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 その日の夕方からは、リュアミル皇女の二十三歳の誕生日と、また名誉が護られたことを祝う祝宴となった。それは皇太子のための宴だけあって、先日の紅玉将軍就任と戦勝を祝う宴に倍するような大宴会で、招待客もぐっと増えていた。
 今回使われたのは、紅玉、翡翠と並ぶ瑪瑙の大広間であった。その名のとおり至る所に赤や青、茶色の瑪瑙が張りめぐらされ、色とりどりの美しい模様で床を彩っている。オルテアに帰還してからパーティー続きのアルドゥインは、もうすでにこの広間の豪奢な美しさにいちいち感動するほどではなくなっていた。
 手痛い敗北を喫したチトフ伯爵は、どうやら落馬した際に腕の骨を折ってしまったとかで、この宴には顔を出していなかった。そしてどういうわけか、ユナ皇后も、急に気分が悪くなったとかであらかじめ欠席の旨を伝えていた。それはある意味不気味であったのだが、おかげでユナの顔色に戦々恐々としている貴族たちは心置きなくアルドゥインに話しかけることができたのだった。
「トティラ将軍との一番とやらには比べるべくもないだろうが、実に素晴らしい試合だった。今年のトーナメントが楽しみですな」
 と褒めちぎる者もあれば、
「大きな声では言えませぬが、くれぐれもあのお方にはお気をつけなされよ」
 と皇后の席を見やりつつ囁く者もあり、大抵言われる言葉はそのどちらかに二分されていた。
 そして一番アルドゥインを閉口させたのは、黄色い声の貴婦人たちがきゃあきゃあと彼を取り囲んだことであった。彼はべつだんそういうことが苦手というわけでもなかったのだが、彼の関心は全てリュアミルに向いていたので、嬉しくも何ともなかったのだ。
 しかし皇帝一家ご出座の触れ声が響いて彼女らがおとなしく下座の方に戻っていってくれたので、アルドゥインはほっとした。
 皇帝の正装である白い毛皮を縁につけた金の王冠に、緋色のマントを長々と引いたイェラインに続いて皇太子リュアミルが入ってきた時、人々は盛大な拍手で迎えた。おそらく宮廷中から軽遇されているこの皇女がこれほど大きな拍手で迎えられるのは、年に数回もないことであったに違いない。
 今夜の彼女のドレスはあざやかなロザリア色だった。大きく広がるスカートは真ん中から三段にリボンでたくし上げて滝のようなひだをたっぷりと取り、下の白い段重ねのレースが見えるようになっていた。雪のように白い胸元を三角形に切り取る襟は黒のビロードの別布で仕立てられており、金で縁がかがられていた。袖は長くたっぷりとしていて、肘の辺りからドレスと同じ白いレースに切り替えられている。髪はきれいに結い上げられて、ロザリアが編みこんであった。
 その後に続いたパリス皇子については語ることは多くなかったが、ルクリーシア妃はやはり美貌においても、そのドレスや宝石においても今夜の主役よりも目を引いた。ドレスはユナ皇后が新鋭デザイナーのアルベルトゥスに作らせたもので、赤のエトルリアの絹の上に、白い羽のように透けるクラインのレースを重ねていたので動くたびにその濃淡が変わり、精巧な縫製によってまるで縫い目がないように見えた。
 しかしまあ、とにかく人々は今日の主役がリュアミル皇女だということは充分に心得ていて、あまりその事にはふれなかった。それに大体においてルクリーシアの身に着けるものの方がリュアミルのものよりも高価であるのはユナ皇后の意地悪であることも皆知っていたのである。
 ともあれ主役が登場し、イェラインの「これで短いが終わる」が締めくくりの半テルほども続く挨拶の後にいよいよ宴が始まり、舞踏曲が流れ、詩人が歌い、人々は踊りや飲み食いを始めた。
 姫君たちにダンスに誘われる前に逃げ出してしまおうと考えていたアルドゥインは、程もなく姫君ではなかったが貴族たちにつかまってしまった。が、姫君たちよりも政治的な重要性も高ければ知り合っておく必要もあったので、うんざりすることこそあれ嫌がるべきことではなかった。
