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     ものごとの始まりと終わり
     それを司るのはヤナスである
     老人ヤーンは過ぎたる時を送り
     青年アスは来たる時を迎える
     故に行く年を送り来る年を迎える夜
     それはヤナスの神聖な日とされる
             ――大晦日の伝承




     第四楽章 野望の階段




 ともかく、ラトキアの主要な武将のうち二人とその軍勢を加え、砦は溢れんばかりの活気に満ちた。彼らが連れてきた一万近い軍勢が全て砦の内部におさまるはずもなかったので、隊長クラスのものは砦の中に入り、残る兵士たちは砦の周囲に天幕を張り、野営をすることになった。
 なかば諦めかけていたマギードからの援軍がついに現れた事、さらには連絡の取れなかったハディースがそこに加わっていたという予想外の喜ばしい展開に、シェハラザードはそれから自室に戻ったものの、興奮のあまり良く寝付けなかった。
 彼らが互いにどのような感想を持っていたにしろ、ともかくも一夜が開け、シェハラザード、アインデッドとルカディウス、マギード、ハディース、そして彼らの部下の大隊長クラスのものはさっそく一室に集まり、今後の行動について会議を行うことになった。彼らの軍勢のおかげで砦の軍勢は三万近くにふくれあがっていたので、これ以上タリム砦に潜伏しつづけるのは無理というのが、夜のうちにアインデッドとルカディウスが出した結論だった。
マギードとハディースが持ってきてくれていた余分の鎧やかぶとのおかげで、格好がてんでばらばらだった砦の連中もたいぶ見栄えが良くなり、やっと正規軍の鎧をつけられると喜んでいた。それはもちろん、彼らをまとめるアインデッドにとってもありがたいことであった。
 アインデッドの方も、ここらでいいかげんな服装をして過ごすのはそろそろ限界と見て、ハディースの白騎士団も鎧一式を譲り受けて身につけた。それはアインデッドにとてもよく似合ったし、彼は昔から自分の服装には人一倍気をつけて、どう見えているかを非常に気にするタイプであったから、その鎧を付けた後、大きな姿見の前で何度もどこかに乱れはないかを点検したのであった。
「俺みたいな、どこに行っても目立つ奴はきれいな格好をしなけりゃならないんだよ。なんてったって頭のてっぺんから爪先までじろじろ見られんだからな」
 と、ルカディウスに向かってさんざん自慢するのも忘れなかった。しかし、戦闘中でもないのに重くて、着るだけで疲れる鎧を着けている必要もなかったので、会議にはこれもハディースから譲り受けた軍服を着ていったのだった。
 会議に集まった武将たちの誰も鎧をつけたままの者はいなかったので、その選択は間違っていなかったらしい、アインデッドが入ってゆくと、ハディースはしげしげと彼の姿を眺め、感心したように言った。
「おお、なかなか似合っておられるな」
「ありがとうございます」
 アインデッドはまだ猫をかぶっていたので、丁寧に礼をした。ティフィリスにいた頃はこのように礼装に近い格好をさせられていた一時期もあったから、シェハラザードが密かに予想していた、衣装に着られているというようなしっくりこない様子など全くなかったのである。
「なあ、マギード殿」
 ハディースは傍らのマギードに同意を求めた。彼もアインデッドをちらと観察し、大きく頷いた。
「こうして見ていると、まるで元から我らが武将の一員であったかのようですね。いや、これは決して揶揄して言っているのではないのですよ」
 マギードの方がアインデッドと歳が近かったこともあってか、ハディースよりも親しみを込めた口調であった。
「そう言っていただけるのは光栄です」
 ラトキアの武将うんぬんはともかく、これから共に戦う身なのであるから、そのような仲間意識を持ってもらえるのはアインデッドにとって幸いだった。それに、彼らのその言葉から、どうやら自分を彼らの部下としてではなく、同等の立場にある武将の一人として扱うつもりらしいということも読み取れた。
「そろそろ会議を始めましょうよ」
