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街道の盗賊たちはかつて
その流させた血のゆえに
《赤い盗賊》と呼ばれていたが
今はそのゆえは異なっていた。
すなわちその首領の髪の
白い岩肌に流れる血潮のように赤いために。
――街道の記
第一楽章 盗賊の歌
クライン、ラトキア、エトルリア三国の国境間を、ラトキア街道が走っている。
いうまでもなく、それはレント街道の幹線といえるものの一つである。今はなきラトキアの公都シャームより、一つはエトルリアの公都サッシャ、大都市ラスを結ぶサリア街道へ連なり、いま一つははるか中原の華クラインの、文化の中心、カーティスの都へとつらなるカーティス街道へ続いてゆく、レント街道。
それはこの時代、海のものを内陸へ、山のものを海岸へ、さらに海路遠国へと運んでゆくための生命線である。そしてまた、網の目のようにくまなく張り巡らされて、各国と各国を結ぶ、中原の血管である。
いにしえより、古くは聖大帝アルカンドによって開かれ、今は伝説にのみその名を残す大帝国ウクバール、アルケディア、新しくは現在の覇者たちによって絶えず開かれ、整備されてきたレント街道。
もちろんそこには、時代の移り変わり、国々の栄枯盛衰にともなうさまざまな物語がある。かつて栄えた都に通じ、多くの宿場町が繁栄を競ったそれが、いまや廃都に通ずる、忘れられた街道となって森深く朽ち果ててゆくもある。また新しく開かれて、昨日までの馬も通わぬ場所がにわかに、引きも切らぬ人馬、傭兵、巡礼、隊商に殷賑をきわめる例もある。
レント街道――とこう、一言にそう言うけれども、それは全中原と西方、南方、辺境のそれぞれの果てしないところまで広がり、おそらくその全長は何千万バルとあろう。かつてはその街道全域から世界の天山レントをのぞめたゆえにその名を冠せられた街道も、今は謂れを知らぬ地の方が多い。
草原のアウロス、トフィアに向かう街道は草に埋まり、世にもさびしいアラティアーナの古戦場を抜け、はるか南のジャニュアでは焼け付く太陽に煉瓦は灼熱し、カーティスを抜けるときには絶え間ない馬の蹄に磨り減り、はるかメビウス北方ではようやく氷雪の衣を脱ぎ捨てる。
人々は馬や馬車に身を託し、船に乗って海に出て行くかのようにレント街道へと出てゆくのだった。悲運に遭い、二度と帰らぬ者もある。消息を絶ち、ついにそれきりの者もある。父母が見てさえそれと判らぬほど変わり果てて、はるかな年月ののちに戻り来る者もある。
そうした数え切れぬ様々な場所、無数の人々が繰り広げたエピソード、その全てを知っているのはレント街道だ。その煉瓦は雨に打たれ、日に灼かれた。風に渇き、戦の日にはたっぷりと血を吸い、伝令の早馬が駆け抜けた。
まことにレント街道こそは、この時代の象徴そのものといってもよかった。遠く旅する者に、レント街道を踏まずに済ます者とていようはずがない。
その、レント街道、カーティス街道がラトキア街道とぶつかり、一つに合流するあたり。このところ、妙な噂や事件が相次ぐのですっかりさびれてしまって、昼間でも宿場の火が消えたかと見える、サラジアの森のあたり――
そろそろ黄昏も近いかという気だるい昼下がり、慌ただしい鳥の羽音を伴奏に、森かげからすっと忍び出てきた二、三の騎馬がある。
一見して、職を求めて諸国を渡り歩く傭兵のような風体である。ただかぶとは被らず、頭に汚い、赤いターバンを巻きつけて残りを後ろに垂らしているのだけが、傭兵と違っている。
一人は片目、一人は顔中にこわいひげを生やし、一人は鼻がつぶれて曲がり――それぞれに人相、柄の悪いやからであるが、どうせきちんとした傭兵団に所属でもしておらぬかぎり、傭兵とごろつきは紙一重だし、それに驚く善良な旅人も、このさびれた街道筋には見えない。
彼らは、森の木の下道から馬の手綱をぐっと引いて、一バールほど高くなっている街道へ乗り入れると、用心深げに左右を見回した。
北へ向かえばフェリス、南に行けばダネイン、西をのぞめばはるかにサリア湖のきらめきも、小高いところからならば見えるかもしれない。
左右は深い森が続く。木こりや農民の姿も見えない。
と、見て――
三人の男たちの一人が、さっと手を挙げた。もう一人は、指を口に入れ、思い切りピィーと吹き鳴らした。
指笛の余韻が消えてゆき、しばらくは、あたりはしんと静まり返り、他に動くものの気配とてない。
が。
やがて、木の下生えをかきわけて、一人、また一人と、ぞろぞろと同じような風体の連中が現れ始めた。
紋章を剥ぎ取ったあとが白く浮いて見える鎧をつけたもの、ぼろぼろのマントに身を包んだもの、身につけているものはてんでばらばらだが、誰もがさまざまな色合いの赤い布をきれを、頭にかぶったり、ぐるぐると巻きつけたり、かぶって革紐でとめたり、とにかく頭をすっぽりと赤い布で包んでいるのは同じである。
