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 人々はのろのろと起きだしてきて、三々五々集まってきはじめた。みんな明け方まで飲んだくれていたのですっかり目が覚めておらず、なかば何がどうしたのかもわからぬまま、互いを揺り起こして集まってくる。
 みんなまだ若く、いちばん年を取ったものでさえまだ壮年といった年恰好であった。みんなしたたかに酔い、騒いだので、すっかりよれよれになっていて、目は充血してとろんとしていた。
 アインデッドは、何を今度はしでかそうというのかとはらはらして見守っているルカディウスになど、何の注意も払わなかった。彼は左右を見回し、およそ半分くらいの連中がのそのそと集まってきた、とみると、そのへんの木立の前に、苔に覆われてひときわ高くなっている岩の上に身軽に飛び乗った。
 半分死んだような、いかにも眠そうな人々の前で、一人アインデッドだけがさきほどまで飲んでいたことなどまるでなかったかのように元気だった。彼は、目をこすったり、きょとんとして見上げている人々を、岩の上から見下ろし、見回した。
(これが、俺の民だ。――俺が初めて持つ、俺の民なんだ)
 その思いがゆっくりと、アインデッドの若い胸に広がってくる。彼は森林地帯の清々しい、冷たい空気をいっぱいに吸い込んで目を閉じた。そしてもう一度深呼吸してから、目を開けた。
「野郎ども、ゆうべ――ってか、けさはたんと楽しんだか? とことん満足したか?」
 彼は何をどう言おうか、どういう順序で言うのかよく考えていたわけではなかったが、口を切れば言葉は何となく後から後から出てきた。こんな立場で、数百人に向かって演説するなどということはむろん生まれて初めてだったが、もともと度胸だけはすわっていたし、それに喋ることで不自由した覚えは、生まれてこのかたなかったのだ。
 人々はぼんやりとそれに応えた。アインデッドは反応の鈍いのをあまり気にかけなかった。どうせ皆半覚醒の、ゆらゆらしている状態だということは判っていたのだ。それにもうすぐ彼らがはっとしてとび起きるだろうこともわかっていた。
「そうか。俺も楽しんだ。お前たち、さぞ眠いだろうが、ちっと俺の言うことに耳を貸してくれ。その後はもう、好きなだけ、一日中寝こけてたってかまわねえからな」
 アインデッドは両手を広げて大仰な身振りをした。
「俺は帰ってきた。俺が帰ってきたからには、お前らにももう不自由はさせねえつもりだ。つもりだが、お前ら――いつまでこんなしけたルーハルで、街道警備隊に追っかけまわされながら、お尋ね者の暮らしを続けるつもりだ? そりゃたしかに、こいつは安泰で悪くない暮らしだ。だがいつまでもこのままでいて、どうしようってんだ? 所詮こうしてやっているかぎりは盗賊は盗賊、街道の赤い盗賊と名乗ったところで、とっつかまれば晒し首、日の目を見れねえ生活でしかねえぞ」
「そんな事を言ったって、首領、おれたちはここより他にゆくところがないからここにいるんだぜ」
 一人が抗議の声を上げた。その尻馬に、ひょうきん者がのって叫ぶ。
「そうとも、俺たちは天下のはみ出し者なんだ」
「そうとも――俺もそうだ」
 すかさずアインデッドはそっちに向かって頷いてみせた。
「俺も生まれた国ティフィリスを十六でおん出て、それからずっとあちこち放浪に放浪を重ねてきた。ようやっとたどり着いたこのルーハルでもう骨を埋めたっていいんだろうが、あいにくと、俺はそうするにはあんまり若すぎるんだ」
「たしかに若え」
 またお調子者が合いの手を入れた。今度はアインデッドはそれを無視して続けた。
