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     悲しみと涙と後悔が
     ずっと我らを苦しめる
     この死の一団は
     後悔の言葉を叫びながら進んでゆく
          ――「地獄に落ちた傭兵ども」より





     第四楽章 森の奏鳴曲




(なんて深い森だろう。――どこまでいっても森ばかり)
 ふっと――。
 吐息のような呟きが漏れる。
 前に立って、馬をかっていた黒尽くめの若者が、聞きとがめて、振り返った。
「何か、言ったのか?」
 鷹のようにするどい、森と同じ緑の目がぎらりと射抜くように見つめている。彼女は小さく首を振った。
「別に、何も」
「……」
 若者は、何か言おうかと考えるようにさらに見つめた。が、思い返して、そのまま頭をめぐらす。
 そこはもう十バルもゆけば、国家も町とてもないハイランドに入ろうかという所、サリの森、サナリアの森を経てラトキアの最西端の地方都市フェリスに近づこうかという、カルルの森あたりであった。このあたりこそ、中原最大のカディス果の生産地、カルルの大高原――そこを過ぎていよいよラトキア西辺の国境辺境地帯が始まる。
 とげとげしたカディス果の枝が絡み合い、ほとんど道らしい道もない――先を行く部隊が下枝を切り払い、下生えを切り払ってようやく作った細い道も、気をつけねばひっきりなしに馬のたてがみに、兜の飾り房に、人の髪の毛に枝が絡み付く。
 昼なお暗い、といった言い尽くされた表現も、ここではそれ以外に言葉はない。その、住む者ももちろんなければ、レント街道からも見放されたようなこの森林地帯に、時ならぬ数百のあやしげな一団が身を潜めて、もう旬日近くが経っている。
 首尾よくサリア湖のほとり、エトルリア大公の虜囚となっていた白亜宮からラトキア公女シェハラザードを救い出し、脱出させたあと、これまた手筈どおり脱出させた侍女タマルとも合流し、ティフィリスのアインデッドと軍師ルカディウス、そのもとに集まる赤い盗賊五百余名は、ただちに張り巡らされたエトルリアの厳重な追及の手をどうにかくぐりぬけ、自由国境地帯へと出たのであった。
 エトルリア領内を抜けるまでに、一度ならず肝を冷やす場面も、もう駄目かと思うまでの緊迫もあったのだが、しかしともかくも、ここまで来てしまえばもう大丈夫――というところまでは、彼らは何とかたどりついたのだ。いったん少人数に分かれて、ラトキアの南西、フェリスにもほど遠からぬタリムが彼らの合流の約束であった。
 タリムはサナリアの南、かつてはけっこう栄えた辺境の砦があったところだ。サナリアと同じく、かつては旧街道が主街道であったゆえ繁栄を誇っていたが、クライン街道とラトキア街道の開かれるにしたがって寂れてゆき、ついには廃城となった。そんな運命をたどった城は、この時代、たくさんあった。
 彼らが当座の本拠地として選んだのは、そのタリムの廃砦だった。もうすっかり寂れはて、砦の守護兵もいなくなった、しかも現在の主街道から遠く離れたこの砦であれば、深い森に隔てられ、エトルリアからも、エトルリアの占領下にあるフェリスからも、さほど遠からぬわりには大人数が集結しても怪しまれることはない。
 アインデッドの――というよりはルカディウスの計画では、こうしていったん本拠地を作っておいて、ひそかにラトキア公女シェハラザードの名において密使を四方に走らせ、ラトキア各地に潜伏して時を待っているはずの旧ラトキアの残党に決起を呼びかける。
 そして一定の人数がとりあえず公女の旗のもとに集まり、少なくともエトルリアの占領軍といえども一朝一夕には踏み潰すことが不可能なくらいの人数になったところで、いよいよ表立って旗揚げの運びとなって――正当なラトキアの支配者の名の下に、ラトキア奪還を呼びかけ、人数を募りシャームへと進軍を開始する、というのが今のところの予定であった。
「といったところで」
 夜毎夜毎の、野営とは名ばかりの焚き火をテントの中で囲みながら、ルカディウスとアインデッドとは際限もなくこれからの手立てについて繰り返し相談しあった。
