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                                *



 物思いに沈んでいるアインデッドをちらちらと見ながら、残された二人の船頭はひそひそと何かを話しているようだった。
「だんな、ちょっと」
 やがて、アインデッドの小暗い物思いは、船頭の声で破られた。
「何だ」
 アインデッドははしごを下り、狭い石垣の下段に飛び下りた。残した二隻のカダーイは岸に横付けして、その上で船頭たちは波にゆらゆらしながら煙管をぽかりぽかりとくゆらせていた。
「そんなところで待っていなさらんと、乗って待ってたらどうです」
 訝しげに二人の船頭を見やったアインデッドだったが、何か思うところにゆきあたったらしく、頷いた。
「それも、そうだな」
 アインデッドは一つのカダーイにひらりと飛び移った。海の国ティフィリスの少年だった彼である。アインデッドが乗ると、カダーイの船頭は仲間にちらりと目配せした。もう一隻のカダーイは頷いて棹を取り直して、たちまち反対の方向に漕ぎのぼっていってしまった。
「待てよ、おい」
 アインデッドはそちらのカダーイに飛び移ろうとしたが、アインデッド一人を乗せたカダーイも、なめらかに水流の真ん中に押し出された。運河に飛び込むことになってしまうので、彼は諦めた。
「出せなんて、俺は言ってないぞ。岸に戻してくれ」
 船頭はにやりと笑った。
「ああもちろん、戻すとも。しかしその前に、ちっと二人だけでしたい話があるんでさ。それが終わりゃ、どこにだってつけてやるさ」
「――何の話だよ」
 予想はつきながら、アインデッドは知らぬていを装って尋ねた。
「だんなも若えのに、相当な悪だね」
「何が」
「あんさんが誰だか聞いたよ、さっきの男に」
「俺が、何だって?」
「レント街道の、赤い盗賊アインデッド。街道警備隊が血眼になって探してるってえ極悪人だ」
「……」
「若えとは聞いてたが、まさかこんな若えとは驚いたね、全く。……それに悪い、悪いと聞いてもいたが、ここまで悪いたあね」
「俺の、どこが悪いってんだ」
「様子で知れようじゃねぇか。あんさん、残りの仲間を一人で待つとか言ってたが、実のところはそいつらを皆殺しにしちまおうって腹だったんだろ。誰か、中に、消してえ奴がいるんだろう」
「そんなこたあ、知らねえな」
「まったく、大きなお世話だってこた、百も承知だがね」
 髯面の船頭は白い歯をむき出して笑った。
「自分の部下を手にかけるのは、いくら悪党でも寝覚めが悪かろうが。しかし運悪く船がなくなってて、とっつかまっちまうってなら、あんたが手を汚すこともない――それほど心も痛まねえだろうがよ」
「うるせえな、さっさと戻せよ。俺につまらんごたくを並べるな。俺は、お前の思ってるようなことは考えちゃいねえ」
「ふうん。それならそれで、この話はいいとして。ところで――あんさん、幾つだい。――見たところ、二十を五とは出ちゃいるめえ。けど、もうすでにこんなサッシャの町なかでさえ、ずいぶんと結構な噂を聞くぜ。――おめえのその首に、エトルリアと、クラインの両方から、三千インと三百デナールの賞金がかかってんだってなあ。へええ――大したもんじゃねえか。その若さで、その首一つ、三千イン、三百デナールかよ。こちとらしがねえ水すましだ。一生かかったって千インのつらだって拝めやしねえ」
「お前」
 アインデッドは静かに言った。
「何が言いたい?」
「その二十人は首尾よくくたばるとしても、残りの、先に行った連中が、自分たちのおかしらがそういう血も涙もねえやつだと知ったら、どう思うかねえ?――それともここは運河だ、おいらが道を間違えて、兵士たちの詰所に近寄っちまうかもしれねえなあ。俺ら、一人あたま五十インで雇われたが――そう思うと、五十インもらっても、ちょっとばかし、なあ――」
「引きあわねえかよ」
「まあな」
「お前」
 アインデッドはゆっくりと立ち上がった。
「このティフィリスのアインデッドをゆすろうたあ、大した度胸をしてやがるじゃねえか。――名を聞こうか」
「シューよ」
 シューはゆらゆらと船を揺らせてみせた。
「おっとっと、おっかねえ、妙な気を起こしちゃいけねえぜ。何たって、陸の上じゃねえんだからな。ここはサッシャの運河の上だ。船の上で暴れると、カダーイはもろいもんだから、簡単に引っ繰り返っちまうぜ。レント街道の上じゃおかしらか知れねえが、船の上じゃあ勝手が違うだろう。ほらほら。おっとっと――おめえが乱暴に立つからカダーイが揺れるぜ」
 わざとシューは激しく船を揺らせた。
 アインデッドはよろめいて、ぺたりと船の床に座り込んだ。
「危ねえっ」
 声を高くして言う。
