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「そんな誓いに頼って一時の安心を得たいほど、てめえらは腑抜けか。女子供の約束をあてにして、それで大丈夫と思うのか。それでも男か、おまえらは。お前らは、絶対大丈夫と保証されて追剥に出て、これまで来たのか。人生いつだってネプティアのばくちじゃねえか。のるかそるか、食うか食われるか、成功するか失敗するか、そいつが人生の面白みってもんじゃねえか。
 成功してから、ラトキアの奴らに邪魔者として消されやしねえかだ? 何を馬鹿をこいてやがるんだ。そんな下らねえ心配は、やぎひげのじじいか泣きわめく女にでも任せとけ。まだ何一つやってもいねえのに先の先まで気に病むなんざ、まともなキュティアの矢のついてる奴のするこっちゃねえ。そんなやつぁ、キュティアの矢なんざ要るまい、ぶち切ってやるから前に出やがれ。
 ――いいか、国取りだぞ、国取りなんだぞ、こいつは! だから面白えんじゃねえか。のるかそるか、全滅か栄光か、最高にやりがいのあるゲームじゃねえか。それを何だと、保証はあるかだと? 保証などねえぞ。そんなもの要る奴は必要ねえ。即刻ここから出て行け。出て行って、畑でも耕すがいい。保証なんざ俺は要らねえ。要らねえから面白いんだ。強いて言うならこの俺が保証だ。たとえどういうことになるんであれ、死ぬ前に、ああ面白かった、素敵もねえ一生だった、アインについてきてさんざ面白え思いができた、他の奴の十倍は面白かった、と言ってくたばれることだけは保証してやらあ。
 それともそういう一生よりも、ちんたら無事に長生きしてえと思うなら、今すぐここからルーハルに帰れ。そうしてせこい一抱えの土地でも買って一生、来る日も来る日も耕してろ。挙げ句の果てに兵隊に取られたり、赤い兄弟に略奪されたり、何一ついい目も見ずに老いぼれて死んでゆけ。俺は嫌だね。――ああ、俺はまっぴらだ。嫌なこった――そんな一生を送って八十九十と生きるなら、太く短く華々しく、三十であっさり首を切られたって、やりてえことの全てをやってくたばってやらあ。そいつが俺の信条だ。いつだって俺はそうやって生きてきた。保証なんざ一度も欲しがったことはなかった。
 さあ――どうなんだよ。どうするんだ。俺について、タリムからシャームへと攻め上り、ヤナスとたわむれ、ネプティアの博打でアインデッドの紅の目に賭けると肚の決まった奴は剣を抜け、手を挙げろ。たとえラトキアの再興成っても誰かに邪魔者扱いされやしねえかとうじうじ思う奴ぁ、革袋に荷をまとめて、さっさとここから立ち去るがいい。
 ――けっ、こんなことは、とっくにルーハルで肚をくくり済みだと思ってたのによ――。まあいい。みんながみんな俺のように強く、幸運の女神に愛されてるってわけにゃいかねえんだ。さあどうする――俺と来るか、ルーハルへ戻るか! もうこの先は待ったなしだ。俺も突っ走る、ついて来る奴にも走らせる。ラトキアを取り返すか、ラトキアの将軍と貴族様になるか、その後忘恩の連中に切り殺されるか毒を盛られるか――面白えじゃねえか! こうなりゃとことん行くところまで一緒に行くぜ、それだけのことじゃねえか! たとえ死んだって、一緒だからいいじゃねえか。どうせ死んだも同じお尋ねものだぞ。行こうじゃねえか、やろうじゃねえか。何処までも一緒だぞ!」
 叫び続けているうちに、アインデッドの白い頬には血が上り、その緑の瞳は炎のように輝きはじめ、唇には晴れやかな輝かしい笑みが浮かんできた。彼にはもともと、人を引きつけ、その心を掴む天性の魅力が強く備わっていたので、その彼がそうして目を輝かせて訴える言葉、炎のような生命はただでさえ熱しやすいならず者たちを強く揺さぶらずにはいられなかった。
 聞くうちに盗賊たちはすっかり引きつけられ、夢中になってその一言一言に耳を澄まし、中には一言ずつに拳を振り上げ、体を震わせるものすらいた。アインデッドは少なくとも、言っているうちは自分の言葉を心から偽りなく信じ込んでいたので、その言葉は人々の心を打ち、動かす力と熱を持っていた。
 アインデッドの言葉が終わるのを待ちかねたようにどっと沸き起こった大歓声の中、しかしルカディウスは彼の行った演説そのものよりも、その若々しい情熱の力に溢れたようすに魅せられて、ひとときとて目を離すこともできなかった。
(ああ――なんて美しいんだ、アイン! お前はまったくナカーリアそのひとかサライアのようだ。俺の――俺のアイン!)