 クラインで言えば十二選帝侯にも匹敵する権力と領地を有する十一人の貴族がメビウスにはいるのだが、今日はその全員が出席していた。その中のハヴェッド伯爵ヴラドとはすでに親しい仲となっていたが、遠征で世話になったタギナエ候ラザール・ド・ブラグマンテを別とすれば残る九人とはほとんど面識がなかった。
 次々に紹介されたのでアルドゥインは名前と顔を覚えるのだけで必死だったのだが、中でもパアル候ジグムント・ド・ハドラヴァとエクァン候レオン・ド・フロベールはそれぞれ先帝キウィリスの妹フェメラ皇女とルキラ皇女が母親で、イェラインとは従兄弟にあたり、そのおかげで幾分か覚えやすかった。
 また海を持たぬ地方ではあるが、広大なノーグ川を領内に持つパアル候は、メビウスの誇る海軍・赤銅海兵隊の将軍、戦艦《赤銅》の提督であった。
 それから一番アルドゥインの印象に強く残ったのは、ヴェンド公ヘルリ・ド・ラ・レステだった。彼は通り一遍の挨拶の後、苦笑しながら言った。
「クラインの摂政公――あの時はまだ右府将軍だったが、サライ殿と初めて会った時、これはなかなか容易ならぬ男だと思ったが、貴殿と先に会っていれば、貴殿に我が娘を、と言っただろうな」
「サライ――摂政公と?」
 思わずサライを呼び捨てにしかけて、アルドゥインは引き伸ばしたふりをして言葉をくっつけた。ヘルリは嬉しさを抑えきれぬようであった。
「陛下をお通しして、今縁談を進めている最中なのだよ」
「それはおめでとうございます。ご婚約相成りましたならば、あらためてお祝いを」
 あまり驚いてもいけないので、アルドゥインは平静を装ってありきたりな台詞を言ったが、心中はいろいろな思いが渦巻いていた。それは主に、全く恋愛ごとに関心がなさそうな顔をしていたサライが、知らない間に結婚話を進めていたという驚きだった。
(あいつ、結婚するんだ……)
 友人がどんどん知らぬ所に行ってしまっているような気がして、アルドゥインはちょっと寂しくなった。
「アルドゥイン殿、どうしました? お顔が暗いですよ。勝利者がそのような暗い顔をしていてはいけませんよ」
 元気な声が後ろからかかった。振り返って確かめる前からそれがソレールだということは判っていた。
「考え事をしていただけだが、そんなに暗く見えたかな」
 アルドゥインは口許に笑みをのせた。そこへ、騎士団の残る三将軍が集まってきた。三人とも妻を同伴していて、ロランドとベルトランはそれぞれ十歳ばかりの息子の手を引いていた。
「こんばんは、アルドゥイン殿。独り者同士のお話はお済みかな?」
「その言い方はひどいですよ、ロランド殿」
 ソレールがちょっとむくれた。
「話というほどのこともございませんよ」
 アルドゥインの方はいたって尋常に答えた。
「紹介しよう。妻のユアラと息子のドリスタンだ」
「お初にお目にかかります。ユアラでございます」
 ロランドが後ろに立っている妻と子を紹介した。亡き紅玉将軍の娘と聞いているユアラは、ドレスの裾をちょっとつまんで会釈した。ドリスタンの方は、祖父の鋼色の瞳と父の赤みがかった金髪を受け継いだ、なかなか可愛らしい少年だった。
「はじめまして、ドムナ・ユアラ。亡き父上ディオン将軍には、たいへんに目をかけていただきました。いずれ墓前に詣でたいと存じております」
 アルドゥインも丁寧に頭を下げた。ベルトランの妻子紹介が続いた。
「俺の妻と、息子だ」
 そう言うと、隣の夫人と息子が礼をした。
「セラーと申します」
「僕はオルベリアンです。初めまして、アルドゥイン将軍」
「これ、馴れ馴れしいですよ、オルベリアン」
 セラーがたしなめたが、アルドゥインは鷹揚に笑って差し出された手を握った。ドリスタンとオルベリアンを見比べて、彼はベルトランに尋ねた。
「ご令息はお幾つですか」
