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                                *



 クライン、エセル州から自由国境地帯へと延びてゆくカーティス街道。クライン帝都カーティスからアルター州都ヌールを通り、さらにエセル州都ドーリアを抜けて北東に延び、モールマルのあたりでラトキア街道に合流する。
 街道沿いには、規模は大小あれど小さな宿場町や、細々とやせた農地を耕して日々の糧を得る開拓民、少数民族の部落などがぽつぽつと存在している。大層繁盛しているのではないが、寂れ果てているでもない。モールマルは、そんな宿場町の一つである。
「ごめんくださいな」
 モールマルの旅籠《白鹿》亭の扉をその日最初の客がくぐったとき、主人のウィリス親方は大喜びで奥から出てきたのだが、あいにく客は一人きりだった。
 耳の下辺りで切りそろえられた髪のために親方は少年かと思ったけれども、声はまぎれもなく女のものだった。まだ若い。いいところ二十をいくつか出た程度だろう。いでたちはごくふつうの旅支度だが、頭に斜めにかぶった三角帽子で吟遊詩人と知れた。
 ウィリスは内心ちょっとがっかりした。吟遊詩人はとてもたくさんお金を持っている、というわけではないし、おまけに女一人である。だが自炊する木賃宿であればいくらもあるし、この《白鹿》亭はまかないつきの安くない宿である。それでもここを選んだのだから、金が無いというわけではないのだろう。
 それにモールマルに毎年ディアナの祭りに来る古顔の吟遊詩人以外の吟遊詩人が訪れることは滅多にないし、それで村人が来るかもしれない、と気を取り直して、がっくりしてから一秒後にはにこにこと愛想笑いを浮かべていた。
「いらっしゃいませ、お一人ですかね?」
「ええ。部屋は空いているかしら。相部屋でも構わないけれど」
 帽子を取ると、ぱっと目立つではないが朗らかな明るい顔が現れた。頬骨や鼻の高さはラトキア人のようであったが、骨格の細さや肌の色が薄いのはクライン人のようだった。黒髪と黒っぽい瞳はどちらの人種にも共通していたので、どちらともいえなかった。
「相部屋だなんてとんでもない。お一人からお泊りいただけます。一人部屋から五人部屋まで、どんなお部屋でも空いておりますよ」
「一人だもの、一人部屋でいいわ。なければ二人部屋で」
 旅の女吟遊詩人は軽く笑った。
「他の客は多いの? ご主人。もしよければ歌わせてもらいたいのだけれど」
「多いどころか! 実際、お客様を相部屋で我慢させてしまうようなことなら、われわれとしてもめでたしめでたし、というもんですが、このところ街道筋の様子というのはまったくさっぱりで。早い話が、今日のお客はあなた一人なんですよ! 昨日から泊まっている行商の一行が三人いる他は。もちろん、歌っていただけるのなら大歓迎ですよ。うちには専属の歌うたいはいないのでね」
 ウィリスは商売柄の笑顔と、それとは対照的なため息とともに言った。女は興味を引かれたようだった。
「ご主人、それはどういうこと? レント街道は中原の生命線、それがなくては何も動かぬほど大切な街道、レント街道での商売なら、干乾しになるようなことはありえないと私は思っていたけど」
「お客さんは、知らないので?」
 ウィリスはわざとのようにびっくりした顔をしてみせた。ウィリスはちょっと太り肉で頬の肉がロイタス鳥のように垂れてしまっているので、それは妙に滑稽な表情を作り出していた。
「もしかしてそれは、盗賊のこと?」
「さようですよ。まあ、この話はお風呂をつかってもらって、それからお食事の時にでもゆっくりしてさしあげましょうや。むろんお客さんが聞きたければ、ですがね」
「あら、もちろん聞きたいわ。吟遊詩人はどんな話だって聞きたいものよ。ことわざでも言うじゃないの」
「――お食事はどのようなのがお好みで? 自慢じゃございませんがこのウィリスの《白鹿》亭はモールマル一の料理自慢でしてね。どのお国の料理でもお楽しみいただけますよ。香辛料や香草の加減があれば言ってください」