 シェハラザードの方は、援軍を迎えてこれから、という時に悠長な世間話にいつまでも時間をとられるのが惜しかったので、早々と始めたがった。褒められているところを邪魔されるのはアインデッドにとってはあまり愉快なことではなかったが、こんなつまらないことで楯突いて印象を悪くするのも得策ではなかったので、おとなしく引き下がった。むろんマギードとハディースは即座に口をつぐんだ。
 しかし、マギードにはどうしても確認したいことがあった。
「シェハラザード様」
「なに?」
「このような私事を、この場でお尋ねしても良いものか悩んでおりましたが……」
「もう言いかけたことなら、言えばよいわ」
 シェハラザードは頷きかけた。
「エトルリアから無事脱出されたのがシェハラザード様お一人ということは、やはり噂どおり、エスハザード様と、ドニヤザード様は……」
「……」
 とたんにシェハラザードの顔が曇った。ハディースをはじめ、周りにいたラトキア人の隊長たちも悄然とした面持ちになってしまった。
「そうよ。姉上たちは、捕らえられて間もなく自ら命を絶ったわ。けれども、虜囚の身に耐えかねてのことではない。最期までラトキア公女としての誇りを持って、公女として生きるために……」
 震える声でシェハラザードは言った。
「やはり……」
 部外者のアインデッドにしろ、シェハラザードの二人の姉姫が自殺したことは知っていたし、家族を亡くす悲しみということに関しては彼も経験のあることだけに、何も口を挟まずに黙っていた。しかしドニヤザードとマギードがかつて婚約者であったことを彼は聞き流していたので、なぜマギードがこんなに打ちひしがれてしまったのかまでは理解できなかった。
「マギード、ドニヤザード姉上はこう言っていたわ。自分は敵の妻として生き延びるよりも、愛に殉じるのをよしとするのだと。最期まであなたの名を呼びながら」
 そう言って、シェハラザードはアインデッドが今まで見たこともないような優しい表情でマギードの手を取り、彼の端正な顔を見つめた。
「ありがとうございます、シェハラザード様」
 男泣きをこらえるように顔を歪ませ、マギードはおもてを伏せた。自らも涙を振りやるように、シェハラザードはきっと顔を上げた。
「お前たちの軍は総勢で何名なの?」
「私が青騎士団五千余名、ハディース殿が同じく白騎士団五千余名。それと、もと赤騎士団の者を百名ほどで、あわせて一万と少しとあいなります」
 感傷に浸っている場合ではないと、マギードも決然とした面持ちで答えた。彼にしてみればエトルリアは父親と、妻になるはずだった娘の、両方の仇であった。かくなる上は戦場で恨みを晴らそうと、その短い数瞬で決意したのである。
「一つお尋ねしてもよろしいか」
 アインデッドが手を挙げて口を挟んだ。一応ここは公女としての顔を立てねばならないのでシェハラザードの方をちらりとうかがうと、彼女は話してもいい、と言うように軽く頷いた。
「それは全員が職業軍人だろうか」
「全てではありません。我々が集めた傭兵隊のものが、千人ほどおります」
「指揮系統は確立されておられるか?」
「いや……そこのところはまだ、確実とは」
「ありがとう」
 マギードのはかばかしくない返事に、アインデッドは彼らの目には判らないほどかすかにおもてを翳らせた。烏合の衆も同然だったおのれの部下たちと志願兵たちを、おのれの手足のように動かすべく訓練してきたのに、そこにまた全く彼のやり方を知らない上に、指揮系統もきちんとしていない軍がなだれ込んできたのである。直接彼が指揮を取ることはないだろうが、混乱を予想してうんざりしてしまったのだ。
「マギードとハディースの軍をあわせて、これで三万弱といったところね。この上はダリアに援軍を頼むべきかしら……でも、沿海州は先の戦役のおりはラトキアを見殺しにしたわね」
 それはタリムの森の中でアインデッドやルカディウスと膝をつき合わせて何度も話し合ったことであったが、シェハラザードは呟いた。
「他の列強がどう出るかも不安ですな」
「それはご心配なく、ハディース殿」
 ハディースの言葉を取っ掛かりにして、ルカディウスはここぞとばかりにまくし立て始めた。
