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                                *



 三の丸周辺を埋めているのは、紅玉騎士団の精鋭四千である。退路確保を命じられたモデラート隊とクンツェル隊はすでに、ペルジア軍からは死角となる裏門からひそかに出ていっている。
 今残っている隊の騎士たちは火攻めを想定して消火用水の点検をしたり、逆茂木を造り、土嚢を積み上げたりして籠城のこしらえをして慌ただしげに動き回り、馬の手入れ、武器の点検と忙しい。その目まぐるしい作業の合間にアルドゥインの姿を見つけ、彼らは笑顔で見送り、あるいは歓声を上げる。
「エール・アルドゥイン!」
「今度戦わずに奴らが逃げたら、俺たちは命令なんか聞かないでどこまでも奴らを追いかけてやりますぜ!」
 二倍近い敵を相手にしようというのに、彼らの間には恐れというものがまったく見いだせない。敵が二倍いるのなら一人が二人倒せばよい、十倍なら十人倒せばそれで済むのだと本気で思っている。もともとが勇猛果敢な紅玉騎士団の精鋭である。ペルジア禁軍百万騎も何するものぞと闘志に燃えている。そして何よりも、彼らの指揮官、アルドゥインへの絶対的な信頼がある。
 彼らの意気が天を衝くまでに高揚しているのを見てとって、アルドゥインは傍らのセリュンジェを振り返った。
「そろそろだな」
「行くのか」
 わくわくしたように、セリュンジェが言った。それには頷きかけただけで、すでにアルドゥインは指揮官としての顔になっていた。
「伝令」
「はっ」
「第一軍、出陣用意」
 すでに準備は整っている。わあっ、と歓呼の声が空をどよもす。
「前進!」
 次々に、波がおよんで行くように隊列が動き出した。アルドゥインもすばやく愛馬に跨り、その中に入っていく。三の丸周辺からメビウス軍以外の人間は追い出したはずだが、通り過ぎていく家々の扉の隙間から、怯えながらも興味を抱いて覗く目があった。ヒダーバードに住む人々にとって、このような進軍を目にすることなど、いまだかつて無かったことに違いないのだ。
 控え部隊が護る城門は味方の武運を祈るようにさっと左右に開いた。メビウス軍は城門から二百バールのあたりの所で停止した。数の不利を考えて横に広がる形ではなく、矢尻の陣形を取った。
 森を後ろにして、およそ半バルばかりの彼方。
 城門へ至る街道を真ん中にして、左右に広がる草原。そこに、森のきわを背にして、ペルジア軍が待ち構えていた。じっとすでに半月形の陣形を取ったまま、こちらがどうするつもりかと、その出方を図って息を殺すように、無言のまま蝟集している。
 青っぽいペルジア軍のかぶとの下にある顔はどれも一様に表情を変えず、それはこれから始まる戦いを恐れての強張りとも、いくさへの昂りをつとめて抑えようとしての無表情ともとれた。
 両軍はしばし動きを止めて相対した。
 金色に輝く陽光が草原を輝かす。風は春の訪れを思わせて暖かい。戦争が起こっているのだということも、自然の営みには関係のないことのようだ。長閑な、ヒダーバードの午後である。
 だが、長閑さも長くは続かなかった。
 息詰まるような緊張と沈黙に、風さえも一瞬、その動きを止めたかに思われた。
 アルドゥインの手に握られた朱と金に彩られた采配が振り上げられる。それはつと止まったかと思われたが、きらりと陽光を撥ね返してさっと振り下ろされた。
「突撃!」
 アルドゥインの声が沈黙を引き裂く。
「突撃――前へ!」
 うねるような叫び。
 剣戟の響きと火花、興奮した馬のかんだかい嘶き。
 たちまちにして、草原は激しい戦いの巷と化していた。
 いくらもともとの勇猛さが違うとはいえ、まさか数に倍する敵軍に対して正面切って戦いを挑んでこようとは予想だにしていなかったに違いない。ペルジア軍はこの果敢な突進を受け止めかね、早くも浮足立ったが、指揮官たちは躍起になって剣を振り回し、兵を一まとめにし、散らばらせるまいと喉をからして叫び続けた。
「敵は小兵だぞ!」
「一気に取り囲んで揉みつぶせ!」
「散るな!」
「散るなと言うのが、わからんのか!」
 しかし、ともすればその叫びは、雄叫び、絶叫、悲鳴に呑まれがちであった。一万よりもずっと多いペルジア軍が、数ではその半数にも満たない――たかだか二千か三千そこからのメビウス軍に後れを取っているのである。
 その先頭に立ち、激しく戦いつつもペルジア兵たちの運命を決する命令を下すのは、その体格だけでもことに目立つ一騎である。たった二千五百で一万の軍に立ち向かうのだ。一人でも戦闘要員を減らすわけにはいかない。そのため、指揮官だとはいえアルドゥインも前線に出て戦っていた。