「――たしかに、おめえの言うのがもっともだな。口止め料に五十インで安けりゃ、どのくらい欲をかこうってんだ」
「一千」
 シューはにやりとした。
「三千インの賞金首だ、そのくらいのこたあしてもらっても罰はあたるめえ。お前さんと二人きりになれたが幸いだ。一千揃えてくれりゃ、あんたと部下たちを乗せたことは、未来永劫黙っててやるぜ」
「そうか。よし。決まったな」
 アインデッドはかくしを探りながら、カダーイのともの方へ、中腰でいかにも船に乗り慣れておらぬように近づいていった。
「そら、一千インだ。とってくれ」
「おっとこいつあ――」
 すまねえ、とシューが言い終えることは、永遠になかった。目にも止まらぬ勢いで、アインデッドは短剣を引き抜きざま、体ごとシューにぶつかっていった。
「グワッ」
 押さえつけた口から呻きが上がった。シューの胸から血潮が吹き上がる。とどめにアインデッドは抜いた刃でシューの喉を横に薙いだ。はでな血しぶきを上げ、シューは空を泳ぐようにもがいて運河の中に仰向けに落ちてゆく。
 アインデッドの体もそのまま水中に飛び込んで、派手な水音をあげた。体中に浴びた血を落とすためにいったん水中に没したが、すぐ浮き上がり、短剣の柄を口にくわえて立ち泳ぎをしながらそのへんを見回していたが、ぷかぷか浮いている棹を見つけるとすばやく泳ぎ着いて棹を掴み、船へ泳ぎ戻る。
 水を滴らせながら軽々と這い上がると、ぎゅっと服の裾をしぼり、短剣を拭いて鞘にしまい、髪の水を絞った。
「ばかやろうが。――何のために、ひとの二つ名にティフィリスとついているのか、それさえ判らねえのか。――ゼフィール港で産湯をつかったティフィリスのアインデッドにくだらねえちょっかい出しやがって……せせこましい運河の中しか知らねえ水すましが」
 濡れてべったりと顔に張り付いた前髪を振り払い、アインデッドは呟いた。
「けど、まあ、考えようによっちゃこいつで助かったかも知れねえ。さすがに二十人、殺すのと見殺しにするのとじゃ、違うからな」
 棹を取り直し、しずくを切って、たちまち慣れた手さばきでカダーイを操って、約束のディマ橋まで追いついた。
「誰だ?」
「シロス、そこか」
「あっ。おかしら。――お一人で? やや、そのお姿は、どうなさったんで」
「今話す。ちょっとそっちの船に移らせてくれ。それと、船頭さん、ちっとやばくなってきたんだ。もう連れを待ってる暇はねえ。船を出してくれ」
「へい。どこへ」
「とりあえず――」
 アインデッドはまた滴ってきた髪の水を絞った。
「サリア湖の方へ漕いでってくれ」
「ようがす」
「おかしら!」
 慌ててシロスは他の者に服を脱がせた。
「いったい、こいつは」
「ひでえ目にあっちまったぜ」
「とにかく、風邪をひいちゃあいけねえ。ありあうとこで、ワルラスのチョッキとイェヒューのズボンでもつけてておくんなさい」
「ありがとよ。イェヒュー、ズボンをとっちまって悪いな」
「お頭、これは――」
「ルカたちを待ってたらな」
 アインデッドはいくぶんかせわしなく瞬きした。
「残したカダーイの一方の船頭が、もう一方を追っ払って、こともあろうに俺をゆすりやがってさ」
「何だって。お頭を、ゆすった?」
「そう。俺が、街道警備隊で三千インの賞金首だとか、金を出さなきゃ俺を市内警備に連れてくだのと言ってな。といって金の持ち合わせはねえし――それで、船頭ともみ合ううちに運河に落ちてこのざまさ」
「だから、おかしらを一人で残してゆくのは心配だったんだ」
「なに、こうして無事だったんだからいいじゃねえか、シロス」
「しかし、そん畜生に訴えられたら……」
「だから」
 アインデッドは船頭に見えないように、親指を自分の喉に向けて、シュッと横に弾いてみせた。
「心配いらねえよ。な」
「あ……」
 さては、やったな、という顔で、シロスたちが背後を見る。
「でも、じゃ、ルカは――」
「しかたねえだろ。どうせもう一方も示し合わせてたんだろうから、戻ることもできなかったし。あいつのことは心配するな。どうかして切り抜けるだろ」
「し、しかし」
「おい、シロス」
「へい」
 アインデッドは何となくむっとして、冷たい目を向けた。
「誰がお頭なんだ? お前か、俺か?」
「そりゃ、お頭でさあ」
「じゃ、色々考えるのも俺に任せておきな。土食らいのヘルにかけて、おめえの頭であれこれ考え回したところで、何の役にもたちゃしねえよ」
「そりゃそうだが――しかしそれじゃ、これからどうしようとおっしゃるんで……」
「だから、俺にも考えがあるって言ってるだろうがよ。とにかく、サッシャは出ないとまずいからな」
 アインデッドはともの方に向かい、声を張った。
「船頭、よろしく頼んだぜ。――ラスだ。この船はラスにつけてくれ!」

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