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                                *



 ムルタクはそれでもまだ訝しげに、不審そうに尋ねた。
「ではなぜ、あの男の申しましたように、ルシタニアなりで奴らを取り囲み、もみつぶしてしまわれなかったのですか。まことあやつめの申したように、奴らをイズラルまでおびき寄せることが目的であるのだとすれば、それこそわかりませぬ。何の理由があってそのような」
「知らぬわ」
 獰猛にトティラは遮った。
「わしはただの武将、戦う人形のようなものにしかすぎぬ」
 聞いただけでは単純明快なこのせりふに、副官たちはこっそり目を見交わした。このペルジアの大将軍が、軍事のみならず政治のあれこれ、税や人事まで口を出し、それがなくては大公も動くことができぬ、事実上の宰相であることはすでに周知の事実だったからである。
「わしは命じられれば戦うだけのこと。もとよりあの方の考えていることはわしには判らぬ。さっぱりとな」
「では、これは大公閣下のお考えということで?」
 これにはトティラは答えず、振り向いて従僕に馬の支度ができているかどうかを聞いた。答える気が無いところを重ねて尋ねてもトティラの激昂を呼ぶだけなので、ムルタクは口を閉ざした。
「全く、ざまがないわ。あれしきの小僧めにいいように言われよって」
 自嘲するでもなくトティラは呟き、丘の上の無数の光に紛れ込み、すでにどれがどれとも見分けがつかなくなっている松明の群れをもう一度見上げた。
「冷えてきたな。北では、雪かも知れぬ」
 彼は何を思うでもなく北の方角を見つめ、呟いた。
 一方メビウス軍の方は、いたって元気であった。
「いやあ、お前、かっこよかったぜ。何と言ったらいいのかわからねえが、とにかく格好良かった」
 セリュンジェは大はしゃぎだった。
「そうか? 褒めてるのならありがたく受け取っておくぜ」
 アルドゥインはやれやれといった感じで手綱を従者に放り、本陣のしつらえをしてある天幕に向かった。
「トティラの奴、真っ赤になっちまってよ。お前はどうやら、ああいう手合いを怒らせるのは得意なようだな」
「わかりやすい性格だったからな。思ったよりも忍耐強かったが、まずは俺の勝ちだろう。だが奴から本音を引きずり出すまでには至らなかったのが残念だな。まあ、これからどう出てくるかの方向性も大体読めたし、全くの無駄だったってわけでもないから一応の収穫はあったわけだが」
「どういうことなんだ? 実際のところ小難しいことばかりで、俺には何のことだかさっぱり判らなかったんだが」
 セリュンジェは首を傾げた。
「俺もトティラも相手を怒らせて、本音を言わせようとしてたのさ。でも俺が本音を言ったのに向こうはそれを信用しなかった。人の言葉を疑ってばかりいると、本当のことを言われても疑うようになるんだろう。それで用心して向こうも喋ってくれなかったんだが、冷静さを失わせた分こっちが有利だ」
「要するにうまくいったってことでいいのか」
「まあ、そうだな」
 アルドゥインは笑って頷いた。
「伝令、隊長たちを呼んできてくれ」
 彼とともに会見に応じた隊長たちもそばにいたのだが、たちまち千騎長、百騎長が集まってくる。皆、興奮したような面持ちだ。
「会談はいかがでしたか、アルドゥイン千騎長」
「和ですか、それとも戦に?」
「どちらでもない。他と大した変わりの無い会見だったので、さっさと切り上げて戻ってきた。時間の無駄だったな」
 無駄とまであっさりと彼が言い切ったので、隊長たちは驚いたようだった。
「そこで我々のこれからの行動だが――別働隊六百はすでに選び出してあるな」
「はっ」
「では後々指示を出すから、第一級軍装で待機。それから、モデラート隊長、ネイクレード隊長」
 呼ばれた二人は、さっと顔を上げた。その中で、モデラートはアルドゥインが話しだす前に口を開いた。
「アルドゥイン隊長。私を隊長と呼ぶことはない。我々はいまやあなたの兵なのだ。自由に命令してくれ」
 彼の言葉に、ネイクレードも頷いた。
「それがしもどこまでもお供つかまつる所存であります」
「ありがとう。二人にはあと半日、ここで陣を張り続けるていを装ってもらいたい。俺がここにいないということを絶対に相手に気づかれてはならない。間者が忍びこんでいるとも限らぬから、天幕には俺がいるようなこしらえをし、必ず入るときには名を呼び、食事なども持って入るように」
「将軍ほどの体格のものはおりませんが――誰かを影武者に立てましょうか」
「できるならそうしてくれ。天幕に人がいたほうがいいだろう」
 質問した隊長は頷いた。
