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「首領」
 木々の間からちかちかと見え隠れしていた二つの松明が街道に上ってくると、それは松明を掲げた四人の盗賊の姿になった。
「ルカディウスも?」
「ああ」
 長い悪夢から覚めた人のように、ぶるっと身を震わせながらルカディウスは答えた。まるで、アインデッドと交わしていた短い会話が、彼の神経をすっかり痛めつけてしまったかのようだった。
「レクスか」
 アインデッドの方は再び、もとのあの沈み込んだ様子に戻ってしまっていた。
「はい」
「様子はどうだ?」
「万事上々ってとこで」
「何も変わった様子はないか」
 二人の共に抱く野望のためには仕方のないことであったが、エトルリアの内情を探るために彼らが同時に二旬ばかり留守にすること、それは非常な痛手だったのである。ようやく赤い盗賊団の若き首領アインデッドの名はこの近辺に響きわたり、その名を慕って集まってくる無法者たちも増え、その命令一下で動く命知らずたちが、数百人に達しようかという頃であった。
 しかし、その大切な部下、アインデッドが生まれて初めて持った自分の部下たちにせよ、その忠誠がはっきりと不動のものになったわけではない。彼らを動かしているのは国への忠誠とか忠義といった、目に見えぬけれども確かな絆ではなく、アインデッドについていけば面白いことがありそうだとか、いい儲けになりそうだとかいった、功利的な思いでしかない。
 それに加えて、若き首領アインデッドの、黒い狼のような美しさ、強さ――それが彼らに英雄崇拝の念をかきたて、それで彼らはアインデッドに従ってくるのにすぎない。もしちょっとした風が吹けば、このような寄せ集めの花園はあっという間に吹き散らされてしまう恐れがあった。
 むろん、アインデッドもルカディウスもそんなことは知っている。というより、彼らほどよくわきまえているものもいなかった。計略を練り、見直すたびに、彼らは何回となく自分の手持ちの札を数えてみたのだ。
 すでにアインデッドとは一心同体の存在となっているルカディウスは別としても、アインデッドに個人的に魅せられ、あるいは恩を感じてその忠実な股肱となって働いてくれるであろう者は、シロスやこのレクスを入れて数人でしかない。いわば創成期の国の、産みの苦しみ――それが二人が味わっているものであった。
「何にしろ人を動かす、人が動くってのは不思議なものでな。勢いがつくということがえらく重要なんだ。最初はいくら金を使っても煽ってもなかなか動かないものが、ふとしたはずみで勢いがつくだろう。そうすると、もうそれは何もしなくたってどんどん大きな動きになり、しまいには止めようと思っても止められなくなる。動きそれ自体が一つの意思を持ったものみたいに振る舞いだすんだ。そうなればこっちのもんだ。こっちが何もしなくたって物事は動きだす。だから、それまでの辛抱だ」
 二旬ばかりの偵察行の間、ルカディウスは、苛立つアインデッドをなだめようと、よくそう言って聞かせたのだった。
「ずいぶんとお前は、いろんなことに詳しいんだな」
 ちっとも感心などしていない冷たい口調で、アインデッドは言う。
「一体お前は何様だったんだ? いったいどこでそんなごたくを習ってきた。そう。そもそもどこで、どういう育ちをして、何だってあの時あの道端で俺を待ち構えてたみたいに声をかけてきたんだ?」
 訊ねられると、ルカディウスはいつもただ笑って誤魔化すばかりで、決して自分の前半生について語ろうとはしないのだった。
「別に、いいじゃないか、アイン」
 問い詰められると、いつもルカディウスはそう言うのだった。
「全てはヤナスの決めたまいしことなんだ。世の中には理屈のつけられないそういう出会いもある。理由は何にしろ、お前を一目見たときから、俺はお前に仕えたいと思ったんだ。その結果、俺とお前の運命は一つに結び合わされ、俺かお前を王にするため、お前は王になるため共に戦っている。これも全てはヤナスの御心、前世からの約束ごとなんだ。前世からの縁でめぐり合うのは男と女ばかりじゃない。男どうしでだって、人と人であるかぎり、いや、ヤナスのもとに生きるものであるかぎり、そういう縁はあるものだ」
