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     わたしは月を恨む
     月に浮かべばみな美しく
     輝いて見えるから
     わたしは夜を恨む
     まこともいつわりも
     夜はすべてを隠してしまうから
     明るいときに出会ったなら
     決して恋などしなかったのに
          ――エーデル人の民謡
                  「夜の恋」




     第三楽章 碧玉宮の一夜




 三たび、眼前の光景が入れ代わった。今度の部屋も身分の高いものの部屋のようである。たいていの貴族は市内に広い邸宅を持っているのだが、今夜は宴が果てるのが遅かったこともあって、宮殿に泊まっていくものも多いようだった。
(どこに入っても薄暗い所だな)
 移動が終わったと確認して、アルドゥインはふと思った。蝋燭をけちっているとか、窓が小さいとかそんな理由からではなく、碧玉宮の雰囲気そのものが薄暗いように感じられるのだ。
 闇に目が慣れてくると、浮かび上がってきたのはさしものアルドゥインでも目眩がしそうなほど陰惨な光景だった。
「勘弁してくれ……」
 アルドゥインは長嘆息した。ベッドの上では大きなものがうごめいていた。
「……」
「……」
 何やらそんなものとは最も縁遠そうな外見と野太い声――それが、からみあい、もつれあい、愛のむつごとをとりかわしていたのである。
「おう、トティラ、トティラ、ああ」
「リール様、リール様、リール……」
 ベッドの中で汗みずくになってくんずほぐれつしている男女は、紛れもなく先程部屋を出ていったリール公女と、トティラ将軍だった。この組み合わせはそれほど意外なものでもなかったので、光景の不気味さはともかくも、アルドゥインはことさら驚いたりはしなかった。
 コルネウスはどうだ、というようにアルドゥインの表情をうかがい、その顔に辟易したような色が浮かんでいることに少なからず満足したようであった。アルドゥインはもうそっちの方は見るでもなく見ないでもなく、視線を外していた。
 それにしてもリールとトティラは二人とも筋肉質で大柄だったもので、愛の交歓というよりは雄牛か剣闘士の取っ組み合いみたいに見えてしまうのは否めなかった。やがて二人は体を離し、ベッドの上に身を起こした。あわれなベッドは重量に耐えかねてまだ悲鳴を上げつづけていた。
「今夜はおいでくださらぬかと思っておりましたぞ」
「とは、なぜだ?」
 あの透け透けネグリジェにたくましい腕を通しながら、リールは尋ねた。トティラはにやりとした。
「リール様にはあの若いメビウスの将軍がいたくお気に召されたご様子であらせられましたからな。――忍ばれる場所をお間違えになったのではございませんか?」
「ほほ、よう言うわ。妬いているのか、トティラ。そちこそ興味尽きせぬようであったではないか? あれほど美しい男であれば、そちでも食指が動くか」
 トティラも剛毛渦巻く胸に袖なしを羽織りながら、サイドテーブルから酒の杯を取ってがぶりと一口飲んだ。
「ご冗談を。あくまで武官としての興味に過ぎませぬ。リール様こそ、私のような年寄りよりも、あのような若く美しい男がお相手にはよろしいのでは?」
「馬鹿を申せ。わらわにはそなた一人じゃといつも言うておろうに。わらわに釣り合う男はそなたしかおらぬ。力と申し、技と申し」
「ですから、あの若者にひとかたならずお心を動かされたようにお見受けいたしましたので」
「てんごうを申すなと言うに」
 リールは自分では色気たっぷりと信じ込んでいるらしいものすごい目つきでトティラを振り返った。しかしすぐに睦言ごっこにも飽いてしまったようで、つとおもてをひきしめた。そちらのほうがよっぽど武人らしくて不気味さは少なかった。
「相戦えば、どちらが強かろう」
「え」
「そう、お思いになられましたな」
 トティラの問いに、リールは口許をゆるめた。
「いつの間にそなた、心を読む魔道師となった」
「口に出されずとも判ります。誰もがそう思うでしょう」
 彼は髯をしごきながら、何か考えるようであった。
「――きゃつとは」
 トティラはまた酒を飲んだ。
「きゃつとはきっと必ず、この身をかけて戦うこととなるでしょう。それは最初にまみえた時から感じておりました。きゃつと私とはともに並び立つことはあるまい、と。空に太陽が二つ存在することがありえぬのと、一つの国に王は二人並び立つことなどありえぬのと同じように。リール様ならずとも、きゃつと私とが並べば誰もが思うはず。どちらが強かろうかと。驚きいったことです。私にさえそのようなものがいようとは」
「しかし、若年と申せばまだ若年であろうな。おそらく私よりもずっと若いはず。だがたしかに体格、風格、おそらくは気力や力、技――全てがそなたほどのものに伯仲していよう者がこの世にいるとは思わなかった」
「人々も、見さえすれば二人のうちどちらが勝つのかと考えるでしょう。おそらくは、お互いも」
 トティラは呟き、足通しに傷だらけの下肢を通した。
「こういった運命もあるのだと初めて知りました。一目見て愛し合う男女のごとく、どちらかがどちらかの死神となるまで戦わずにはおられぬ、男と男の宿命というものがあるのだと」
「そなたがそのようなことを言うのは、初めて聞くな」
 少し嫉妬したように、リールは言った。
「私とて、リール様があのように興味を抱かれるのを見るのは久々のこと」
 二人はくっくっと笑いあった。どのみちこの二人には甘い愛のささやきよりも、そういった話の方が似合うし、また会話も弾むようであった。
「それはそうと、そなたと話したくてあの下らぬ宴が果てるのを待っていたのだ。――アスキアのアルドゥイン、あれは侮れぬ男だ。メビウスにあのような男がいるとは知らなかった」
