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                                *



 そのまま、長いゆっくりとした一日が過ぎていった。ようやくルカディウスが戻ってきて、その考えついた手立てについて説明したのは、もう無為の一日が湖上に暮れかかる頃であった。
「俺は、色々考えてみた。しかし、やはり正面きって大掛かりに何かに化けたり、勅状を偽造したりするには時が足りないし、万一捕まった場合にひどく大騒ぎになりそうだ。で、とにかく、初めのうちは、少なくとも一回で公女を連れ出すってわけにゃいかねえから、何回かは忍び込まなきゃならねえのだから、極力人目を引きたくない」
「そうだろうとも。それで」
「今日半日かけて、白亜宮に出入りする商人や何かについて詳しく調べてみたが、全部こまごまと日にちや人間が決まっていて、どうも曖昧な者が近づける余地はない。――ところがただ一つの、これなら何とかってのがあった。それが、厨房で使う燃料運びをする、薪屋の船だ。これも出入りの商人は細かく決まっているんだが、薪は十日にいっぺんまとめて運びこむんで、その時は五隻ばかり船を出して裏口から漕ぎいれ、倉に荷下ろしする。その時、かなり人夫が出る。――むろん、そこに初めからもぐりこむわけにゃいかないが、薪の方はあまり詳しく調べないようだ。その薪の下に隠れて船底に潜っていって宮の中に入り、人夫のなりをして荷下ろしのどさくさにまぎれて中庭に出て、そこをあのタマルって娘に用意させといて、手引きさせて奥殿に入る。いったん入っちまやこっちのもんだ。出る方についちゃ、水の中に潜ってそのまま岸まで泳ぎ着きゃあ、サリア湖は海と違って鮫も悪魔もいない。何とか人目に触れずにすむ」
「……」
「この薪船が出るのが運良く明日の朝だ。それまで薪屋の倉にでもひそんでいて、朝、船の底に布をかぶって隠れている。見張りに荷を怪しまれて、槍でも突き立てられりゃもうお終いだが、そこはまあ運を天に任せるっきゃない。それにこれまでのところ、そこまでして忍び込もうとした奴がいるなんて話はまるでないらしいから、何とか、皆の心も緩んできてる頃合いだ」
「――頼りねえな」
「え?」
「運を天に任せるといったって、あんまり分のいい賭け率じゃねえな、と言ったんだ」
「ま、そりゃそうだが、しかし他の、油とか食料とかはもっと厳しく調べられるんだ。何せ、大公妃だの公子たちが、公女を毒殺しようと企むことがあるかも知れねえってんで、食料はいちいち袋を開けて細々と調べられ、毒見をされて運び込まれる。油の壺、酒の瓶は一つ一つ、棒を突っ込んでかき回すと言うんだ。薪なら、何とかそこまでは厳しくないらしい」
「ま、いいさ」
 アインデッドは仏頂面で言った。
「何でもやってみるがいいさ。俺は、お前に任せたんだからな」
「もう、実はそういうことなんで、手配の方は一通り済ませてきた。やはり薪船の船頭はどうしても荷の積み方、船の重さで薄々いつもと違うとわかるだろうから、そいつら二人を買収しておいたが、しかしこれだと、他の者は連れ込めない。どうしても、いいところ俺とお前がぎりぎりだから、公女を連れ出すときにはむろん、また別のやり口を考えなくちゃならねえ」
「魔道でも使えば、楽だろうがな。まあそいつぁ後の思案だ。じゃ、その薪船ってのは、明日の朝早く出るんだな」
「そう。そいつを逃すとまた十日待たなくちゃならねえ」
「それじゃ、そいつでやってみようじゃねえか」
「今夜、エレミルの刻ごろに行くように話をつけてきた」
 ルカディウスは言った。
「奴がつまらねえ気を起こしたり、気が変わったりしないよう祈るだけだよ、アイン」
「なあに――大丈夫だ」
 アインデッドはまた安うけあいをした。
「俺はそういうことにかけては、とても運が強いからな」
「あと二テルばかりしたら出かけよう。その用意をしといてくれ」
「ああ」
「ヤナスのご加護を、だな」
「ああ」
 というようなわけで――。
