前へ  次へ

     この時リウドルフ王は
     王子の運命を知りたいと望み、占い師を招いた。
     偉大な占い師、ゴッドフリートは
     まだ名もなき王子の運命を占い、告げた。
     ――彼の運命はただ一つ、乱にありてはこれを治め
     治にありてはこれを全きものとするだろう
     そこで彼は唯一の運命(アインデッド)と名づけられたのだった。

                 ――アインデッド王のサーガ





     第三楽章 唯一の運命




 そして――
 たちまち、ルーハルの山塞は鼎の沸くような忙しさと、大騒ぎの中に包まれたのであった。
 本格的な冬まではまだあるというものの、やはり山間の寒気厳しい晩秋、初冬の出立である。
 第一陣としてアインデッドとともに出発する、アインデッドとルカディウスがよりすぐった二百人のために、居残るものたちは毛皮を縫い合わせてマントを作り、寒さ避けのテントや馬に掛ける布、また長靴の内張りをした。兵糧にする鳥や獣を狩って、肉をいぶしたり、漬けたりしなければならないし、いくらかは金子も入り用だった。それは隊商や旅人を襲って奪い取らなければならない。
 そうした物騒な用件も含めて、やることは幾らでもあった。とりあえず第一陣が出発してから、しばらくして迎えか知らせが来たならば残留部隊が発つ、ということに話が決められた。
 始めから、わりあいに監視の厳しいエトルリア国境を大人数で移動するのは人目につきすぎだし、アインデッドにしても、やっと胸に生まれかけている、まだきわめて漠然とした計画がうまくいくかもわからぬうちから、そう大人数をずっと食わせていく目算は立っていない。
 しかしアインデッドの様子を見たかぎりでは、そんなあやふやな計画の成り行きに、少しでも彼が不安や疑いを抱いているとは到底見えなかった。彼はずっと人々の先頭に立って、兵糧作りのための狩りから干し肉作り、ちょっとした強盗行まで、こういってよければ、とてもよく働いた。
 いつも楽しげでたえず冗談を飛ばし、人々を力づけ、共通の目的に向かって駆り立てつづけた。実際には彼は、自分の作った足場がまだ相当にあやふやで心もとないものであることをきちんと承知していたので、かなり意識してそのような印象を与えようと努めていたのだ。
 それで、夜遅く、彼の部屋に戻ってルカディウスと二人きりになると、大抵とたんに彼の眉間には険しい皺が寄り、疲労と気疲れからおそろしく気難しく、怒りっぽく、残酷になった。しかし彼がそうした一面を見せるのはルカディウスにとってだけで、他の人間の前に出るときには、たちまちそれはまた、いつもの、陽気でしたたかで、頼もしい首領の顔に取って代わられるのだった。
 人々はせっせと働いたので準備は着々と進み、旬日を待たずしてすっかり出発の用意は整った。同時に居残り組の、春までを静かに過ごす冬ごもりの準備も整ったのである。ルカディウスが何くれとなく細かに気を配って指図したので、彼らがかなり派手に資金稼ぎをしても、街道警備隊の知るところとなって軍勢がルーハルに押し寄せる、という気づかいもなかった。
 こうなってみると、ルカディウスの希望はただひたすら、次に彼らから援軍の要請が来るまで、残留部隊が無事に、内紛も外部との争いもなしに待っていてくれることだけであった。
 用意が整うと、また盛大に宴が張られた。また人々は、この冬の退屈を一気に吹き飛ばすかのように飲み、食い、騒いだ。そうしていまや英気と期待ではちきれんばかりになっていた。
 これがルカディウスとアインデッドの待っていたものであった。その機を逃さず、冬の始まり、奇しくも旅人の守護神であるエレミルの月の或る日、先発部隊に出発の命令が下った。
 すでにずっと彼らは、引き絞られた弓につがえられた矢のように、満を持した状態にあった。早朝、女たちの祝福を受け、すっかり用意のできた荷を馬に積み込んで、彼らは静かにルーハルの山塞を発った。
 次に残された部隊がここを発つときに、この山塞は完全に放棄される予定であったから、事実上この出発は彼らにとってルーハル砦の見納めであった。しかし彼らは若かったので、そのことにもほとんど何の感傷も抱かず、ごくあっさりとそれに背を向けた。