「なあ、みんな。ここの暮らしは大好きだが、幾冬も続けられる暮らしじゃねえ。いつまでもお尋ね者でいると気はすさむし、いつもびくついてなくちゃならねえぜ。お前たちだってまだ若い。俺にくっついて、一旗あげたかねえか? お尋ね者でもなく、どこかの国の下っ端でもねえ、力さえありゃどんな金でも地位でも思いのまま、そんな夢を俺と一緒に見る気はねえか。もしありゃあ、ある奴だけでいい。俺について来い。次の冬までにゃ、こんな山の中の砦じゃねえ、本物の、正真正銘の俺たちの町を手に入れたいと思う奴はいねえか。こいつはちっとばかりやりがいのある――見る甲斐のある夢だぜ。冒険と戦い、略奪、金、地位、女、何もかも――何もかもだ!」
 いつのまにか、揺り起こしても起きないので放っておかれていた連中までもが集まったり、上体を起こして、魅せられたようにこの長口舌に耳を傾けはじめていた。
 アインデッドが二旬いなかった間に、何か突拍子もない目論見を抱いて、扇動者として彼らの運命を大きく変えるために帰ってきたのだということが、しだいに人々に理解されはじめ、その話に耳を傾けて、若い首領の考えを知っておくことが、どうやらきわめて重大な転回点になるかもしれないと、思いつきはじめたのだ。
「首領!」
 すっかり目を覚ました人々の中で、誰かが叫んだ。
「それだけじゃさっぱりわからねえよ。首領は何をたくらんで――何を考えてるんだ? 教えてくれ」
「そうだ、そうだ。あんたは俺たちに、どうしようというんだ?」
「焦るな。今からそれを話そうってんじゃねえか」
 アインデッドは焦らすようににやにや笑った。彼はなかなか、そういった駆け引きも心得ていたのである。
「お前らにどうしろってのか。そんなことは簡単だ。俺の言いたいのはただ、俺について来い、どこまでもついてこい――それだけさ。それとも、それだけじゃこのルーハルの山砦を捨てて、俺と共に長征の旅に出るにゃ、心もとないっていうのか?」
「ルーハルを捨てるだって?」
 また叫んだ、今度の声には、驚きと失望が混じっていた。
「せっかくこんなに大きく、堅牢になったものを? ルーハルの盗賊の名が、せっかく響くようになったとのに? 秋口にまいた種が、春にゃ芽を出し、次の秋には砦の奴らくらいは充分に養えるというのに?」
「ああ、ああ、いいとも。そうしてずっと土にかじりついて、百姓をしたいやつは、止めはしない。いくらでもここに残って土を耕し、ガキを育て、ルーハルに新しい村でも作るがいい。それはそれで悪くねえ。だが俺は――」
 アインデッドはいきなり、すらりと剣を抜き放った。
「俺は嫌だ。俺はそんなのはまっぴらごめんだ! 俺は若い。まだとても若くて、とても力がある。俺はてめえの運と力を思い切りためしてみてえ。けちくさい盗賊で終わるつもりは、さらさらねえ。俺は、国盗りをやるんだ。そうだ。俺は国盗りの大泥棒になるぞ!――こんな山間のさびれた砦一つで満足できるほど、俺の器は小さくねえ。俺はアインデッド――英雄王の名をもらった男だ。俺に力を貸せ――俺と冒険をやらかそうじゃあねえか。俺についてくるやつはいねえか。俺と国一つ、とってやろうってやつはいねえか。うまくいきゃあそれこそ、地位も金も女も、何でも望みのまま――まずくいって戦いに斃れたって、街道警備隊にとっつかまってさらし台に並べて首をさらすよりゃ、ずっと気が利いてるか知れねえ。そうだろう、皆。冒険と聞いて、心は踊らねえか? 一つやらかそうとは思わねえか?」
「思うわ、アインデッド!」
 ゆうべ以来、すっかりアインデッドに惚れこんでいる女たちは、聞くよりも早く黄色い声を張り上げて口々に叫んだ。
「あたしたちはどこだって、あんたの行くところに行くわよ、アインデッド様!」
「つれてっておくれ。あんたの王国へ!」
「アインデッド――アインデッド!」
 そして女たちは、オルフェを取り囲むトルキエの女さながら、わっとアインデッドの足元に駆け寄り、熱狂して手を差し延べた。
 男たちは思わず顔を見合わせた。この砦に投じるとき、すでに親兄弟などないものと決心している女たちとは異なり、じっさいに戦うほうである男たちにしてみれば、そうにわかに決心がつくものではなかった。
