前へ  次へ
     剣や弓矢を巧みに操り
     命を奪うが騎士のならいと申します。
     されば詩人の武器はこのキタラ
     剣ならぬ言葉を操りて
     心を奪うをならいといたしましょう。
            ――吟遊詩人の口上




     第二楽章 騎士の歌




 アルドゥインは再び馬上の人となった。その傍らにぴったり寄り添って、セリュンジェは不安げな眼差しを向けた。
「大丈夫かな?」
「……」
 明らかに軍使とおぼしき中隊を送り出してのち、イズラルの市門はまたぴったりと閉ざされていた。彼らはペルジア正規軍の軍装を整え、白旗を高々と掲げてゆっくりとこちらに向かってくる。
「たしかに奴らだって驚いただろうな」
 セリュンジェは口の中でもごもごと呟いた。
「五千とはいえいきなり軍隊がイズラル目指して攻め上ってきたと思ったら、戦いを仕掛けてくるでもなくこんなところでぴたーっと止まってじっとされてたんじゃ。もっとも俺たちがアヴァールからペルジア領内に入ってきたって報せは早馬で来てるだろうけど」
 自分たちがペルジア宮廷に巻き起こしただろう騒ぎを、セリュンジェはこっそりと思い浮かべてみた。だがそれはすぐに破られてしまった。
「セリュ、何をぶつぶつ言ってる? ここじゃせっかくの使者殿の声が聞こえない。もうちょっと寄ろう」
「行くよ、いま行く」
 セリュンジェは馬に飛び乗った。ややあって、止まれの号令がかかったようだ。一個中隊は丘の中腹あたりで止まり、旗手と数人のおつきのものだけが離れて、白旗をさらに打ち振りながら進んできた。
 メビウス軍はアルドゥインからの命で、態勢をとかぬまま待つようにと伝令がふれまわっている。アルドゥインは馬上で微動だにせず、じっとその動きを見つめていた。
「軍使――軍使!」
 いつ弓矢が射掛けられるかもわからない、と内心ではこれが生死の分かれ目にも感じられているだろう。軍使は面頬をしっかりと引き下ろし、何の武器もたずさえてはおらぬことを示して両手を高高と挙げ、大声で呼ばわった。
「これはペルジア大公アダブル閣下の臣、禁軍第六師団中隊長を拝命つかまつるサイアノスと申すもの。我が司令の命により、伝令の使にまかりこした。ナラ丘上に布陣せし貴軍はいずれの手兵にて、率いる大将は誰であるか。またなにゆえもって我が公都イズラルに迫り、いたずらに人心をおびやかすものか。ただちにご返答ありたし。さらに言う。これはペルジアの……」
「アルドゥイン」
 セリュンジェはアルドゥインの顔を見上げた。彼の浅黒い、端整な横顔は眉のひとすじも動かさない。
「どうする? きいてるぜ」
「捨てておけ」
 短いいらえ。
「捨てておけって、おい」
「俺たちの様子を身にきただけだ。あの程度は相手にすることはない」
「ご返答ありたし。ここは公都イズラルの北大門の要である。納得ゆく説明もなく長時間布陣するとなれば我が国の秩序への妨げ、また住民の不安ひとかたならず、すみやかに退去されたし。強いてがえんじぬとあらば、禁軍百万、武力をもって貴軍の退去を強制するも止むを得ざるところである」
「百万だってよ」
 思わず、セリュンジェは吹き出した。
「へへ、そりゃあずいぶんと大きく出たもんだな。イズラル衛兵隊だって五万もありゃあいいところだろうに。そもそもイズラル全市の人口だって百万あるかどうかあやしいもんじゃねえのか」
 とはいっても、やはりアルドゥイン軍の五千よりは多いだろう。
「なあ、アルってば」
「ああ」
「どうするんだ」
「だから、捨てておけと言っただろう」
「お前、他の奴が聞いたら、落ち着いてるのか馬鹿なのかわかりゃしねえぞ」
「お前はどう思う?」