 彼らは、高く青みの薄らいだ冬の空のもと、さくさくと枯れ草を踏み、鳥たちを驚かせて梢からばたばたと飛び立たせながらルーハルの森を真っ直ぐ北に向かっていった。森は深く、横に何列にもなって動ける道はまったくない。彼らはある所では馬から下りて手綱を取り、ある所では馬にしがみつくようにして、長い一列の蛇のように細い森の道を分け入っていった。
 彼らの後ろで名残惜しげに手を振っていたルーハルの山塞組の姿もすぐに見えなくなり、声も聞こえなくなった。アインデッドは休みも取らず、ずっと彼らを急がせた。
 そうして、もうすっかり街道から離れた、そろそろ山奥のルーハル湖も近くなろうという頃になって、ちょっとした林の合間の広くなった場所を見つけると、彼はやっと止まるように命じた。広くなったといったところで、何分ルーハルの森の中のこと、せいぜい少しばかり木々の間隔がまばらな一帯というだけのことである。
 そこに馬を止め、いったん全員が馬から下りた。
「聞いてくれ、皆」
 そこに二百人の仲間を何となくたむろさせて、アインデッドはそう切り出した。
「俺が何処に行って、何をどう、誰を相手に戦うのか――と、まだ何も打ち明けないうちから、よくぞこうして、俺に命を預け、ついてきてくれた。この事は俺は決して忘れねえ。が、今はもうおまえたちに、何も包み隠すいわれもねえ。ここで、俺の胸深く秘めた国盗りの計画を打ち明けようじゃねえか。それは――」
 アインデッドは、皆が固唾を呑んで耳をそばだてて待っている静寂の中、ゆっくりと彼らを見回して、言った。
「俺はこれからエトルリアの首都サッシャへ行く。その時にゃ、人目に立つから、お前たち全部は連れてゆけねえ。うまいところを探して、待って、用意をしててもらわなきゃなるまい。むろん、お前たちにしてもらいたいことはたくさんある。が、そいつは後の話だ。俺は、まずサッシャに少人数でもぐりこみ――サッシャに監禁されている、ラトキアの公女シェハラザードを救い出す」
「……」
「そうして、シェハラザード公女を錦の御旗にかついで、エトルリアの勢力圏を抜け、フェリス地方に入り、そこでラトキア再興ってのろしをあげる。――もう判るだろう。俺とルカの目指す、盗んでやろうって国はまさしくラトキアのことだ。俺はシェハラザード公女をかついで一旗あげ、ラトキアの国主になってやろうってんだ!」
 人々はどよめいた。
 あるいは中には、おそらくそんな事だろうと察しをつけていたものもいたかもしれないが、しかしこうして改めて大胆不敵の計画がその口から語られてみると、彼らは弱冠二十三歳のこの首領の、輝く虹のような気概に引き込まれるように目を見張り、心を震わせてアインデッドを眺めた。
「俺はルカと二人で、よくよく考えてみた」
 アインデッドは、今度はごく慎重に言葉を選びながら続けた。
「お前たちの今の兵力がありゃあ、自由国境地帯に一大勢力として根を張り、どこかの地方一つくらいを手に入れることだって簡単だ。エトルリアもクラインも、外憂や、国内が落ち着かず、自由国境地帯の治安にまでそう多くの兵力を割いていられない。ある大きさ以上になっちまえば、どの国も諦めて、こっちと折れ合い、いってしまえば小さな地方国家として我々が朝貢するなり、そこまでしないまでも、あまりひどく楯突かぬかぎりは、存在することを認めてくれるだろう。――そうやってやっていくつもりなら、いますぐにだってできるんだ。しかし――」
 アインデッドは鋭く、人々を見回した。
「そんなけちな分け前を手にしたところで、一体どうなるというんだ? もう今は、あの伝説の暗黒時代、乱世、戦国の世の中じゃねえ。――クラインも、エトルリアも、メビウスも、ペルジアも、草原や沿海州の国々も、みんなしっかりとできあがっちまってる。よっぽどのことがないかぎり、一朝一夕でこいつは覆せやしねえ。これからますますそうなるだろう。古くからある国はますますしっかりと地歩を固め、俺みてえな――野心を持つ人間はますますのし上がりにくくなってゆくってことだ。
 だが、これは最後の好機だ。そして俺は、そいつを掴む奴になる。俺の思うには、たとえ今の俺の倍、いや十倍の兵力、金力、勢力があったとしたところで、おそらく新しい国ができるのを列強に認めさせることは無理だろう。むしろその兵力や財力が強いほど、列強は均衡が崩れるのを恐れて、力を合わせてその新興勢力を潰しにかかるだろう。