「特にないわ。でもせっかくだから、このあたりの名物があったら食べたいわね」
 この娘が何人なのか知りたいウィリスの無邪気な、それとない探りは同じような無邪気な笑顔でかわされてしまった。
「さようですか。まあ、楽しみにしていてください。あと二、三テルで夕食の時間になりますから。その時には何か、サーガなり異国の歌なり、歌っていただけますと嬉しいですが。――タフィ、お客さんを部屋に案内してさしあげろ。一人部屋だ」
「ありがとう、ウィリス親方。私はマリエラよ。楽しい一夜になりそうだわ」
 マリエラは微笑んで、タフィの後ろについて階段を上っていった。
 足取りも軽く階段を上っていくマリエラを見送って、女房のサディーが調理場から出てきた。
「あんた、あの娘を泊めても大丈夫かね」
「何を心配してるんだ、サディー」
「こんな時期に、女一人で旅をしようなんて、どういう身分のどんな人間なんだか知れやしないよ」
「なーに」
 ウィリスはのんびりと言った。
「お尋ね者だってかまいやしないさ。吟遊詩人が来るなんて滅多にない機会じゃないか。少々宿代をまけたって、村の者に知らせたらきっと何人も聞きに来るだろう。そしたらじゅうぶんお釣りが来るだろうよ。別に女の吟遊詩人だっていいじゃないか。珍しいし、若い衆は喜ぶだろうよ」
「あたしが言いたいのはそういうことじゃなくてね」
 サディーは心配そうに顔をちょっとしかめて、ふっくりした指についた練り粉をエプロンの端でこすった。
「あんな若い娘がたった一人で旅をするなんて、きっと何か仔細があるに違いないよ」
「あの子は本当に吟遊詩人だよ。指先を見れば分かる。ずいぶん皮が厚いようだった。あれは弦を押さえてるせいだ。きっとずいぶんうまいだろう。声も良かったしな。たしかに事情の一つや二つはあるだろうが、われわれに関わりのあることではないだろうさ」
「でもあんた」
 彼女は強情に言い張った。
「もしかしてあんた、あの娘が例の一味の手引きで、夜中に鍵を開けちまうなんてこと……」
「馬鹿を言うな、サディー」
 ウィリスは不機嫌に遮った。
「奴らが色んなやり口を使うにしても、そんなまわりくどい方法は使わないし、今まで一度も宿場町を襲ったことはないだろう。もしも奴らなら、夜陰に紛れてひたひた――取り囲んで、バン! だ」
 そう言って、彼は広げた掌に拳を打ちつけた。
「縁起でもない」
 サディーがますます顔をしかめた。
「やめとくれよ、あんた。サライルの噂は悪魔を呼ぶって言うじゃないのさ」
「とにかく心配するこっちゃない。なかなか可愛い、明るい小鳥みたいな子じゃないか。悪いことなんてできそうにない。さ、それより夕食の支度をしよう」
 彼は妻の肩を抱くようにして軽く叩き、調理場のほうに促した。
 ウィリス親方が予言したとおり、その夜の《白鹿》亭の食堂はたいへんな賑わいだった。吟遊詩人が来たとタフィを使って知らせたところ、親方の読みどおり、彼女の歌やその持っている異国の情報を目当てに、金と暇のある――中には暇しかないものもいたが――村人が《白鹿》亭に集まり、話のさかなに酒や食べ物を頼んで、彼らをその日一日だけで一旬ぶんくらいは儲けさせてくれたのである。
 そうとなっては現金なもので、あれだけ心配してマリエラを泊めることを渋っていたサディーも、顔中でにこにこして料理を作り、せっせと運ばせていた。親方がちゃんとした吟遊詩人だと太鼓判を押したとおり、マリエラのリュートの腕は確かだったし、歌声もしっかりしていた。
 マリエラは湯浴みをしてさっぱりとし、旅の埃を落としていたので、見違えるようだった。洗ってくしけずったのでまだ濡れている黒髪は、つやつやと光り輝くようだった。服は変わらなかったけれど、朗らかに笑いながら歌う彼女はいかにも若く、活き活きとしてきれいだった。
 ともあれそのようにして、このところの不況を嘆いていたウィリス親方たちにとってまたとなく喜ばしい日となった夜は更け、吟遊詩人の歌を聴きに来た村人たちも三々五々帰ってしまうと、あとに残った客はここに昨日から泊まっている三人の商人と、マリエラだけになった。
