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 そこかしこで食事をしたためている手下どもに適当に頷きかけておいて、水の中に半分ほど根が没したまま立っている、太い木の根方に身を持たせかけ、なけなしのカディス果を取り出して噛みはじめる。
(ルカの奴、そんなことを吹いてやがったのか)
(けっ)
 カディス果の皮をぺっと水中に吐き捨て、アインデッドは厳しい面持ちになった。
(そりゃ、そうとでも自分に言い聞かせたくもなるような扱いはしてるがな。よもやと思うが万が一、万が一にも奴が本気でそう思い込んでいたりしやがったら――)
(そうしたら、見てるがいいや。どんなことをしてでも、このアインデッド様が本当に、本当は情が深くて、気が優しくて、内気なのか思い知らせてやる)
(ああ、嫌だ、嫌だ。奴は何だか、どこまでも俺に毒だ。きっと前世の因縁やら、相性がよっぽど悪いんだ。まったく……死んでいろ、死ね。エトルリア兵に切り倒されて、運河に浮かんでろ。そうしたらいつまでも、『我が親しき友ルカディウス』と呼んで思い出しちゃ、そら涙の一滴でも流してやらあ)
(しかし、もしどうしても、いつまでも俺にしつこく付きまといやがったら、俺は――必ず俺はきさまを殺すぞ。その時初めて、俺が本当に情が深いのか、内気かどうか、お前にも判るだろうよ――いや、俺だって優しいのかもしれねえがな。それはお前のためじゃねえんだ)
 ――結局、彼は、ルカディウスに愛され、崇拝され、献身的に尽くされているからこそ、ルカディウスに対して殺意を抱かずにはいられないのだった。彼はこの二十数年間、ずっと孤独に、身勝手に、おのれの力一つ、運や魅力ひとつを頼りに生きてきた。駆け抜ける若い狼のように鮮やかに、誰にも縛られることなく生きてきたのだ。
 ルカディウスが彼の夢を分かち合いたがり、全てを捧げ、しかもその代わりに何の報酬も要求することなく、アインデッドのために尽くそうと夢中になっていること――彼のその情熱がアインデッドを縛り付けている。そのことが若いアインデッドの人並みはずれて激しい、昏い炎のような魂を締め付けてやまないのだ。
(俺は、俺を知ってる。俺は冷たくて、非情で、残酷なんだ。必要とあらば、いくらでもそうなれるんだ。俺が少しでも手を汚すのをためらうと思ったら大間違いだぞ。もっとずっと些細な理由で俺は、貴様よりずっとずっと俺にとっては大切な人間を何人も手にかけてきた)
(俺のどこが、そんなふうに見えやがる。お前の目は汚らわしいだけじゃなくて、何も判らねえのか……)
 アインデッドは、二十三の若者にだけ可能なような、激しい燃え盛る怒りにすっかり身を任せてしまっていたので、目の早い彼としては珍しく、湖水を矢のような速さで漕ぎ渡ってくる一隻の快速艇にはあまり気を止めなかった。どのみち、この湖岸にはラスにとサッシャを結ぶ連絡船や荷船がひっきりなしに行き交っている。
(しかし何だって俺はこう、奴が気に食わねえんだろう。苛々するんだろう。気が塞ぐんだろう)
(たしかに奴は役に立たないわけじゃないし、それによくしてもくれる。それに何より、俺にすっかりほれ込んでやがるんだろうが)
(くそっ。それがいけねえんだ。――俺は、情が深いの、内気だの、気が優しいのなんて言われると、虫酸が走る。ましてあんな奴に……そう言われないためだけであっても、いくらでも残酷に、非道に振る舞ってやりてえくらいだ)
「おかしら!」
 アインデッドは、大声でわめきながら駆け寄ってくるシロスの叫びに物思いを覚まされ、むっとしながらそちらを振り返った。
「何だ。俺は今、考え事をしていると言っただろう」
「すまねえ、おかしら。だけどこいつは特別だ。おかしら、来たよ、来たんだ。ルカディウスが!」
「な、何だと」
 アインデッドは身を起こした。手をかざして、きらきら光る湖面を見つめる。青と白に塗った快速艇が一隻、まっしぐらにこちらに向かって漕ぎ寄せてくる。まさしく、そのへさきに這いつくばるように立って、手を振っているのは、巡礼姿のマントを後ろにはねのけたモリダニアのルカディウスだった。
「……」
 アインデッドは、胸の中の息を全部押し出そうとするかのように息をついた。
「な、おかしら。ルカだろ! さすがわれらの軍師だ! ルカはちゃーんと、おかしらがラスを目指すってことを読み取り、まるで申し合わせたみてえに正確に、ここをさして追っかけてきたんだ」