「十歳だ。ドリスタンももうすぐ十になる。俺とロランドが同い年だが、どういうわけか息子の年まで揃ってしまった」
 ベルトランはぼやくように言った。だがまだセレヌスが妻を紹介していなかったので、彼はそれ以上の雑談はせずにちょっと場所を譲った。
「アルドゥイン殿、妻のウェニリアです」
「ただいま主人よりご紹介を受けました、ウェニリアでございます」
 ウェニリア夫人はセレヌスとあまり年の変わらぬ、ほっそりと小柄な二十六、七くらいの怜悧な顔立ちの女性だった。日に輝く麦穂のような金色の髪をしており、瞳は水色とも灰色ともつかない不思議な色をしていた。セレヌスの瞳が金ならば、彼女の瞳はまるで銀色だった。
「見てのとおり、アエミリアヌス侯爵ご夫妻はわれわれのうち一番の美男美女カップルだ。それも貴殿の奥方になる女性しだいということになるがね」
「下らぬことを言わないでください、ロランド殿。私たちを見かけで色々言うのはよしていただきたい」
 セレヌスがじろりとロランドを見た。しかし確かに、セレヌスもウェニリアも冷たい美貌――とはいえそれは決して、とっつきにくいとか、嫌な感じがするわけではなかったが――の持ち主で、美男美女の取り合わせであることは間違いなかった。
「別にそんなことで競おうとは思っていませんよ、俺は」
 アルドゥインは苦笑した。ロランドを見たその視線や、容姿のことを言われたときの反応からすると、どうやらセレヌスは自分の美貌について逆にコンプレックスを持っているらしい。それも意外な一面で、アルドゥインには興味深かった。
「ご歓談を遮り、失礼つかまつる」
 古臭い喋り方とともに彼らの話に入ってきた男を見て、アルドゥインはあっと声を上げかけた。
「あんたは――」
「紅玉将軍アルドゥイン殿。お初にお目にかかる」
 彼は飄々と言った。それは、決闘の前にいきなり案内も請わずに控室に入り込んできた男であった。金のボタンと紐で閉じる真っ白い礼服に身を包み、肩には騎士団将軍の礼服と同じような肩章が飾られ、赤い肩章を左肩から斜めに掛けている。
「それがしは海軍大元帥、アラマンダ公爵サラキュール・ド・ラ・アルマンドと申す。海と陸の違いはあれど同じく国の守護を司る身として、以後よしなにお頼み申し上げる」
 そしらぬふりもここまでくれば見事なものだった。アルドゥインは呆れるよりもいっそ感心してしまった。だが彼の名前と肩書きには、異国人のアルドゥインも覚えがあった。その名は世に知られた、五年前にわずか二十歳の若さでメビウス海軍の全てを束ねる大元帥に就任した男のものである。
「あ……ア、アルマンド卿、こちらこそよしなに」
 アルドゥインはどもりながら一応返事をした。リュアミルといいサラキュールといい、どうも自分はそれと知らずに重要人物に会いすぎる――と、彼は思った。
「方々、アルドゥイン殿を少々お借りしてもよろしかろうか?」
 彼のひそかな物思いなど知ったことではないサラキュールは、ロランドたちに話しかけていた。サラキュールは年下ではあったが身分も階級も彼らよりもずっと上であったし、断る理由もなかったのでアルドゥインの身柄はごくあっさりとサラキュールに預けられてしまった。
「では、御免。アルドゥイン殿、それがしについてきて頂けぬか」
「は、はあ」
 足早に歩いていくサラキュールに、慌ててアルドゥインはついていった。
「お初に、とは言われたが、試合前にお会いしたはずでしたが」
「あれは私人としてだ。今のは公人としての挨拶だ」
 皮肉を言ったつもりだったが、サラキュールの返事はあっさりとしていた。アルドゥインは納得いかぬ顔をしたが、あの時はお互い名乗りもしなかったのだからまあいいか、と自分の中で落ち着く結論を導き出した。
 サラキュールに連れて行かれた先は、庭を見渡せるテラスだった。
「アルドゥイン殿を連れてまいったぞ」