「今まで全く噂にならなかったというのがいかにも解せませんな」
「それは私も考えていた。ディオンの後継というのならばもっと早くに名が知られていようし、かといって全くの無名の戦士を抜擢したとは考えづらい」
「こればかりは本人も素直に答えませぬでしょうからな」
 トティラも頷いた。
「まあ、よい。戦は終わったのだからな。それよりもトティラ、そなたこの度の出兵をどう見る?」
「それは我が英邁なる大公閣下のご判断であれば、私のような一介の武人ごときにははかり知れぬことでございましょう」
「くだらぬことを言うな。私とそなたの仲であろうに。父上がそなたの言葉なしには何一つまともにできぬ木偶の坊だということぐらい、誰でも知っておるわ」
 リールは実の父親に対するには少々ひどすぎることを言った。
「悔しいながら、メビウス五騎士団に我がペルジア正規軍が勝てるとは思えぬ。何らかの勝算があればこそ、そなたは反対しなかったのではないか? そう思ったからこそ、私は父上の命ずるまま、アヴァールへ行ったのだ。そうではないというのなら、トティラ、そなたはペルジアが負けると判っていて、あえて君主の愚を諌めなかったということになるぞ。それはつまり……」
「あいや、リール様」
 トティラは制止する素振りを見せた。
「そのお考えはゆめゆめ口になさいませぬよう。天にヤーンの目、地にアスの耳と申しますぞ」
「私が何を考えていると? やはりそなた、父上に叛心があろう」
「何をおっしゃいます、リール様。私は常に大公閣下の忠実なる部下、決してそのようなことは」
 笑みを含んでトティラは言ったが、リールは睨みつけるような顔をしただけだった。
「おけ、トティラ。私にわからぬとでも思ったか。いまさら私を相手にそのような下らぬ駆け引きをするまでもない。そなたはわざと、父上のあの馬鹿げた出兵をあえて強くは止めなかったのだ」
「……」
「そなたはたしかに用心深い。幾度となく枕を取り交わした私にさえ、なかなかその本心を見せぬ。――だがそれを責めはせぬ。そうでなければ大志は遂げられまいからな。そのように思える。のう、トティラ。そなた、私と組まぬか?――というより、私がそう言い出すのを待っていたのであろう」
「いえ、決してさようなことは」
「この期に及んで隠し立てすることもあるまい。私とて、うすうすそのように感じていた。それに、いずれ問いたださずばなるまい、とも。――そなたは父大公に叛心あろう。それゆえ、このたびのメビウス攻め、あえてとどめもせず、愚かしい奴らが愚かしくふるまうのに任せていたのだ。とどめようと思えばとどめられたのはそなた一人のはず。アヴィセンはあのとおりの耄碌じじい、他に気骨のあるものとておらぬ。それをいかにも咎め立てする体で父上を依怙地にさせたのは、まさしく、この誰の目にも奇妙で愚かしいこたびのふるまいを己の好機と考えたからだ。このような無謀をあえてすれば、相手は強国メビウス、ひょっとするとペルジアは存亡の危機に立つやもしれぬ。そこへ登場し、我こそはと事を取りまとめ、ついでに全ての責は大公と宰相にありとて追い払えば、この国は難なくそなたのものとなろう」
「……」
「もし、私がこれほど身近におぬしを知って、ここしばらくの挙動にも誰よりも通じているのでなければ、まさにおぬしこそこの愚かな侵略そのものの仕掛け人だと疑うところであろうぞ」
「こは、公女様には情けなきお疑い」
「だから、そうは言っておらぬだろう。ただ、もともと馬鹿な父上にせよアヴィセンにせよ、ようもおぬしが手を打って喜ぶような信じがたい愚挙をあえておかす気になったものだと感心するだけのことだ。――が、私にとて立場というものがある」
「……」
「のう、トティラ。手を組もうと申したのはそこのところ……」
「われの嫁御寮となられ、新しいペルジアの女大公、または大公妃となられるに大事無い――と?」
「そこまで、おなごの身に言わせるか」
 リールはわざとらしく恥ずかしがって、顔を両手にうずめた。これにはトティラも辟易したようであったが、気を取り直してそのいかつく分厚い肩を抱き寄せた。
「そこまでご決心くださっているのならば話は早い」
「トティラ、私の胸のうちはとくからわかっていように」
 二人はひしと抱き合ったが、互いの顔が見えぬところではいかにも互いにうんざりしたような顔をしたり、眉をひそめたりしていた。その様子はいかにも頭上の観察者たちをげっそりさせるのに充分であったが、彼らにしてみればそうでもしなければ心安らかでいられなかったのだろう。
「――しかし、リール様」
 やがて身をもぎ離して、トティラは言い出した。
「これは申し上げておかずばなりません。私は武人、やるときは、徹底的にいたしますぞ。たとえ相手が主君であれ、女子供であれ、容赦はいたしませぬぞ――? 無用の情けをかけてのちに禍根を残す愚は、アルカンドも戒めていること」
「わざわざ言うには及ばぬ」
「たとえ――」
「みなまで言うことはない」
 むしろリールはほっとしたようだった。
「それは別段私にとって、一向に痛痒は覚えぬこと。私にいっさいの慮りも、気兼ねも要らぬ。そなたの望むとおりにするがいい」
「リール様にはそれがしの申すことがお判りでしょうか、それは――」
「くどいぞ」
 リールはかっとしたように言った。
「ならば私から言おう。この私を妻とし、新しいペルジアの支配者となるにあたっては、一つの条件がある。その条件とはすなわち、このたくみを実行に移すときは必ず、我が父大公と母大公妃、姉メーミアとセリージャを処刑し、その首四つをわれへの引き出物とすることだ!」

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