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     そしてまた私は見た。
     白銀と紅の軍勢を率いて
     一人の若者が北からやってくる。
     彼は剣によってかの国を救い
     剣によらず戦いをおさめるだろう。
       ――チャンドラの預言書より




     第三楽章 ヒダーバード前奏曲




「さらに申し上げておくが」
 アルドゥインは続けた。
「将軍も、また二度の使者も我らの不法越境、侵入を咎め立てられ、何故か、何を目的かと詰問される。されば我らも問いたい。過日に起こりし貴国のアヴァール越境及びグレインズへの不法侵入は何とご説明いただけよう? ペルジアはれっきとした一国家、メビウスと通商条約も相互不可侵条約も締結している。にもかかわらず一方的にこれを破り、国境を侵犯するとはいかなる判断にもとづくものであろう? まずはそれにお答え頂いたのちに我らもご説明いたそう。さりながら今申し上げたように我らはメビウス軍籍を離脱した流浪の、自由な軍勢。我ら一軍をもって独立国家にひとしいものとみなしている。従ってさきほど使者に申し上げたとおり、我らにはペルジアの国法を守る謂われはない。またこれをペルジアへの不法行為とも考えていない。そのことしかと覚えおき、こののちの対応をお考えいただこう」
「おのれ、いけしゃあしゃあと」
 トティラは魁偉な顔を赤く染めた。
「ではおぬしは、この公都への侵攻も、それに対する我らの当然なる怒りも口にしてはならぬと強弁するばかりか、居すわることを認めよというのか。アヴァール進軍については――進軍についてはそれこそ国家の一施策。おぬしごとき一隊長に説明する理由はない。よしそれが道理だとしてもそれはオルテア政府と折衝すべきこと。おぬしに問いただされる筋合いはさらにない」
「まこと、将軍のおっしゃるとおり」
 軽く会釈して、アルドゥインは言った。それがますますトティラを苛立たせるということをわかっていてやっているようだった。
「では、これ以上我々が話し合う用件はないということでよろしいか。わざわざご足労願ったのは無駄であったようだな。またいずこかでお会いすることもあろうかと思うが、こたびはこれにて。御免」
 そのまま、くるりと踵を返して馬のほうへ歩み去ろうとする背中を、トティラは内心の怒りを顔に露にしたまま呼び止めた。大声を出さなければならないということにまたしても腹を立てながら、彼は叫ぶように言った。
「まだ、話は終わっておらぬ。こちらを向け、アルドゥイン」
「………」
 さも渋々、といったようすでアルドゥインは振り返った。
「まだ何か?」
 ほとんど息子のような歳の相手に翻弄されていることに、トティラはかんかんに起こっていたが、おのれを見失うほどではなかった。
「ではおぬしは何を望むというのだ」
 トティラは自分を抑えてつとめて冷静になろうとしながら尋ねた。噂で聞かれる彼の短気さが本当なのだとすれば、感心すべき自制心であった。アルドゥインは何かくだらぬことをまた言い出した、とでも言いたげに首を傾げたが、再びトティラと相対する場所まで戻ってきた。
「言え。何が望みだ。言わねばわからぬぞ」
「強いて言うなれば平和かと」
「なに?」
 意外な言葉を聞いて、トティラは勢いを外されたように尋ね返した。
「メビウスを離れてなお、メビウスの栄光にその忠誠を誓う我らが願うものはメビウスに平和をもたらすこと以外にはない」
「口清く言ったものだな」
「そう思われるなら思われればよい」
 いくぶん強い口調でアルドゥインは言った。
