前へ  次へ
    過去を紡ぎしウルズ
    現在(いま)を織りしベルザンティ
    未来(さき)を断ちしスクルド
    彼が命を紡ぎ、
    さだめを織り、
    生を断ちし乙女らよ
    汝らは彼が命をさてもあやに織りなしたる
              ――シグアの墓碑銘より




     第四楽章 三重変奏曲




 かくて、一行は碧玉宮へと入っていった。
 イズラルを人はまた青都とも呼ぶ。それは、この近辺に産出する青みがかった岩を切り出したものが、主としてイズラルの街の市門、城壁、家々の建築素材として用いられている結果、何とはなしに街全体の印象が青っぽく、あさぎ色のベールにでも包まれているかの風情があるからであった。また、ゼーア皇家の紫に対するペルジア大公家のシンボルカラーを青としたこともかかわりがあるだろう。
 碧玉宮もまたイズラルの建築物の例に漏れず、この岩を土台にも外壁にも用いて造ってある。さらに、そこかしこに飾り付けられている彫刻や壁龕は青大理石――青、というよりは緑に近い――と青メノウが主として用いられていたので、ますます全体が青みがかって感じられる。
 トティラ将軍とガオ・スン公使に先導されたアルドゥインとウジャス皇帝一行は一旦中庭に通され、ウジャス皇帝とその老いた近習たちは輿のまま、皇帝用の特別の控えの間に導かれていった。
 アルドゥインたちはしばらく待たされてから、おもだったものだけが別の一室に通された。その部屋では二人ばかりの供を連れた男が先に待っていた。赤みを帯びた金髪と言うか、薄い赤毛と言うか、そんな髪の色はペルジア人でも見られたが、体格や顔つき、白い肌というのはどう見てもペルジア人のそれではなかった。アルドゥインたちが入ってくるのを見て、彼らはほっとしたような笑顔を見せた。
「あなたがアルドゥイン千騎長か。よく来てくれた。このイズラルに二月ばかり閉じ込められて、メビウスから便りはないし、ペルジアは何も教えてくれぬし、もう生きて出られる日はないのかと私も随員たちも諦めかけていたところだった。ほんとうに、あなたが来てくれてとても嬉しいよ」
 赤毛の男は椅子から立ち上がると、熱烈にアルドゥインの両手を握り締めて、涙ぐまんばかりであった。心当たりはなきにしも非ずだったが、確信はなかったのでアルドゥインがちょっと困ったような表情を浮かべると、男はやっとそれに気づいて手を放した。
「ああ、申し訳ない。私はルーヴ・ラ・シェリス。和平交渉の使節として陛下からイズラルに派遣された者だ。ご存じないか」
 彼の名を聞いて、アルドゥインははっとした。
「申し訳ございません。お名前は伺っておりましたが、失念しておりました。――俺はアスキアのアルドゥインと申します。このネプティアの月から紅玉将軍より千騎長を拝命いたしました。このたびは閣下より五千騎を預かり、このイズラルまでまかり越してまいりました」
 アルドゥインは随分恐縮して頭を軽く下げた。だがルーヴ・ラ・シェリス伯爵は笑って首を振った。
「しかたないさ。私はしがない小物だからね」
「そのようなことは。――しかしご無事で何よりです。何もございませんでしたか」
「そうだな。良いことも、悪いことも、何も無かったよ。あなたがたに対する人質にされるかと思ったが、それも無かった」
 ルーヴは軽く肩をすくめた。彼の明るい茶色の瞳は朗らかで、それにアルドゥインが想像していたよりもずっと若かった。おそらく三十にもなっていないだろうし、宮廷でそれほど大きな位置を占めているわけでもなさそうだった。
 それだからこそ、捨て駒にひとしいような和平使節などを命じられもしたのだろうが、本人がそれを気にしているような様子もなかった。この楽観というか、明るさというので、彼は自分自身をずいぶん救っていたに違いない。
「イズラルに着いてから今日まで、他の者たちと一緒に宮殿の一角に軟禁状態で、大公にもトティラ将軍にも、とにかく話の通じそうな相手には忙しいの何のと、会わせてもらえずじまいだった。六日ほど前からにわかに慌ただしくなったかと思ったら、メビウスから軍勢が攻めてきたと言うので驚いたよ」
 ルーヴは求められもせぬのに――とはいえ重要な情報ではあったが――今までのいきさつを説明した。
