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     いまに御身らは知るだろう。覚えておくがいい。
     御身らは己が星を求め、ゆえに世界は揺らぐ。
     御身らはつねに選ばねばならない。
     選ばれたものも、選ばれざるものもそれぞれに
     運命を違えていくだろう。
     それは御身らにもいずれは還るものなのだ。
                ――アトの予言の言葉




      第二楽章 岐路




 ルカディウスがそうして目を白黒させている間に――
 アインデッドの馬の周りに群がり、きゃあきゃあと騒ぎながら少しでも彼の目にとまろう、触れようとする娘たちをかき分けて、若い、色の黒いがっしりとした盗賊が手を差し延べた。
「ようこそお帰りなさいまし! しっかりお留守は守っておりやしたよ!」
「おお、シロス」
 アインデッドは笑った。
「いったい、何なんだ、この騒ぎは! 街道警備隊に見つかるだろうが」
「なーに、大丈夫でさあ。ここはどの国境からも山一つへだてたルーハル、近くに討伐隊が出されてねえ限りは、ここでいくら騒いだって見つかる気遣いはありゃしません。だいいちこのところ、お頭のいらっしゃらねえ間は、それも考えてずっと皆におとなしくするように言い含めておきましたからね。今のところ、討伐隊を出されるようなヘマはしてませんや」
「それはまあ、いいとして……」
 シロスがくつわをとらえて広場の方へ馬を引いてゆくままに、炎の輪に近づいていきながら、アインデッドは言った。
「この娘たちは一体何だ? たった二十日ばかり前、俺がルーハルをお前に預けて出たときには、こんなきれいな女どもは一人だっていなかったじゃないか」
 娘たちがキャーッと花のように笑い崩れた。それでも一抹の不安が拭えない、というようにアインデッドは眉をちょっと寄せた。
「まさかお前ら、さらってきたなんてことは……」
「それが、それが」
 シロスは日に焼けた顔に、深い笑い皺を刻んだ。
「今じゃ山塞の中は、ちょっとした町か村みてえなもんでさあ。お頭の名を慕い、重税を嫌ってあちこちから逃げ出してきた若い者が自分の恋人や許婚を連れてきたり、恋人をつかまえに来るべっぴんだの、美しくて、若くて、狼みてえに勇ましいアインデッドの噂に惚れてやってくる酒場女、そんなのが冬をひかえてどんどん寄ってきたんですよ」
「で、何人くらいだ」
 シロスは勢い込んだ。
「今じゃなんと二千人の大所帯ですよ! ここにいるのは一部のもの、もうこの山塞にはおさまりきらねえで、サナリアやサラジアの山塞に分けてます。あんたが殺しなすったファラジの残党とあわせりゃ、屈強の男だけで千三百、四百、女子供を入れたら二千人を越えようって騒ぎだ。これだけいりゃあクラインの都だって落としてみせますよ! それだけの奴らが、自分たちの英雄、若くて美しい悪党のアインデッドが帰ってくるのを、一日千秋の思いで待ち焦がれていたんでさ!」
「なんてこった」
 ふいに、アインデッドからこのところずっと沈みこんでいた暗さも、新たに身につけた翳りも、一気にはじけて消し飛んだ――かのようにルカディウスには見えた。
「なんてことだ! なんてやつらだ、全く!」
 アインデッドはあの皮肉な暗い笑みなど嘘のようにかなぐり捨てて、陽気に笑いながら叫んだ。そしてやにわに厚い黒いマントを脱ぎ捨て、ひらりと馬から飛び下りて、思い切りシロスの背中をどやしつけた。
「よくやってくれたぞ、シロス! 俺はもう、一人残らず砦の奴らは俺を見捨てて逃げ出したんじゃねえかと思いかけてたぜ。まったく、どんなに心配したことか!」
「とんでもねえ」
 シロスは答えた。
「ルーハルのアインデッド、俺たちのアインデッドを見捨てるような奴は、一人だってこのあたりにゃいませんや。お頭、あんたはもう、この近在の伝説なんだ。吟遊詩人は炎の色の髪と燃える瞳を持つ若い狼がファラジを倒し、盗賊の王となったサーガを歌ってますぜ。このあまっ子どもは皆、一目あんたを見ようとして、こうして着飾ってるんじゃありませんか。あんたの目に留まろうとしてね!」
 アインデッドはあたりを見回した。
「よーし」
 もうさっきまでの、冷やかで無口な、苛立っている若者はどこにもいなかった。彼のしなやかな全身に、抑えても抑えきれぬ歓喜、おのれの運命に心を開き、受け止める荒々しい生命がみなぎっているようであった。
「みな、よく留守してくれたな!」
