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 石段の上の広場を横切り、巨大な獅子や怪鳥の彫刻で飾られた古風な大玄関をくぐり、ウジャス帝の居城の本丸へと老人たちに導かれて通っていくうちに、アルドゥインとその供まわり十人程度の一行はしだいに、知らず知らずのうちにうなだれ、何となく悄然とした面持ちになってきた。
 さながら、この古く高貴な皇帝の住まい全体を包み込んでいる雰囲気が、まだ若く力に満ちた彼らにさえ伝染して、そのように足取りを重く、気分を沈みこませる強い力があったとでもいうかのようであった。
 一言で言えば、それはかつての栄光のおくつきであり、悲しくも、生ける亡霊のすみかであった。ゼーア皇帝国の繁栄、栄華をしのばせてそこは立派な建物であった。天井はたいそう高く、古めかしくはあるがすばらしい趣のあるレオリア様式にのっとって天井と壁の合わせ目にはぎっしりと複雑な彫刻がされていた。
 柱頭にはアザミの葉を装飾化した飾り彫りがなされ、蓮の花をかたどって土台がついていた。壁の壁龕には故事に通じている者でなければ判らないような十二神のすがたが描かれていて、四隅には今時珍しい方角神の飾り柱が立てられ、その前に小さな香立てをもうけてあった。
 どんすやビロードのどっしりとしたカーテン、垂れ幕が窓や壁にはかけられていて、真ん中で寄せ上げて優雅なドレープがつけられていた。通り過ぎていく部屋部屋はみな広く、床は木か大理石の、エロールを意匠したモザイクになっていた。
 これは、古代の建築、ことに宮廷建築の研究をしている学者にとっては垂涎の的であったに違いない。しかし、いま現在を生きている人間の住居としてはそれはあまりに古ぼけて時代から取り残された感じを漂わせていた。
 像は壊れたりはしていなかったものの、漆喰で塗りなおして修復した痕が残っていたし、十二神の絵は色がはげかかっていた。階段の手すりは長年の使用によって彫刻もなんとなくなめらかになってきてしまっていて、人がよく通る真ん中だけが磨り減ってへこんでしまっていた。
 もとは重厚な色合いであっただろうどんすやビロードは日に当たっている面だけが焼けてしまって白っぽくなっていた。カーテンを留めている金色の房飾りつきの綱も日焼けして、何十年、何百年の堆積かしれぬ綿埃をふわふわとまつわらせていた。
 どの室に入っていっても、恐ろしく古い建物特有のあのひんやりよどんだ空気と、かび臭いような、湿気臭いような、心地よくないこともない、どこか物悲しいにおいがした。といって、決して皇帝の居城が荒れ果てていたというのではない。それなりにドレープもきちんとし、掃除も一応そこそこはいきとどいていて、荒涼としているというほどでもなかったのだが、ただ結局、いかにきれいに保ってあったところで、建物そのものも、様々な備品もとっくにその耐用年数を終えてしまっていることはいかんともしがたかったのである。
 それは何か言いようのない悲しみを誘った。その床を磨いたり、花を摘んできて生けたりしているのがあの老人と老女たちであると考えると、なおのことであった。通された拝謁の間は、もとは非常に壮麗なものであったことを思わせて広く、やはり古ぼけてはいたがそれなりのおもむきを持っていた。
 ウジャス帝は左右に従僕、臣下たちをはべらせ、玉座に座って彼らを待ちうけていた。さきほどの夜着とわかるガウンから、外国の使節に謁見を許す際の真紅のマントと礼服に装いを改めており、さっきよりもよほど見栄えがした。しかしそのマントも床に当たる裾の部分はほつれて色あせていて、やはり古いものだった。
 老皇帝が座る玉座はメビウスのそれの倍はあり、背にはさまざまなデリケートな彫刻がなされていてそこにも金が塗られていたようだったが、とっくの昔にほとんど剥げ落ちてしまっていた。
 しかし、ウジャス皇帝の方は、アルドゥインが暗殺者であるという疑いを解き、また彼が大国の皇帝に拝謁を願い出るのにふさわしい、恭しい態度で自分に対するのを見ていると、しだいにさっきまでの悲哀の底から、今度はそれなりの上機嫌に移りつつあるようであった。
 アルドゥインは老小姓に招じ入れられると、正式な他国の君主への拝礼をし、拝謁の栄を賜ったことへの礼を述べた。
「よい、よい。近う寄れ」
 ウジャス帝は手を振り、笑み崩れて彼を差し招いた。あまつでさえ彼に椅子を取らせようと、小姓に――これも老人の――命じさえした。
(うわああ。こりゃあすげえや)