 その二テル後、彼ら二人は、お馴染みのヤム教徒のマントに全身をすっぽりとよろって、ひそかに薪屋の倉庫に出かけていった。さいわい、船頭は心変わりも下心もなかったと見えて、ルカディウスの渡す残金を受け取るとむっつりと、早く船にもぐりこめと合図した。彼は仏頂面で言うのだった。
「おらあどうしても金の入り用なことがあるから、引き受けるんだ。何のために、どんな下心でこんなことをするか、一切聞かさねえでくれ。知りたくもねえ。おらには関わりのないことだし、なまじ何か知ってたら、万一露見した時に一味と思われてひでえ目にあうかもしれねえからな」
「好きにしな。とにかく、俺たちを無事にもぐりこませてくれさえすりゃ、それきりなんだからよ」
 ルカディウスは言って、人夫たちが積み込みを終えて遅い夕食に出ていった隙を見計らい、桟橋にこっそり降りていった。桟橋にはすでに五隻の荷船がつながれ、ぎっしりと薪が積み込まれて、上から油布がかけてある。ここから白亜宮まではほんの十テルジンばかり、目と鼻の先である。
「じゃ、明日の朝よろしく頼むぜ」
「前から三番目の船だ。くれぐれも間違えねえでくれよ」
 無愛想な船頭は言って、のたのたとまた店の方に戻っていってしまった。ルカディウスはそっと油布をめくって様子を確かめた。
「何も明日の朝出るってのに、今から薪の下にもぐりこんで難儀な思いをすることはないな。真夜中過ぎで充分だろう。――どうするアイン。いっぺん戻って休むか?」
「いや、あまり行ったり来たりしても人目につくだろう。この辺りで良い頃合いを待ってりゃいい」
「じゃそうするとしよう」
 もう、後は時が来るのを待つばかりである。二人は、万一桟橋を通る者がいても目に付かないよう、桟橋の下の湖岸に降りた。チャプチャプと波がすぐ近くまで打ち寄せる。二人はただ待った。特に喋ることがあるわけでもないし、アインデッドの方は特にそんな気分でもない。
 ただ待つだけの長い、気詰まりな時間がだらだらと流れてゆく。ルカディウスも色々と考えたいことがあるらしく、じっと何やら口の中で呟いている。しかし、その長い夜ものろのろとついに明け初めた。はるかな湖上に白い明るみが射し初め、夜の藍色が薄紙を剥がしたように薄らいでくる。
「よし」
 やっと、まるで二体の彫像ででもあるかのような沈黙をふるい落として、ルカディウスはゆっくりと身を起こした。
「そろそろ行くか、アインデッド」
「ああ」
「腹ごしらえしろよ。食い物を持ってきてる」
 ルカディウスは油紙の包みを差し出した。二人は包みを開き、肉饅頭を黙々と食べ、小さな筒に入れた酒を喉に流し込んだ。いそいで腹ごしらえと用を足すのを済ませると、二人は素早く桟橋によじ登り、人目がないのを確かめながら、言われたとおり前から三番目の船に近づいた。
 あたりの様子にたえず気を配りながら、そっと油布を持ち上げる。中にはぎっしりと、一束ずつ荒縄で括った太い薪が積み上げてある。
 船頭は約束どおり、その中程に横に板を渡してくれていた。ルカディウスとアインデッドはその板の下の薪束を抜き取り、倉庫の外側の、同じ束がたくさん積み上げてあるところに運んで戻した。四束ばかり抜き取ると、一応ひと一人がもぐりこめるくらいの空間ができる。
「狭苦しいが、これでどうにかなるだろう」
 さらに二束抜き取ってからルカディウスは言い、アインデッドに先にもぐりこめと合図した。一言も言わずに、アインデッドは言われたとおりにする。何しろ鼠の穴のような狭い空間である。長身のアインデッドは手足を伸ばすどころか、胎児のような格好に身を丸めても、背や腰をごりごりと板や薪が擦る。が、アインデッドは黙ってできうるかぎり奥に這いこんだ。
「大丈夫か。ほんの一テルばかりのことだ、辛抱してくれ」
 ルカディウスは気にして言い、それからアインデッドの前に抜き出した薪束を積んで、外から見えないようにした。それから油布を引き下ろした。そして、その隙間から自分もするするともぐりこむ。さすがに小さいルカディウスの方はけっこう楽にもぐりこんだが、それでもむろんのびのびと手足を伸ばすことはとてもできない。