 そこでウィリスは歌で喉を疲れさせただろう、とマリエラにアーフェル水を持ってゆき、さりげなくどこに向かうかを聞いてみた。
「マリエラさん、ここからどこに行くつもりだね」
 彼女は何もはぐらかしたり、ごまかそうとする様子を見せなかった。
「ラトキアよ」
 答えはすぐに返ってきて、きっぱりしていた。
「何だってそんな物騒なところに行くんだね? エトルリアが攻め込んでもう半年以上経つが、それでもまだシャームなんかはエトルリア兵がうろうろして危ないと聞くよ」
 商人の一人が尋ねた。マリエラは首を振った。
「家族がシャームにいるの。本当はすぐにでも帰りたかったのだけれど」
「そうか……それは心配だろうね」
 もう一人が相槌を打つ。
「しかし、こう言っちゃあがっかりするだろうが、ラトキア街道を通ってシャームに行くのは諦めたほうがいい。我々もそうするつもりなんだが、レント本街道からメビウスに行って、それからペルジア経由でシャームに向かうか、それとも沿海州に出てハイランド経由で行くのが無難だよ」
「どうして、そんな大回りを」
 ここまで来たのに――と言いたげに、マリエラは怪訝な顔をした。
「そうできるものならね! 赤い盗賊どもさえいなけりゃわれわれだってまっすぐにサッシャに向かうさ」
 心底不服そうに、商人が鼻息を吹いた。
「赤い盗賊のことは私も知っているわ。でも、それはサラジアとかルーハルとか、要するに旧街道を根城にしてる、食い詰め者とかごろつきの集まりじゃない。どうしてそれがそんな幹線まで出てこれるというの?」
「あんまり、この辺の事情には詳しくないみたいだな、娘さん」
「ええ……このところ、沿海州にいたから」
「これはわれわれよりも、親方が話したそうだから、譲るとしよう、親方」
「へえへえ、もちろんお話しいたしましょうともさ」
 ウィリスは待っていましたとばかりに両手でエプロンを揉み絞った。
「それと言うのも、このところ――というよりは今年に入ってから、赤い盗賊どもは今までの赤い盗賊とは違うんですよ!」
 最初に親方が後で話そうと言っていた話だと気付いて、マリエラは注意深く耳をかたむけた。
「もともと、赤い盗賊というのは、世に名高い《山の兄弟》や沿海州の《海の姉妹》とは違って烏合の衆、ごろつきどもの総称に過ぎないもの。そのかしらだったものを挙げるにサナリアのファラジ、サラジアのオールデン、ルーハルのソーチ。この三人がまあ名ばかりの、山の兄弟のように助け合うのではなしに要するにお互いの縄張りを荒らしあわぬという手打ちの約束として義兄弟の契りを結んでいるのですよ。
 といったところでサナリアとルーハル、サラジアは充分に離れているので、都合の悪い小競り合いが起こるようなこともなく、国境警備隊が現れれば山中に逃げ、去ればまた運の悪い隊商を襲ったり、村や町を襲ったり、好き勝手にそれぞれやっておったわけです。その下にまた、おのおのの頭目にいくばくかの金を払って見逃してもらっている、ちっぽけなごろつきの群れが幾つもいて、こやつらも赤い盗賊を名乗っていました。
 ともあれ、そのようなわけで、このところサナリアのファラジが急に勢力を伸ばしはじめたとはいえ、さほど重大な脅威となることもなく、むろんそうなればクラインなりエトルリアなりが放置しておきませんがね。まあ、隊商は大きな隊を組み、昼に限って旅をするなり、申し出て国境警備隊か街道警備隊に護衛してもらうなり、そういう用心さえしていればその脅威を逃れるのは、さほど困難なことでもなかったのです。
 しかしどうも何かが違う――もしかしてとんでもなく物騒なことになってきているのではないかという噂が、カーティス街道、ラトキア街道、そしてサリア街道に駆け巡ったのは、つい今年に入ってからのことでした」
「何があったの?」
 話に引き込まれて、マリエラはアーフェル水を飲むのも忘れて先を促した。