 ペルジア兵が集まっている所とみるや分け入り、長剣を縦横に振るう。白銀の色に輝く鎧、兜は、彼が剣を振り下ろした次の瞬間、屠られたペルジア兵の血でたちまち真っ赤に彩られる。
 ヒダーバードの方面から、かすかな三点鐘の音が響いた。戦の喧騒に掻き消えそうになるその音を聞きつけ、アルドゥインは追いすがろうとするペルジア兵を切り伏せて前線から下がった。
「撤退!」
 ふいに、アルドゥインの声と、そして采配が力強くうちふられた。伝令たちがラッパを口にくわえ、あらんかぎり吹きたてる。
 ラッパがりょうりょうと鳴り響く。
 戦いに身を投じていたメビウス兵たちは一斉に退却を始めた。崩れ立ったかと思われたそれと同時に、森に伏せられていた第二隊はイズラル軍の退路を断つために街道筋に陣を張った。
「ウワーッ!」
「あらてだ! 新手の軍だ!」
「散るな!」
 ペルジア軍は大混乱におちいった。進めば先程まで戦っていたメビウス軍、かといって退却すれば、血気にはやり、良い敵ござんなれと手ぐすねひいて待っている新手の軍が待ち受けている。それがどれほどの小勢であるかなど、すでに混乱したペルジア兵たちには把握できていなかった。
 ペルジア軍の狼狽をよそに、あざやかなまでに素早く退却した第一軍は全てヒダーバードに戻り、城門はぴたりと閉ざされた。彼らが皆城門に吸い込まれていったと同時に、矢をつがえた兵士たちがペルジア軍を威嚇した。この短い戦いのあいだに城壁の周りには逆茂木が巡らされ、籠城の構えが整っている。ペルジア軍の指揮官たちも、メビウス軍のそれは敗走ではなく、単なる撤退であったのだと嫌が応にも悟らざるをえなかった。
 その間、およそ半テル。――おそろしく長い間、戦いつづけていたように、兵士たちには思えたかもしれないが、じっさいに馬をとばし、剣をふるい、血しぶきをあげてぶつかり合っていたのは、わずか二点鐘かそこらのことにしかすぎなかった。もともと、剣と馬、よろいかぶとと弓矢でするいくさでは、いちどきにそう長時間も戦えるというものではないのである。
 しかし、その半テルで充分であった。草原を血に染めて、点々と死者、負傷者、死んだり足を折ったりして動けなくなった軍馬たちが、半バルばかりの戦場に転がっていた。風に乗って運ばれてくる、なまぐさい、あつい血の匂いが鼻をうち、ひっきりなしにうめき声や悲鳴がたちのぼる。
「――被害は?」
 ヒダーバード大城門の内側では、もっと万事がはるかにのどかであった。
「はいッ、概算で、死者およそ六十。負傷者およそ三百三十、馬の被害がおよそ二百であります」
「まあまあ、というところだな」
「はっ、相手方には、この倍ではきくまいと思われます」
「よし。それに、予定通りやつらには、なかなか手ごわい相手だと知らしめることができただろうし、破壊槌と弩にはかなりの損害を与えた。――死者の埋葬は無理だが、負傷者は手当てしてやり、前線は後衛と入れ代わって適宜休みを取るように」
「はっ」
 アルドゥインは命令を出しておいて、馬を駆って前線まで出ていった。今のところ、ペルジア軍も一旦休戦することにまったく異存はないらしく、同じように負傷者の収容や、糧食をつかっているようである。
 この時代の戦争は、まだどこか長閑なところがあった。だんだんに夕暮れが迫ってきたが、ペルジア軍は何の動きもみせていない。それに、退却しようにも退路は第二軍が断っている。むろん数の有利を以て取り囲まれれば勝ち目はない。だが先程の戦いの様子からすればもしかしたら、全面降伏もありうるかもしれない。
 市城内に戻ると、さっきから彼を探していたらしく、セリュンジェが手を振って近づいてきた。
「閣下、供も連れず外に出るなど危険です」
「変な言い方するなよ」
「じっさい危険だろう。――で、これからどうするんだ?」
「とりあえず、動きがあるまで籠城だな」
 セリュンジェは目をぱちくりさせた。
「籠城って、さっきはしないって言ってたじゃないか」
「そんなこともあったか。ま、考えが変わったんだ」
 とぼけたように言うアルドゥインに、セリュンジェはため息をついた。だがこの判断にも後になって判る何かしらの意味があるに違いない、とここ最近の経験で学んできていたので、深くは追求しなかった。
「どうだ、皆」
「元気一杯であります! 閣下!」
「きゃつらにはずいぶんと痛い目を見せてやりました」
 声をかけると、いたって朗らかな、頼もしい答えが返ってくる。草原からの、風に乗ってくる負傷者のうなり、呻きがそれに混じる。
(カトライはうまくやってくれただろうか)