どれも同じ布を揃えたのではないことは一目瞭然で、汚い煉瓦色に近い赤から、真新しい目にも鮮やかな赤、模様の織り込んであるものまで、いろいろなのが、かえって妙な迫力を作り出している。
あとからあとからレント街道に乗り入れ、馬をおさえたり、街道の赤煉瓦の上をゆっくりと歩き回らせたりしている、いかにも屈強そうな男たちの一団は、とうとう百以上を数えた。もしかしたら、二百人近くにもなるかもしれなかった。
不器量な、ごつごつとして大抵の男よりも男らしいような輩や、そろそろ傭兵稼業もしまいにしなければならなさそうな大年増が数人混じっていることを除けば、とにかく全員が若く、いかにも戦い慣れしたようすの屈強の男たちである。
馬のいななき、足掻き、ざわめき、私語。しんとしていた街道は、たちまちかしましい物音でいっぱいになった。
それはまるで夜を待たずして現れた亡霊の一群のようであった。赤いターバンをいただいた一団は、そこにたむろして何かを待っているようであった。その答えは、すぐにそこに現れ、同じようにさっと馬をレント街道に乗り入れた。
それは、この一団の誰彼と同じようで、それでいて妙にどこかが違う感じの、四、五騎の小隊であった。といっても主として違っているのは真ん中にいる一騎とそれにつき従う一騎のつごう二人で、その二人を守っているために他の連中も、その他の二百人あまりとは妙に異なって見えるというふうであった。
そのもっとも目立つ一騎――しかしそれのどこが、どう違うのだとはっきり指し示すのは、なかなか困難なことであったに違いない。
彼は他の者よりもかなり若く、すらりとして、それに美しかった。甘ったるい美貌とは程遠いが、じっさい、そのつりあがった目と、やせてそげた頬、厳しく引き締まった口もと、高い鼻梁、白い肌といったものは、なかなか整っていて、そしてどこか、危険な魅力を漂わせていた。
退屈した貴族女だの、場数を踏んだ酒場女だのが、いっぺんにまいってしまいそうな――育ちのよい、うぶな処女なら恐ろしがったかもしれないが――ふしぎな色気を持つ、鋭くて暗い俊敏な顔であった。その、翠の双の眸には、何か絶えず暗い炎がちろちろと燃えているようであった。
実際にも彼はずいぶん若かったに違いない。肌の艶やかさも、埃をかぶっていない感じも、とうてい二十五以上とは思えなかったからだ。しかしその若さはいっそう彼を危険に、物騒に見せ、あやしい若い、すらりとした肉食の獣を思わせた。
彼は長い前髪でなかば顔を隠し、背中にもひと束ねにした髪を垂らしていた。他の者たちと違って赤いターバンは巻いていなかったけれども、その髪は他の誰が巻いている布よりも鮮やかな、火の映る銅のように輝く赤だった。
身につけているのは、いかにも実用向きの黒い鎧で、その上から黒いマントをつけ、幅広の剣を吊り、ズボンをとめているサッシュにぎっしりと刀子をさしこみ、膝までの編み上げブーツという、あまり変哲のない格好だった。背中には、革のベルトで、あきらかに腰に吊るすには長すぎる両手剣を背負っている。
しかしそれでも、そうして馬上にあるだけで彼は違っていた。美しくて、若かったこともあるが、それよりも、他のいずれ劣らぬ物騒な連中と比べてさえ、彼の漂わせる凶暴さの予感が、彼のその外見とあいまって、白々と輝く抜き身の刃のように際だたせていたのだ。
その彼のかたわらに、ぴったりと付き従って離れようとしないのは、これはまた対照的に醜い、小柄な年長の男だった。じっさいは醜いというよりも、その顔面がひどい火傷のあとでただれていたのだが、左目を眼帯で隠し、赤茶けて盛り上がり、てらてらと光る左の顔面と、永遠に色を失ったかと思われるような血の色の薄い右顔、頭に巻いた赤いターバンとの対照が、彼を悲劇的に滑稽に見せていた。
このような不幸な風采をした男であったが、残る右目は妙に強い光を隠しており、どこか賢そうな輝きが、彼もまた他の手合いとはまわりの空気の色合いが違うように見せていたのである。
その二人は、三騎ばかりの精鋭を従えて、ゆっくりと集団の中に入っていった。連中はピイピイと指笛を鳴らしたり、鞍を叩いたりして出迎える。明らかに、若く秀麗な一騎とそれに付き従う醜い連れは、この一群――何であったにせよ――の、首領ないしはそれに近いものと、その腹心であった。
二人はさっと道をあける連中の中を、ずっと通って一番前に出た。
人々が一瞬しんとする。
と、若き首領の右手がさっと挙がった。
「――行くぞ」
その口から、鋭い、よく響く声が発せられた。
「サナリア!」
「サナリア!」
どっと、彼らは叫び声を上げる。
そして、赤布の一団は馬腹を蹴って、髪をなびかせる若く美しい首領を先頭に、どどど――と音を立てて、レント街道を馳せ登り始めた。
目指すはサナリアの宿――自由国境地帯のローンとフェリスを結ぶラトキア街道の、主街道からは一本外れた、旧街道沿いの寂れた宿場町である。
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