 セリュンジェのみならず、供としてついてきた騎士たちは思わず目を見張った。拝謁の間には玉座の左右に十人ぐらいずつ、老臣と老官女たちが居流れていて、蝋燭が薄暗く照らし出しているそこはますます亡霊の集会じみて見えていたのだが、本人たちは自分たちがそう見えているということすら判っていなさそうであった。
「さて、改めて問うがそなたの名は? また国は? いずこより、いかなる用向きにてこのゼーアの都にまかりこしたな? 直答苦しからぬ。まっすぐ申してみよ」
 さっきまで彼を暗殺者と疑い、不審の目を向けていたのに、今では新しいおもちゃに夢中になった子供のようにすっかり興味を引かれた様子でウジャスは身を乗り出してきていた。アルドゥインはうやうやしく頭を下げた。
「直答お許しいただきまことに恐悦。さればそれがしはアスキアのアルドゥインと申すものにて、メビウスのイェライン皇帝陛下に剣を捧げまつり、陛下の股肱、紅玉将軍ディオン閣下より千騎長を拝命しおりし者。さりながら今はゆえあって浪々の身となり、お願い申し上げたき段がありてかく貴き御前へまかり出て恐れ多いことながら拝謁を願いでたるは、我が陛下、また貴きゼーア皇帝陛下のおんためにお聞き届け願わしきお願いの儀があるによってのこと」
「ほほう、聞いたか、皆の者」
 老帝はいっそう上機嫌になった。
「若輩のものにもなかなか、口の利き方を心得たるものがおるものよ。いかにもわしはゼーア百二十九代皇帝ウジャス・セオフラステュス・カエリウス三世、何なりとその願いとやら、申してみるがよいぞ」
「あいや、我が君。しばらくお待ちくだされたく」
 ウジャスの右側にひかえていた、白髯を胸まで垂らし、学者の印の長いスカーフを宮廷の礼服の上から肩にずり落ちそうになりながらかけた丸坊主の老臣が、のろくさと手を出して遮った。
「何じゃ、ハイラス」
 帝は気分を害されたように言った。
「あいやしばらく、我が類なき大君様。このものの申し条、いちおう尋常なれど、よう聞いてみますといささか腑に落ちぬ箇所の二、三ございますれば、かく貴きあたりがじきじきにお言葉下されます前に、まずこのやつがれめがいささかの試問を致しますことお許しいただけますように請い願わしゅう存じ上げ奉ります」
「汝は供奉大僧官長、人民として至上の地位に就く身であれば、なんじの思うようにしてよいぞ、ハイラス大僧正」
 いくぶんうんざりしたようすで、ウジャスは言った。ここぞとばかりにハイラス大僧正はアルドゥインに振り返る。
「これ、ここな下郎。我はハイラス・レヴィ。ヤナス神殿大僧正にして供奉大僧官長なるぞよ。しかと心得おろう」
「御意得まして恐悦至極に存じまする。大僧正猊下」
 打てば響くといった塩梅でアルドゥインが重々しく答えた。おもわず大僧正の口許がにんまりとほころびかけたが、彼は何とかそれを抑えた。その名前を聞いて、セリュンジェにはおやと思うことがあった。しばらく考えてみて、彼がさきに追い返してしまった軍使の元帥の名が、レヴィであったと思い出した。
(親戚か何かってところなのかな)
 セリュンジェのひそかな思いはさておいて、試問なるものが始まっていた。
「これ、アスキアのアルドゥインとやら。汝の申し条、一応もっともらしゅうはあるが、どうやら筋の通らぬところがあるぞよ」
「どのようなところが、でございましょうか」
「ふむふむ。たとえば、じゃ」
 老僧は髯を撫でた。
「汝はメビウス皇帝に剣を捧げた身なれど、何やらあって国を出たと申しせしよな。さよう相違なくば何故もって《我が陛下》をうんぬんいたすぞ。おのれの主君を捨てたるような身でもって、いかなる主君のあるべきや。まった――」
「そのお疑い、ごもっとも」
 またしてもこの時代がかった古代美文調で長々と演説をぶち上げられては、と素早くアルドゥインは遮った。
「さりながらそれにまつわる仔細こそ、それがしがただいまより語らんとするお願いの筋に深く関わりたる事であれば、いたずらの重複にて貴きあたりの大切なるお時間をさらに頂戴いたす無礼を避けたまで。お許し願えれば、今よりただちにお疑いへの申し開き、またその仔細を、皆々様へ」
「あいや、あいや」
 大僧正は遮られてしまったことへも怒りながら、痩せ枯れた腕を振り回した。
「そもそもこの無断の闖入、無礼なるやり方でお上を蔑ろにするのも甚だしい。ほとんど力ずくにて拝謁を賜ってよりの言い訳は通らぬ。そもそもここにおわすをいかなる方と 心得る。この方は七歳にしてかく至上の現人神の皇帝の座につかれ――」
「ハイラス」
 今度はウジャスが遮った。老僧正は気づかず続けようとしたが、後ろから老小姓に袖を引かれてやっと気づき、慌てて老皇帝の前に頭を垂れた。
