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 チトフ伯爵に、新紅玉将軍が決闘を申し込んだという話は、次の日の朝には全オルテア宮廷の知るところとなっていた。その理由というのがチトフ伯爵がリュアミル皇女を侮辱したからということ、主役が記憶に新しいどころか時の人のアルドゥインだというので、その日のパーティーの間中にほとんどの人がこの騒動の顛末を知り、また大いに噂をしたのであった。
 何分どうしてアルドゥインがそこまでリュアミル皇女に肩入れするのかわからなかったので、皇太子にへつらっているのだとか、あるいは彼がメビウス皇家の内情を知らぬのであるし、ただ単に主君の娘を馬鹿にしているチトフが許せなかっただけではないのかと、いろいろな憶測が飛び交っていた。
 貴族の決闘を許可し、あるいは却下するべきイェラインは、やめさせるように頼み込んだリュアミルの意見やみっともないからと制止するユナ皇后の言葉などほとんど耳に入らず、トティラ将軍とリール公女を打ち負かした英雄の試合を自分も見られる好機と大喜びして許可してしまった。
 お互い顔を背け、目が合えば合ったで火花を散らすアルドゥインとチトフが並んで決闘の許可を得に来たとき、彼は上機嫌で一も二もなく承諾した。
「では決闘の日時は黄の五日のエレミルの刻からとする。立会人は余と他の四将軍と提督らの十名。場所は場内の試合場、時間は無制限。申し出のとおり、形式は一対一の騎槍試合によるものとし、落馬あるいは武器を失う、または降参を申し出たものの負けとする。よいな」
 イェラインは昔病弱であったゆえに自身は武術に長けていなかったが、見るのは大好きという性分で、アルドゥインがトティラ将軍と戦った一番を自分も見たかったし、ソレールとの一番を見たかったとぼやいてばかりだったので、この決闘は渡りに船というものだったのだ。
 それにしても相手がチトフ伯爵という、皇帝もあまり名前を把握していない、政治的にも軍事的にも重要でない人物だったというのが彼にとって少々不満だったらしく、彼はそののち一家での昼餐会の時にリュアミルに言ったものである。
「アルドゥインはかのトティラを倒したほどの使い手だ。あんな小物に負けることはあるまい。それに、あやつはそなたの騎士となったのだろう? そなたの二十三の誕生祝いにまたとない名誉と勝利を贈ってくれるだろうよ」
「そのような気まぐれで決闘を認めるなど、英明たる陛下のお言葉とも思えませぬ。彼の剣技がご覧になりたければ、トーナメントまでお待ちになられませ」
 ユナ皇后がむっつりと言った。それから鋭い目をリュアミルに向けた。
「リュアミル、どうせそなたが何も知らぬ紅玉将軍をそそのかしたのであろう。パーティーに遅れてわたくしたちに恥をかかせ、チトフに何を言われたかは知らぬが、他人をそそのかして戦わせるとは、いったい何を考えておいでだえ? 全く、母が母なら子も子とはよく申したものよ」
「……」
 リュアミルは伏し目がちに俯き、何も言い返さなかった。見かねたパリスがまた姉をかばった。
「母上、姉上は何もなさっておられぬ。それは皆が申しております。紅玉将軍がチトフ伯爵に決闘を申し込んだのも、そもそもチトフ伯爵が姉上に失礼なことを申したからだと聞きます」
「お前は黙っておいで、パリス」
 実の息子にも彼女は手厳しかった。しかし今度はイェラインも口を出した。
「ユナ、そなたの言いすぎだ」
 それでユナはますます不機嫌な顔になり、ぶっすりと黙り込んでリュアミルを睨みつけていた。リュアミルはもう顔を上げることもせず、ろくろく食べられずに昼食の時間が終わるまでじっと耐えていた。その隣に座っていたルクリーシアも、義姉をかばえば義母に角が立つし、かといって義母に便乗するようなこともしかねて、やはり同じように気まずく黙りこくっていた。
 皇帝一家の――おもにユナの引き起こす――ごたごたはさておき、アルドゥインは決闘を二日後に控えていたが、騎士団の編成替えをしたり、練兵を行ったりとごく普通の日常を送っていた。対するチトフ伯爵の方は屋敷に引きこもって、どうやらその日に向けてのトレーニングに励んでいるようであった。