「だが我々はペルジアを占領するために来たのではないし、ましてこのようにペルジアの安寧を乱し、いくばくかの利益を得ようとして来たのでもない。あのままアヴァールに駐留していれば厳寒の中、せんかたなくペルジア軍の国境蹂躪にまかせるほかなく――雪、寒さ、病、敵によって僚友たちが一人また一人と斃れてゆくのを成す術もなく見ていることしかできなかった。さればこそ我々は死中に活を求めんとしてイズラルへの長征を行ったのであり、いわばこれはおのれの身を守らんとしての当然のことわり。したがって求めるものはと問われれば平和、としか言えぬ」
「では問う。おぬしたちのペルジア領内からの撤兵と引換えに――アヴァール国境から我が方も撤退すると約せば、のむか」
「それが道理に適ったお申し出であれば、むろんのこと」
 アルドゥインは軽く頷いた。
「されば重ねて問うが、せっかくこのようにイズラルを訪れた勇猛の軍勢。われらとても首都を巻き込んでの無用のいくさは避けたいところ。いっそおぬしが五千の騎士をひきいて我がペルジアに下るというのであれば、世界に冠たる紅玉騎士団、ペルジアとしても厚遇をもって迎えるにやぶさかではないぞ」
「これは過分なるお言葉――恐悦至極に存じる。が、その件は口に出されぬほうがよいだろう」
「なぜだ。そのような考えあっての長征かもしれぬと思えばこそ、シュム、バールガウの関門もあえて通したのだぞ」
「そうではありますまい」
 アルドゥインの声がわずかに笑みを含んだ。口許は笑っていたが、目はちっとも笑ってなどいなかった。
「何だと?」
「というよりも、俺にはそのようには思えない」
「なぜだ、アルドゥイン」
「もしまことに我が軍を阻みたければ、シュムよりももっと北――まだアヴァールの自由国境を出るか出ないかのうちにペルジア軍は迎撃、追撃の挟み撃ちをかけていたはず。あるいは将軍のお言葉どおり、我々がメビウス軍を脱走し、ペルジア軍門に下るかも知れぬとのお考えが一縷なりともあった場合には、すぐにも使者がたてられ、これもシュム以北で俺への内々の書状なり何なり寄越されよう。しかしながらどちらもされず、ただ漫然と我らを看過されしこと、ペルジアの本意にその底があると俺は思うが」
「そこまで言うのであれば、本意とはなんだ? 言ってみろ」
 ぎらぎらと目を光らせながら、トティラは問うた。
「本意とはすなわち我々を、さらに言えば俺をイズラルまで招き寄せること」
「ほほう」
 トティラは獰猛に笑った。その声には、嘲りの響きが込められていた。
「それは大したうぬぼれというものだな。いかに勇猛、勇武の名高き紅玉騎士団とはいえ、たかだか五千の軍勢――しかもこれが初陣の、ただの千騎長にしかすぎぬ男ひとりを、この大国ペルジアがいかような理由をもってわざわざ国の奥深く招き寄せるなどということがある?」
 アルドゥインは答えなかった。
 トティラは彼の沈黙にも焦ったようすもなく、今度こそアルドゥインをやりこめた、おのれが優位に立ったのだと確信したように、先輩の武将としての本来の威厳と自信を取り戻したかのようであった。
「そのように考えるからには、おのれがここのでさしたる抵抗にも遇わずに兵を進めたことがペルジアの仕掛けた罠であり、それを承知であえて飛び込んだと、こう言いたいわけだな。そうだとすればその勇気――というより暴勇だけは認めてやらずばなるまい。万が一にもそのたくらみがまことであり、おのれがそれを受け止め、無事切り抜ける策をもっているのだとすれば、な」
「………」
 トティラはさらに声を張り上げた。
「だが、そのような事実はない! なにゆえペルジアがおのれごとき端武者にかようなたくみを巡らす必要がある? 自惚れるな、若造!」
 アルドゥインは黙っている。
 トティラはまるで切っ先か槍の穂先を向けるかのように鋭く、アルドゥインの胸に指を指しつけた。
「なぜ黙っている。答えろ!」
 丘の上と下とで待っている者たちには、中腹でいったいどの様な話し合いがもたれているものか、不安と興味の尽きせぬところであっただろう。すでに話し合いというよりは、一方的な尋問と化していたのであるが。
「なぜ答えられぬ」