 もどかしい目をイズラルの方角に向けた。そのときであった。
「将軍!」
 伝令が駆けてきた。
「何だ」
「軍使が参っております」
「軍使だと」
 アルドゥインは城壁に駆け上がった。
 暮れなずむ光の中に、くっきりと、白旗を押し立てた数騎が死屍累々たる昼間の戦場をやってくる。
 そうしてちょうど両陣の真ん中の地点に白旗を立てると、じっと待つふうである。先日の使者は追い払ってばかりであったから、アルドゥインが今度はどう出るのか、と周りの隊長たちが見つめる。
「閣下」
「まあいい。行こう。セリュンジェ、ついてきてくれ」
「大丈夫だろうか。もしあれが」
 罠だったら、と懸念してセリュンジェは言いかけた。が、アルドゥインは城壁を降りるなり馬に飛び乗り、出てゆくところだった。慌てふためいてセリュンジェはあと数騎についてくるように怒鳴り、後を追って駆け出した。
 アルドゥインの馬は土嚢をひらりと飛び越え、そこで速度を緩めて黄昏の光の中に歩み入っていく。
「軍使――軍使!」
 相手はそれを見るといっそう白旗を振り、大声を出した。弓矢は携えておらぬようだが罠であることも考え、相手の顔がやっと判る程度の距離を置いて、アルドゥインは声を張り上げた。
「軍使の用向き、うけたまわろう」
「ペルジア軍司令、トティラ将軍より。ただちに人質にとられたるウジャス皇帝ならびにその一族を無事ペルジアにお返し願いたい。その代わりに貴軍の安全は保障し、また貴軍との交渉に応ずる準備あり。ウジャス帝は老齢につき、長時間にわたる禁固はお体によろしからず、すみやかに当方にお返しあられたい。当方には、貴軍とのいかなる交渉にも応ずる用意あり。以上、アダブル大公ならびにトティラ将軍よりのお言葉である」
「今度はばかに下手に出てきやがったな」
 セリュンジェはこっそり口の中で呟いた。
「さっきのいくさぶりを見て、とうていこれじゃ俺たちに勝ち目はないと観念しやがったのかな。まさか――とは言うものの……」
「アダブル大公、並びにトティラ将軍のお申し越しはうけたまわった」
 セリュンジェがぶつぶつ言っているあいだに、アルドゥインは馬上のまま、大声で怒鳴り返した。
「しかし、我々の望むところは先に親書で申し入れているはず。それについての返答をなさらず、兵を以てヒダーバードを囲むからには、ペルジアがたには交渉に応ずる心なく、拒否するものとみた。我らの交渉の条件はすでにご存知のはず。まずは兵を退き、その上で書状に対する返答を頂けぬうちは、こちらとても交渉には応じかねる」
 すると、軍使たちは頭を寄せ合って何やら相談しているふうであった。恐らく、ある程度の指示や内命をもうけているのだろう。
「いったい、奴らに何とおっしゃったのですか」
 隣につき従うヤシャルが尋ねた。
「アヴァールでの即時停戦、ヒダーバードからの無条件撤兵及びウジャス皇帝ともども碧玉宮においてアダブル大公との直接会見、ルーヴ・ラ・シェリス伯以下和平使節の身柄返還、ついでにペルジアでの通行許可」
「ウジャス皇帝の身柄ひとつで、そこまでのむでしょうか」
「判らない。ペルジアとてゼーア最古の大公領としての誇りを持つ国家だ。たかだか五千の兵に屈したとあっては国家の威信は地に墜ちるだろうからな」
「では、どうしますので」
「だから、向こうも困っているんだろう。もとより全てのませようという気はない。やれるところまでやってみるつもりだ。後はエトルリアがどう出るかが問題だな」
 こちら側でひそやかな会話を交わしている間に、軍使たちは対応について一応の解決をみたらしい。
「親書の件については、われわれでははかりがたし。されどもしも貴軍司令官がトティラ将軍との会見をお望みであれば、一時休戦とし、明朝ルクリーシスの刻のこの地において会見をされるであろう」
「無用!」
 間をおかず、アルドゥインは怒鳴った。
「貴軍は知らず、当方に会見の必要はない」
「しかし、交渉のためには――」
 軍使たちがうろたえて言おうとするのへ、アルドゥインは押しかぶせるようにして釘を刺した。
「よろしいか。人質を取り、かくかくすべしと申し入れているのは当方だ。それをお忘れあるな。われわれの要求はすでに親書によってお知らせしているとおり。これを枉げるわけにはいかぬ。されど一時休戦の申し入れのみはそちらからの夜襲の無いかぎりは受け入れておこう」
 そして長居は無用とばかりにアルドゥインは馬首を返し、引き止めようと何か叫んでいる軍使たちを置いて城門へと駆け去った。

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