 再び彼は声を張り上げた。
「今夜は祝宴だ。豚を殺せ、肉を焼け。ありったけの酒を倉から運び出せ! シロス、宴のしたくだぞ!」
「そうおっしゃると思って、もう用意してありますぜ」
 シロスは歯をむいて笑いながら自慢そうに言った。アインデッドはその背中を、彼が痛がってわめくぐらい強く叩いた。
「気が利くじゃねえか。お前ってやつはまったく頼りになるぜ」
 彼はやにわに火のそばに駆け込んで行くなり、燃えている薪を一本拾い上げて、高々とかざした。ぱっと金色の火の粉が舞い散り、明るい火がその姿を鮮やかに照らし出した。沈んだり、鬱屈していると食べなくなるという悪い癖があるために、ここ二旬の間に彼の顔はひときわほっそりと痩せて、少女のような風情を加えていた。
 そうして顎も顔も痩せて細くなってしまったので、彼の顔立ちにはこれまでまったく欠けていたはかなさとか、繊細さといった要素を持つようになっていて、そのために今はことさら美しいという印象を見る人に与えた。
 そのつりあがった目は炎を映していきいきと輝き、長い髪はゆたかに肩から背に流れていた。彼は黒と銀の服を身にまとい、まるでそれを身につけて生まれてきたかのように、彼の細い長身にぴったりと似合っていた。
 火のついた薪を高々とかざして火の前に立った彼は、古い伝説の中の英雄の姿のようだった。実際のところ、自分でもそう思っていたに違いない。人々――ことにアインデッドに憧れてこの山塞に加わった女たちは、ありったけの声を張り上げて喝采し、アインデッドの名を口々に叫んだ。それは、山深い森の夜に吸い込まれ、反響し、消えた。
「もうすぐ冬だってのに、留守にしちまって悪かったな!」
 アインデッドは叫び、陽気に松明を振り回して、パッと火の粉をまき散らした。
「だが、もう大丈夫だ! お前たちのアインデッドが帰ってきたぜ! もう二度と、お前らに不自由な思いはさせねえ。そうだ、こんな山の中でくすぶって暮らしてることはねえんだ。お前たち、サライルの黒い馬車馬にかけて、俺について来い。肉と酒は食い放題、歌って、踊って、戦って、一生楽しい暮らしをさせてやる。さあ――宴だ! 火をがんがんおこせ。肉を焼け。倉にあるだけ酒を出しちまえ! 飲みつくし、食い尽くし、楽しむんだ。後の心配はいらねえ。俺がお前らを、もっとずっといい天国に必ず連れていってやる。さあ、宴を始めろ――夜が明ける前に、一騒ぎやらかそうぜ! 倉へ行って酒を取って来い、女ども!」
 うわああっ――
 山も森も揺るがす歓声が、彼に応えた。
「アインデッド――アインデッド!」
「アインデッド!」
 浮き立ち、彼に魅せられた人々の間にアインデッドは飛び込んだ。娘たちの髪や頬を撫で、肩を掴んだり服の裾に触れようとしたりする無数の手に応え、笑いながら誰彼なしに背中をどやつしつけた。
 放り込まれる新しい薪がぱっと燃え上がっては人々の顔を赤く照らし出す。アインデッドはまるで、生まれてこの方ずっと、この山間の盗賊の砦の王として過ごしてきたかに見えた。
「何てことだ」
 ルカディウスの方は、一向に誰からも注意されることはなく、馬から下りてこのありさまを眺め、立ち尽くしていた。彼は呆然としたようにアインデッドの様子を見やり、感心したようなため息をついた。
「なんて奴だ」
 彼はもう一度呟いた。
「ありゃあまるで、さっきまでのアインとは別人だ。一人の中に、二人の性格が入っているとかいう話はものの本で読んだが――あれは全く、そうとしか見えないな。まったく……ああしているところを見ると、あいつはやはり生まれながらの帝王だ。ほっといたって注目を集め、のし上がるに決まっている。難儀なことだ――! まったく、めったに会えない玉だ。人の心を掴むこつを、天性身につけているとしか思えない。俺の目に狂いはなかったというべきか……」
 ルカディウスの呆然をよそに、宴が始まった。
 夜明けにはまだ間があった。
 広場では大きな焚き火が焚かれ、人々はそこに枝を渡して巨大な肉のかたまりを幾つも突き刺して焼いた。次から次へと酒のつぼが運び出され、回し飲みされた。深夜から始まったいかにも突然の酒宴であったけれども、故郷を捨て、親兄弟を捨てて盗賊団に走ったような連中のこと、みなまだ若く、体力も盛んで、あらくれている。おとなしく眠ってなどいるより、一晩中でも宴に興じるほうがどんなに楽しいか知れなかった。
 それゆえ誰も眠りたがるどころでなく、それどころか時ならぬ深夜の酒宴にすっかり興奮して頬を火の照り返しに紅潮させ、飲めや歌えの大騒ぎを繰り広げたのである。
