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     真の敵はペルジアに非ず。いくさを終わらせるためには、
     王はペルジアを傀儡となしているものを突き止め、ペルジ
     アを解放してやらねばなりませぬ。――しかし王は力強き
     助けをペルジアにて得られるでしょう。
                         ――キャスバートの予言




     第一楽章 終曲――そして序曲




 野太い声で父の言葉を遮り、了解の返事も聞かず、リールはピンクの牛みたいにどすどすと座の中央に出てきた。第三公女リールが出てくると、ペルジア側の人々ははっと身構えた。どうやら荒れそうだ――と予感したらしい。その剣幕は確かに恐ろしかったので、アルドゥインに掴みかかっていくのではあるまいかとセリュンジェもひやりとしたくらいだった。
「それにつき父上が釈明なさる必要はない。それよりもわたくしに一言、発言をお許し願いたい」
 それはたいへんな越権行為といえたが、アダブルはたしなめるどころか、むしろこの勇猛な三女が登場して、代わってくれるのを喜び、ほっとしているようであった。
「よろしいか――よろしいな」
 リールはたしかめると、壇上からじろりとアルドゥインを見た。
「メビウスの元千騎長アルドゥインとやら、この方はペルジア第三公女リールである。さよう心得よ」
 アルドゥインは黙って、一礼しただけだった。その無駄のない、たくましい体をリールは上から下まで睨みつけた。戦士として一流を思わせるたくましい無骨な体を、ピンクのふりふりドレスに包んでいる――というのはそれだけで恐るべき見ものである。それが腰に手をあて、目を怒らせて睨み付けている、というのはすさまじかった。
「その方の申し条、一応もっともらしゅう響きよる」
 リールはふん、と鼻から息を吹いた。
「さりながら、ペルジアにはペルジアの申すべき事情があることはその方も承知していよう。父上の口からこれ以上、その方やメビウスにばかり都合のよい言質を引き出させるわけにはいかぬ」
「……」
「たしかにその方の申すとおり、我がペルジアがメビウスに対し一方的に条約を破棄し、侵犯を行ったことはわらわも認めねばなるまい。しかしなにゆえに、その理由をその方に説明せねばならぬのだ。いくさを仕掛けるに、相手の納得する理由などある方が珍しかろう。のう、ガオ・スン公使。さよう思われぬか?」
「は」
 急に名を呼ばれて、エトルリア公使は飛び上がった。呼んだ声音が不気味な作り声というか、猫なで声であったせいもあるだろう。
「さよう――わらわの生まれるはるか以前の事であれば、貴殿におかれてもまたご記憶にになかろうが、八十一年前、貴国がラトキア地方を我が国から奪い取りしとき、ペルジア宮廷を、ゼーア皇帝陛下を納得させ得べき説明を下されたか? あるいはラトキアが三十一年前に独立戦争を起こしたる際、ツェペシュ大公はエトルリア宮廷に説明をされたであろうか? またラトキア公国を三十年の長きをへだてて貴国が再併合したる時には、ラトキアに。ええ?」
 さっきまでペルジアがやり込められているのをいい気味だとでも言いたげに見ていただけに、ガオ・スン公使はうろたえた。ラトキアに関しては、痛いところを突かれたというのもあった。
「いや……まあ、それは……公女殿下のおっしゃるとおりではあるが……」
「そうであろう」
 リールは満足そうに言い、気の毒なガオ・スンからアルドゥインに目を移した。
「いくさに理由など不要なもの。仮にあるとても後々つけたる適当な言い訳に過ぎぬ。そのようなものを求めても埒が明かぬ。アルドゥイン、その方が望むように釈明せよというのは、公使どのも申されたとおり意味のない話と理解してもらおう」
 有無を言わせぬ調子であった。アルドゥインも、何を思ったかあえて反論しようとはしなかった。
「さよう殿下が仰るのならば、我もあえて追求し、ことを荒立てんと望むわけではなきところ。この質問は措くことに致そう。しかしそれとても、ペルジア正規軍がいま現在もタギナエに駐留し、我が国土を脅かしている事実には変わりはない。また、なにゆえ我が国の和平使節をいたずらに碧玉宮内に留め置き、交渉もなさらずにおいでたのか。そのことについてのご説明はどのようにしていただけよう?」
「正規軍とその方は申すが、それは本当にわがペルジアの軍であると、その方は確かめたのか。間違いないのか?」
 リールは居丈高に尋ねた。アルドゥインは微動だにせずそこに立っていたが、セリュンジェとヤシャル、ルーヴは三人して顔を見合わせた。彼女の言葉の真意をはかりかねたのである。
「そもそもタギナエに侵攻したるペルジア正規軍を、リール殿下ご自身が率いられている、とそのように承っているし、その事はメビウス宮廷にも伝えられているはず。我が戦いたる兵士らもペルジア軍の紋章をつけ、旗を立てていたからには疑う余地はないものと存ずるが」
 アルドゥインが答えると、リールは頷いた。
「いかにも、わらわは去年のヤナスの月、正規軍二万を率いてタギナエに向かった。それは隠し立てせぬし、認めよう。だが先程その方も認めたように、その理由など説明する必要は無い。しかし、だ」
 リールの声が凄みを増した。
