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      宴は朗い 賑やかに
      火は夜を照らす
      酒を汲みて杯が巡り
      乙女らの舞も軽やかに
      げに今宵は 楽しき宴
      夜の果てるまで
      尽きることなく見えぬ
             ――宴の歌




     第二楽章 森の宴




「タリム――!」
「タリム砦!」
 口々に発せられる叫びが、彼らの目的地を後ろへ、後ろへと告げ送っていた。
 そろそろ夜が更けてこようかという頃合いになって、一行の先陣はタリム砦の見える辺りに辿りついていたのだ。かつて、この砦がしかるべく辺境の守りの要として威容を誇っていた頃には、森の木々の上に高々と、いくつもの尖塔、物見の塔などもそびえ立ち、幾筋もの幟や旗印をはためかせていたに違いない。
 しかしタリムが砦としての機能を失い、見捨てられて久しい今、塔はとっくに崩れ落ち、高く巡らされていたはずの城壁もあるいは崩れ、あるいは苔むして、まったく城壁としての用を成さぬ、石を積み重ねただけの連なりとなりはてていたのだった。
 盛んな生命力を誇る森の木々、蔓、蔦、下生えのたぐいがびっしりとはびこって、もとはれっきとした人間の領土であったその元の建物の辺りまでも、自らの領土に変えつつある。その様子が、夜でさえはっきりと見て取れるのであった。
 石の崩れ落ちた間に、古びて赤錆の浮いた兜や槍の穂先、折れた剣、木の幹に突き立つ矢などが残されていた。また、もっと陰惨な戦いの名残――恨みを今に残してうつろに目を見開く髑髏や白骨も、目を凝らすと、白い花のように草にまとわりつかれながら半ば埋もれているのが、夜目にも白く見えるのだった。
「不気味な……」
 思わずシェハラザードは呟き、そっとヤナスの魔よけの印をきった。日頃から、若い女としては格段に勇敢で豪胆だと自負する彼女であっても、これからここで一時を篭もって、ここを我が城とするのだ、と思い至ると、思わず身震いを禁じえなかった。
 その様子を、アインデッドは皮肉そうに眺めやった。
「ヤナスの印なんて切ったって無駄だぜ」
 意地悪く囁く。
「ここには神なんざいやしねえんだからな」
 シェハラザードはアインデッドを睨み付けた。しかし、その正否はともかくも、ここには神などいないのだというアインデッドの言葉には、何かしら人の心を打つものがあった。それにまた、もし本当に神のしろしめすことのない地が存在するのだとしたら、それこそまさしくここに違いない――そこはそう思わせる場所であった。
 彼ら野盗たちの一味は、風下から忍び寄ってこっそりと木の茂みや下生えにその身をひそめながら様子を眺めたが、やがてそんなに警戒することもなさそうだと見て、かなりおおっぴらに姿を現してこの見捨てられた砦の中に忍び入っていった。もちろん手には抜き身の剣をはなさなかったものの、一歩踏み入っていけば、ここがニゾリウスの言った通り、あの奇妙な無害なヤムの僧たちの他には、まったく無人境であるのはどうでも明らかだったのだ。
 その僧たちは、もとの本丸の一箇所に寄り集まって、夕べの祈りだか、夜の勤行に精を出している様子だった。それは、か細い明かりがひっそりと身を寄せ合っているのでそうと知れた。
「こいつら、見張りも立ててねえのか。この辺境の、物凄い森の中で夜を過ごそうってのに」
 思わず、誰かが呟く。松明の明かりに、傷だらけの顔が照らし出される。
「こいつらは気が狂ってるんだ。世界を平和にだの、祈りが人を動かすのって、妙なことを信じてやがるんだぜ――聞いたもの」
 誰か、もう少しは事情に通じているものが答える。そのやりとりさえ、たちまち鬱蒼たる夜の森の、闇の深みに呑まれていく。
「どうします、おかしら」
 アインデッドは眉をしかめた。
