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 そしてヒダーバードを越え、さらに北西へ――。
 アゼル、シュム、フリック――バールガウを過ぎ、ルシタニアを抜け、ペルジア‐メビウス国境へと街道をひた走る。
 泊まりを重ね、ひたすらに先を急ぎ、行く先々で、イズラルからの噂を聞きつけた物見高い村人たちの好奇と感嘆のまなざしともてなしに迎えられつつ、一行はレント街道を急いだ。
 メビウス国境を越え、レント山脈の山並みを横に眺め、そこからはやや南下するコースをたどってアヴァール森林地帯に入り、そもそもの振り出しの地グレインズの村、ピウリの砦――タギナエ候領へ。
 出発の時、深い雪に閉ざされていたアヴァールの国境は、この一旬ほどのうちに雪解けを迎え、早くも雪割草が可憐な花を咲かせていた。
(やっと帰ってきた)
(これで、オルテアで夏祭を迎えられる)
(妻子のもとに帰れる)
 しかし、心は一気にオルテアまで突っ走りたい思いでいっぱいであったが、そうするわけにはいなかった。
 アルドゥインは一行に、ピウリでの全軍停止を命じた。すでにペルジア軍は撤退し、紅玉騎士団も撤兵していた。
「アルドゥイン、何だって早くオルテアに向かわないのさ。みんな焦れったがってる」
「忘れるな、セリュンジェ」
 セリュンジェが心配してやってきたが、アルドゥインは落ち着いていた。
「俺たちは脱走兵なんだぞ。――皇帝陛下のご命令に背き、国境を越えてメビウス軍籍を離れた、不逞の脱走部隊だ。むろんその全責任は俺にあるし俺が取るつもりだが、しかしもうメビウス国境を越えたからには、全てはメビウス皇帝のご命令を待たねばならん」
「たしかに、脱走はしたかもしれないが」
 セリュンジェは、紋章を剥ぎ取った跡が薄く残っている、自分の鎧を見下ろした。
「それでもペルジアから半永久的な友好条約と、謝罪状をとりつけてきたんだ。凱旋将軍として、紙吹雪で迎えてくれたってよさそうなものだがね」
「そうはいかんさ」
 アルドゥインは静かに言った。そしてはやる軍団をとどめ、何箇所かにあてた手紙をしたため、早馬で届けさせた。
 オルテア恋しさにはやってはいたものの、兵士たちはともかくもオルテアへは、イズラルにあるときと比べれば目と鼻の先にまで戻ってきたのだという安心感もあり、またこの遠征によって、アルドゥインの指揮に従ってさえいれば万事大丈夫だという強い信頼がいっぺんに芽生えていたので、セリュンジェが懸念していたように、一日も早くオルテアに、と逆上して騒ぎ出すようなことはなかった。
 それに、何と言ってもグレインズ、ピウリは彼らにとってそもそもの振り出しの地であった。彼らは、二ヶ月前の悪夢のような戦い、おぞましい死霊を相手の戦いやら、ペルジア軍の夜襲にそなえてせっせと柵を作らされたこと、雪深いタギナエ国境の寒気と、このいくさは長引くだろうと知らされた失望などを、酒を酌み交わしながら思い出し、語り合って倦まなかった。
 今はそのアヴァールの森には、彼らのいなかったたった一旬の間に雪も消えはじめ、若芽が伸び、草が萌えはじめている。イズラルに比べればまだ冷え込んだが、寒波も消えていた。兵たちは思い出話に花を咲かせ、それはいつも必ず、要するにアルドゥインは全て判っていたのだ――あの大将は大した奴だ――そうとも、俺たちのアルドゥインだからな、という結論に落ち着くのだった。
 久しぶりでメビウスの兵士たちは、強い火酒を浴びるほど呑み、樅の枝で火を熾して肉を焼いてむさぼり食う、もっとも性に合った楽しみを満喫した。アルドゥインの命令と親書の中にはピウリの村長宛てのものもあったが、これはその日のうちに村長自らやってきたので、少なくとも兵士たちは当座の食料と寝所とはピウリの村からあてがわれ、不自由せずに済むことになった。
 アルドゥインと主だった隊長たちには、ピウリの村長自らが宿舎を提供したが、長く待つことはなかった。アルドゥインの親書を携えた伝令たちがタギナエ候領の州都タギナエ城と、そしてオルテアとどこへやらへ発って三日しか経たぬうちに、メビウス皇帝旗を押し立てたタギナエ候からの使者と、なぜかハヴェッド伯からの使者がピウリに早馬をとばしてやって来たからである。
 アルドゥインとセリュンジェ、ネイクレード、モデラートら隊長たちは、武装を解き、恭順の意を表して、村長の別宅で上使を迎えた。
「これはタギナエ候の臣、ナルドレであります。――我が主タギナエ候への、イェライン皇帝陛下の御命令書をお預かりしてまいりました」
