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                                *



 そしてここは、イズラルであった。
 ペルジア大公国の首都、公都イズラルは、またの名を青の都、青都とも言う。建物や石畳に使用されている石の青みがかっているために全体的に青く見えるこの街を、人はそう呼ぶのだ。
 人口百万を抱える街に今のところ動きは見られない。それは押し寄せてきた五千のメビウス兵に対して怯え、身を縮めているとも、彼らをおのがあぎとに捕らえた余裕を見せているとも取れた。
 イズラルの街を見下ろすナラの丘の頂上に、紅玉騎士団四番隊と五番隊の合わせて五千余りの兵士たちはいた。アルドゥインはそこで一旦、全軍停止を命じた。丘といっても小規模な高台程度のものだが見晴らしはよく、イズラルの市中に何かあればすぐに判る。そこに五千の軍隊がわだかまっていることを別とすれば、農民が畑を耕し、旅人が時折通っていく、のどかな小春日和の風景である。
「アルドゥイン――千騎長」
 先程から微動だにせずイズラルを見下ろしている背中に、セリュンジェは馬を寄せて声をかけた。しばらく間が空いてから、アルドゥインは振り返った。
「どうした、セリュンジェ」
「何を見てるんだ?」
「イズラルを」
 アルドゥインと馬を並べ、セリュンジェもイズラルを眺めてみた。初めて見る青都は、旅人の噂に違わず、青い街だった。青みがかった岩を使った城壁がイズラルの市を取り囲み、一定間隔で覗き窓が設けられている。東西南北の八方位に大小の市門があり、それはかたく閉ざされている。
「ここまで、ほんとうに順調に来たな」
 答えがなかったので、セリュンジェは独り言のように続けた。
「ペルジア国境を突破して、ルシタニア守備隊とぶつかった時には、なまじ頭の切れる大将についてきたもんで、俺たちはペルジアの奥深くに入り込んだまま出るに出られず野に屍をさらすもんだとばかり思ってたよ。それがやつらはあっさり兵を退いて、とうとうここまで抵抗らしい抵抗にも会わずにきた。順調すぎて何かくさいと思うぐらいだ」
「俺もそう思う」
 やっと、アルドゥインは口を開いた。
「だから来たんだ」
「だから、って……お前の考えることは、ほんとに判らねえな」
 セリュンジェは肩をすくめた。
「しかし……アルが千騎長に昇格したと聞いたときも驚いたが、このイズラル攻めの軍勢をひきいるのがクジャヴァ副将じゃなくてアルだって判ったときにもびっくりしたよ。ずっと兜を被ってたし――いつ入れ代わったんだか判らなかった」
「あれは閣下がそうした方がいいとおっしゃったんだ。たとえ千騎長でも、なりたての俺なんかについてくる兵士はいないだろ。騙したみたいで悪いけど」
「いいや、俺はついていったよ。最初からお前が総司令官だって知ってても。でもモデラート隊長はお前が自分を飛び越して指揮官になったことをあまり良く思ってないし、百騎長のマクロとリュートリは自分こそが次の千騎長だと思ってたのに、お前がなっちまったからこれも恨みに思ってるみたいだ。全員お前についてきたからって、安心しないほうがいい」
 それを聞いて、アルドゥインはふっと笑みを浮かべた。
「だろうな。ここまでついてきてくれただけでも感謝してるさ。だが俺が信用しなければどうして相手も俺を信用してくれる? だから俺は信じるよ。信じなければこれからの戦いは勝てない」
「お前じゃなきゃ、そんな台詞を言う奴は馬鹿だと思っただろうな」
「なあセリュ」
 それには答えず、アルドゥインは声の調子を真剣なものに変えた。
「ああ?」
「お前、イズラルを見てどう思う?」
 セリュンジェは首をひねりながら言った。
「どうって……噂どおり青い街だな。それにずいぶん古い。たしかゼーア帝国時代からの首都だっていうから」
「俺にはこの街は、死んでいるように見える。活気がない――とでもいうのかな。たしかに街自体が古いということもあるだろうが、それでも百万の人々がそこに住んでいる以上、人の気配や生活の息吹のようなものが感じられてもいいはずなのに、この街にはそれを感じない」
