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     彼は燃え盛る炎であった
     すべてが輝く炎であった
     その言葉は聞く者を燃え立たせ
     その裡の炎はさながら
     灯火に集う羽淡きものたちのように
     人々を虜にせずにはいられなかった
     彼は若く、野望に燃え、希望に満ち
     また何者をも恐れてはいなかった
             ――マリエラのサーガ




     第一楽章 タリムの変奏曲




 翌朝――
 たとえ暗い夜の中で、それぞれの天幕の中でどれほどかれらが各々に異なる激情に駆られ、すすり泣きさえしたにせよ、夜が明けて、しんとした朝の冷気と緑の匂いの中に姿を現したときには、すでにその各々の思いはまた、畳まれた天幕の奥深くにひっそりと隠しおおせられてしまっていた。
 天幕の外に出るなり、ルカディウスはたいそうおどおどと、彼が目を覚ましてあれこれ言い出す前にいつもさっさと身繕いを済ませて出て行ってしまっているアインデッドを見つけ、近づいてよいものかと窺うような目つきをした。
(全く、苛々させやがる)
 アインデッドはそっと口の中で罵ったが、さすがに自分の部下たちが野営のテントから夜明けの爽やかな大気の中に出てくるのを見て、自分を抑えた。その時、向かいの天幕の出入口がしずしずと開いて、タマルを従えたシェハラザードがすっかり身じまいを整えて現れたので、アインデッドはますます奇妙な複雑な表情になった。
「おはようございます、アインデッド様」
 むろん、そう優しい声で挨拶したのはシェハラザードであるはずがなく、タマルであった。アインデッドはとても紳士的にタマルに笑いかけた。
「お早う。眠れたかい。夕べはだいぶ冷えただろう」
「いいえ、それほどでも。もう慣れましたわ」
「無理はするなよ。いつも可愛いな」
「ま……」
 タマルは赤くなって、思わず隣のシェハラザードを気にした。シェハラザードは何も聞こえなかったふりをしたが、シェハラザードもアインデッドも互いに、相手が先に挨拶してしかるべきだと考えていたので、いささか具合の悪い沈黙が流れた。
「……よう、公女様」
 ややあってからアインデッドは視線をそらして言った。それが彼なりの精一杯の譲歩であり、また敬意でもあるらしく、いつもこの膠着状態を破るのはアインデッドのほうであった。
 その言い方は何か、とシェハラザードが言おうとしたところへ、
「お早う、首領」
「よう、今日の進軍はどんな具合なんでえ」
「まだ当分、こんな辛気臭い森の中にくすぶってなきゃならねえのか」
 どやどやとアインデッド配下の猛者どもの、主だった顔ぶれが今日の予定を尋ねようとやってきたので、二人のひそやかな反目、拮抗はそれ以上に発展する事はなく、立ち消えてしまった。
 たちまち、アインデッドの顔には、日頃部下たちの見慣れた、荒っぽくて朗らかで、何をも恐れぬ陽気な《災いを呼ぶ男》の表情が浮かんだ。
「おおシロス、ワン、オールデン、たんと眠れたか?」
 不敵な微笑を浮かべて言う。部下たちは口々に、みなたっぷりと眠ったし、士気はいやが上にも上がっている、と保証した。
「よーし。もうじきだぞ。もうじき、たくさんの獲物と嫌と言うほど戦って、そして浴びるほどうまい酒を飲ませてやるからな。――そうだな、もうあと早ければ一日、遅くても二日で、タリムの廃砦に着く。そうしたら、そこを拠点にしていよいよ旗揚げだ」
「そいつなんだけどよ、親分」