 アルドゥインはまだ、沈黙を守っている。
「ははあ、さては答えるすべを知らぬのだろう。おのれでもあまりにも強弁であったと知っているがゆえに、答えられぬのだな。何故にペルジアがおのれ程度の者をはかりごとにかけてまでおびき寄せねばならぬのか、考えられもせぬゆえに、答える言葉を失ったのだ。そうなのだろう」
 それでもアルドゥインは答えなかった。かえって、居丈高になって攻めかかっているトティラの方が、彼の沈黙に気圧されているかのようである。しかしそれにしてもアルドゥインの沈黙は長すぎた。答えぬあまりにトティラを完全に怒らせてしまうのではないかと心配して、セリュンジェが身じろぎをしたときであった。
 アルドゥインは深く息を吐いた。
「おっしゃることはよく判った、トティラ将軍」
「わかった……だと?」
 次の言葉を言おうと口を開いたところにアルドゥインが話したので、トティラは言葉を失ってしまって目をしばたたかせた。
「と言うより、どうやら俺が求める、まことに話し合うべき相手は将軍ではないようだ。この上会談を続けても無益な言葉の積み重ねにしかならぬ。俺は、これにて失礼させていただく」
「な、何だと……」
 トティラはあっけにとられて目を白黒させた。
「貴様、二度まで同じ手を使いながら、この上も返答に詰まれば逃げようというのか。このトティラにかような手が通じるとでも思うてか」
 だがアルドゥインは答えない。丁寧に頭を下げて、そのままトティラに背を向けた。慌てたのはトティラだった。
「待て! まだ話は何も終わっておらぬぞ」
「問答無用」
 アルドゥインは、彼でもこれほど酷薄な声が出せるのかと耳を疑うほど冷たい声で告げた。
「では、御免」
「待たぬか、アルドゥイン! 返答に窮したからとて逃げるとは、騎士の道、いや人の道にももとるぞ!」
「さよう、俺は沿海州の蛮人。ペルジアの礼儀は知らぬ」
 振り向きもせず、アルドゥインは言い捨てた。
「セリュンジェ、馬を」
「ここに」
「アルドゥイン!」
 トティラはなおも追いすがった。
「それは、いよいよイズラルに攻めかかるという意思か」
「そのつもりはまだ無いつもりが、お疑いあればせいぜい城門をかたく閉ざし、守りを固められることだ。攻めかかったところで所詮は無名の端武者に率いられた五千の蟻のようなもの。お気に留められることもあるまい」
「その無用の争いを避けるために、わし自らがここに出向いてきておるのだぞ! おぬしは言葉のあや一つで気短にもそれを無にするつもりか」
「将軍には耳が遠くなられたか。俺は申し上げたはずだ。問答無用、と」
 馬に乗り、すでに出て行こうとするアルドゥインは振り返った。松明の明かりを受けて、その目が妖しく輝いた。
「俺がまこと対さねばならぬ相手はトティラ将軍にあらず。さればこの上引き止められるは我が方とても迷惑。部下たちが待っているので――御免」
 そのままぴしりと馬に笞を当て、アルドゥイン以下六人の騎士たちはあっと言う間に丘を駆け登っていった。
「アルドゥイン!」
 トティラは叫んだ。
「将軍!」
 部下たちが駆け寄る。
「あの男、まことにもって無礼千万な――。将軍、たかが五千の軍勢に手をこまねいている必要はございません。イズラル衛兵にお命じください。あのような小勢、ひともみに平らげてごらんにいれます」
「たわけたことを申すな、ムルタク」
 トティラは苦虫を噛み潰したような顔のまま、おのれの副官を振り返った。
「そうできるものなら最初からそうしている。誰があれしきの者どもに手も足も出せずうろたえたりなどするか。だが今は種まき前の大切な時期――今戦禍に畑を踏みにじられれば、今夏の年貢にも響いてくる。むやみな行動はできぬ」
 そう言って、彼は丘の上にきらめく松明の群れを睨み付けた。

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