 とりあえずこのルーハルの暮らしにすっかり馴染んできたし、そこにささいな根を張って、すっかり安定してしまった者も、いないわけではなかったのだ。
「おお!」
 最初に拳を振り上げたのは、主としてサナリアから来た、ファラジの残党だった連中であった。
「俺たちは、どうせ無い命をあんたに助けてもらったんだ」
「第一このまま、いつか街道警備隊に捕まるのを待ちながら、山の間にひそんで追剥をしてたって、どうなるもんでもありゃしねえ」
「あんたの言うとおりだ、お頭」
「何だかよくわからねえが、俺はアインデッドについていくぞ!」
 男たちはまた、探るようにお互いの顔を見合った。
 そのうちに、ぽつぽつと、女たちに促されたり、互いに頷きあったりして、人々の間に何かしら流れが出来上がりはじめた
 アインデッドはすかさずその機を捉えた。
「ティフィリスのアインデッドの国盗りに、力を貸すものは剣を挙げろ!」
「おお!」
 唱和の声は、地を揺るがさんばかりであった。
 つぎつぎに男たちは剣を引き抜き、たまたま剣を持っていないものは拳を、女たちは握り締めたハンカチを、天に向かって突き上げた。はじめ、ためらいがちに周りを見回していた者も、勢いと成り行きに押されるようにおずおずと拳を挙げ、次から次へとその熱気が伝わっていった。
「アインデッド!」
「ティフィリスのアインデッド!」
 歓呼の声は、さしも遠いエトルリアか、クラインの国境警備隊の耳にさえ届くのではないかと恐れられるくらいだった。
 アインデッドは、いつのまにかひっそりと後ろに寄り添っていたルカディウスと、熱狂する女たちを足元に従えて、これも高々と剣を宙に突き上げたまま、群衆を見回した。この沢山の人々が、皆口を揃えて彼の名を呼び、彼についてくると誓っているのだ。
 この剣、天を衝く剣の林は、他の誰でもない自分の、ティフィリスのアインデッド・イミルのためだけに捧げられたものであるのだ。
 そう思うと、さしもの彼の胸も、うずくような誇らしさと満足感で一杯になってくるのであった。彼の胸に、潮のように愛情と誇りとがさしてくるままに、彼は目頭を熱くして両手を広げた。
「可愛いやつらだ。――なんて、可愛いやつらなんだ!」
 彼は叫んだ。
「今こそ俺のすべての父祖の霊にかけて誓うぞ! 俺は決して、お前たちを失望させやしない! 俺について来さえすりゃ、世界中のすべての栄華、栄光をお前らにやるぞ! だから、ついて来い! ティフィリスのアインデッドと一緒に来い!」
「おおーっ!」
「アインデッド!」
「俺たちはついてゆくぞ!」
「俺たちは、ティフィリスのアインデッドとともにゆくぞ!」
 熱狂というものは、一度生まれればもう奔流のようにさらなる熱狂を呼び、止められなくなってゆくものである。
 いまや人々は、心の底から確信してアインデッドの名を繰り返し叫んでいた。たとえ初めはどう思っていたにしろ、今ここでの、彼についていこうという思いには、一点の曇りも偽りもなかったのだ。
「アインデッド! アインデッド!」
「俺たちはアインデッドについていくぞ!」
「首領万歳!」
「アインデッド万歳!」
 叫ぶ声はいっかなつきることなく山間を巻いていった。
「よーし、野郎ども」
 彼は叫んだ。
「そうと決まりゃ、ぐずぐずしちゃいられねえ。こんなしけたとこで、いつまでも冬ごもりなんざ、してられねえんだ。さあ、今日一日ゆっくり休んだら、さっそくしたくにかかるぞ。出発だ――出陣の用意だ。兵糧を持ち、矢と剣をしょって出かけるんだ!」
 何処へ――また、何をしに?
 むろん、その当然の疑問は何人もの胸をかすめたことだろう。
 しかし今のところは、周りの勢いに押され、流されて、誰も聞き返そうとするものはいなかった。ただひたすらに、人々はわーっ、わーっと、歓呼の声を上げ続けていたのであった。

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