「それで今日はいきなり、メビウス軍の指揮官と会談するので同席しろ、とこうして連れてこられたところだ。アルドゥイン千騎長には何か、陛下か、ディオン将軍からかの内々の命令などはあるのか」
「ございません。これは全く、俺の意思だけで来たものですから」
 このせりふにルーヴは驚いたようだった。
「だが、あなたの考えている交渉の路線というものはあるのだね?」
「はい」
 少し考えて、彼は言った。若いこともあって、考え方や肩書きに対する意識も柔軟なようであった。
「では――本当は越権行為ということになるのだろうが、私は口を出さず、交渉はあなたに任せよう。私は情報からまったく遮断されていたわけだし、その方がどうも良いように思われる」
「ありがとうございます」
 やがて数人の騎士が入ってきて、会見の準備が整ったことが告げられた。と同時にここに武具や、弓矢、剣などは置いてゆくように求められた。これには副官をもって任じるセリュンジェはかなり迷ってアルドゥインを見上げた。
 いわばここは敵の胸中深くであり、ここまで来る間に中庭や市門に、と部隊を分けてきているので、今周りにいるものは数人の平騎士ばかりである。万一のことにそなえて隊長たちにはどうすべきかの指示を与えてはいるが、全てはアルドゥインを信じてついてきた者たちである。彼を失ってはどうしてよいか判らなくなるだろう。
 アルドゥインはそんなセリュンジェの心配顔には気づいていたが、何も言わなかった。しかし彼があまりにもそわそわして彼の視線を捕らえようとしていたので、案じる事はない、と笑った。
「安心しろ。俺たちの身の安全はいちおうガオ・スン公使が保障してくれている。それに俺たちに万一のことがあればペルジアとエトルリアの問題に発展するし、メビウスとの全面戦争になりかねんからな。それに」
「何だ?」
「本当の敵はアダブルでもトティラでもなさそうだからな」
「は?」
 セリュンジェは目をしばたたかせた。彼が混乱しているところへ、騎士たちが謁見の用意が整ったことを知らせに来た。
「リュートリ、コラスはここで待機」
 アルドゥインは命じた。
「セリュンジェ、ヤシャル、二人だけついてきてくれ」
「とうとう敵の陣中へってか」
 セリュンジェは呟き、慌てて先に行った三人の後を追った。
 先にも述べたとおり、イズラルは大層古い街である。しかし文化的に発展を遂げたというわけでもなく、一応ゼーア様式を受け継いだペルジア様式と言うものもあるにはあったが、あまりぱっとした代物ではなかった。
 長い廊下の両側に沢山の室が設けられ、通り抜けてゆくいくつもの次の間も各々に意匠を凝らしてはあったのだが、それは、ごちゃごちゃと手を掛ければかけるほど混乱の相を呈してきて訳が判らなくなり、といってシンプルにと心がけたところは貧相に見える、といった冴えない印象であった。
 重苦しいビロードの幕があちこちに垂れ下がり、天井には俗悪な筆致でペルジア建国神話が描かれていた。床は全て青メノウ、縞メノウで張られており、不必要に大きな足音を通るものに立てさせた。
「こりゃまた、たいそうな所に迷い込んだようだな」
 セリュンジェは周りをきょろきょろと見回した。碧玉宮はイズラル市を眺めたときと同じように、どこか生気のない、死んだような印象を受ける宮殿であった。
 かなり多い人数の男女が、ぱっとしないお仕着せを着て、宮廷の中を行ったり来たりしていた。それなりに忙しそうであったし、若いのも年寄りも色々いたけれども、皆に共通しているのは、妙に影の薄いような何となく生気に乏しい、どろりとした印象だった。
 一人一人を見れば様々な性格もしていようし、それぞれに、絶望していたり希望に満ちていたり、野心に燃えていたり、恋に浮き立ったり悩んだり、様々なことがあるに違いなかった。だが、しかし、皆を一様に染め上げているある一つの共通の色調、底流というべきものがあるために、皆そうした老若男女さまざまの差異にもかかわらず、何となく似通って、見分けのつきにくい感じに見えた。
 そしてその色調こそは、結局、ペルジア大公国という国、イズラル、また碧玉宮そのものの持つ色合いとにおいであるのに他ならないと思われた。ずっと通ってゆくとしだいに室の様子は大きく、ごてごてと、いろいろな飾り付けを凝らしたものになってきて、このあたりがこの宮殿の中心部であることが察せられた。