 顔をしかめてみせたセリュンジェに、アルドゥインはさてどうだろう、というような笑みを返した。
「伝令」
「はっ」
「げんざい当直に当たっているサドワ隊はクンツェル隊と交代。ただしその場を動かず、現在の布陣、第一陣形のままその場で下乗、糧食をつかってよろしい。第四隊ネイクレード隊とネメシアヌス隊は第二陣形に分かれ、南側のものは陣の南に出て第一陣形。北側のものは陣の内側にて第五陣形を組み、命令一下丘を駆け下れるようにせよ」
「かしこまりました。復唱いたします」
「ご返答ありたい。こちらは、ペルジア大公よりの使者であるぞ!」
 使者はしだいにやっきになってきたようだった。それも無理はなかった。彼らは任務を帯びた軍使であって、子供の使いではないのだから、何も答えてもらえませんでした、では済まされないのだ。
「貴軍の司令官と会見したし。司令官、ご返事あれ。我が方には貴軍の我が国土退去に関して話し合いの用意がある。司令官と会見したい。ご返答を――ご返答を!」
 張り上げる大音声もだんだん心もとなげになっていく。
 しかしアルドゥインは何の反応も見せない。
 その時、ざっとあたりの空気が動いて、セリュンジェまでがはっとして飛び上がりかけたが、何のことはない。伝令が届いて、丘の上で陣を取り囲むように当直に当たっていたサドワ隊の騎士たちが一斉に下馬しただけのことであった。
 ペルジアの軍使たちもさぞびっくりしたようで、もう少しのところで城門に向かって逃げ出そうとさえしかけた。だが彼らが馬の轡をつなぎ、かくし袋から食糧や水筒を取り出してあたりの枯れ草の上に座り込むのを見て、目を疑ったようだった。
「こ、こは慮外な!」
 サイアノスの声は悲鳴に近いものになった。
「何故、司令官には返答ないか。そもそも街道の約定を無視しての無法な侵入、非はそちらにあろう。それをこのような不敵な振る舞い、慮外千万である」
 アルドゥインは何か言おうとしたセリュンジェを手で制した。前で防衛線を張っていた騎士たちが下馬したので、丘の上の彼の彫像にも似たあざやかな姿は下からもくっきりと見分けることができた。
 駆け抜けてきた街道すじの町村からの報告や噂で、沿海州人の新たな千騎長の噂はすでにイズラルでも知られているのだろう。鎧の白銀色と対照をなす黒髪や黒い肌、すらりとした印象的な姿は、周りのメビウス人種とはあきらかに違うものである。
 使者はなおも声を張り上げて返答をもとめていたが、次第に声もかれがれとなってきた。そして半テルばかり甲斐のない努力を続けた後、何の返答も得られぬと判ると、すごすごと引き上げていった。
 イズラルの城門が慌てたように開き、使者の一隊を飲み込むと、すぐにまたぴったりと閉じられてしまった。
 その間、アルドゥインは全く動こうとしなかった。
「やれやれ――あの中隊長、かんかんに怒ってるだろうな。それとも怒られてるか、どっちかだ」
 セリュンジェの呟きに、アルドゥインは笑った。
「どうせ小物を様子見に出しただけのこと。向こうだって俺たちが最初から素直に応じるとは思っていないだろうさ」
「それでお前はゆうゆうと構えて、相手の出方を待とうってんだな」
 愉快そうに、セリュンジェは言った。それに対しても、アルドゥインは笑みを浮かべただけで答えなかった。
 それから一テルも経たないうちに、再びイズラルの城門が開かれた。
「来た、アルドゥイン! また来たぞっ」
 興味津々で面白がって、丘の中腹あたりまで馬を出して偵察していたセリュンジェが興奮しながら駆け戻ってきた。
「今度はもっと偉そうだ。人数も少なくなってる。面白え!」
 彼の言ったとおり、今回出てきたのは二百人ばかりの一隊で、先ほどと同じく軍使の白旗をかざしている。
「とりあえず下手に出て、我々の肚を探ろうという考えに出たのでしょうか」