「トティラ将軍の癇に障るようにわざとふるまっておいたから、多分この夜明けを待たずして軍使や手紙がひんぴんと来るだろうが、歩み寄りの余地はないと、先にセリュンジェが用いたような論法で適当に追い返せ。かといって応じる気が全くないと、一斉攻撃を食らう恐れもあるから、交渉に応じる気はあるが、極力こちらの有利に運びたいから焦らしている、というように思わせろ」
「そのような交渉ごとはコラス第二百騎長が一番得意ですから、彼に全て任せるということでよろしいでしょうか」
「ああ。かまわない」
「閣下はどうなさるので」
「俺は別働隊を率いて次の目的地に向かう。到着し次第、伝令を飛ばす。そうしたら留守部隊も移動を開始しろ。一気に動くと目立つ。第四隊から各千騎長の隊ごとに分かれて動きだせ。その際馬の蹄には布を巻き、はみにも布をかませて音を極力立てないように。夜明けまではかからぬつもりだが、万一そうなった場合にはしんがりを務めるコラス隊は炊ぎの煙などあげさせ、まだここにいるというふうに思わせるように。もしも気づかれたら応戦などせず、楯を背中に背負い、面頬を下げて一気に駆け抜けろ。逃げると見えてもかまわない」
「アルカンドに言う《偽装の転進》ですな」
 コラスが楽しげに言った。
「ああ。そのようにして、見せ掛けを半日続けてくれ。イズラルの目を別働隊に向かせぬようにしてほしい」
「して、次の目的地とは? 到着後に伝令でお知らせねがえるのですか」
「今言うが大きな声は出したくない。少し寄ってくれ」
 言われたとおり、隊長たちは顔を寄せた。アルドゥインはちょっと身を屈め、低く囁くように告げた。
「ゼーア皇帝領、ヒダーバード市城」
「ヒダーバード……」
 突然出てきたその名に隊長たちは一瞬驚いたように目を見交わしあったが、しだいにのそのおもてには理解めいたものとともに、笑顔が浮かんできた。
「俺の狙いは判ったか?」
「何となく、ですが」
 ヤシャルがうなずきながら、なおもまだ考えているようだった。
「委細承知いたしました。将軍がそちらに向かっているあいだ、我々がきっときゃつらを最後まであざむいてみせましょう」
 モデラートが力強く宣言した。
「頼んだぞ。では、後ほど」
「将軍、ご無事をお祈りいたします」
 さっそくそれぞれの隊に戻っていく隊長たちを見送り、アルドゥインは次の指示を出すために立ち上がった。小姓の代わりをしている騎士が、会見に赴く際に預けていった彼の大剣を手渡す。
「セリュンジェ、別働隊は」
「もう待たせてあるぜ」
「よし」
「いよいよイズラルに攻め込むのかい?」
 わくわくしながらセリュンジェが尋ねた。
「まさか」
 アルドゥインは鷹揚に首を振った。
「六百で一国の首都を落とせるとは思ってない。俺たちが行くのは別のところだ」
「何だ、つまらねえ」
 あからさまにがっかりした様子で、彼は舌打ちした。
「まあ――よく訓練された五千の軍勢と情報さえきっちりつかんでいれば、できないことはないと思うが、今の段階では少々無理があるな」
 独り言のように、アルドゥインは呟いた。何か彼が言ったと聞きとめて、前を歩き出していたセリュンジェが振り返った。
「どうした?」
「いやな。前から思っていたんだが、いったいどれくらいあれば一国の首都を制することができるんだろうか、と考えていたんだ」
「ふうん。で、お前はどう考えているんだ」
「今の俺たちは便宜的に俺が率いているだけの軍だから、統率が行き届いているわけじゃないが、本来のメビウス騎士団の統率力があれば、五千くらいでも充分いけるんじゃないかな」
「へえ。そんなもんかね」
 話をしているあいだに二人は陣を抜けていった。陣の後ろ、街道に面した側に、すでに軍装を整えた六百余りの騎士たちが待っている。アルドゥインはその前に立ち、めいめいを見回した。
「我々はこれから別働隊として動く。目的地は――ヒダーバード」
 さすがに騎士たちはざわめいたが、すぐに静まった。
「これは隠密行動であると心得、以下の点を遵守せよ。まず街道を抜けるまでは馬の蹄に布を巻き、馬具の金具にも布を巻いて音を立てぬようにする。馬をいななかせぬように気をつけろ。剣の鞘が鉄のものはそこにも布を巻くこと。さらに街道からナラの森に入るまでは騎乗せず、それぞれ手綱を引いて歩く」
「はっ」
 隠密行動はすでに始まっているので歓声を上げるものもいないが、彼らの押し殺した声には隠しきれない晴れがましさが潜んでいた。
「ナラの森に入ったところで五分で点呼を済ませる。脱落したものは本陣に戻れ。そののち騎乗し一気に駆けとおす。夜明けまでに――いや、二テルで着くつもりで、一気に行くぞ。十分後に出発する」
「はいっ」
 尋ね返すものもいない。六百騎は一斉に答えた。

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