 彼が声をかけると、そこに一人でいた人影が動いた。窓から漏れる明かりと、庭で焚かれたかがり火を受けたドレスの色は、ロザリア色。アルドゥインは驚いてサラキュールを振り返った。
「リュアミルが、おぬしに話したいことがあると言うのだ」
 もっと驚いたことに、サラキュールはリュアミルを呼び捨てにしていた。呆然としている彼をリュアミルと二人きりにして、サラキュールはさっさと行ってしまった。最初に口を開いたのはリュアミルだった。
「サラキュールは兄のように親しく育ったのです。彼を無礼と思わないでください」
「いえ、決してさような」
「よかった。――私の名誉の為に戦ってくれて、ありがとう」
 リュアミルは微笑んだ。
「殿下にこそ、俺はご迷惑をおかけしたものと思っておりましたのに、さようなお言葉を頂いては身に余ります。俺はメビウスを――殿下をお護りする者です。これから先、我が命の尽きるまで」
「あなたは率直な人ですね、アルドゥイン。それに、真面目なのでしょうね。皆、皇后陛下を恐れておいでなのに、あえて逆らい、私のような生まれの皇女にもそのように礼を尽くしてくれるとは」
「俺は殿下に剣をお捧げ致しました。それゆえ、未来永劫に殿下の騎士です。たとえ誰が何をし、何を申しましたとしても」
 アルドゥインはゆっくりと言った。そして跪き、腰の宝剣を抜いて切っ先をおのれの胸に向け、柄をリュアミルに差し出した。
「殿下をロザリアの君とお呼びすることを許されたゆえ、我が剣とロザリアの花にかけていま一度誓います」
 再三に亘って予言された《ロザリア》が誰なのか、もうキャスバートやコルネウスの口から聞こうとも、聞きたいとも思わなかった。彼にとっての可憐な青い花はリュアミルで、それで良かった。
「われ、アスキアのアルドゥインはロザリアの君を生涯唯一の主とし、我が剣と命を捧げるものなり。いざ受けたまえ、我が君。されば我が忠誠は永久に君のものとならん。我が忠誠を試される時はいつなりともこの剣を押し、我が命をとりたまえ」
「アスキアのアルドゥインの剣、確かに承りました。ヤナスとナカーリアの御名においてこの誓いの祝福されんことを」
 リュアミルはためらわずに返句を唱え、柄に口付けて剣を返した。立ち上がり、剣を鞘に収めてから、アルドゥインはスカーフを留めていたロザリアのブローチを外して掌に載せた。
「我が剣と花のあるじに」
 リュアミルは驚いて彼を見つめ、それからそっと手を伸ばしてブローチを受け取った。そして代わりに自分の髪に編みこんでいたロザリアを一本抜き取ると、その花びらに口づけて、アルドゥインの胸に挿してやった。
「アスキアのアルドゥインの花、承りました」
 そのまま二人は、ぎこちなく、口も利かず、寄り添いもせず、また広間に戻って踊ることもせずにテラスから庭園を見やったまま、ずっと立ち尽くしていた。
「サラキュール」
 室内では、イェラインが口許を緩めながらアルマンド海軍大元帥に囁いていた。
「どうやら、リュアミルは誕生日に、何よりも頼もしい贈り物を得たようだな」
「御意。殿下の名誉は彼が守り通すことでしょう」
「さもあろうな」
 イェラインは安心したような笑みを浮かべた。
「これで私も肩の荷が下りる。あれの母のことといい、ユナのことといい、今まで辛い思いばかりさせていたが、あやつはこの父に代わってあれを護ってくれるだろう」
「御意」
 サラキュールはテラスに目をやった。それは、たった一人の大切な妹をやっと任せられる男を見つけた――とでも言うような目だった。


「Chronicle Rhapsody15 ヤナスの道」 完


楽曲解説
「オブリガード」……助奏
「涙のパヴァーヌ」……ルネサンス時代のイギリス人作曲家ダウランドのリュート曲。パヴァーヌとは「パドヴァ風の」の意。緩やかで威厳のある曲風。
「トゥルネオ」……スペイン語。騎槍試合の様子をあらわす舞曲。

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