 彼の言葉を受けて、セリュンジェは眉をしかめながらよくイズラルを見ようと身を乗り出した。
「そりゃ、ペルジアは国自体が衰退してるからな。活気がないっていうのはたしかだ。古いといえばクラインもメビウスも似たようなもんだが、クラインは特別だろう。メビウスも古いが、皇家の血筋や首都は何度か変わってるし。ペルジアは土地が肥沃だからそんなに広くなくてもそれなりの収穫は上がるし、周囲を山や川に囲まれてる地形のおかげで侵略の危険も少なかったし、それで新しい風ってのが入ってこなかったんだ。水は流れなきゃ淀むんだよ」
「お前の言うことは正しいと思うよ、セリュ」
 アルドゥインは頷いた。
「だがそんな国力が低下して、しかも別に領土拡大の必要性に駆られているでもない国が、どうして他国を侵略なんかしたんだろう。それが判らない。イズラルに来てみて、もっと判らなくなった」
「うん――?」
「イズラルは死んでる。人間が住むべき街として、という意味でだ。少なくとも俺にはそう思える。それが無謀な侵犯を行い、まるで盛んな国みたいに振る舞おうとしてる。俺がペルジアの大公だったらとてもこんな馬鹿な真似はできないよ。だが大公一人の判断で軍を出すなんてことはありえない。要するにペルジアの偉いがたみんなが気違いじみたまねをしてるってことだ。この根には何かとても深い、重大なものが隠れているんじゃないかと思う」
「また、難しいことを考えてるんだな」
 なかば呆れ気味に、セリュンジェは呟いた。何だかこの数日で、アルドゥインがずいぶん遠いところに行ってしまったような気がしていた。
「難しくはないだろ。お前はあの街が元気だとか、ふつうだと思うか」
「いや、思わねえ。――確かに言われてみりゃあ何か暗い雰囲気だな。晴れの公都だってのに、どろどろして腐っちまったみたいでさ」
「だろう?」
 アルドゥインは頷きかけ、またイズラルに目をやった。街の死んだようなどんよりとした空気が、街そのものの青色と相まって、さらに哀しみをそそるようだ。
 オルテアを出るときに与えられた予言を、アルドゥインは思い出していた。
(真の敵はペルジアに非ず。いくさを終わらせるためには、王はペルジアを傀儡となしているものを突き止め、解放してやらねばなりませぬ)
(真の敵はペルジアに非ず)
(そして俺は、ここまで来てしまった)
 キャスバートの予言によれば、アヴァールへの国境侵犯はペルジアの意思で行ったのではない。ペルジアに入ってから――そして今こうしてイズラルを見て、アルドゥインもその思いを強めていた。
(ペルジア大公は――いや、ペルジア政府全体が、誰かに操られている。そいつさえ突き止め、追い払うことができれば戦争は終わる)
(俺は、そのために来たんだ)
 物思いに沈む彼の秀麗な横顔をちらりと見て、セリュンジェはかすかに首を振った。そこに、新たな一騎が近づいてきた。
「アルドゥイン千騎長、四番隊第一百騎長ヤシャルであります。ただいまよろしくありましょうか?」
「かまわない」
 夢から醒めた人のように、アルドゥインは振り返った。何を彼が思っていたとしても、すでにその表情からそれを読み取ることはできなかった。
「ネイクレード四番隊長より、こののちの予定についてご指示をいただきたいとのおおせです」
「ああ。そろそろ出さなければと思っていたところだ。千騎長以下の隊長に全て集合するように伝えてくれ」
「かしこまりました」
 ヤシャルは馬上で一礼して、すぐに戻っていった。再びセリュンジェを振り返って、アルドゥインは苦笑いした。
「どうもああいう堅苦しい話し方は苦手だな。ついこの間まで命令されてた相手に命令するっていうのも」
「そのわりにゃ、堂に入った振る舞い方だぜ」
 心やすだてにセリュンジェは言った。
「まるで最初っからアルが俺たちの大将だったような気がしてくるんだから、やっぱりお前はすげえやつだよ」
 その口調に何か複雑なものを感じ取って、アルドゥインは眉を寄せた。
「何か、さっきから妙に突っかからないか?」
「いつまでお前とため口で話せるかわからないからな」
 セリュンジェは手短に答えた。
「いつまでだっていいだろ。……行くぞ。これからが本番なんだからな」
「判ってるよ。俺たちはどこまでもお前についていくさ、アル」
