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                                *



「つまりだ」
 ルカディウスは周りを見回した。
「そんなふうに、厳重に見張りを立てなくてはならないということは、だ。いや、見張りの方はまだしもだ。当然の警戒と言って言えなくもない。ラトキアの残党にとっては、とにかく何はともあれ公女を奪還するか、公子を見つけ出すこと――それだけが、至上の急務、残された唯一の希望というものだろうからな。しかし、公女を一切人前に出さず、外出もバルコニーに立つことすら許さない、というのは、これは――」
「だから、何なんだ」
「早く言え、早く」
「シェハラザード公女本人が、まだエトルリア――と愛人たるエトルリア大公に心を許していない、そしてエトルリア側もそのことは百も承知している、ということだ。そうじゃないか?――またもう一つ、エトルリアの方でも誰もがすっかり彼女を受け入れたわけじゃない、あるいはこの警戒はシェハラザードとラトキア残党の接触を恐れる以上に、エトルリア内紛によりシェハラザードが奪われ、あるいは暗殺――という恐れすらある、ということを意味しているんだ。当然公女本人にもそんなことは感じ取れる。この白亜宮はたとえ見かけがどんなに豪奢だろうと、やはり内実は贅沢な牢獄そのものだって事だ」
「そんなこたあ、はじめっから判ってるじゃねえか」
 シロスが言った。
「そうだろう」
「だからお前たちは考えが甘いというんだよ。つまりだ、そういうことは、もし我々が首尾よく公女と接触できさえすれば、公女の方から協力を依頼してくる確率がぐんと上がる、ということだ。何を言うにも我々はただの盗賊団、公女にしたところで、身を委ねてもっとひどいことになるのじゃないかと考えて二の足を踏むはずだ。しかし、今でも追い詰められた囚人、暗殺の危機にさらされぬものでもない、というように思いつめていれば、一か八か、新しいこの味方に賭けてみよう、という気になる見通しは充分に立つ。――それに相手はれっきとした大国エトルリア、それを相手に我々が何とか勝算を得るには、シェハラザード公女本人の全面的な協力という奴がどうしたって必要なんだ」
「そりゃいいが、そのためにどうやってシェハラザードに会うんだ。すごく見張りは厳しいし、どうやっても白亜宮にはもぐりこめねえんだろ」
「そのことだ」
 ルカディウスは周りを見回し、いっそう声を低めた。
「実はこのロデベルトに薬を仕入れさせ、薬屋の行商に化けさせて、午後中ラスを回らせてみたんだが、そこでいささか耳寄りな噂を掴んだ。というのは――シェハラザード公女は、どうやら、懐妊しているらしい!」
「何だって」
 これまで、まるでそんなことは判りきっている、という様子を装っていたアインデッドは、我知らず身を起こして鋭く言葉を差し挟んだ。
「それじゃ、何もかも水の泡じゃねえか。――エトルリア大公はシェハラザードの子供をラトキア大公につけると約束して、公女とラトキアの連中の心をなだめようと目論むだろうし、そうとなればシェハラザードがわざわざ危ない橋を渡って我々に身柄を預けることなんざ、ありえねえ」
「それが、どうもそうじゃないらしい。実はこの噂は薬屋仲間って触れ込みで聞き込んだんだが、シェハラザードの例のただ一人のラトキア人の侍女、これが危険を冒して街に出てきて、こっそりと医者を訪ねまわってた、というんだ。めでたい懐妊ならエトルリアの宮廷医師団でも何でも大手を振って呼び寄せそうなものだ。それがそうじゃない――ということは、シェハラザードは何としてでもここを逃げ延びて兵を起こしたいという気持ちがあるんだ。そのためには、万一にもエトルリア大公との子をはらむようなことがあっちゃならない、医者をこっそり探してたってのは、腹の子をひそかに水に流したいという心だろうと読んだ」
「……」
「そこで、だ。俺の考えは、俺は幸い少々医薬の心得がある。そうやって侍女がこっそり抜け出せるところから見ると、シェハラザード本人は難くとも、侍女が出入りするくらいには、エトルリア内部にも幽閉の公女への同情がなくはないんだろう。少なくとも手引きする者の一人や二人はいるわけだ。そこで、俺は、もぐりの腕のいい医者がラスに流れてきた、という噂を白亜宮めあてに流し、侍女の方から我々の方におびきよせようと思うんだ」
「あ、そいつぁうまいや」
 シロスが手を打った。
「しかし、ルカ。それでお前、本当に大丈夫なのかい。もし噂を聞いて、目当ての当人じゃない連中がぞろぞろ治療を受けに来たりしたら? そいつが妙に評判になったりすると……」
「何、そりゃ大丈夫だ。俺は昔ほんとに医者をやって世渡りしたこともある。そのへんの怪我や軽い病くらいなら何とでもなるし、医師ギルドの免許がないから大っぴらに営業できない、というふれこみにしときゃ、免許がないのも疑われねえし、かえって人目を忍ぶ堕胎なんかは声をかけてきやすかろう。それにともかく目当ては公女ただ一人――他の者は、順番だとでも言ってやり過ごしておけばいいのさ。それに医者となるとお前たちも、眼帯したりつらに包帯を巻きさえすりゃ、大っぴらに宿に出入りできるって寸法だ」