「このところクラインがあまり国境警備に力を入れていないので、一応彼ら自身で百人からの傭兵を募り――というのも積み荷が砂金をはじめ高価なエトルリアの絹とレースという、誰だってのどから手が出るほど欲しいものばかりでしたので――彼らに守らせた、エトルリアから来たある大商人の一行が、三十人の列を連ねてカーティスを出ました。
 この一行はカーティスから道々ヌール、ドーリアと商品をさばきながらこのモールマルを抜け、ローンへ向かう予定でした。というのも、フェリスで残る商品をさばき、セラミス水を仕入れることになっておりましたので。そこで朝まだきにモールマルを出ました。そのうちの、その商人の家族や他の十人ばかりは、当宿に泊まったのですよ。それが三日と経たぬうちにあんな恐ろしい事になろうとは、一体誰に予想できたでしょう。
 モールマルを出た一行は、その日のうちにハルベストの森を抜け、ローンからラトキア街道へ、そういう予定でした。このうち危ういかも知れぬのはローナの森のあたりです。しかしサナリアも近からず、百人の傭兵をもってすれば、と豪胆なセン・シューは心配する私を笑い飛ばしました。
 ところがですよ、ところが、その次の日の朝には、急を告げる使いがモールマルに駐在する街道警備隊のところに救いを求めて駆け込んできたのです。慌てて行ってみたところ、まもなくローンの宿というあたりで、無残にもセン・シューの隊商は、百人の傭兵は全滅、三十人の隊商は男はともかく女もすべて殺され、セン・シュー自身もその中に含まれていたのです。馬は奪い取られ、むろん高価な積み荷も馬車ごと奪われていました。
 街道警備隊は激怒しましたが、同時に驚きもしました。百人の傭兵がそう簡単に全滅させられるはずがありません。当然赤い盗賊の仕業でしょうが、サナリアのファラジの勢力はせいぜい三百人、サラジアのオールデンはせいぜい七、八十人――しかもごろつきの寄せ集め、百人の傭兵を三百人が五百人でも、全滅させられるかどうか、疑わしかったからです。
 しかしその中でなんとか命をとりとめた者に問いただしたとき、彼らはいっそう驚きました。隊商を襲ったのはわずかにたった五十騎ばかり、それが、全員頭に赤い布を巻き、一行がひと気もなく道も狭いところに差し掛かったのを見計らってまず矢を射掛けて動揺させ、うろたえ騒ぐところへ殺到し、隊商には見向きもせず傭兵を全滅させ、それから隊商の料理にかかった、と分かったからです。
 たった五十騎で百三十人を全滅させた、残忍非道、勇猛果敢、またその統制のあざやかな襲撃ぶり、引き上げ方、そのどれもがこれまで我々の知っていた赤い盗賊とは似ても似つかぬものでした。
 しかし驚きはそれだけにとどまらず――そのわずか一日後、今度はサリア街道沿いのカルミエの西で五十人の隊商が皆殺しにされ、全ての積み荷を奪われ、その三日後にはオール近くで二十人の隊商、なんとその三日の後にはふたたびエトルリア方面の、ミショー近くで大胆不敵の犯行――
 この、次にどこに出没するか、全く見当もつかぬ機動力、立て続いての犯行、一人の生き残りも出さぬ残忍さも、全く赤い盗賊とは思えぬほどでしたが、それはその場に一つ、矢で突き立てられた赤い布で必ずそれと知れたのです。
 むろん国境警備隊も内偵を重ね、必死に正体を探り出そうとしました。この急な変化の裏には必ず何かの原因があるに決まっていたからです。しかし彼らの本体の本拠を突き止めるどころか、一目まのあたりにすることもできなかったのですが、ようやく密告によって一人の盗賊を捕らえる事に成功しました。
 その盗賊の白状したアジトに行ってみたときには、もとより彼らは抜け目なくそこを見捨てて去っていった後でした。しかし、これまで全く判らなかった、赤い盗賊の変貌の理由、それはついに知れたのです。
 お察しの通り、それは新しい首領、まったくその一人だけの力によるものでした。まだ若い、美しい、残忍な新しい首領――この若者がいかにして赤い盗賊を手中に収めたか、これはまた一つの新しいサーガたるべき語り草です」

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