 ワンが言った。アインデッドはちらっとシェハラザードに目をやったが、案の定シェハラザードがひどく軽蔑した目つきで彼らを見やっていたので、ちっと舌打ちした。
「おい、ワン。どうでもいいが親分はよせ。がらが悪いや。せめて首領、とかお屋形様――とかよ、そういうふうに呼べねえのか。このもくろみがうまくいきゃあ、俺たちだってれっきとしたご領主、騎士様だぞ」
「けッ、お屋形様なんて、舌が回らねえや」
 彼らはこのやりとりを聞いてげらげらと派手に笑い出した。シェハラザードはさりげなく顔を背け、聞こえぬように気をつけてはいたものの、ひとり言にしては少々大きすぎる声で呟いた。
「ならず者の悪党!」
 タマルは青くなって、短気な主人の袖を引っ張ったが、シェハラザードは気にかけようともしなかった。その柳眉はけわしく寄せられ、朝の光の下で、彼女は心底から嫌で嫌でたまらぬように、盗賊たちから少し身を遠ざけようとした。
 アインデッドはそれに目敏く気付いたが、いまここで部下たちの前で騒ぎを引き起こす気はなかったので自分を抑えた。さいわい、気のいいひげづらのワンの方は何も気付かなかった。
「じゃ、ともかく親分じゃねえ、おやたか――じゃねえ、首領! 俺たちゃ、前々から気になってたんで、ちっとあんたに聞きてえことがあったんだよ」
「何だよ、何でも聞くがいい、ワン」
「聞くけどな、首領。あんたはラトキアを奪い返す計画に一枚噛んだらしいが、そんなことがほんとにできるのかい? 街道沿いで気侭な盗人暮らし、追剥稼業をしてる方が、そりゃあいろいろとやばいことはあっても安心なんじゃねえかい?――こいつはおいらだけじゃねえ、みんな言ってるこったよ」
「バカ野郎、それについちゃ、あれほどルーハルを発つ前に俺がおまえたちにしゃべって聞かせたじゃねえか」
 たちまち苦い顔になって、アインデッドは叫んだ。
「かわいいおまえらのためにこの俺が、悪いようなことをするとでも思っていやがるのか。俺はおまえたちを信じてる。こんなルーハルからタリムまで、黙ってついてきてくれて、俺に命をくれようってえ、かわいい大事な子分たちだ。俺だっておまえらのために命なんざ、いつだって捨てるつもりでいる。そのおめえらが、俺を信じてねえ、なんて聞いたら俺は死んだほうがマシだ。首領を信じられねえか。信じねえ奴は、行け、行っちまえ。どこへでも行っちまえ。このくそ野郎」
「おお、首領」
 ワンは両手を挙げて、笑いながらアインデッドの憤激を遮った。
「聞いてくれ、まず、聞いてくれよ! おいらたちが言ってんのは、首領を信じねえとか、そんなことじゃねえんだよ」
「じゃあ何だってんだ」
 アインデッドは叫んだ。ワンは慌てて手を振った。
「おいらたちは、どうせあのまま街道暮らしを続けたところでいずれ賞金首のお尋ね者、そのうち捕まりゃ縛り首の身の上だ。こんな安いいのちでよけりゃ、いつだってあんたにやるさ。そう思ったからこうしてついてきたんだし、あんたがしたいと言うから国取りだろうが城取りだろうが、くっついてゆくだけのこった。だが、おいらたちにゃどうしても知りてえことがある。
 そこにおいでのその姫さんのこった。――もしかして、もしかして、だよ、あんたの計略が図に当たって、首尾よくラトキアをその姫さんに取り戻してやったとする。旗揚げして、ラトキアの騎士たちだって集まってくるんだろ。エトルリアに勝つためにゃ、おいらたち寄せ集めの野盗だけじゃどうしょうもねえことぐらい、おいらにだって判るからな。けどだよ、親分。そのラトキアの騎士軍がたくさん集まってきて、そうしたら俺たちは、もう御用済だとか言って、あっさり放り出されるんならまだしも、ごろつきの札付きどもとかいって、あっさり始末されちまったりしねえかい?