 山々は眠っており、森もまたしんと静まっていた。人里離れたこの山あいに、にわかに天を焦がさんばかりの炎が燃え上がり、笑い声、叫び声、嬌声が黒い木々の間に吸い込まれて消えていった。
 そだと枯れ枝はあとからあとからくべられ、生乾きの枝はパチパチとはぜて火の粉を撒き散らした。ごうごうと燃える火のおかげで、彼らは晩秋の夜の寒さなど少しも感じなかった。
 炎が照らし出すのは、酔いしれててかてか光る恐ろしげなひげ面や、ぼろぼろの服、古傷にひっつれた顔、いずれも鬼のような古強者の顔であり、肉のかたまりを歯で引き裂いてむさぼり食う口であった。
 それは善男善女の目には悪鬼の饗宴とも、地獄から這い出た亡霊の集会とも映ったかもしれないけれども、彼らはいずれも若く、意気盛んで、冒険心と野望に燃えており、その冒険心と野望のためにこそ、おとなしく故郷で土を耕して黙々と一生を終えることができなかった連中であった。
 彼らにとっては、それは互いの結束と互いへの忠誠をあつく確かめあった一夜であり、楽しい、共生の思いを共有した夜でもあった。
 みなは底なしに食べたり飲んだりした。そのうちに狼煙で駆けつけたサナリア、サラジアの連中が合流し、宴はいやがうえにも盛り上がった。人々は何回となく乾杯した。彼らはすべてに乾杯したが、最も多くの乾杯はむろん、彼らの、若い愛する首領と、彼が彼らを導いてくれるであろう洋々たる未来のために飽くことなく繰り返されたのだった。
 こうした荒くれ者どもが千人以上も集まったので、当然酒が回ってくるとあちこちで小競り合いもあった。そうしたところにはさりげなくアインデッドが回って酒をさらに勧めたり話をそらしてくれたので、けが人は出たけれどもさいわいにして死人は出なかった。肉を焼くうまそうな匂いにつられて狼が近づいてきたが、この大人数と火を恐れて、悪さをすることはなかった。
 彼らの中には楽器の心得があるものも、歌えるものもいたので、やがて宴がたけなわになってくると、自分の楽器を持ち出すやら、空になった酒つぼや樽を逆さにして即席の太鼓をつくるやらして歌いはじめ、哀調を帯びた歌が夜空に吸い込まれていった。
 娘たちは飛び出して火の周りでルーハル地方の収穫の踊りを踊った。この若い娘たちが一味に加わったことが、偶然とはいえアインデッドの留守の間、一味をとどめておくのに大きな力があったのである。若い娘の力とはたいしたもので、女の略奪をアインデッドが決して許さなかったために殺風景で殺伐としていた盗賊団の中に、いろいろなもめごとも増えただろうが、それ以上に彼女たちがいるというだけで、一種家族的で、華やかな色彩が加わったのであった。
 娘たちの中には娼家で踊っていた踊り子もいたし、村で評判の踊り手もいた。その色とりどりのスカートがひらひらと火にうつってひるがえるのを、あらくれた男たちはうっとりと見つめた。
 自由開拓民の暮らしは厳しく地味な、辛いものであった。故郷に残っていれば、年に一度か二度の祭でしか、このような華やいだ時は望むべくもなかっただろう。彼らはそう考え、周りに山と積まれた酒や肉に目をやり、改めてこの一味に加わったことをよかったと思い、そしてこの若い赤い髪をした狼が、彼らに毎日毎日祭の続きのような日々をくれることを考えて、わっと乾杯の手をさしのべるのだった。
 実際それは、ティフィリスのアインデッドの、二十三年にしか満たないまだ長いとも言えぬ、それでも数奇な波乱に富んだ生涯の中の一つの絶頂であった。アインデッドは得意の絶頂であった。彼の周りには彼に忠誠を誓い、ひっきりなしに彼に剣を差し出す、生まれて初めて持った彼の民がいた。彼の名が絶えず叫ばれ、彼のために乾杯がされた。
 どの娘たちも、少しでも彼の目に留まろうと競い合っていた。彼の耳はひっきりなしにアインデッドの武勇、アインデッドの美しさ、若さ、強さ、姿のよさ、が讃えられる声を聞き、彼の目はつねにその目を求めている娘たちの上に落ちた。
 この夜、世界はすべてティフィリスのアインデッドのものであるかとさえ思えた。まだ二十三歳でしかない彼が、そんな心地よさに陶酔したからとて、何の不思議があっただろうか。彼は世界の王子であり、サーガの主人公であり、輝かしい伝説の英雄であった。この夜だけは、金色の髪と暁色の瞳を持つ青年のおもかげも、アインデッドを苦しめることはできなかった。

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