「わしゃそのような事が聞きたいのではないぞ。あの者の申すことが聞きたいのじゃ。おぬしは無礼と申すが、あのトティラなどに比べればこの者のほうがよほどことの道理を弁えておるではないか。もうよいぞ。下がれ」
「は……しかしながら――」
「わしは、アルドゥインの何と申すかが聞きたいのじゃ」
(そう言ってくれると、こっちも助かる)
 内心アルドゥインはほっとして、ひとりごちた。そしてまだ何となく物足らぬげに渋々と大僧正が列に戻り、老皇帝が目配せで促したのを機に、老人たちに調子を合わせるのをやめた。
「非常時とのことでいささか礼を失するのをお許しねがいたい。ただいま申し上げたがごとく、俺はアスキアのアルドゥインと申し、メビウス、ディオン紅玉将軍のもとで千騎長を拝命する騎士であった。去る豹の年の冬、ヤナスの月にメビウス国境アヴァール南域に一万の軍勢とともに出征し、メビウスの都オルテアを発った。それはペルジアが二万の軍を率いて国境侵犯をしたためであり――」
「何と、ペルジアが、メビウスを?」
 ウジャスは驚いて声を上げた。
「しかもたった二万で? そんな馬鹿な話があるか。わしゃ知らんぞ」
「これはしたり」
 アルドゥインは驚いたふりを装った。
「このことはウジャス皇帝陛下におかれては委細承知のことかと考えていたが。なんとなればペルジアはゼーアの大公領であれば、その施政、政策については陛下の承諾があるものと考えていたからだ」
「そんなことは寝耳に水だわい」
 ざわざわ、と老臣、老官女の頭が揺れた。
「陛下にもご存じなくとも、これはれっきとした事実。ペルジアはアヴァールに攻め込み、アヴァール国境において我がメビウスとペルジアの小競り合いは時ならぬ大雪で膠着状態となっていた。そこでオルテアなる我が君主にわが剣の父ディオン閣下はペルジアに先手を取り、攻めこむ許しを請うていたが得られず、閣下はおりからの寒さで病の床につかれた。このままでは閣下も我ら部下も雪の中に死を見いだすばかりと、ついにひとたび捧げた剣をわがものとし、かくはイズラルへと攻め上って参った次第」
 老人たちの繰り言や思い出話に足をとられては、とアルドゥインはいくぶん早口で説明をした。中にはついていけずに目を白黒させる者もいたが、さすが皇帝だけあってウジャスはすぐに事の次第を理解したようであった。
「ということは何か、つまりはペルジアからのたくらみで、メビウスとペルジアが今戦闘をしている、ということか」
「さよう」
 アルドゥインは頷いた。
「馬鹿を申すな」
 ウジャスはよろよろと立ち上がり、意外なくらいしっかりとした足取りで玉座を降りてきた。少々危なっかしくはあったけれども、そうしてアルドゥインを睨みすえている様子は、なかなかどうして堂々たる、いにしえの大帝国の君主らしく威厳に満ちていた。
「おぬしはわしをよほど見くびっておるか、嘘をついておるのだ」
「とはまた、何故」
「現在のペルジアの国力、たくわえ、そなえで、メビウスに攻めかかる暴挙をどうして行えよう? それを知らぬほどおろかなペルジアではなかろう。ペルジア国内に捨扶持をあてがわれる身なれば判ることもいくらかある。ペルジアとメビウスでは話にならぬ。どこに、ここまで先の見えたる戦いを我から挑むなどという話があろう。うつけもの!」
「それだ」
 すかさずアルドゥインは声を大きくした。
「我がペルジアにまかり来たる理由もそこにある。いかに考えてもこたびのペルジアによる侵攻は、我が今まで修めしいかなる兵法書、故事の類例にも見いだせず! 我には解せぬ。いかに考えようとも、こたびの暴挙、ただペルジアの大公以下すべての文官、武官がやみくもなる自滅の衝動に駆られ、我と我が身を滅ぼさんとて起こしたこととしか考えられぬ。しかし、よしやペルジア大公が狂ったとて何千の賢臣のあろうこと、よし大将軍狂わば大公これを止めるべく、しからば余人には窺い知られざるまことの目的が、この愚挙、暴挙の裏にあると思わざるを得ぬ。我のかく参りたるもそれゆえ。ウジャス皇帝陛下には、ペルジアの真の目的につき何事かお心当たりはないものか、それをまっすぐにお答えいただきたい」
 矢を次ぐ早さの言葉には、さすがにウジャス皇帝も目をぱちぱちさせた。もっと驚いたのはアルドゥインの後ろに控えていたセリュンジェたちで、アルドゥインのどこからこんな言い回しが出てくるのか、さっぱり理解できなかったのである。

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