前へ  次へ


                                    



(なるほど)
 腰に布を掛けただけの逞しいすらりとした裸のまま、顎を撫でてアインデッドはひとりごちた。
(その水上離宮とやらに、幽閉がてら住居をあてがったのは、まさしく俺のようなやつをめったに近寄せねえためってわけだな。――敵も考えてるわけだ。たしかに、それは厄介なことだな。ただでさえ、そう簡単に近づけるとは思っちゃいなかったが――。いや、そうでもない……のかもしれない。かえって、サッシャの雪花宮にいた方が、よけい忍び込みにくいか――サリア湖の中の離宮となれば、物資は全て船で運びこまなきゃならんだろう。とすると……)
(ルカに一つ、手立てを考えさせるかな)
 ともかくも、会ってしまえば何とかなる――と、あくまでもアインデッドは楽観的に考えている。
 べつだん何一つ、計画があるわけでも、準備があるわけでもないのだ。が、彼は二十そこいらの公女などという世間知らずの姫君なら、一目自分を見れば、その場で恋に落ちて自分の言いなりになるはずだ、と、なかば本気で信じているのであった。
(何しろあのジャニュアの王女でさえ、そうだったんだからな)
 女たちが聞いたらずいぶんと腹を立てそうな事を彼が熱心に考えまわしていたとき、ドアが開いてフェイが入ってきた。
「あんたにお客だったわ、エンディート。下の客間で待ってるわよ」
 ちょっと口ごもって付け加える。
「何か――ずいぶん妙な知り合いを持ってるのね。ヤムの巡礼のなりはしてるけど、あれがそうじゃないことぐらい、賭けたっていいわ。あんな巡礼なんていやしないわ。それに……そのう、ずいぶん怖い顔してさ」
「ああ」
 アインデッドは跳ね起きて、服を身につけ始めた。
「わかったよ、どいつだか。用があったらここに来るように言っといたからな。なーに、怪しい奴でも何でもねえ、かわいそうな奴なんだよ――ちょっとした、子供のころの事故でな。あんな顔はしてるが、悪い奴でも怖い奴でもねえよ、安心しな」
「あやしいって言や、あんたの方だってよっぽど怪しいもんだわよ、エンディート」
「ち、なーに言ってやがる。――下の部屋だな。いい子で待ってろよ、フェイ。どこにも行くんじゃねえよ」
 ひょいとフェイの額を指ではじいておいて、上着を引っ掛けながらアインデッドは飛び出した。案の定、一階に設けられたこういうときのための面会室で待っていたのは、ルカディウスの陰気くさい姿であった。
(なるほど。言われて見れば、こいつはすげえ顔をしてやがる)
 改めて、正面からルカディウスをじろじろと見回したアインデッドは、内心密かにつぶやいた。
(ふつうは男の不細工なんざあ、三日もすりゃ見慣れちまってどうということもなくなるもんだ。男は、面よりゃ人物――頭、器、腕だからな。だがこいつときたら、目が行くたびにぎょっとしやがる。顔の傷のせいじゃねえ。もっとすげえ面した奴だって、俺は知ってるからな。こいつは――こいつの雰囲気が、歪んで醜いふうに思える。もしこいつに傷跡がなかったとしても、俺はそう思ったろうな)
 アインデッドがそんな事を考えているとも知らず、ルカディウスは急いでアインデッドの方に寄って来て、声を落とした。しばらく離れていたので、ルカディウスはアインデッドに会えてひどく嬉しそうであった。
「何もなかったか。――どうも面白くない形勢になりそうなんで、嫌がるかなとは思ったんだが、思い切って来てみたんだ」
「何だよ、手が見つかったって報告じゃねえのか」
 アインデッドはつまらなさそうに言った。
「いいから早く言えよ。上で女がお待ちかねだ」
「その……」
 ルカディウスは気を取り直した。
「ちょっと妙なことがあってな。大公の兵士らしいのが、あちこちで俺たちのことをかぎまわってる」
「何だって」
 アインデッドの声が変わった。
「それはどういうことだ。このサッシャまでは、まだ俺の名はともかく、風体まではとうてい届いちゃいねえはずだぜ」
「だから、どうも判らんのだが」
「わからんだと。わからねえですむか、この能無し。何のために軍師でございとほざいてやがるんだ、貴様は」
「い、いや――だから、一応相手のことは調べた」
 ルカディウスは思わず吐息をついた。
「それがどうやら、俺たち――というよりアイン、お前のことを嗅ぎまわっているのは、ハン・マオ公弟の手のものらしい」
「ハン・マオだと」
「そう。この間、大通りで行列と行き合った」
「あの野郎」
 アインデッドはぎゅっと唇を引き結んだ。そうすると、いかにもまだ少年めいた、やんちゃそうな顔つきになった。
「人に目を付けやがったな。そう切れるって話も聞いてなかったが、一応は大国エトルリアの王族、ただのバカじゃねえってわけだ」
「お前はとてつもなく目立つんだよ、アイン」
 ルカディウスは、あまり歓待されなかったことも忘れて、思わずうっとりと、あからさまな称賛の目つきで薄明かりに浮かび上がるアインデッドの厳しくなった顔を見つめた。それは、いかにも若々しく、精悍で、生き生きとしていて、たしかに彼の言うのも、まんざらひいきの引き倒しとばかりは言われなかった。
「一目見ただけでも覚えられちまうこと疑いなしだし、第一、どう見てもただものには見えないんだから。――だからあの時、おとなしく頭を下げていれば……」
「うるせえ。終わったことをぐちゃぐちゃ抜かすな」
 アインデッドは吐いて捨てるように言った。