「むろんこれは、とてもうまく運んだときの話で、ほとんど夢物語だってことは、認めなくちゃなるまい。――何を言うにもともかくまず、タリムで最低、万という数を集めないうちには、とうてい旗揚げどころじゃない。また、シャームに迫る頃には十万くらいになっていてこそ、エトルリア軍を引き受けて戦えるだろう。そのくらい集まっていれば逆に、シャーム占領軍には勝ち目なしと見て投降してくる傭兵部隊なんかもあるはずだ。しかし――」
「しかし?」
「これがもし万一、タリムで数千、シャームまで行って二、三万は論外、五、六万としたら――」
「もしそうなら、今のうちにとっとと逃げ出しとかねえと、行く手に待つのはただよくて名誉の戦死か、悪くすりゃエトルリア軍の拷問台と皮はぎ、八つ裂きの処刑台だけだってことだろ」
 アインデッドは吐き捨てるように言い、ヤナスの災難避けのまじないをした。
「そりゃ、俺がいちばんよく判ってる」
「わたくしは判らないわ」
 シェハラザードはたまりかねて口を挟んだ。
「聞き捨てならぬなんという失礼極まりない言い草なの。わたくしはラトキア公女で、今となっては弟と二人きりの、ツェペシュ大公家の生き残りだわ。ラトキア百万の民がどうしてわたくしの挙兵に狂喜乱舞して駆けつけぬわけがあって。そんなふうに、疑られるのはラトキア公女の名にかけて許せない。わたくしの名の下に兵を募るのよ――わずか五万や六万で済もうはずがない。むしろ兵糧の確保や指揮系統に心を使ったほうがよいのではなくて?」
「のんきな公女様だ」
 ルカディウスは密かに傍白するにとどめた。しかしアインデッドの方はそれで済ますような性格ではなかった。
「あんたは本気でそう考えてるのか。自分が旗揚げさえすりゃ、何万何十万って兵がおのずから寄り集まって、あんたに剣を捧げ、あんたの為に戦うと」
「勿論だわ」
 シェハラザードはそんな反問を受けることすら心外といったようすで昂然と言った。
「当然ではないの。わたくしはツェペシュ大公家の――」
「恐らくは唯一の生き残り、ラトキアの正当な支配者! はっ」
 アインデッドは、この手の議論はもう毎晩のように繰り返してきて、けっこう苛々としてきていたので、荒っぽくシェハラザードの言葉を遮った。
「そいつぁ結構! そいつは何百万回聞かされたかわかりゃしねえよ。しかし、そんな有り難節であっさり人間が動くなら、誰が苦労するんだ。え? 誰が、心を痛めるもんかよ。能書きや名前で人が動くもんなら、俺だってとっくにゼーアの王くらいにはなってるんだよ、サライルにかけて」
 シェハラザードはつっけんどんに言った。
「いったい何だって、そんなふうに我がラトキアの人民の忠誠心と赤心を疑うの。彼らは常に中原きっての勇猛果敢にして愛国心に富んだ戦士として知られている人々だったわ。今、エトルリアの占領の軛という屈辱の下に置かれ、どれほどか彼らが苦しみ、悩み、汚辱に震えていることか、わたくしには痛いほどよく判るわ。かれらは、わたくしを待っている! わたくしはその事を一度も疑ったことはないわ」
「もういっぺん聞くけど、本当に、そう思っているのか」
 アインデッドは盛大なため息をついた。
「だとしたらあんたは最高におめでたい女だよな。――いや、おめでたいで済む問題じゃねえ。何も知らねえ、判ってねえにもほどがある。そいつはもう、無知を通り越して罪悪ってもんだぜ」
「またそんな無礼な――」
「まあいいから、ちょっと聞けよ。え?」
 アインデッドは思わず高ぶった口調になっていた。
「俺はな、いいか。俺は確かにあんた――ラトキアの公女様から見れば、取るに足らぬ出自のもんだ。親は知らねえし教育もねえ。あるのはただてめえの腕と力と幸運だけ、そいつだけを信じて俺は世間を渡ってきた。力ずくでな――汚いこともしたし、あんたから見れば、お話にならねえようなこともしてきた。生きるためだ、片時も悔いちゃいない。でなけりゃ生き延びてこられなかったろうからな」
「なぜ、わたくしがそんな話を聞かされなくてはならないの。わたくしには関わりのないことだわ」