「同じくハヴェッド伯の臣、ウィルフレッドであります」
 使者の態度は一応は丁寧であった。が、その上意が読み上げられたとき、セリュンジェ以下の人々のおもてはさっと青ざめた。
「上意――メビウス皇帝イェライン・ル・アルパード・ドゥ・メビウスの名において以下の如く上意申し渡す。
一、メビウス紅玉騎士団、もと千騎長アルドゥイン、この者皇帝の詔勅に背き、みだりに軍籍を離れ、国境を越えペルジアに逃亡せしこと不届き至極なるをもって、脱走兵として千騎長の地位を剥奪、武装解除の上、上使の護送によりレウス城送りとなし、ハヴェッド伯預かりの身として監禁、厳重に監視をなすこと。
一、以上の者に従いたる紅玉騎士団およそ五千名の平騎士については、上官の命に従いしのみをもってお咎めなし。ただしオルテアに帰属すべからず。タギナエ候領にとどまり、次命を待機すべきこと。違背しあえてオルテアに戻りたる者については厳罰を以てのぞむものなり。
 以上、御名御璽。タギナエ候ラザール・ド・ブラグマンテ――署名。――以上、上意である。謹んで承るよう」
ナルドレが、捺印と署名を見せるために、金で縁取りされた羊皮紙をしばらくこちらに向け、一礼して巻きおさめ、筒に戻すまで、一同は声も出なかった。もとより脱走と、勝手な行動をイェライン帝が怒ることは判っていたし、メビウス軍はその統制に伴って軍律が非常に厳しかったが、それにしても、それがアルドゥインの、ペルジアの侵略の根を完全に断たんがための戦略、メビウスに難が及ばぬための離脱であると、十二分に汲み取ってくれるもの、とセリュンジェ以下の者たちは信じて疑わなかったのである。
 しかも、こうして首尾よく――予想に倍する成功をおさめ、意気揚々と晴れて故国の土を踏んだのだ。彼らの考えでは、彼らは紙吹雪とパレードを以て晴れがましく迎えられるべきでこそあれ、脱走兵としてかくも重い処分にさらされようとは思いもしなかったのである。
「な――!」
 まっさきにセリュンジェが真っ赤になって飛び上がり、何かわめこうとするのを、アルドゥインは目顔で止めた。
「ご上意、たしかに承った。お役目ご苦労に存ずる、ナルドレ卿」
 アルドゥインの様子も、声も、落ち着き払って静かだった。ナルドレとウィルフレッドは、おもわずほっとしたようだった。
「いかにもご命令に従い、レウス城に入るであろう。ただいまただちに出立すべきであろうか」
 ウィルフレッドは気の毒そうに言った。
「ただいまなりとはあまりにも急、ともかくもご支度の猶予はそれがしが一存にていたしますゆえ、何テルかはご自由に」
「かたじけない、ウィルフレッド卿」
「いや」
 ウィルフレッドは首を振った。
「こたびのペルジアでの仕儀、おおよそのところはルーヴ・ラ・シェリス殿からすでにオルテアに報告が入っております。われらメビウスの民は皆、アルドゥイン殿の英断と、我が身を犠牲にした行動により、対ペルジアの戦争の危機を免れたもの、と存じております。ただ――陛下には外面ということもございますのでしょう。詳しきことは我が主がご存じでしょう。ともあれ、支度にただちにおかかりください」
 ナルドレとウィルフレッドが席を外すなり、ようやくのことで自らを抑えていたセリュンジェたちはわっとアルドゥインに詰め寄った。
「な――何だって――」
「それはあまりに」
「不届き至極とは――」
「何のために我々は――」
 皆の声が一斉に交錯し、アルドゥインは苦笑した。
「ちょっと待て。いっぺんには言われたって聞き取れない。一人ずつ喋ってくれ」
「冗談じゃない――であります、閣下!」
 ヤシャルがわめいた。
「いったいどうして、千騎長閣下が監禁護送されねばならないのですか! メビウスのために我が身を捨てて尽くされた閣下が――」
「軍律は、軍律だ。もとより皆が俺のようにふるまって、それで許されると言うのであれば、軍隊も国も立ち行かない。これは、俺の考えではまったく当然のお沙汰だ。もとより離脱した時からこうなるだろうことは判っていた。が、申し訳ないのは、あれほどよく働き、不平一つ言わずつき従ってきてくれたお前たちまでも、俺のわがまま勝手の巻き添えを食わせる結果になってしまったことだ。すまない。もしも陛下の前で申し開きが許された折には、全ての罪は俺一人にあることと申し上げ、お前たちの誰一人として牢送りにはさせない。それだけは安心してくれ」
「何を――」
「何を言われますか」
 ディウスが叫んだ。
「私は、好きであなたについていったのだ。自ら選んで脱走したのだから、あなたに罪があるならこのディウスもまったく同じ」