「おお、なるほど。やっぱりおめえは頭が切れらあ。さすが軍師だ」
「まったくだ」
 皆が口をきわめてルカディウスを褒めるのを、アインデッドは密かに面白からぬ気持ちでむっつりと見守っていた。
「――そんなもんでどうだろう、アイン」
 が、ふいにルカディウスが言ったので、不機嫌な顔を向けた。
「いいだろう」
 口重くぼそりと言う。
「お前に任せる。しばらくそれでやってみろ」
「何とか侍女と連絡をつけりゃ、侍女に化けさせて公女を連れ出すか、とにかく一度こっちが白亜宮にもぐりこむか、どうかして、ともあれ一歩二歩、話を先に進められると思うんだが」
「まあ、やってみろ」
「侍女には恐らく、色仕掛けでたらしこんだか抱き込むかした相手がいるんだろう。何ならそいつに罠をしかけ、脅しがらみで我々の言うとおり動かざるを得ないようにするって手もある」
「いいから、やってみろと言ってるじゃねえか」
「それが駄目ならまた手立てを考えるがね。――しかしいずれにせよ、ラスってのは小さい街だ。そこに急に、大勢のうろんな男が増えてごちゃごちゃやってるとありゃ、どうも疑いを招くだろう。ことに皆が皆、エトルリア人らしい外見ってわけじゃない。――で、俺の考えは、外見がエトルリア人で通りそうな――むろんエトルリア出のやつもいるし、それを十人ばかり、いつも我々と同行させ、どうみてもエトルリア人に見えねえものは、この辺でいつでも発てる準備をして待っていてもらい、公女を首尾よく連れ出し次第、まっすぐにサリア湖を渡って落ち延びる用意をしていてもらいたい。ともかくこっちも勝負は長くて五日……それを過ぎると、街で噂の口に上るか、人目もあろうし、何かきな臭い動きがあると知れりゃ、ますます警備も厳しくなるだろう。――ここ五日、せめて七日が勝負――と、そういう目論見を立てたってわけだ」
 またひとしきり起こったざわめきにも、アインデッドは加わらなかった。
「――だからお前たちはラスの街で各々の宿を取って、そこでなるべく愛想良くして色々話すようになって、別々に宿に入って、全く知らん同士って様子を作って、一方がこれこれの病で悩んでいるがいい医者はいないかってなことを宿の食堂ででも持ちかけて、いろいろ話が出たところでもう一方が、たまたま前の宿で自分がかつてかかってとても良かった医者が一緒にラスに来ているってなことを言い出して……」
(ラス……)
 ふと、アインデッドは目を木々の合間を縫うように、少し離れたサリア湖の方へ遊ばせた。木々に隔てられ、サリア湖の湖水が青く月明かりに光る。アインデッドはついと立ち上がった。ふらりと歩き出して、湖岸の方へ下りてゆきはじめる。深い考えはなかった。ただ、ちょっと湖を見たくなっただけだ。
 後ろで、ルカディウスの声がふっと止み、また単調に始まる。振り向きもせず、木々の間を抜けた。が、すっかり木々の切れる所までは行かず、立ち木に手をついて、眼下に広がるサリア湖を見下ろした。もう、かなり夜は更けている。きらきらと湖の表が光り、細かなさざ波が立つ。
(湖を渡る風は冷たいな)
 また、水の匂いがする。――もうずっと、慣れてしまって気にも留めていなかったが、そうして落ち着くとふっと鼻をついて、この辺りが湖畔の地方であることを彼に思い出させる。
(海を――イェラントの海を、ゼフィール港から見たい)
 ふいに突き上げるようにアインデッドは思った。
(あれは……遠い昔……)
「アイン――」
 ごく控えめな、アインデッドの物思いを妨げまいと怯えてすらいるかのようなささやきだった。
「何だ」
 だが、アインデッドは眉間に暗雲を走らせて振り向いた。
「その――どうしたんだ」
「どうしたって、何が」
「突然、立っていっちまって――俺の言ったことで何か、気に障りでもしたのか?」
「別に、そうじゃねえさ。ただ、ふと、湖の風に吹かれてみたい気分になったんだ。俺がそんなことを思っちゃ、いけねえのか?」
「そ、そうじゃないが、ちっと様子がなんだったんで、心配になっちまって」
「つくづく、お前は心配性の取り越し苦労だな」
 アインデッドはほとんど優しいとさえ言っていいくらいの声で言った。そしてあやしく夜の森の色に光る瞳で、じっとルカディウスの顔を見下ろした。
「――うまくゆくのか。そのお前のたくらみで」
「シェハラザード公女のことか。必ず、うまく行かせてみせる。成算あり、だ」
「サッシャじゃさんざんだったが、どうにかラスで挽回しなけりゃな」
 アインデッドはまた、遥かにどこまでもきらきら光る湖水に目を当てた。その思いは、湖上の虜囚となっている公女のことでもなければまして目前の計画のことでもなく、ただ彼にはもう遠すぎる過去となった、故郷の海に馳せられていたのだった。

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