「……まさか、こっちから、合図などしちゃいねえだろうな」
「ええっ。とっくにしやしたよ! なぜいけねえんですかい。ルカが判らなくちゃ、困るでしょうに」
「ばか。――後ろに、追手でもいたらどうするんだ」
 辛うじて、アインデッドは言い逃れた。シロスはちっとも気に留めなかった。
「大丈夫だよ。そんな、へまなモリダニアのルカじゃありませんや。おお、ナウクレルスもいる。ロデベルトもいる。ウィルムトもいる。だいたい何人か欠けたくらいで、またみんな面を揃えたみたいだ。おお、着くぞ、着くぞ。さあおかしら、早く迎えに行って、ねぎらってやっておくんなせえ」
「あ、ああ」
 アインデッドはとりあえず先に行けとシロスをやっておいて、目を細めてそちらを見下ろした。すでに、船の舳先がざくりと音を立てて砂浜に食い込むところだった。それを待つ間ももどかしく、ルカが真っ先に飛び降りる。
(ち――全く、ああいう奴に限って悪運が強えや)
 アインデッドは一瞬の惑乱をどうにか心の奥底に追いやり、博打で鍛えた無表情を作ってから、あまりのろのろと見えぬ程度に、しかし決して駆け寄ることはせずそちらに向かって歩き出した。
 ルカディウスとシロスが手を取り合い、肩を叩き合って喜び合っているのが見える。殺されかけたというのに、シロスは、ルカディウスのことを好いているのだ。それが、アインデッドには不思議でならなかった。
(命冥加な……)
 砂浜に着いたときには、もう何とか、いつもの彼の表情になっていた。
「アイン!」
 ルカディウスの醜い顔がくしゃくしゃに歪んでいる。
「おお――アイン、無事だったのか。俺はどんなに――どんなに心配したことか……」
 人目がなければ駆け寄って、その足にすがりつきたいほどの様子であった。その潰れ、歪んだ顔が明るい湖畔の木漏れ日に照らし出されるのを、アインデッドは醜いな、と思いつつ見下ろした。
(姿だけじゃねえ、心まで歪んでやがるんだ)
 そうも、思った。
(化け物め。――どこまで俺についてきやがる)
「どうした、ルカ。よくここが知れたな。――うまく逃げられたようだな」
 シロスたちの耳をはばかり、ぶっきらぼうに付け加える。
「心配してたんだぜ。あの待ち合わせ場所で、シロスたちを先にやって、おめえらを待ってたところが、残ったカダーイの船頭が、俺を賞金首と見破ってゆすりたかろうとしやがって――しかたがねえからそいつをぶち殺して、運河に蹴込んで、シロスたちと合流したんだ。戻って待とうかとも思ったが、もう一人の船頭も一枚噛んでそうだったからな。戻るに戻れなかったんだ」
「そいつはひでえ目に遭ったな。俺がいりゃ、うまいこと買収してやったんだが」
 ルカディウスは心底、怒ったように首を振る。
「何人やられた。どうやって切り抜けたんだ」
「思ったよりひどかった。五人、やられたよ。――しかし何とかまいて逃げおおせた」
「そうか。ま、お前のことだ。必ず何とかするだろうと思っちゃいたぜ。――飯は、むろんまだだろう。ともかく、こっちに来て一休みしろよ。食い物も、飲み物もあるぜ。ラトキアのカディス酒、はちみつ酒とはいかねえがよ」
「ああ。まず、皆をねぎらってやってくれよ」
 ルカディウスは、一刻でもアインデッドから目を放したくないかのように見えた。くっついて歩きながら、じっとアインデッドを見つめる。あまりに異様な熱のこもった視線にアインデッドは少々閉口した。
「どうした、ルカ。俺のつらに何かついてるのか。それとも、あんまりいい男なんで見とれてるのかよ」
「え、あ、ああ」
 ルカディウスはうろたえた様子で目をしばたいた。
「そうだ、ほんとに、お前が無事で良かった。――お前さえ無事なら、俺は何も言うことはない……それに、本当に、お前はいい男だよ、アイン」
「馬鹿か、お前は」
 アインデッドは皮肉な笑みを浮かべた。それへ、聞こえるともなく、ルカディウスは低く独りごちた。
「あのカダーイの船頭の死体を見つけたもんで、何かあったろうとは思ってたが、無事でよかった。俺がもし奴を見つけなければ、置き去りにされたんじゃないかと疑ってたぜ……」
 アインデッドは、横目でルカディウスを見た。
「何か言ったか、ルカディウス? 聞こえなかったぜ」
「何も。そいつは、空耳だろう、アイン」
「そうか。そうだな。さすがに寝不足で疲れてるんだろう。一晩カダーイに乗り詰めだったからな」
