッドに頷きかけた。最初のうちは互いに――というよりハディースの方がアインデッドにあまり気を許していなかったのだが、何度か軍議で言葉を交わしているうちに、ハディースはアインデッドをなかなか侮れない武将であると認めたらしく、またアインデッドも彼には、さばさばした性格や元傭兵という出自もあって、好感を抱いていた。
「フェリスやポーラからの援軍もまだ到着しておりませんし、即戦力ということを考えますと、本国からいくらでも兵力を補給可能なエトルリアに対し、むしろ我が軍の方が不利だと申せます」
「そういうことなら、仕方がないけれど……歯がゆいわね」
 部下に何を言われようが自分の考えを押し通す将軍もいないではないが、シェハラザードは理論的に説明されれば、納得しないほど頭の悪い女ではなかった。
「では、援軍が確実になるまで、本格的な戦闘は控えたほうがよいのね」
「そのように思います」
「わかったわ。ではそうしましょう」
 そんな軍議がなされたのが、およそ十日前のことであった。
 敵を目の前にしていながら戦う事ができない兵士たちの苛立ちは、武将たちにもひしひしと伝わってきていた。いくら数では負けているとはいえ、おのれの軍備に絶対の自信を持っているエトルリア軍が今まで何の動きも見せないというのも、理由が判らないこともあってかなり不気味であった。
「くそっ、エトルリアめ。自分らは余裕なのをいい事に、俺たちが焦れて手の内を明かしちまうのを待ってやがるんだ」
 苛立ち任せに、拳を掌に打ち付ける。今日もアインデッドは自分に与えられたテントの中で、ルカディウス相手に毒づいていた。といって、彼自身も手の内を明かしてしまって一気に攻め込まれてはお終いだという事をよく判っていた。
「――まあ、それは今の話とは関係ねえがな」
 それに今日は、そんな愚痴を言うためにルカディウスを呼んだのではなかった。最近ルカディウスはラトキア軍の参謀として忙しいので、ルカディウス自身はできるだけアインデッドと一緒にいたかっただろうがそういうわけにもいかず、座って話をするというのも恐らくタリム以来であった。
「話というのは何だ?」
「他でもねえ、俺の部下たちのことだ」
 アインデッドは不機嫌な表情のまま話題を変えた。
「今の部下が言う事を聞かないのか?」
「はぐらかすんじゃねえ。俺が言いたいのは、シロスやオールデンたちのことだ。タリムを出てからこちら、とんとあいつらの姿を見ねえ。ばかりか俺はシェハラザードの旗本隊を率いろだと? 冗談にも程がある。どうして俺が、何の縁もねえシェハラザードの旗本隊隊長なんぞにならなきゃならねえんだ。そこのところの説明を、今日こそきちっとしてもらおうじゃねえか」
 ソファ代わりにも使っている簡易寝台に座り、アインデッドは足を組んだ。
「大体あいつらは、俺が手足として動くようにさんざ苦労して仕込んだ連中なんだ。それを取り上げて、実戦に出られるかどうかもわからねえ旗本隊なんぞを押し付けやがって。お前は俺に、何をさせたいんだ」
「まるで俺が、お前に悪意を持ってるみたいな言い方じゃないか、アイン」
「ったりめえだ。そうとしか思えねえって言ってんだよ」
 悲しげに言ってみせたルカディウスに、アインデッドは辛辣だった。
「旗本隊が気に食わなかったなら、それは謝る。だが考えてもみろアイン、お前がこの先ラトキアの一武将として認められるためには、今から形だけでもラトキア兵を率いることが必要なんだ。あいつらを率いていては、ただの義勇軍と変わりがない。ラトキア軍の中に入り込むためには、同じラトキア軍を率いなければ」
「それは確かに、そうかもしれないが」
 アインデッドの言葉は何となく歯切れが悪かった。だが、顔を上げると勢いを取り戻して、ルカディウスに詰問した。
「じゃあ、あいつらは今誰が率いていて、何をしてるんだ? よもや追い出したと言うんじゃないだろうな。そうなら貴様、ただじゃすまさねえぞ」
「まさか」
 ルカディウスは首を横に振った。
「あいつらは、俺が率いている。今は食料調達なんかを任せてる。戦闘になったら、正規軍としてではないが、工作活動をするにはうってつけだ。それをやってもらおうと思ってる。けっして、追い出すなんてことはしてない」
 聞いているうちに、アインデッドの目が細められ、盗賊の首領の冷たい表情を作り出していった。何故アインデッドがそんな顔をするのか、彼が納得いく説明をしているつもりのルカディウスには判らなかった。