「相手にとってどんなくそったれな縁かってことは、お前の頭の中にはないんだな。――いいだろう」
 馬鹿にしきったようにアインデッドは言う。
「あとになってそれがお前にとってもヤナスならぬサライルの絆、サーライナの約束だったと泣き言を抜かしても、俺は知らないからな。――まあ、たしかに因縁に結びつけられる仲ってもんも、世の中にはあるもんだ。俺と――」
 そこまで言いかけて、ふいにアインデッドは黙る。その名をルカディウスに聞かれたくないという思いと、口にしかけただけで胸に突き上げる黒い激情の炎と嵐は、ほとばしるすべも抑えるすべも知らぬまま、彼から言葉を奪う。
 その、二旬の気苦労が胸を駆け抜けたように、ルカディウスは深い吐息をついた。
 じっさい、短い留守の間に頼りない寄せ集めの盗賊団の誰かが、若い首領に取って代わってうまい汁を吸ってやろうという気を起こしたら、首領の留守中はじっとしているようにという命令にたまりかねて脱落者が出たら、そう考えて、アインデッドよりもいっそう気を揉んでいたのはルカディウスだった。
 しかし計画の実行者であるアインデッドが行かないわけにはいかなかったし、参謀役の彼を欠いてアインデッドだけを行かせることもできなかった。また、自分では彼らの心をつなぎとめる能力が全くないことは、ちゃんとわきまえていた。といって、代わりにまとめ役を頼むに足る腹心は、ほとんどいなかったのだ。
(シロスはちっとは目端が利くが、アインにすっかり惚れ込んでいるだけで、自分じゃ行動は起こせない。といってレクスは必ず放っておいたら自分が取って代わろうという野心を抱く――その力も無いくせに。まあ、だからこうして傍において目を放さないようにしているわけだが。他もすべて一長一短。……まあ確かに、盗賊に走るだけあって、頼みにできるやつ、英雄の資質を持つやつなど、この中にはまったく見出せなかった)
(やっぱりアインデッドは、他の誰とも違う。――俺が一目見てそれと判ったほどの運命の力、王のしるしは、はっきりと彼の上に現れている。今まで運命が彼を顧みなかったのは不当に過ぎる)
(しかしわずか二十日ばかり留守にしていただけで、もうさっきのような偽者、甘い汁のわけまえをかすめとってやろうという輩が現れているとはな。もしかして誰か鼻薬をかがされて、我々二人を陥れようと考えていることもありうる)
 他人など、決して信用しない――。
 アインデッドとルカディウスを結び付けている最大の絆は、或いはその骨にまでしみこんだ人間不信の思いであったかもしれない。
「ルカ、どうした」
 ルカディウスの暗くわだかまるような思いを、アインデッドの沈んだ声が破った。
「ぼんやりして落ちても、知らねえぞ。砦に入ろう。こんなところでぼやぼやしていたら、狼どもを引き寄せるようなものだからな」
 ルカディウスはアインデッドを見つめた。レクスが先に砦に入り、迎えに来たことに、ルカディウスと同じ疑念、不審を、並外れて用心深い彼が感じていないはずない。しかし彼の顔からは、それは読み取ることができなかった。
「……ああ、すまない」
 慌ててルカディウスは答え、アインデッドのマントを掴んだ。
「今日は冷えるな。――まだ秋の終わりだというのに」
 ぽつりとアインデッドが言った。
「まったくで」
「そろそろ、自由に動くにも難儀な季節になっちまうな」
「へい。この辺は、もう噂が立って、滅多に人が通りませんから、獲物を捕まえるにゃ新街道のほうまで出張らにゃならんですが、そうするにも寒さがこたえますからね。それにこのところあっちのほうは街道警備隊の目が厳しくて、商売上がったりです。お留守を預かるシロスもぼやいておりました」
「そうだろうな」
 アインデッドの青白い頬に、自分一人にだけ判る皮肉を楽しんでいる、といったような奇妙な冷笑が浮かんだ。それも昔にはなかった複雑な笑顔、表情だった。