「正将たるわらわは年の変わる前に、撤退せよとの父上の再度の命を受けイズラルに戻ったのだ。一部の部隊はタギナエに残ったが、これはわらわの命令でもなく父上の命令でもない。彼らは残ると申して残ったのだ。いわば彼らはすでにペルジアの軍ではない。むろん連れて帰れなんだのはわらわの管理不行き届き、ペルジア宮廷とて無責任のそしりは免れなかろうが、その後の彼らの行動に付きペルジア宮廷は一切の関わりを持たぬ。ペルジア軍ならぬものとの和平のためにイズラルに参られようと、我々は交渉する術を持たぬ。されど使節がたにはメビウスに戻らせるも申し訳なく、このようにお留まりいただいていたのだ」
 ペルジア軍を率いていたはずのリールはイズラルにいるのであるから、タギナエの軍はすでにペルジア軍ではない、というのである。それは、アルドゥインが今まで自分の立場を説明するために使ってきた論法によく似ていた。彼女はアルドゥインの使った方便を、逆襲として使ったのだ。
「殿下のおっしゃらんとするところは了解した。では、ペルジアはメビウスとの戦火勃発を、ともあれ現在は望んでおらぬと、そう理解してよろしかろうか」
「そうでございますな、父上」
 アルドゥインが念を押して確かめると、いきなりリールは今まで無視していた父親を振り返った。いくぶんびくびくしながら、アダブルは頷いた。
「さ――さよう。今は――いやこれからも、両国の国民を戦禍の憂き目に遭わせる心は、さらさらない」
「それを承り、これほど嬉しきことはない」
 アルドゥインは先程とは打って変わった調子で、あまり感情のない声で言った。リールは、彼が自分を馬鹿にしているのか、そうだったらただではおかないぞ、というような物凄い顔で彼を見たが、アルドゥインはその視線にも耐えて、顔色ひとつ変えぬ無表情のままだった。
「――よかろう。ならば、これでその方にはもうこれ以上いかなる疑問もなく、またペルジア宮廷、ないしは我が父上に対し、糾問も抗議もないと、そのようにして差し支えあるまいな」
「リ、リール……」
 何か言いたそうに、アダブルは言いかけたが、リールはもう完全に無視して、肩をいからせただけだった。
「父上は黙っていていただこう」
 傲然と彼女は言った。
「どうだ、トティラ将軍。そなたは尊敬すべき武の責任者だ。その方はわらわの判断をどのように考える?」
「全くもって、公女殿下の仰せのままが正当かと」
 トティラは満足そうな笑みを浮かべた。彼にとっては、この猪のような公女もかわいい愛弟子であったのだろうし、その気の利かない、冴えない父親よりはよほど心にかなう存在であったのだろう。実際二人はそのいかつい体格や顔つきも、実の親子である大公よりも、妙によく似たところを持っていたのである。
「その方はどうだ、アヴィセン宰相」
 政治の責任者であるらしい、萎びた感じの痩せて貧相な老宰相は、この会談の間中どうやら居眠りをしていたようであったが、リールに呼ばれてぼんやりした顔を上げた。それから、話などろくすっぽ聞いてもいなかったのに、同意を示すために何度も頭を上下に振った。
「と、いうことだ」
 リール公女は、何となく勝ち誇ったようにアルドゥインを見据えた。
「これでその方のようは全て済んだ、全て丸く収まった、と、そのわうに申しても差し支えあるまいな? え、よかろうな?」
「……」
「むろんタギナエにある一軍はペルジアが責任をもって処分し、先に侵攻したる非については後々メビウス宮廷に謝罪を申し入れる。それについてはペルジア宮廷はただちに取り掛かることとしよう。が、ともあれ、その方の交渉沙汰は、これで済んだわけだ。それとも、まだ何か言いたいことでもあると申すのか、アルドゥイン」
「……」
 セリュンジェはやきもきして、思わず場所も忘れてアルドゥインの袖をついと引っ張った。トティラすらやり込めたアルドゥインが、ここまで来ておきながら、取ってつけたような言い訳に押し切られ――これは少々差別的ではあったが――野猪みたいなリール公女に言い負かされてしまった形になって、あっさり引き下がるだろうとは、考えるのもいまいましかったのである。
 だが、またしてもアルドゥインはセリュンジェを驚かせた。
「いや。何もございません」
 落ち着いた低い声で、アルドゥインは言った。
「何も申すことはないのだな?」
「いかにも」
「よかろう」
 リールはたくましい胸を張り、重々しく告げた。
「誤解は解けた。これにて一件落着ということだな」
「いかにも、俺の誤解であったようだ。――そうと知れたること、この上のよろこびはない」
 むしろ喜ばしげに、アルドゥインは言った。そしてリールや玉座の面々に向けて恭しく礼をした。
「ならばもう問題はないわけだ。――せっかくの来客なれば、ゆるりと逗留せよ、アルドゥイン。それよりも、そなたの武勇の程はトティラからも聞いておる。なかなかの剣技の使い手ということだな。折を見て、わらわと一手技を競ってみぬか? いや、是非とも一手、手合わせを所望するぞ」
 いくぶん気を許した様子で、リールは獰猛そうな歯をむき出してにいっと笑った。その表情の中に、奇妙な媚のようなものが見え隠れしているのが、いっそすごんで見せたときよりも不気味であった。

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