 周囲の熱狂に紛れてそのうめくような呟きは誰の耳にも届かなかったが、もしアインデッド本人に聞こえていたら、その晴れやかな顔もたちまち曇り、どんな残酷な仕打ちに出たものか判らなかった。
 しかし幸いにしてアインデッドにはまったくその声は届かず、部下たちの所に飛び下りてもみくちゃにされながら、凱旋将軍のように勝ち誇っていた。
「ふん! まったく!」
 後ろで天幕の戸が下りるのを待ちかねたように、シェハラザードは叫んだ。外ではまだ、わあわあと沸き立つ声が賑やかに聞こえてくる。
「くさい芝居! 田舎芝居もいいところだわ。あんな大見得など切って! 見ているほうが恥ずかしくて顔が赤くなってしまう。それに、あの――あの下司な悪党、汚らしい、ならず者ども!」
 荒々しく荷物を革張りの箱に放り込みながら、心中の鬱憤を一度に吐き出してシェハラザードは毒づいた。
「あんな者どもの力を借りなくては父上の国と正当な王座を取り返すことすらできぬ今のこの身の上の、なんと腹立たしいことだろう。――むろんだわ、むろん、国を回復でき次第――いいえ、マギードなり誰なり、しかるべき貴族を奪還軍の大将に迎えることができしだい、あんなおぞましく汚らしい野盗どもなど、一人残らず追い払ってやるわ! むろんしかるべく、褒美の金はくれてやりますとも。どうせそれが目当てなんですからね。でもわたくしは公平なラトキアの公女、受けた恩義を断頭台で報いるほど、恥知らずではないわ! 失礼だわ! 失礼と言うものよ。このわたくしがそんな破廉恥な、忘恩の徒だと勘繰るなんて。わたくしの名誉にかけてそんな恥知らずをするとでも思うのかしら、あの連中は! おおかた自分のやり方で人をはかるから、野盗と武人の違いさえ判らないのだわ。なんて無礼な――折を見てアインデッドに言ってやるわ。失礼千万な! ねえ、タマル、そうは思わなくて――」
 言いかけて、シェハラザードはちょっと怪訝そうに侍女を見返った。
 いつもならばもう慣れっこの女主人の怒りを聞き流して、せっせと出立の準備をしているはずであったが、シェハラザードが振り返った時、タマルの手は宙に止まって、外の騒ぎの中に何かを聞き取ろうとでもしているかのように、心ここにあらずのていだったのである。
「タマル」
 呼んでみたがタマルが気付かないので、
「タマル?」
 今度は少し声を強めて呼んだ。
「は、はい」
 びくりとして、タマルは振り返った。シェハラザードは少し機嫌を悪くして、眉をひそめた。もともと彼女は気を悪くしやすい女性ではあったのだ。
「どうしたの、お前ったら。ぼんやりしてしまって」
「何でもございません」
 慌ててタマルは首を振った。
「何でもなくて、そんなぼんやりしているお前ではないじゃない。何か考え事でもしていたの?」
「いえ、そういうわけではございません。ただ、その、少し疲れているのですわ」
 わたくしだって同じだけ馬に乗り、行軍しているじゃないの――と言おうとしてシェハラザードは口を開きかけたが、タマルのすまなさそうな様子に思い直して目を伏せ、息をついた。
「そうね。お前は小さくて、か弱いもの。わたくしは慣れているからいいけれども、お前には乗りなれない馬に何日も乗り詰めなんですものね。わたくしよりも疲れてしまうのも無理からぬことだわ。わたくしとしたことが、そんなことにも思い至らないなんて。――いいわ、お前はそのマントを畳んでちょうだい。箱の蓋はわたくしが閉めるから」
「申し訳ありません」
「それにしても」
 荷物を詰め終わった箱の蓋を力強い手でしっかりと押さえて錠をかけ、シェハラザードは呟いた。
「何という運命の流転なのかしら。ずいぶん長いこと、お前とさまよってきたように思えるわ。――でももうここはタリム、シャームさえも、そう遠くない。……あとはただ、マギード兄さまか、ハディースか、しかるべき力を持ったラトキアの残党とさえ合流できれば、そうすれば――」