 ティフィリスのアインデッドと、モリダニアのルカディウスとは、互いに腹に一物を秘めたまま、いかにも信じきった主従らしく、日の当たる斜面を登り、窪地のほうへと歩いていった。
 その夜であった。
「俺は、全部調べてみた」
 また再び、幾人かは失ったものの潜入部隊の全員が一つになり、ようやくすっかり落ち着きを取り戻した赤い盗賊たちは、窪地で野宿の用意を整えて、火を囲んでいた。
 焚き火には、串に刺された魚がじゅうじゅうと焼けている。うまそうな匂いが立ち込める。木々の間に煙と、パチパチはぜる音、じゅうじゅういう音が流れ、静かな森影の夜空に吸い込まれてゆく。
 焚き火はてかてかと赤黒く盗賊たちの顔を照らし出し、それはまるで悪鬼の群れかと思わせた。つぼの酒が次々と回し飲みされる――それは、ルカディウスが手筈をして、ラスの様子を探りに行かせた手下が買い求めてきたものだ。
 人々はようやく、何もかもをルカディウスの采配に委ね、すっかり安心して、寛いでいるようであった。アインデッドにはこの、信頼の明らかな証拠にひそかに腹を立てていたが、しかしルカディウスがそういった点では抜け目ないのだということをどうしても認めぬわけにはいかなかった。
 野営地に関しては、これは傭兵稼業の長いアインデッドが選んだ場所がまあ最適だろうということで変更はされなかったが、ルカディウスは分担を決めて手下たちをラスの様子を探りに行かせた。
 そんなことぐらい俺だって命じたぞ、とアインデッドにしてみれば言いたかっただろうが、彼の部下たちは所詮盗賊上がりでそう目端の利くものはおらず、ただ行ってこいと言っただけでは朝食の食料を買いに出ただけ程度にしか役に立たなかったのである。
 ルカディウスの方はちゃんと一人一人を呼び寄せて、食料を買いがてら市場で聞き込みをしてくるもの、居酒屋で街とラスの様子を探ってくるもの、変装用の衣類を整えてくるもの、周辺の地理を調べるもの、などを分けて命を下し、いぶかしまれたらどのように申し開きをし、どこに逃げて合流するかまで細々とした注意を与え、それぞれに金を持たせて出してやった。その上、少しずつ「まあ一杯」飲んでくるといい、と駄賃の金をやることまで忘れなかったのである。
 それでルカディウスの来たことはいっぺんに事態を進展させ、ルカディウスはその日の夜までに、すっかりこの先の計画を立ててしまったのであった。
「俺は、いろいろ手に入れた情報をもとにして考えてみたんだが」
 ふてくされたアインデッドが少し離れたところで木にもたれて座っているのを気にしながら、ルカディウスは言った。
「どうやらラスでは、とても監視が厳しく、簡単に水上の白亜宮にもぐりこめるような手段はないらしい。やはりエトルリア大公は、シェハラザード公女をラトキア再興を狙う連中に奪い返されるのを何よりも恐れているし、また噂では自身の息子と弟にシェハラザード姫を奪われるのを恐れ、それでこんなわざわざサッシャを離れた所に公女を軟禁しているらしい。白亜宮には毎日、物資の補給の船が出入りしているが、それは全て衛兵に厳重に調べられ、また出入りのお墨付きを持った商人ばかりで、これに化けてもぐりこむことはかえって危険だろう。
 また、公女の側近というのも、ただ一人、ラトキアから連れてこられた侍女を除いては、残らず大公のつけた侍女、衛兵、番兵ばかりで、その意味ではたしかに公女は愛妾とはいうものの、その身分は全く虜囚と変わりがない。また、公女は自由に外出することを許されてない。大公と夏ごろに一度旅行をしたそうだが、それ以外には町中に姿を見せたこともない。バルコニーに立ったことさえも一回もないという話だ」
「それじゃ、公女にこっそり会って、ラトキア再興に力を貸す、なんて吹き込むなぞ、とんでもねえ話じゃねえか」
「しっ、声が高いぞ、ワルド。――ま、たしかに、お前らならばそう思いもするだろうな。ざっと聞いたかぎりじゃ、とても簡単に公女に近づけそうにないようだからな」
 ルカディウスはわざとらしく一つ咳払いをした。
「しかし、違うんだな、これが。俺などの目から見ると、ただの事実もそれだけじゃない。ちゃんともっと別の、利用できるようなことを隠し持っている、ということが判るものなんだ」
「自慢はいいから、続けろよ」
 また焚き火を囲む輪の中から声がかかる。

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