「クラインは参戦しないでしょう。元来が不干渉主義をとっておりますし、利益にもならぬ干渉はしないはず。よって絶対中立の立場を守り通すと思われます。メビウスは昨年ペルジアに派兵したとはいえそれはペルジア側の国境侵犯を原因とするもの、自国に関係のない戦争には干渉しないでしょう。よって中原の二大国は無視すべきでしょう」
 この尚武の国のメンバーの中では比較的、文官的要素を持っていたので、ここはハディースが相槌を打った。
「おっしゃるとおりですな。さすが、軍師と名乗られるだけはある」
「いやいや、そのようなお言葉はもったいのうございます」
「ハディース殿、ルカディウス殿、今はそのような世辞を悠長に言っていられる場合ではないのですぞ」
 マギードがやや怒ったように言った。アインデッドもこれには全く同感だったので、マギードに対して持っていた『お堅い奴』という印象は『なかなか度胸の座っている奴』に改善された。
「それよりも、沿海州だわ。もう一度わたくしが援軍を要請して、受諾してもらえるかしら。あの時はティフィリスが反対したためにダリアも涙を飲んで引き下がらざるを得なかったと聞くわ」
 シェハラザードはその点はきちんとわきまえていて、だてに政治に口出ししていた公女ではないというところを見せていた。ルカディウスはアインデッドの方をちらりと見たが、アインデッドはつまらなさそうに頬杖をついていた。
「ご安心を。これなるティフィリスのアインデッドはその名のとおり、ティフィリス王家に縁のある者。今回こちらに彼がいるとティフィリス王の知るところになれば、必ずや援軍要請を受諾していただけるものと思われます」
 三人の目が一斉にアインデッドに向けられた。突然の展開に、さしものアインデッドも面食らって、頬杖から頭を落としかけて、それから立ち上がりかけた。
「は……あっ?」
 つねづねティフィリス大公フリードリヒがいかに自分に惚れこんでいたか、自分を実の息子のように愛してくれていたかを、ルカディウスを傷つけるためだけに自慢していた報いと言えばそれまでであった。
 もとは傭兵で、海千山千のハディースは信じられないと言った顔をしたが、お坊ちゃま育ちで世慣れていない分、マギードは純朴な青年であった。大げさなくらいに感心して手を叩いた。
「あの……俺は」
「おお、それならアインデッド殿がティフィリスの英雄王の名を持っておられるのも納得がゆきます。そうですか、ティフィリス王家につながる血筋の方でしたか」
 アインデッドが言い返す間もなく話はどんどん勝手に進んでいく。
「だから……」
「ええ、それはもう」
 アインデッドが弁明する前に、ルカディウスがその言葉を横取りしてしまった。アインデッドはルカディウスの首を今ここでひねってやりたい気分だった。
「本来ならば王子、公子と呼ばれるべき身分の出でございましたが、しかし王家のお家争いの陰謀に巻き込まれ、権力争いの醜さを煩わしく思って故国を出奔したそうでございます。そして色々と紆余曲折はありましたものの、今こうしてシェハラザード様をお救い申し上げここにいるという次第でございます。これは、私がアインデッドより聞いた話でございますが」
 アインデッドの顔は真っ青になっていたが、しかしそれよりもルカディウスの言葉はシェハラザードを失神寸前にまで追い込んでいたのでそれほど目立たなかった。彼の胸中も知らずマギードはほとんど無邪気と見えた。
「いやあ、吟遊詩人もびっくりのお話です。今度ゆっくり聞かせていただきたい。して、アインデッド殿。アインデッド殿はいったいどちらの家の出自でいらっしゃいますか。私は一度だけティフィリスを訪れたことがあります。ティフィリスは素晴らしい国でありましたな。あの自由の国のお生まれとはうらやましいかぎりです」
 のんきなマギードに対するアインデッドの心の評価は『頭の鈍いボンボン』に落ちていた。ハディースはシェハラザードかがなぜ失神寸前になったかわからずじまいで、彼女に気付けの水を与えていた。

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