 隊長たちが集まった一角に、馬から下りて歩いていくアルドゥインの後を、セリュンジェはすぐに追った。四番隊の千騎長が五名、百騎長が十七名。五番隊の千騎長はアルドゥインを含めて四名、百騎長は十九名。全員がそろっていることを確かめて、アルドゥインは口を開いた。
「第四隊ネメシアヌス隊はしんがりをつとめ、第五隊サドワ隊は街道からの追手を警戒し第一回の歩哨に立て。その他の隊は小休止。時間は定めぬから、糧食をつかうなりしてそれぞれ体を休めるように。ただし軍装は解かぬこと。我々はしばらくこのナラに駐留し、相手の出方を待つ」
 ただちに伝令役の騎士たちが散っていく。それを見送り、彼は続けた。
「これからのちは、諸兄らが隊に戻ってから部下に申し伝えてほしいことだ」
 アルドゥインは良くとおる伸びやかな声で言った。
「まずは何を目的とし、どこに行くのかすら満足な説明をできぬままであったにも関わらず、ここまでついてきてくれたことに対し礼を述べたい」
 そう言って、彼は軽く頭を下げた。意外そうな、少々苦々しいような顔をしたものが半分、あとの半分は好意的な目で彼を見守った。
「もはや諸兄らにもよく判っているとは思うが、我々の最終目的地はここだ。だが目的はペルジアを攻めることではなく、むしろその逆――戦いを終わらせることにある。もとより五千の兵で一国の首都を落とせるなどと大それた考えはない。我々の目的はただ一つ、イズラルの本心を知ることにある。むろんこの少人数でぶつかったところでおいそれと相手がそれを漏らすとは思えないが、そのための方策はある。諸兄らにはゆくはてまで信じてもらうしかない」
「信じたからこそ、ついてまいりました」
 ヤシャルが言った。
「どこまでもお供つかまつります」
「ありがとう」
 アルドゥインは軽く頷きかけた。
「しばらくこのナラの丘で待機ということになる。さきに命じたサドワ隊が現在当直を勤めているが、ニテルしたらクンツェル隊、モデラート隊と順次交代するように。四番隊、五番隊から各三百名ずつ、計六百人を選出し、俺の旗本隊とする。副長はヴェルザーのセリュンジェに命ずる。イズラル政府の出方しだいで俺は別働隊を率いて動くこともありうるが、その際の指揮官はモデラート隊長」
「承った」
「この辺りは多くの住民を擁する田園地帯であり、五千弱とはいえ我らは音に聞こえたメビウス騎士団。すぐさま戦端が開かれることはまずないと思う。俺のいぬ間はたえず当直を立て、知らぬ間に退路を断たれて囲まれることのないよう、臨戦態勢で待機するように。どのみち、そう長くはならないだろうが、気の緩まぬように注意してくれ」
 いったん言葉を切り、隊長たちを見回す。
「今夕までにイズラルに何らかの動きがなければ、使者をたて、ナラと北バールガウに分宿という形で広がる。もしペルジア軍の奇襲があれば自国民を全て巻き添えにするわけにもいかぬだろうから、村の中に入れ。ただしその際には充分に支払い、決して無法な行いはせぬように。軍律違反は俺自らが切り捨てると言え」
「はっ」
「それから、別働隊の選出を」
「ただいますぐ」
 隊長たちが散っていってから、セリュンジェはまたアルドゥインの隣に近づいた。
「なあアルドゥイン、お前、また俺に何か隠してないか?」
「何も隠してなどいないが」
「だってよ、別働隊だのなんだのと……一体、何をするつもりなんだ。何か言ってもらわなきゃ、副長ったって何もできねえぞ」
 アルドゥインはわずかに苦笑めいた笑みを漏らした。
「そう怒るなよ。今言うつもりだった」
「ほんとかよ」
「とりあえず、今は俺の傍にいてくれ。六百は、イズラルが何も仕掛けてこなかったときに、向こうを無理やりにでも動き出させるためだ」
「は……?」
「千騎長!」
 当直隊からの伝令が駆け寄ってきた。
「申し上げます! イズラルの城門が開き、白旗を押し立てたおよそ五百ばかりの中隊がこちらに向かってきております」
「わかった。いま行く」
 アルドゥインは立ち上がり、セリュンジェに向かって微笑んだ。
「どうやら、待つまでもなく動き出してくれたようだな」

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