「俺の都合で二旬も無駄をさせちまったが」
 彼は何を言い出すのか、と不安げに首を伸ばしてくるルカディウスにちらりと視線を投げると言った。彼は確かにルカディウスを軍師として迎えはしたが、かといってもともと人に頼ったり任せたりできない性格であったし、それにルカディウスをそこまで信用していたわけではなかったので、一挙手一投足にいたるまでルカディウスに相談し、その言うように動こうなどというしおらしい心構えはてんから無かったのだ。
「しかしそれもこれからのため、何も心配するなってことだ。今に――すぐに、お前らをこんなところよりもずっとあったかくて居心地のいい、天国みたいな所に連れてってやるからな」
 そう言うと、彼はもうルカディウスのほうなど振り返りもせずに、馬を急がせようと笞を入れた。こうして、六人に増えた一行は、ルーハルの山塞へと戻っていった。クラインとエトルリアの街道警備隊が力を入れて捜索したにもかかわらず、どうしても見つけることのできなかった、彼らの本拠地である。
 そこはルーハルの深い森のさらに奥、街道をずっと外れて分け入ったところにある。周りを石積みと木の枝や土で塗り固めて、かなりの範囲に亘って打ち捨てられた廃墟が連なっているので、知って入ってくるのでないかぎり、めったに見いだせるものではなかった。また中心部の砦にたどり着くにも、そこここに落とし穴を作り、木々の上には見張りを置き、なかなか無事には通さぬようにしつらえられていたのである。
 すでに月は中天に高い。
 レクスは松明を持つ手を移し変え、ピイーッと鋭く指笛を鳴らした。すぐに、低い声が訊ねる。
「誰だ?」
「俺だ。お頭とルカディウスも一緒だ」
「おお」
 いよいよだ――。ルカディウスは汗ばんだ手で、アインデッドの袖を掴んだ。同時に、いつでも抜けるように、マントの下の短剣に手をかける。レクスが先に砦に入って、アインデッドに背くことを決めた盗賊どもに買収されていないという保証は無いのだ。
 警告するようにルカディウスはアインデッドの手を探ろうとして、その手をすぐに引っ込めた。アインデッドの手は何気なく腰の辺りに置かれていた。そこには彼の手練の武器である刀子がぎっしりと帯に差し込んであるのだ。
(アイン……)
 ルカディウスは、油断するな、という意味を込めて彼の背中に囁いた。アインデッドの背はぴくりともしない。
 その時だった。
「お頭!」
 にわかに目の前に、ぱっと火が燃え上がった。誰かが、砦の本丸前の小さな広場に用意されていた薪に火をかけたのだ。ふいに昼のような明るさに包まれて、暗闇に慣れていた一行はたじろいだ。
「お頭、お帰りなさいまし!」
 わっと、赤い布を巻きつけた男たち、女たちがそこここの建物や物陰から飛び出してきた。
「お頭!」
「首領のお帰りだ! ルーハルのアインデッドのお帰りだ!」
 わあっ……。
 その時のアインデッドとルカディウスの耳には、それはまるで怒涛の押し寄せるように響いて聞こえたのだった。
「アインデッド! アインデッド!」
「首領!」
「俺たちの英雄が帰ってきたぞ!」
 ルカディウスは息を呑んだ。それでもなお、一抹の最後の不安――これもまた、すべてはいつわりの芝居なのではないかという――が残っていないでもなかった。それへ向けて、駆け寄ってきた籠を持った娘たちが、その中の花を浴びせかけた。この近辺の民族衣装にきれいに着飾って、髪に花を編みこんだ陽気な娘たちである。
「アインデッド様!」
「お待ちしていましたわ、アインデッド様!」
 ルカディウスは仰天して、アインデッドを覗き込んだ。
 アインデッドは奇妙な――あの複雑な微笑を浮かべ、静かに馬上からこの様子を見下ろしていた。これら全ての歓迎は当然だとでも言いたげな、初めからとっくに何もかもわかっていたというような、落ち着き払って不敵な様子に見えた。ルカディウスはもう一度驚いた。

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