「私も――」
「俺もです」
「そ――そんなことはどうだっていい」
 セリュンジェは震える声で言った。
「罪に落とすなら落とすで、それでいい。だが、どうして――どうして俺たちはタギナエ候預かりで、あんた一人がハヴェッド伯預かりなんだ? そんなひどい――俺たちは、あんた一人を頼りにぞろぞろイズラルまでくっついてったんだぜ? だったら一緒に地下牢でも何でも送ってくれりゃあいいんだ。とにかく、あんた一人だけよそにやっちまって、お沙汰を待てだなんて――」
「上意は、上意だ。しかたがない」
「嫌だよ」
 断固とセリュンジェは言った。
「俺はあんたに剣を捧げたんだ。脱走したからメビウス軍籍は剥奪だというなら、もう俺はメビウスの兵でも何でもねえ。なら、メビウス皇帝の言うことだって聞く義理はねえ。ああ、そうだとも」
「セリュ、その気持ちは嬉しいが、しかし」
「セリュンジェ、お前、抜け駆けしたな!」
 まったく別のことでヤシャルが叫んだ。
「アルドゥイン千騎長に剣を捧げた、だって? 俺もいつそうしようかとずっと思っていたのに」
「ヤシャルもか。私もだ」
 ネイクレードも叫んだ。そして、彼らは下に置いてあった剣を取るなり、我先にとアルドゥインに差し出したのだった。が、アルドゥインは首を振った。
「それはいけない。俺は今罪を問われ、裁きを待つ身。いま俺が剣を受けては、お前たちまで罪に引き込むことになりかねない」
「かまいません。それこそが剣を捧げることですから」
 モデラートが言った。だがアルドゥインはきっぱりと首を振った。
「その心はありがたいが、その剣はいつか、罪の疑いが晴れたときに、まだその心があればその時にまた改めて、ということにしよう」
「……」
「ともかく、あんたは俺の剣の主なんだから」
 セリュンジェが挑戦的に言った。
「俺の方はメビウスのイェラインじゃなくて、アスキアのアルドゥインに従うってので、かまわないだろう。俺はあんたについてゆくよ。それとも、いっそこんな分からず屋の祖国なんかおさらばして、アルドゥインを我が王にかついで何処か南の方にでも俺たちの国を作っちまおう。どうだ」
「それはいい」
 隊長たちは口々に叫んだが、アルドゥインは様子をあらためた。
「無茶を言うな。――お前がそんな事を言うのなら、俺も剣の主としてお前に命ずる。イェライン皇帝の上意に従い、タギナエに残れ。俺は単身ハヴェッドに発つ。これがアスキアのアルドゥインの意思だ」
「ア、アルドゥイン! そのまま裁判にかけられて、地下牢に放り込まれて首をチョン、てことになるかもしれないんだぞ!」
「それがイェライン陛下のご意思だと言うのならば俺はそれがどんなに理不尽であろうと、一言も返さずにそのご命を承る。セリュ、剣を捧げるということは、そういうことじゃないのか? 君が望むときにいつでも剣を押し、我が命を取りたまえ――それが、剣の誓いだ。俺は騎士の誇りにかけて、それを守る」
「アル……」
 セリュンジェは涙ぐんだ。
「わかったよ、俺も守るよ。だから、上使に言って、俺だけでも一緒に連れて行ってくれるように頼んでくれよ」
「心配はいらん。暫しの別れだ」
 アルドゥインは大きくうなずいた。セリュンジェは身体中から絞り出すようなため息をついた。
「……やっと、もうじきオルテアに凱旋できると思っていたのに――やっとメビウスに帰りついたってのに!」
「心配するな」
 アルドゥインは宥めるように言った。
「イェライン陛下のなさりように間違いはない。まもなく、タギナエへオルテアからの迎えの使者が来るだろう。それを楽しみに、兵たちを労って待っていてくれ。きっと、兵たちも動揺を抑えきれぬだろうから、今こそネイクレード、モデラート、ヤシャル、マクロ、お前たちの力と判断が必要だ。一人も馬鹿なことを考えたり、焦って脱走する奴の出ないように、しっかり頼む。せっかく兵をほとんど失うことなくメビウスまで帰ってきたのだから、オルテアの土は出たときと同じく、皆で踏みたいさ。そうだろう、セリュ、ヤシャル――。大丈夫だ。ここはメビウス、俺たちの愛する故国なんだぞ」

「Chronicle Rhapsody14 オルテアへの帰還」 完


楽曲解説
「即興曲」……演奏家の即興演奏を書きとめたものが元来の意味。
「行進曲」……軍隊などを秩序正しく行進させるための実用的音楽。あるいはその情景を描写した芸術的音楽。

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