「ほっといたら夜通しああしていそうな奴らだ。どんどん入っていって、本丸を中心に野営地をしつらえろ。ただし、どこかに何かひそんでいないか、充分に注意して確かめてからにしろよ。シロスは一隊を率いてあのじじいどもを取り込め、おとなしくさせろ。武器も持っちゃいるまいから、殺すにゃ及ばねえ。ただ、一か所に集め、騒ぐな、この砦は当分俺たちが使う――朝になれば好きなように放してやるから、今夜はとにかくおとなしくしてろ、と言い聞かせろ。あまり手荒にするんじゃねえぞ。――レクスたちは調達してきた食い物をさっそく皆に用意してやり、宴の用意にかかれ。――おい、シロス」
「へい、おかしら」
「坊主どもが仲間に入りたいなら、入れてやってもいいぞ」
「へいッ」
 命令一下――
 人々はひそやかに、夜の中に散っていく。
 深い夜闇の中、飛び回る松明の赤い光や、ひそかな騒擾を聞きとがめるとてない。慌ただしい気配が夜の中に立つ。さほど時を移さず、かすかな押し問答の気配とどよめき、そして突然、ボッと大きなかがり火が灯される。
「おお」
「タリム――!」
 盗賊たちの顔が火に照らし出され、次々に太い薪が火にくべられ、酒の樽が運び込まれた。馬は狼やグールに食われぬようにきちんと火で囲いをした中に繋がれ、かいばと水をあてがわれた。野盗たちは馬の始末を終えると、各々に天幕の用意を整えてから、巨大ないくつものかがり火の周りを取り囲んだ。
 食事の当番が、調達してきた何頭もの山羊(ゴーゴ)や豚、鶏や牛を、石を半円に積んで、間に太い棒を渡した臨時の竃にかけて炙りはじめる。もうすでに深更をまわろうとしている夜の中に、鼻腔をくすぐる香ばしい香りが流れだす。
「こいつはいい匂いだ」
「今夜は豪勢だぜ」
 盗賊たちは、終の住処にでもたどりついたかのように安らいだ声を上げはじめていた。タリムの砦はしんと静まり返り、うっかり足を伸ばすとしゃれこうべを蹴飛ばしかねないその有り様も、盗賊たちの気にはならないようだ。
「酒だ。酒を回せ」
「もっと薪をくべろ」
「誰か歌えよ。笛を吹け。タリムに着いた祝宴だ」
 盗賊たちは口々にはやしたて、酒壺を叩き、肉が焼けるのを待ちわびた。彼らの髯面は真っ赤に染まり、かがり火に照らし出されて影が濃かった。アインデッドは、今夜は運の悪い張り番の組を除いては、思う存分に羽を伸ばすように伝達させておいたので、ずっと森の中を身をかがめ、下生えを切り払って行軍してきた連中はいやが上にも意気が揚がっていた。
 アインデッドやルカディウスたち幹部の方は、少人数であれともかくここの先住者であるヤムの僧侶たちの所へ出かけていっていて、まだ皆の所へは姿を現さなかった。
「姫様」
 タマルはそっとこのようすを天幕のかげから覗いてみて、おずおずとそのあるじに注進するのだった。
「みんなすっかり酔っていますわ。まだタリムに入ってから一テルとは経っておりませんのに、とりあえず天幕を張ったばかりで、すっかり気を緩めてしまって、歩哨も立てず、酒の壺を回し飲みしております。――まあ、あそこでは、馬の鞍を外してきて、それを叩いて歌いだしましたわ。そこでは、焼けはじめた肉を手持ちのナイフで切り取っては、かくしに持っていた塩を振りかけて頬張っています。とてもあらくれて、でも楽しそう。私も、姫様に、と少しもらってまいりましょうか」
「およし、タマル。そんなことをしたら物笑いのたねだわ。本来、向こうからもって来るべきなのよ。わたくしたちを干乾しにしたいのでなければね」
 シェハラザードとて、このような楽しげな雰囲気に全く心動かされないわけではなかった。しかし、何を言うにも彼らは卑しい盗賊で、自分のような高貴の身の上のものが彼らと一緒になって騒いだりしては沽券に関わる、という思いが、いっそう彼女をかたくなにしていた。
 それで、彼女はその仲間に入りたそうなタマルを引きとめて、怖い顔でそばにひきすえたまま、じっと座って待っていたのである。外ではいよいよ宴が華やかで、それは朝まで止む様子もなかった。
 一方アインデッドは、ルカディウスと主だった連中を従えて、まずヤムの僧侶たちを捕らえるために、彼らの小屋がけした粗末な掘っ立て小屋の所へ向かったのだった。