 そうすればもう、あんな気に障るごろつきにわけもなく貶められたり、卑しめられたりするのに耐えることもない。その思いを、シェハラザードは口に出した。だが、またタマルは何を思ってかぼんやりして、主に答えなかった。
「ターマールッ!」
「あ、は、はいっ」
「いったいぜんたい、どうしたの。――今朝は何だか変よ? いえ、この頃何となく上の空だわ。どうしたの。何か嫌なことでもあったのなら、わたくしにお言い。大事なお前を嫌な目に遭わせるものがいるのなら、放っておくわけにはいかないもの」
「いいえ、姫様、何も! お許しくださいまし。ただ少し、ぼんやりしてしまっていただけです。気をつけますから、どうぞお気になさらず……今すぐ支度いたしますから、おかけになってお待ちあそばして」
「タマル」
 シェハラザードはつと彼女の傍に寄った。肩に手を回して、タマルの白い花のような可憐な顔を覗きこむ。
「お前が心配なのよ、タマル。わたくしにとってお前はただの侍女ではないわ。大切な、大切な、妹のようなものなのよ」
「畏れ多いことでございますわ……」
「いつも言っているでしょう、おまえがいるから、ここまで耐えてこられたのだと」
「……」
「何でも、わたくしに頼っていいのよ。わたくしがお前の騎士なのだからね」
「そんな、もったいない……」
 シェハラザードはそっとタマルの頭を抱え寄せて、その髪に軽く唇を押し当てた。タマルは目を閉じて、従順にされるままになっていた。
「私は姫様に命を捧げております」
 タマルはか細い声で囁いた。
「姫様に受けたご恩は、どのようにお仕えしてもお返しなどできません。私は……」
「一生、わたくしのそばにおいで」
 シェハラザードは小さな桃色の耳朶に囁きかけた。
「決して、わたくしのそばから離れないで」
「はい――はい」
「わたくしも、決してお前を離さないから。男など一生愛さない。汚らわしくて、おぞましく残酷な、野蛮な獣! 一生、お前だけでいいわ。――ね、タマル。一生二人だけで……」
「姫様……」
 タマルはほとんど苦悩するかのような表情でうなだれる。その時天幕の戸が案内も乞わずにばさっと開かれたので、二人の娘は思わず悲鳴を上げて飛び離れた。
「無礼な! 女性の、しかも高貴の女性の天幕に、案内も乞わずに入るの!」
「おっと失礼?」
 アインデッドは実のところ、そんなところではないかと予期していたので、にやにや笑いを浮かべて二人の娘を見比べた。
「しかしいちゃつくなら後にしな。そろそろ出発で、畳んでない天幕はあんたらのだけだぞ。夜じゅう双子のさくらんぼみたいにべったりくっついてて、まだ足りないのか。あんまりやってると置いていくぞ、この森の中に。今日中に、どうあってもタリム砦に入るつもりだからな」
「わかっているわ!」
 シェハラザードは目に射殺すほどの力を込めてアインデッドを睨み付けた。アインデッドは片眉を上げて、馬鹿にしたような表情を作ってみせた。だがシェハラザードはあまり怒って睨みつけていたので、幸いそれに気付かなかった。
 タマルは、天幕の戸が開いてアインデッドがその姿を見せたとたん、耳まで朱に染め、頬を両手で押さえて、今にも気を失って倒れてしまいそうな顔をした。アインデッドは肩をすくめると、タマルにウインクし、
「とにかく、早くしろよ」
 と言い捨てて、現れた時同様ひらりと姿を消してしまった。
「全く、無礼この上ないわ!――さあ、早く荷物を外に出して、天幕を畳ませるのよ」
「は――はい」
 消え入るようにタマルは言って、慌てて天幕から出ていった。シェハラザードは、何か訝しいが、何を訝しんだらよいのかわからない、という釈然としない表情のまま、マントの紐を引っ張って結び、外していた剣を下げ緒に落としこんだ。

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