「ア、アイン。何か気に入らないっていうのか?」
「いや。それならまあ――それでいい」
 アインデッドはゆっくりと言った。組んでいた足を戻し、立ち上がる。
「奴らはともかくこの陣中にはちゃんといるんだな? それだけ判れば充分だ。話は終わりだ、ルカ」
 言いながら、アインデッドは腰に右手を軽く当てて、左手で倣岸に天幕の出入口を指差した。早く出ていけというサインである。逆らって居座っても機嫌を損ねるだけだと判っていたので、ルカディウスはすぐに出ていった。
「ふん」
 その後ろ姿をちらりと確認し、アインデッドは不愉快そうに鼻を鳴らした。
「何が食料調達、だ」
 何を取り繕っても、彼らはもともとが盗賊である。食料を調達してこいと言われて何をするか、アインデッドには判りすぎるほど判っていた。つまりは軍の名のもとで相変わらずの強盗行をやらせているのだ。
(おおかたそれを理由にして、後々奴らを追い出すか、片付けようって腹に違いねえ。――ちっ、ルカの奴め。その程度のこと、俺にわからねえとでも思ってやがるのか)
 アインデッドは苛々しているときの癖で、親指の爪を噛んだ。
(そうと判ればこっちだってうかうかしてられねえな)
「――誰か!」
 アインデッドも今ではラトキア軍の武将の一人である。個人の天幕はもちろん、小姓騎士もつくような身分になっている。大声で呼ぶと、ルカディウスが来ていたので人払いを命じられていた小姓が入ってきた。明るい茶色の髪をした、十五、六くらいの少年であった。
「何の御用でしょうか」
「その前に、お前、俺がもともと連れていた部隊を知っているか?」
 小姓はちょっと眉を寄せて考えるようだったが、思い当たるところがあったらしい。続いて頷いた。
「そいつらの中に、シロスという奴がいる。そいつに伝言……というより俺からの命令を伝えてくれ」
「は……」
 伝言させる言葉を言おうとする前に、アインデッドはふと気になって小姓の様子を眺めた。両軍の緊張状態は続いているが戦闘にはなっていないので、鎧は着ていない。白い綿のシャツの上からチョッキを重ねて、さらに短めのケープをつけた、典型的なラトキア軍の小姓のいでたちである。ついでに頭には臙脂色のベレー帽をかぶっていた。それに、いかにも育ちの良さそうな顔である。
 それがあの荒くれ者ばかりの盗賊たちの間に入っていって、果して無事役目を果たせるのか、アインデッドは少し心配になった。従軍していることから、それなりの軍事訓練は受けているだろうし、度胸もあるのだろうが、それでも心配が残る。
「いかがなさいましたか」
 ずっとアインデッドが黙っていたので、小姓は首を傾げた。ごまかすために空咳をして、アインデッドは尋ねた。
「……お前、名前は何と言う?」
「ルキウスでございます」
「そうか。ルキウス、一応俺からの使者だと判るように、これを持っていけ」
 アインデッドは武具を収めてある箱をあさり、前から愛用している短剣を取り出した。略奪品の中に入っていて気に入ったもので、たびたび見せびらかしていたのでシロスはもちろん、盗賊の主だった連中はよく見知っているはずである。それはエトルリア風の三日月形に反った刃と、柄に彫り込まれた怪物の姿が特徴的なので、すぐに彼のものだと判るだろう。
「これを見せれば多分疑われることは無いだろう。それで、伝言だが、ちょっと耳を近づけてくれ」
「はい」
 ルキウスは何故とも問わず、素直にアインデッドの傍に寄った。まだ成長期の途中なのか、背はアインデッドの鼻の下あたりまでしかない。身をかがめて、アインデッドは伝言させる言葉を伝えた。
「以上だ」
「かしこまりました。以上のことを、傭兵隊のシロス殿に、でございますね」
「ああ。頼んだぞ。それから、俺がこんなことを伝えさせたっていうのは……」
 最後まで言わせることはなく、ルキウスは笑顔で頷いた。
「内密にと言うことでございましょう」
「あ、ああ」
 拍子抜けたように、アインデッドは何度も頷いた。
「心得ております」
 短剣をズボンのベルトに挟み、ルキウスは一礼して天幕を出ると、駆け足で去っていった。五万もいる陣中のことであるし、恐らく後列に追いやられているだろう盗賊たちを捜し出して役目を果たすまでには、しばらくかかるだろう。

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