 第四隊百騎長のヤシャルが尋ねる。この頃になると隊長たちもだいぶアルドゥインのもくろみが判りかけてきていたので、面白がっているようだった。
 そろそろイズラルにも日暮れが迫り、空気は冷え込みはじめている。
「軍使――軍使!」
 さきほどの中隊長の面目失墜を慮ったらしい。今度の使者は、まず二人の騎士を先触れに出してきた。
 もとより死は覚悟の上に違いない。二人の先触れは丸腰であることを示しつつ、まっすぐに陣中を目指してきて、むろんのこと当直のクンツェル隊に止められた。眼前でがっきと槍が交差される。
 本隊は丘の下で、じっとしている。
「千騎長、いかがいたしますか」
「そうだな」
 アルドゥインはヤシャルとセリュンジェを呼び、何事か言い含めた。二人はにやにやしながら最前列に出ていった。騎士たちが、セリュンジェの手にした副長の采配を見てさっと道を空ける。
 セリュンジェは馬の手綱をとりながら、おそれげなくそこに立っている先触れを見た。このような敵陣の真ん中で丸腰のまま敵兵に取り囲まれてなお、落ち着いて待っているところはそれがとりつくろったものだとしてもなかなか勇敢であった。
「軍使の先触れであります」
 二人のうちかしらだった方が名乗りを上げた。セリュンジェとヤシャルを司令官からの差し回しと見て取って、面頬を上げた。ペルジア人の灰色の瞳でこちらを見上げる顔は、まだ若いようだ。
「口上を述べること、お許しいただけましょうか?」
 アルドゥインから最初はなるべく喋るな、と言われていたので、セリュンジェはゆっくりと頷いた。彼としては紅玉将軍リュシアンの威厳と重々しさを大いに真似たつもりであった。
「わが上官は軍使の役をおおせつかり、このナラ丘下に待機しております。貴軍司令官との会見、会談をお願いしたい」
「上官とは?」
 セリュンジェはなるべく重々しい声を出そうと努力しながら言った。
「ペルジア、イズラル衛兵隊第六師団長、イリファス・レヴィ元帥」
「イリファス・レヴィ? そんな者は、知らないぞ」
 セリュンジェはわざと横柄に言った。ペルジア兵に、さすがにむっとしたような様子が表れたが、すぐに自分の役目を思い出したようで、じっとこらえた。
「これはペルシア大公よりおそれおおくも禁軍をあずかりますトティラ将軍閣下よりのご命令。たとえレヴィ元帥をご存じなくとも、いわば我が使者団はペルジア大公国および禁軍百万の代表とお考えいただきたい。さきにサイアノス中隊長の軍使のお役に対し、貴軍は無視されたが、本来であればれっきとした国境を持つ独立国の領内にかような軍勢を率いて侵入することこそ、それ自体が許されざる無法のふるまい、それをあえてこのように順序を踏み、礼をもって遇するのもひとえに公都近きこのナラ周辺の無辜の民に、はからざる惨禍のおよぶをおそれてのこと。――このことをお考えいただき、そろそろ貴軍司令官ご自身にて、わが軍使とご面談あってしかるべきかと」
「ほおう」
 セリュンジェはわざと、声にさげすみの響きを込めた。
「それでは聞くが、不法侵入者であるわれわれが何条もって貴国の秩序、貴国国民の平和と無事、ひいては貴国の大公に対してその面目のために協力するいわれがあろう? こちらはいつまでここにいようが何の痛痒もない。そもそもがそうするためにやってきたのだからな。では武力をもって退去させようとするならそれはそれで受けて立とう。その時こそ、住民に被害が及ぼうが、畑が荒れようが、俺たちの知ったことではない」
「な、なんと無礼な!」
 若い使者は、言葉に詰まってしまった。ここまであっさり開き直られるとは、思っていなかったに違いない。

前へ  次へ
inserted by FC2 system