「で、どのへんまで手が回ってるんだ。シロスたちは大丈夫か。ここにいると、やばそうか」
「シロスの方は、まったくこっちとの関わりはかぎつけられてない」
 ルカディウスは言った。
「俺も、どうやら変だと見てから、ずっとねぐらは定めてないから――しかしこのヤムの巡礼のなりは、当分町なかじゃ使わないほうが無難だろう。そろそろ動き出すつもりでいたんだが、もう二、三日待ってくれ。その分の金は今日持ってきた。――新しい変装を調達してくるまで、巡礼でなく、巡礼のふりをしている傭兵だ、くらいに言ってごまかしといてくれ。俺の方は、何とかもう少しで例の方面への目処も立つかもしれないところなんだ。ちょっと面白い話を聞いた。今、例の女はラスに幽閉されてるそうだ」
「ばかか。そんなこと、とっくに知ってらあ」
 アインデッドは舌を出しかねない勢いで言った。
「そんなことを探り出すのに、三日も四日もかかるのかよ」
「そうじゃない。――なあアイン、頼むから、そういちいち意地悪を言わないでくれよ。こっちだっていろいろ大変なんだから」
 ルカディウスは口をつぐんだ。アインデッドの冷ややかな目に見据えられて、気がくじけたのだ。
「俺の根性が悪いのは生まれつきだ。こっちが頼んでいてもらってんじゃねえ。嫌ならよしゃいいだろ」
「またそういう――悪かったよ、アイン。もう三、いや、二日だけ待ってくれ。たぶんそれで、何とかあっち方と連絡がつけられると思うから」
「――お前は、どこにいるんだ」
「今言ったように、決めてない。が、シロスの所には一応、朝晩に顔を出して、その時にその日の居場所を言ってる」
「ああ、わかった」
「今は、この中が一番安全だと思うから、もうしばらく――」
「くどくど同じ事を言うんじゃねえよ。早く行けよ」
 アインデッドは鋭く言った。そして、蔑むようにルカディウスを見やると、もう彼の言葉を待ちもせずに、とっとと出て行ってしまった。
 その、翌日の夕方であった。
 フェイが食事の用意を整えに下に行っている間に、アインデッドはまた一人で、ベッドに転がって考えにふけっていた。どのみちこの部屋に家具というのは、ベッドの他にはテーブルと、椅子が二つしかないのだから、ベッドの上にいるか、椅子に座っているかしかないのである。
 もう居つづけて四日になる。さすがに退屈もしはじめている。何をするでもなく髪の端をもてあそびながらアインデッドが考えているのは、目前の大事であるシェハラザードとのコネクションのことでは実はなかった。彼が考えていたのは、モリダニアのルカディウスのことであった。
(どうも、いけねえな)
 アインデッドは昔から、熱心に考え事をすると独り言を言う癖がある。
(これでもう何ヶ月がとこ、奴と組んでるが――どうもいけねえ。……奴と俺は、本当は相性が良くないんじゃないかって気がしてならねえ。――こんなふうに気に障る奴ってのは……まああのアトだの、マリエラなんかとも、うまが合わなかったが、それともどうも違うな。――マリエラにせよ、アトにせよ、向こうもこっちをそう好きってわけじゃなかったしな。ルカの野郎は、確かに俺を好いてる。男になんざ、好かれたくもねえのに。――いや待て、それとも何か違う。俺を見るときの奴の目は、惚れてるとか好きとか、そんな目じゃない。俺を通して、何か別のものを見て――それに執着してる目だ、あれは。それが気持ち悪いんだ)
(俺が好きなら好きでまあ、それは対処のしようがあろうってもんだが……奴は、俺をその執着してる何かのうつし身か、そんなもののように見てるからたちが悪い。俺は、俺に自分の望みを勝手にかけられることほど、嫌いなことはねえんだ。――こいつは、早いとこ手を切るか、追っ払うか……厄介払いしたほうがいいのかな。とにかく嫌な気がしてならねえ。俺はいつだって、自分の直感ってやつは信じてきた。そいつの言うことだけは理屈ぬきに聞こう、とな。そいつが俺を今日まで生かしてきた。しかし、やつ――そうあっさり、追い払えるかな)
(まあ……どうしてもとなりゃ、その時には……)
 アインデッドの細めた目の中に、物騒な光がきらめいた。その時、ドアが開いて、食事の盆を持ったフェイが入ってきた。
「遅れちまってごめんなさいね。やっとできたわよ――お腹、すいた?」
「いや、まあまあだ」
「どうぞ。おいしいわよ」
 フェイは盆をテーブルに置いた。盆の上にはエトルリア風の、香料のきいたごった煮とスープで炊いた米、それに果物や酒が盛り合わせてある。
「ねえ」
 フェイは、さっそくがつがつと食べはじめるアインデッドを上目遣いに見上げた。
「ああ」
 食べるのに夢中のアインデッドは生返事をする。
「あんた、エンディート……って、偽名でしょう?」
「何でそう思う?」
「だって時々、呼んでも答えない時があるし――ううん、別にどっちだってもちろん、いいんだけどさ……ただ、さ」
「ただ、何だよ」
「何か、変なんだもの」
「変って、何が」
「公弟の兵士がラティーナの娼家を一軒ずつ調べ回ってるって、さっき下でおっかさんに言われたんだ。もし、今の客で様子がおかしいのがいたら、うちに迷惑がかからないようにうまく帰すか、逃がすか、隠すかしないとまずいから、それとなく様子を見てみろってさ。あんまりないことじゃないけど、人殺しとかそういうのなら、まず店のほうにこっそり人相書きが回るからさ……何かありそうだと思って」
「……」
 アインデッドは、煮込みをすくったスプーンを宙に浮かせ、思わず考え込んだ。

前へ  次へ
inserted by FC2 system