 おいらたちを放り出して、てめえだけ出世しようと思うような親分じゃねえことは、おいらたちは知ってる、信じてるよ。けど、そのラトキアの偉いさんたちが信じられるってことは、どうして判るんだい? 国がちゃんとしてる間にゃ、奴らこそ、おれたちを狩り立てて、賞金を懸けたその当のご本尊じゃねえか。――ぬすっと仲間、海の兄弟、山の姉妹なら信じもできるが、かたぎだの、将軍だの、貴族だのなんて奴こそいっちゃん信用ならねえ。奴らはいつだって人を利用するだけして捨てるぜ。おいらたちなんざ人間とも思ってねえんだ。ラトキアを取り戻してやるのに成功したその日が、おいらたちの葬式だ、なんてことにならねえ保証はどこにあるんだい――おいらたちの知りたいのはそのこったよ。こいつはおいらだけじゃねえ、ワルドもメレアゲルもケヴィンもレクスも、みんな言ってるこった。なあみんな」
 ワンは彼としては一世一代のこの長口舌をやっと無事に終わったので、興奮して顔を真っ赤にしながら振り返った。
 いつのまにか、目を覚ました連中が、みな何事ならんと顔の間から顔を突き出すやら、木によじ登るやら、彼らの周りは黒山の人だかりとなっていたのである。ワンの言葉を聞いて、盗賊たちはいっせいにわあわあと賛成の叫びを上げた。
「しッ、静かにしろ! 街道警備隊にでも、こんなとこで見つかりてえのか!」
 怒ってアインデッドは叫び、近くにあった木の切り株に飛び乗って、高々と手に掴んだ剣を振り回して人々を鎮めようとした。やっと、アインデッドの言葉を聞こうと口々に制しあって、人々が静かになったのを鋭い目でじろりと睨みまわし、それからワンに視線を戻す。
「ずいぶん弁が立つじゃねえか、サッシャのワン! お前がこんなニギディウスの弁舌の持ち主だとは、俺はついさっきまで知らなかったぜ。この後、お前を俺に代わって俺の演説係に任命するとしよう。何しろ、俺はひどく口下手だからな!」
 わあっと人々は声を上げて笑い出し、喝采した。それがまた静まりかけるのを待って、アインデッドは高々と手を挙げた。
「お前の言いたいことはしかし、よく判った。それにそいつはまったく筋が通ってる。俺の方で聞きてえくらい尤もな話だ。確かに俺だってそんなことを一回も考えねえとしたら、そんなことを考えもしねえでお前たちをここまで引っ張ってきたんだったら、俺はかしらと呼ばれる資格もねえ、バックス同然の馬鹿ってもんだからな。確かにみんながそう思って不安になるのはもっともだ。俺たちはごろつきのぬすっとだ。お尋ね者の追剥だ。いつだって偉い奴らに虫けら同然に狩り立てられる悪党だ。しかし――しかしだぜ!」
 アインデッドは反応をうかがうように、部下たちを素早く見回した。
「そのごろつき、盗人、ならず者の俺たちの力を借りなくちゃどうにもならねえくらい、お姫様が困っていなさるんだぜ。助けてさしあげるのが、いかなごろつき、盗人、ならず者といえど、ともかく男として、キュティアの矢を備えて生まれてきた奴の甲斐性ってもんだとは思わねえか。――まあまあ、黙って最後まで聞け。お前たちの言いたいことくらい、こっちはみんな判ってんだって、さっきから言ってるだろ」
 アインデッドは手を挙げて盗賊たちを制した。
「もちろん、俺たちの力だけじゃラトキアを取り返すなんざできやしねえ。夢物語だろうさ。公女様ごとあっさりとっ捕まって、かしらだったものは火刑か八つ裂き、はりつけが関の山だ。ばか、何をぶるってやがる。俺がかわいいお前らをそんな目にあわせるとでも思ってやがるのか」
 アインデッドは、昨夜全く同じことを考えて、一人で震えていた事などまるきり棚に上げて叫んだ。
「大丈夫だ。俺には勝算がある。今はただそうとしか言えねえが、俺を信じてくれ。これまで一度だって、俺がお前らをたばかったことがあるか? 俺とお前らは勝つも一緒、負けるも一緒、生きるも死ぬも一緒と誓った赤い兄弟だ。俺はもし、お前らの心配するように、すべてうまくいった後でラトキアの偉いさんどもが忘恩にも、俺たちを片付けようとするそぶりなど見せようものなら、誓ってそんな野郎どもはただじゃおかねえ。その時こそ、そんな奴らは一刀のもとに切り捨て、事のついでに有り金財宝残らずかっさらい、宮殿に火をかけて飛び出しちまおうじゃねえか。
 なーに、この深い森こそ俺たちの王国、この森にさえ飛び込んじまえば、たとえこっちは二千、向こうは二万いようとも、奴らに取りこめられる気遣いなんかねえ。森がいつでも俺らを守ってくれる。そうして、ああ、ちょっくら面白え遊びをして、おまけにたいそうな土産まで貰ってきたもんだと大いに笑って、またもとのしがない街道暮らしに戻るのさ。いつだって俺たちはそれだけのもんだったし、いつだって笑ってくたばる腹は据えてるじゃねえか。そうだろう?
 ――もちろん、ここでお姫さんにゃ、そんなことはねえ、ラトキアの女大公は、国と独立を身を張って取り戻してくれた恩人を、間違っても不用品扱いするようなそんな非道じゃねえと誓わせることは簡単だ。必ずそう言って下さるだろうよ。何たって、今はお姫さんは俺たちに頼るっきゃ、ねえんだからよ! しかし、しかしだぞ、ワン、レクス、ケヴィン、ニゾリウス」
 アインデッドはいよいよいい調子に、目をきらきらさせて見回した。

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