 巨大な四方の壁一面に歴代ペルジア大公の肖像画を掛けめぐらし、ヤナス十二神の神像を壁の下にめぐらした一室を抜けると、さらに巨大な天井の高い室に、沢山の廷臣が群れていた。その大半はあまり身分の高くない侍臣であるようで、黄色や茶や紺の縞の入ったサーコートに短いマント、円帽や三角の帽子というお仕着せで、目をまん丸にして彼らの姿を見つめていた。
 一方には、長い黒服に四角帽の、一見して判る学者たちの群れもいた。
 また一方の端には、ビロードか何かのぼってりした生地で、袖がとても長くて肩口が丸くふくらみ、羽まくらをくくったように胸の下を締め上げてある、女官のお仕着せを着た一団の女たちが、これまた目引き袖引きしながら彼らを見てはささやきあっていた。
(何だよ、あの女ども)
 彼女らの熱い眼差しの大半はおそらくはアルドゥインに向けられたものであったので、セリュンジェは内心ちょっとむくれてしまった。彼は顔に自信がない、というわけではなかったので。
 しかし正直言って、ペルジアの宮廷女たちが群がっているのは、クラインやエトルリアなどと比べてあまり目に楽しい眺めではなかった。ペルジア人種というものは美人が多いと評判があるとはとうてい――控えめな言い方をすれば――いえなかったが、むろん、そうした民族的特徴もあったにせよ、中にはきれいな女もいないはずはなかったので、それもどうも引き立って見えぬ最大の理由には、このペルジアの民族衣装を取り入れたお仕着せの趣味の悪さというのがかなりあったようであった。
 常にファッションの流行を作り出す最先端のクラインやエトルリアではすでにごく下々の女たちまでが、体の線をすっきりと見せるうすい羽根のような生地を使い、美しいドレープをたたみこんだ、ほっそりしたシルエットの衣装をまとっているこの時代に、ペルジアのそれは、分厚いビロードの錦織であった。
 むろん時期が冬だったのであまり薄い布は使えなかったということもあるだろうが、それにしてもそうした素材をクラインでもエトルリアでも使う時には、布の特性に配慮をちゃんとはらったデザインにするのが普通であるのに、ペルジアではまるでそうした生地のぼってりとした質感をいやが上にも強調するかのようなデザインがされ、胸の下で不自然なくらいぎゅうぎゅう締め付け、尻をまたもう一重ねの飾りスカートで後ろに突き出させる、そういう結果になっていた。
 それでは、よほど美しい娘でも、相当に割引いて見られることは間違いなかったと言わねばならなかった。その上に、重苦しく巨大にふくらませた結髪と、そのてっぺんにくっつけた円錐型の小さな帽子と長ったらしいベールを合わせると、どうしてもペルジアの女たちは、まるで二、三百年昔の風俗の戯画のように、古めかしく、しかめつらしく、滑稽に見えざるを得ないのだった。
 とはいえ、セリュンジェは女たちの品定めに碧玉宮を訪れたわけではなかったので、その薄い緑色の目はいたって無感動に――もっとも、彼の場合には別の理由もあったにせよ――何の関心もなく、どよめき、さんざめいている廷臣たちの上を通り過ぎた。
 特に目を引く美女も、ひと目でそれとわかる大人物、豪傑も姿を現さなかった。すでに、ペルジアそのものが老い、往年の覇気を失い、国としては衰退期に入っていることは間違いなかった。
 こうして、アルドゥインたちは碧玉宮の奥深く入っていった。これは彼が一国の最高君主に謁える二度目の謁見であった。しかし最初の、イェラインに謁見したときとはすべてが余りにも大きく違っていた。その時からはまだ三ヶ月と経っていなかったが、彼はすでに一介の風来坊の傭兵ではなかった。
 便宜上メビウスの軍籍を抜けているとはいえ、ペルジアの高官たちは何度もアルドゥイン――沿海州出身の将軍について聞き及んでいる。わずか五千の紅玉騎士団でペルジア領内に侵入し、堂々とペルジア大公に会談を申し入れてきたこの男は、タギナエの智将、トティラ将軍すらたじろがせた英雄であった。
 ペルジア政府の面々が向ける眼差しは、沿海州の田舎者よ、と低く見るそれではなく、噂の人物を目の当たりにした驚嘆と好奇に他ならなかった。
 その時、大公と皇帝の出座を告げるラッパが高々と吹き鳴らされ、人々はさっといずまいを整えなおした。

前へ  次へ
inserted by FC2 system