 その日の午後、立会人の挨拶と称して、四人の将軍たちが仲良く星ヶ丘の紅玉将軍の公邸を訪れた。引見前に会ったときにはほとんど自己紹介をしている暇も無かったので、それも兼ねているようだった。
 琥珀将軍ソレールについてはすでに述べられたとおりの、非常に背の高い、少年といってもいいような弱冠二十歳の青年である。体格のせいか、じっとしていれば年よりも老けて見えるが、時折まだ子供っぽい表情を覗かせるところが、アインデッドを妙に思いださせる。
 今年アルドゥインとともにオルテアの守護をつとめる翡翠将軍ロランドと黒曜将軍ベルトランは同い年の幼なじみで、今年三十五歳になるという。ロランドは髪を長く伸ばし、ゆったりと後ろで束ねている優男であったが、リュシアンが婿に迎えただけあって、つつましやかな武人らしさがその容貌を女性的に見せなかった。
 対するベルトランは優男とか美男という言葉にはあまり縁がなさそうだったが、広い肩やきりりとした太い眉などがいかにも武人らしく男らしかった。澄んだ青灰色の目は剛毅な光を帯びている。その体を包む武人らしさは彼らに共通する特徴であった。
 さいごに瑪瑙将軍セレヌスであったが、彼は二十八歳で、年齢はアルドゥインにもロランドたちのどちらにも近いといえた。しかしリュシアンを冷静に論破したところから見ても、いちばん論理的でものに動じないのは彼のようだった。
「五大将軍一の美男の名はアルドゥイン殿に取られてしまったようだな」
 とベルトランが笑いながら紹介したように、色白、痩身、性格をそのままあらわすように冷たく冴えるような美貌だった。涼やかな切れ長の琥珀色の瞳は光の当たり具合によっては金色にも見える。
「やめてください、ベルトラン」
 むっとした顔でセレヌスはじろりとベルトランを見た。
「せいぜい馬鹿な娘どもが勝手に熱を上げて追い回し、ウェニリアは私の妻というだけでいわれもない妬みを受ける。それだけで良いことなど一つもない。男が美しいことに何の価値がある。いっそ気色が悪い。そう思われぬか、アルドゥイン殿」
「まあ……たいていそうですね」
 アルドゥインは苦笑いした。
「それはさておき、貴殿がリュアミル殿下のために決闘をするとは、いったいどのような風の吹き回しなのだ? 殿下とは昨夜が初対面だと思うが」
 ロランドがセレヌスの不機嫌をそらそうと話を変えた。
「いや、何というか……」
 照れながら、アルドゥインはリュアミルを皇女と知らずに会ったことがあるという話をした。むろん一目惚れの片思いだなどということは内緒にし、とにかくチトフ伯爵があまり失礼なのでついかっとなった、ということにしておいた。
「殿下に聞こえぬところで言っているのならまだしも、目の前にしてあんな失礼を言う輩がいるとは、俺は夢にも思っていませんでした。他の誰がどう思っていようと、彼はか弱い女性を侮辱するような奴は許せない」
「それはまあ、我々もつねづね思ってはいるのだがな。立場上あまり事を荒立てるわけにもいかなかった。貴殿がああしてくれて、正直すっとする思いだよ」
 ロランドが言った。
「あまりこのようなことは言いたくは無いが、リュアミル殿下を疎んじ、ああいう輩をのさばらせているのはユナ皇后なのだ」
 これにはアルドゥインも驚いた。疎んじているというのはセリュンジェから聞かされたが、まさか公然とそんなことをしているとはにわかには信じがたいことだった。
「これは身内の恥とでも言うべきだが、これからメビウスでやっていくには知っておいたほうがよかろう。リュアミル殿下の母君のことは、知っているか?」
「側室で、夭折されたとか」