 ヤムの僧たちは、外の騒ぎにはむろん気付いていたのであろうが、相変わらず小屋の中で詠唱の声を上げているばかりで、様子を見に出てこようとさえしなかった。アインデッドが合図をすると、シロスたちが一斉に小屋の中に駆け入って、悲鳴を上げる黒ずくめの僧たち十人ばかりを引きずり出してきた。
 彼らは全く武器を持っておらず、手向かいする気もなかった。黒いフードつきの、魔道師を思わせる長衣の両手を合わせ、あわてふためいて叫びもせず、ただ何かぶつぶつと口の中で呪文か詠唱の続きのようなものを唱えているのが、かえって不気味な感じを与えた。彼らは引き据えられるとぺたりと平たくなって、なおもヤムの経文を口々に誦しつづけていた。
 盗賊たちは何となく戸惑いながらも、ともかく彼らがこれからしばらくタリムの砦を根城にするから、ヤムの僧たちは消えたければ消え失せるし、ただしここで見聞きしたことを口外すれば、至る所にいる盗賊の仲間がただでは置かぬということ、あるいはここにいたいのなら、邪魔をしなければおいてやるし、自分たちの食事の分け前を与えてやらぬでもない、ということを言い聞かせたのだが、ヤムの巡礼、それとも僧たちは、両手をあわせて伏し拝むばかりで、いっこうにはかばかしい答えを返さなかった。それは盗賊たちをおびやかしもしたし、戸惑いもさせ、また苛立たせるのにも充分だった。
 が、ともかく彼らは抵抗しなかったし、どんな反対のそぶりも示そうとはしなかったので、アインデッドたちとしてもそれ以上追及することなく、そのまま放してやらないわけにもいかなかった。彼らは何となく釈然としないままヤムの信徒たちに帰ってよいと言い渡し、そのまままるで何事もなかったかのように黒ずくめの姿が掘っ立て小屋に入ってゆくのを妙な顔をして見送った。
 しかし何はともあれ、それでアインデッドとルカディウスたちの一番の問題はたやすく片付いたので、彼らはいささか釈然としない気分ではあったが、ともかくも待っていた仲間たちの所へ引き上げて、明日からの城ごもりの計画を発表し、前祝いの宴を張る予定に取り掛かったのだった。
 すでに用意された肉は旨そうに焼け、酒は何回も回されて、人々は飲みかつ食うのに忙しかった。ずっと長く苦しい森の中の行軍を続けてきて、これからしばらくは、あらためて集まってきたラトキアの残党と合流しての旗揚げとなるまでは、このタリムの砦での待機が始まる。盗賊たちとしては、もうすでに八分どおり、望んでいたものは手に入れたような気分であった。
 もっとも、慎重なルカディウスは前もって、くじ引きに負けた一連隊を歩哨として因果を含めておきはしたが、どのみちこの深い森の中とあって、いかに騒ぎ立て、酔いしれようとて襲い掛かる国境警備隊も魔物もそうはいなかっただろう。人々は陽気で、そして底なしであった。
 アインデッドたちがヤム教の巡礼たちの始末をつけて帰ってくると、盗賊たちは喝采し、いっそう騒ぎはひどくなる一方であった。その大声の高歌放吟は、深い森の中と山々と、そして星もまばらな空に吸い込まれ、飲み込まれてはまた起こるのだった。アインデッドは少々心配して引きとめるルカディウスを押し切って、大きな酒樽を運び込ませ、いよいよ飲めや歌えのどんちゃん騒ぎに彼らを駆り立てた。
 初めから暮れ果てていた夜はいよいよ深く、梟がホウホウと鳴いて夜の梢を渡っていく。青白いリナイスは中天を駆け渡り、城壁の残骸にしがみついた掘っ立て小屋では、外での騒ぎなど聞こえぬかのように、低く単調な詠唱が夜を徹して続いている。
 それは奇妙で神話めいた、辺境の廃砦の一夜だった。宴はいつ果てるともなく続き、盗賊たちはいっかな眠りにつこうとしなかった。そのうち、少し芸のある連中が、空になった酒つぼを叩いたり、笛を持ち出したりしはじめたので、いやが上にも宴席は盛り上がり、いよいよ賑わうばかりだった。

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