「たしかにな。が、この後は、ちっとは関わってくるんだ。いいから少しだけ聞いてろ、このアマ」
「ア……」
 怒りのあまりシェハラザードが声も出なくなったところへ、素早くアインデッドは押しかぶせた。
「本ッ当にお前は、人の話を聞かねえ最低な女だな。いいから聞いてろ。文句があるなら全部聞いてからにしろよ。俺はな、そうやって生き延びてくる間に、傭兵として、この身一つ、剣一つであちこちの国に仕えてきた。ラトキアもありゃクラインに仕えたこともある。もっと他の国もある」
「それは、ずいぶん立派な忠誠心をお持ちだこと」
 シェハラザードは声を荒げた。まだ、アマだの、最低だのと言われたショックから立ち直っていなかったのだ。
「うるせえな、黙って聞け」
 アインデッドはエメラルド色の鋭い目を光らせてシェハラザードを睨み付けた。シェハラザードは負けるものかと紫色の目で睨み返した。
「お前はなあ、シェハラザード公女。采配を振って、あの部隊はあっちに行け、この小隊はこう回れ、と指図さえしていりゃ済むんだ。それが全てだ。勝とうが負けようがそれは運命、負けりゃ虜囚にもなるし、運が悪けりゃハイラードみたいに処刑されるが、勝てば官軍、何もかもお前らのもんだ。しかしな、俺は――傭兵たちは、そうやって命令される側なんだ。さあ戦え、さあ負け戦に突っ込め、さあ死んでこい、と、あんたらお偉方にあっさりと命令され、その命令どおりに突進し、身を張って戦い、死んだり怪我したりするのは、俺たちだ。俺たちなんだよ!」
「だけどそれがお前たちの選んだ仕事じゃないの」
 シェハラザードは、この話がどこに向かおうとしているのか、全くのみこめなかったので、いくぶん不安になりながら言い返した。
「そうやってお前たちは給金をもらい、暮らしを立てるんでしょう?」
「それはそうだ。まさにあんたの言うとおり、俺たち傭兵は、他に売るものもねえし、気性もそういう荒っぽいのに合った奴だから、そうやって戦場稼ぎで世を渡ってる。その間で死ぬも生き延びるも、つまるところ当人の才覚と運次第ってわけさ」
 アインデッドは噛んでいた乾しカディスの種をぺっと焚き火の中に吐き捨てた。
「しかし、いいか、お姫さん。農民はそうじゃねえんだぜ。あんたのあてにしてるラトキアの人民たちは、好き好んで兵隊に取られるわけじゃねえんだ。兵役があって、行かなきゃ罪に落とされるから、だから、何年か――若いときの大事な何年かを棒にふり、家業を捨て、家族や恋人と別れて兵役に出るんじゃねえか。その挙げ句もう二度と帰ってこなかったり不具になったりする奴も多い。俺も何人見たかしれない。――辺境部隊に入って、帰ってこなかった若い兵士を。戦いの最中に俺の隣で斃れていった奴を。――まったく……こんなことまで、どうして言わなきゃわからねえんだ、お姫さんてやつは」
「……」
「あんたは一口にラトキア人民の忠誠心とあっさり言うが、こいつは大変なことなんだぞ。人々が、兵役を課せられるのを何一つ不平を言わずに承知したり、ラトキア万歳を唱えて忠誠な民でいるのは、一体何故だと思う? ラトキア大公家への忠誠? ラトキア国民である誇り? そんなものが、大切な一人息子を兵役に差し出す時の、何の慰めになるってんだ。たしかになくはないだろうさ。少しはな。だが人民は、ラトキアっていう国が、組織があって、そいつが自分たちを守ってくれる、自分が戦えば、税を払えば、自分の妻や子を守ってくれる――だからこそ忠誠を誓う。ラトキア万歳と叫ぶんだ。――が、ラトキアのツェペシュ大公は国を守ることができなかった。自分たちもだが、ラトキア人民をも、国の平和や安全も、守ってやれなかった。ラトキアはだから国家として敗れたんだ。守ってくれると信じ、頼って、ラトキアに忠誠を誓い、ラトキアのために戦った人々を、ラトキアは裏切ったんだ」
「アイン――おい、デッディ……」
 ルカディウスが慌ててそっとアインデッドの腕を引いた。
「何もそこまで……」
「うるせえ。お前は黙って聞いてろ、ルカ」
 アインデッドはけわしく振り返った。

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