 だが、もしここに一つの大義名分――たとえば、失われたラトキアの再建というような――そんなものがありゃあ、列強としたところで、むげに寄ってたかって叩きつぶせねえ。無法にもラトキアに攻め込んだエトルリアに、一言の抗議すらしなかった負い目もあるだろうからな。
 俺は、そこをうまくついてやるつもりだ。むろん、シェハラザード公女からあらかじめ、俺と共に動くという約束を取り付けているわけじゃない。なぜなら俺は沿海州のアインデッド――中原のラトキアに剣を捧げたことはない」
 そう言うと、アインデッドは、まだ手もかけぬ夢の果てを恐れたかのように、かすかに身を震わせた。しかし周りはとても冷え込んでいたこともあって、それはほとんど人々の目にはとまらなかったし、とまったとしてもあまり気にされなかった。
「だからシェハラザード公女が俺を杖柱と頼ってくれるかどうか、そいつが一番でかい賭ってもんだが、だがなーに、俺は昔から女にはめっぽう強かったんだ。必ず俺の弁舌と魅力とで公女をおとしてみせるさ。そして公女さえこっちにつきゃあ、俺は堂々と旗揚げができる。そうすればラトキアの残党も続々集まってくるだろう。ある程度の勢力が集まり、そこにラトキア再興の大義名分があれば、列強だってただの謀反、匪賊と処分するわけにも行かなくなる。
 クラインは常に不干渉主義をとっているし、そもそもエトルリアとは仲が良くない。ぺルジアはメビウスとの戦後処理に忙しいし、メビウスにしても自国に累が及ばねえ以上、わざわざゼーアに再度派兵しようとはしないだろう。沿海州にしても、さきにはラトキアを見殺しにしたが、それが再興するのを助けはしなくても妨げはしないだろう。そして草原が介入してくるいわれはねえ。つまり俺たちが相手にしなきゃならないのはエトルリア一国だけ――これは充分に戦えると俺は読んだんだ。そうしてこのたびの出陣となったわけだ。――判ったか、皆?」
 人々は、アインデッドが話し終わったのかどうかを探るように、しばらくじっと待っていた。それから互いに顔を見合わせた。互いが今の話を、それぞれどう感じたのかを知ろうとして。
 ともかく、この話がいかに突拍子もなく、大きな賭であったところで、すでに彼らはアインデッドについてゆくと誓っていたのだし、それにたしかに、ルカディウスとアインデッドが二人して考え抜いただけあって、この話はいかにも冒険ではあるけれども、しかし確かさ、これは成功するかもしれないと思わせる真実味をはらんでいた。
 ことにアインデッドが熱っぽく、力を込めて語るとき、それはたしかにこの若者ならばあらゆる困難と障害を乗り越えて、この位の仕事はしてのけるかもしれない、と思わせるだけの力と熱を持っていたのだ。
「ど――どうせ、あのまま山にくすぶってりゃ、地方の匪賊でお終いだ」
「そうとも。男なら――やってみるしかねえ」
 しだいに、さざ波が広がるように、そうした囁きが二百人の盗賊の間に広がった。
「第一、いまさら止める、抜けるったって、送られて出陣してきてるんだ」
「アインデッドには、充分勝算があるんだ。でなけりゃ、こんなでかいことを始める奴じゃねえ」
「ラトキアの国盗りか――面白え。もし成功すりゃ、おいらもお前も、ラトキアの貴族、大将軍ってものだぜ」
「こいつぁひとつ……」
「力を貸してくれるか?」
 人々の心が一つの結論に流れていこうとする。すかさず、アインデッドはその機をとらえた。
「むろん俺には、ことを成し遂げる自信がある。だがそれにはお前たちの力が不可欠だ。もう一度、最後に確かめたい。お前たち、この俺に――ティフィリスのアインデッドについてきてくれるか?」
「おお!」
 人々はわっと、また声を合わせた。
 アインデッドはちらりとルカディウスを見やった。ルカディウスの力を借りなくても、ここまでならいつでもできるのだと、自慢するようにも見えた。
「さあ、行こう」
 彼は叫んだ。
「今はもう、お前たち皆が知っている――目指すは、エトルリアの首都サッシャ。……そこに幽閉されているラトキアの公女シェハラザードを助け出すんだ。エトルリア一国、相手にとって不足はねえ。さあ、ついてこい。俺たちの冒険の、本当の始まりだ!」
「アインデッド!」
「アインデッド!」
 人々は口々に叫び、そして煽り立てられるように馬上の人となった。


前へ  次へ
inserted by FC2 system