「一テルの辛抱だ」
 もう一回自分に言い聞かせるようにルカディウスは呟いた。そして、自分の前にも、残った薪束を引っ張り寄せた。彼らの目の前はすっかり暗くなった。再び待つ時間が始まる。しかし今度の方がはるかにしんどい難行苦行であったのは言うまでもなかった。拷問のような狭苦しい所に押し込められて、体の位置すら変えられないのである。
 しかし、アインデッドは、日頃あれほどの不平屋であるにも関わらず、こういう時には一言として、言ってもしかたのないようなことを言いはしなかった。もっとも、油布と薪を通しても外がしだいに明るくなってきている。そろそろ夜明けなので、人足たちが桟橋にいつ入ってくるかも知れず、気付かれてはならないので声を立てるのもままならなかった。
 もうどのくらいの時間が流れたのかも、アインデッドとルカディウスにはわからなかった。ルカディウスが、自分より大きい分苦痛も強かろうと、気にしてそっと首を伸ばし、覗き込むと、驚いたことに、亀のように窮屈に身を丸めたまま、アインデッドはまどろんでいるらしく目を閉じていた。
(驚いた奴だ)
 ルカディウスは思わず呟かずにはいられなかった。
(これでもし見つかれば、手ひどい拷問の末に首を切られるだろうに、よくこんなところで眠れるものだ。こんな苦しい、辛い姿勢だってことを考えに入れなくても! やっぱりこいつはただ者じゃない。少なくとも、この豪胆さ、肝の太さだけだって、並みの奴じゃないな)
 ルカディウスは首を振ろうとして頭を板にぶつけ、眉をしかめた。その時、どやどやと人の気配がした。桟橋の板を踏むたくさんの足音、大声の無遠慮な話し声。どうやら、船が出るのである。あまり待たずに済んだのが幸いであった。
 船頭と人足が船に次々と飛び乗るらしく、どすん、という衝撃が伝わって、船が軽く揺れる。強いエトルリア訛りで叫びかわす声がする。
「船を出すぞー」
「ようそろー」
 眠気を誘うくらい、のどかな、間延びした声である。ばさりと艫綱が解かれて、船の床に投げ出される。と思ったときである。薪の上に人足たちが腰を下ろしたらしく、板を間に置いてあってさえ、上からぐうっと薪の山が押し付けられるのが分かった。体が潰れそうになる。
 ルカディウスはこっそりとヤナスの名を唱えた。横目で見ると、アインデッドは薄暗がりに目を開き、何を思うのかじっと動かない。背骨にこたえたこの軋みと衝撃は、ルカディウスより大きなアインデッドにはもっとこたえている筈だが、表情一つ動かさない。
「出るぞーい」
「ようそろー」
 ぐい――と、棹が湖岸を突いたらしい。ふわりと、体が浮くような感じがあり、船は湖に出た。チャプチャプと船縁に波音が立つ。重い荷をぎりぎりまで積み込んだ薪船の動きはきわめてゆっくりとしている。
 ゆりかごが持ち上げられ、揺り下ろされているかのように、アインデッドたちは船の揺れに身を任せた。もう、夜はすっかり明けたのだろう。葦刈船がゆらゆらと、小さなミズスマシのように湖に出ている頃だ。
「よーう」
「よーうお」
 五隻の船は互いに声を掛け合って進むらしい。
 棹が湖底を押すらしい揺れ。
 波のゆったりとしたうねり。
 鼻を刺す木の匂いと埃っぽさ。油布のあの特有のにおい。
「ようーほ」
「ほーう」
 ゆるゆると船は白亜宮に近づいてゆくようだ。あの長い待機に比べれば、あっという間くらいの早さだった。
 ざっ――と、船に衝撃が伝わる。
「止まれ!」
 鋭い声が聞こえた。
「荷検めだ。いったん一列に並べ」
 もう、白亜宮の裏門の水路に入ったのだ。



「Chronicle Rhapsody20 水の都の盗賊」 完


楽曲解説
「夜想曲」……ノクターン。夢想的な、いくぶん物憂いピアノ曲。
「ラスの舟歌」……ロシアの「ボルガの舟歌」から。
「静かな湖畔」……あのいつまでも終われない輪唱(笑) 思いつかなくて苦し紛れにつけてみました。
「イントラーダ」……行進曲風の幕開き音楽。

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