「さよう。ミラルカ・デ・セフェリス――現在は断絶した男爵家の姫だ。それゆえ側室扱いだったが、しかし陛下には非常に愛され、またその愛だけを頼りに生きておられた。私とベルトランは一度か二度、お目にかかったことがある。胡桃色の髪と、やさしいロザリア色の目の、ほんの少女のような方だった。十九で殿下をお産みになられたのだから、実際あのころはまだ今の貴殿とそう変わらぬ年だったと思う。――それで、ミラルカ姫は陛下に非常に愛し慈しまれておられたのだが、正妃のユナ皇后がそれを快く思われぬのは道理。皇后にしてみれば夫の愛も、皇太子を産む名誉も、ミラルカ姫が奪ったのだからな。それで皇后陛下はミラルカ姫にことあるごとに辛くあたり、気の優しい姫はそれを陛下に言うこともできず、とうとう思い余って毒をあおられた。たった二十六歳の若さで。そして皇后は哀れな姫を殺しただけでは飽き足らず、その娘であるリュアミル殿下までも皇太子から引きずりおろそうと画策し、周りの馬鹿者どももそれに同調していると、そういうわけだ」
「リュアミル殿下を女帝にするよりは、せっかくいる皇子なのだから、長子相続にこだわらずパリス皇子を皇太子にせよ、とね。陛下も陛下ですよ。リュアミル殿下がおとなしくて何も仰らぬのをいいことに、それに胡坐をかいておられる。陛下の英明も、家庭までは行き届いておらぬようで」
 セレヌスが、彼にしては珍しく厳しい口調で非難した。
「おい、セレヌス」
 ベルトランがきょっとしたようにセレヌスを見た。
「本当のことを言ったまでですよ、ベルトラン。アルドゥイン殿、ユナ皇后ににらまれて罰を受けたり、降格されるのを恐れる愚かな輩と貴殿が一緒だとはつゆとも思わないが、ユナ皇后に何を言われても気になさらぬことだ。どうあろうと我々はイェライン陛下の臣であって、皇后の臣ではないのだからな」
「むろん心得ています」
 アルドゥインは頷いた。それを聞いてセレヌスはちょっと口の端をつりあげた。琥珀色の瞳が猫のような金色にきらりと光る。
「まあ、せいぜいチトフは貴殿の引き立て役、不敬の罪がいかに重いかを思い知る結果になるだろう」
「でもアルドゥイン殿、ほんとうに気をつけてくださいね。言っては悪いですが、皇后陛下は毒薬のことに通じておられて、それは気に入らぬものや敵対するものをこっそり闇に葬るためなのだともっぱらの噂で」
 心底から心配するようにソレールが言った。
「ソレール、いくら皇后陛下でも、イェライン陛下のお気に入りのアルドゥイン殿を暗殺するわけにはゆかぬだろうさ。いくらなんでもあからさますぎる」
「セレヌスの言うとおりだ。リュアミル殿下に表立ってであれこっそりであれお味方している者を全て殺そうと思ったら、それこそ国家的大事業というものさ」
 ベルトランが皮肉っぽく笑った。主君の妻に対してそんな事を言うものではないだろうが、三人のうち誰も制止しようとはしなかった。夫のイェラインとは対照的に、よほどユナ皇后という人物は人望がないと見えた。
 それから話題は将軍たちらしく武術の話になり、また紅玉騎士団の編成をどうするのかといった話になり、リュシアンの思い出話になって和やかに時間が過ぎていった。彼らが引き取っていったのは、もう夕方が迫ろうという時間だった。
 翌日、アルドゥインはオルテア城に参内した。それは、リュアミルの印か彼女を表す色を、彼女の騎士として騎槍試合の際に標章に用いる許可を得るためだった。皇帝一家の住まいである紫晶殿の一角、皇女宮に入ると、周りは当然の如く女官ばかりになり、「あれが皇女のために決闘する将軍か」というような好奇の眼差しと、うっとり見つめる視線を至る所から感じた。
 いくら騎士でもリュアミルに直接会って話ができる身分ではないので、アルドゥインは一旦控えの間のようなところに通され、彼の言葉を女官が伝えにゆき、また答えを持って戻ってきた。
 取り次いでくれたのは四十くらいの女官で、茶金の髪をきりりとひっつめ、いかにも古参の、厳しそうな感じだった。彼女は許可が下りたということを伝え、ロザリア色の標章を手にしていた。
「これをお使いください、アルドゥイン将軍」
 布を手渡し、それから彼女は声を落として囁いた。
「貴方のような方を待っておりましたわ。ぜひともユナ皇后の鼻を明かしてやってくださいまし!」

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