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 疑ったり驚いたりする前に、真意だけは質しておかねばならないとセリュンジェは気を取り直した。
「士気を下げて、それでどうするんだよ」
「やる気がなくなりゃ、隙もできるだろ」
 というのが、アルドゥインの答えであった。ますますわけがわからなくなったが、アルドゥインは親切に解説した。
「メビウス軍が隙だらけだったら、ペルジアとしてもこの油断をついてやっちまおうって考えるだろう? そうすればこっちから仕掛けちゃならねえっていう陛下のお達しも破ることなく戦闘に持ち込めるってわけだよ」
「はあー……。お前も考えたな。見せ掛けでなく本気で隙を作ろうなんて」
「でもアルドゥイン、それで本当に『隙をつかれ』ちまったらどうするんだよ。今の軍の様子じゃそうなったっておかしくねえぞ。自分で言うのも情けなくなっちまうが」
 アロイスが詰るような声を出した。
「だからタギナエの森林警備隊を集められるだけ貸していただけるよう、ディオン閣下からタギナエ候に頼んでいただいた。今レギンスに五千の部隊が駐屯してて、こっちからの狼煙を合図に駆けつけることになってる。それとタギナエ騎士団を合わせれば一万七千だから、数の上でそんなに隔たりがあるってわけでもなくなる。援軍が来たと判ればけっこうな脅しになるだろう?」
 アルドゥインは調子を取り戻してにやりと笑った。四人はあっけにとられて、彼の顔を見つめた。入団の時から剣のすぐれた使い手であることは判っていたが、まさか頭のほうも使えるとは全く思っていなかったのだからそれも当然だった。
「何だよ、俺がいい男だからって、そんなに見つめられても困るぜ」
「馬鹿かお前」
「冗談だよ」
 相手が女だったらそんなふざけた台詞を言ってもおかしくないくらい整った顔立ちをしていたのは確かだったが、あいにく彼の友人たちはそんなジョークを解するような人種ではなかった。
「――にしても、よくディオン閣下がそんな案をまともに受け取ろうなんてお考えになったもんだな」
 カレルが呟いた。
「言った俺もまさか実行なさるとは思ってなかったよ」
 当人であるはずのアルドゥインまでそんな事を言ったので、四人は笑い出した。
「士気を高いまま維持しつづけるってのは難しい――というか、この状況じゃ無理だって事は閣下のほうがよくご存じだったし、それなら落ちるところまで落としたほうがいっそ潔いってな」
「閣下らしいといえばらしいが」
 くすくす笑いながらカレルは言った。
「誰にも言わないが、俺たちは気を抜かないことにするよ」
「そうしてくれるとありがたいな。ばれたと知れたらお叱りを受ける」
「で、どれくらいでペルジアは罠に食いついてくると思う?」
 ジョーンがつと笑いやめて尋ねた。
「……そうだな、二三日のあいだに何か動きがあると俺は考えてる。閣下にもそう言ってある」
 アルドゥインの答えは意外にきっぱりしていた。
「まるでお前、いっぱしの戦略家だな!」
 感心したように、アロイスはアルドゥインを見た。しかしアルドゥインはそれを誉め言葉と受け取ったようではなく、大したことではないとでも言いたげにちょっと首をふっただけだった。
 そうしてアルドゥインが秘密を打ち明けてくれ、その秘密を五人で共有することで、彼らは前よりもずっと強い信頼感と友情で結ばれたように思った。秘密というのはいつでもひとを強く結びつけるものであった。
 そんなやり取りがあってから二日後の真夜中、敷布の代わりにしている革マントの上で丸くなって眠っていたセリュンジェは、周りに憚るように低い声で名を呼ばれてそっと揺り起こされた。
「セリュンジェ。おい、セリュ。起きろ」
「ん……何だ……?」
 目をこすりながら起き上がる。彼を起こしたのはアルドゥインだった。そのことと、彼が今夜の歩哨であったことが彼の寝ぼけた頭に理解された瞬間、眠気はどこかに吹っ飛んでしまった。
「来たのか?」
 同じようなささやき声で尋ねると、アルドゥインは頷いた。敵軍の姿を見つけて、すぐに知らせにきたのだろう。まだ融けていない雪がセリュンジェのそばに屈みこんでいる彼のかぶとや肩にくっついていた。
「攻撃はもうすぐだと思う。すぐに伝令を飛ばしたから、援軍は十五テルジンもあれば来るだろう」
「本当にアルの言ったとおりになりやがった」
 セリュンジェは口の中でこっそり呟いた。
「俺は馬を取ってくる。いつでも出られるように準備しといてくれ。それから――絶対に騒ぐな。混乱が起きるし態勢も崩れるから、冷静な人間がどれだけいて、収められるかにかかってくる」
 アルドゥインの言葉を引き取って、セリュンジェはにやっと笑った。
「援軍が来るってことと、これがこっちの仕掛けた罠だったことを、皆にも教えてやりゃあいいんだろ?」
「そういうことだ。頼んだぞ」
 言い置いて、アルドゥインは出ていった。すっかり目が覚めたセリュンジェは、さっそく仲間を叩き起こしにかかった。
「起きろカレル、アロイス、ジョーン! 起きろってんだよ。アルドゥインの言ったとおりになりやがったぞ!」
 彼が大声を上げたので、天幕の中で寝ていた十九人のほとんどが目を覚ましてしまった。安眠を妨害したセリュンジェに対して怒るいとまもあらばこそ、反論を許さない厳しい口調で戦闘用意を整えるように命令されたものだから、アルドゥインから話を聞かされていた三人はともかくも、それ以外の者たちは何が何だか判らなくなってしまった。
「いったいぜんたい、何だってんだよ――」
「すぐに判るから、つべこべ言わずにさっさと支度しやがれっ」
 苛立ったようにセリュンジェは叫んだ。騎士団の兵士たちはよく訓練されていたから、命令とあればどんなに眠かろうが、訳が判らなかろうが、とりあえず全員が五テルジン以内に全ての支度を整えた。
 と、哨戒に立っていた兵士や、伝令がまろびながら駆け込んできた。
「敵襲だ! 敵襲!」
「わかってるから他に行け!」
 セリュンジェは怒鳴り返した。伝えにきた兵士はぽかんと口を開けた。何しろ天幕の中の二十人がすべて、完全武装を整えていたのだから無理もない。伝令の言葉を聞いて顔を見合わせた仲間たちに、セリュンジェは告げた。
「行くぞ!」
 それ以上の悠長が許される状態ではなく、セリュンジェたちは天幕を出た。たちまち、肌を刺すような寒さが襲ってくる。アルドゥインがすでに馬上の人となってそこに待っていた。
「いいか皆、これは奴らの奇襲じゃない。奴らを誘い込む罠だ」
 アルドゥインのよくとおる声が響く。
「罠……?」
 誰かが繰り返した言葉に、アルドゥインは頷いてさらに声を上げた。
「そうだ。狼煙が上がったから、すぐに援軍が来る。メビウス騎士の本気をペルジアの奴らに見せ付けてやれ!」
 森の方から潮騒にも似たどよめきが聞こえてくる。この森の中で潮騒などありえようはずもない。
 外は、昼にも見紛う明るさだった。
 積み上げておいた材木に火矢がいくつも突き立ち、燃え上がっているのだ。その明かりに照らし出された、黒い軍勢の姿――ペルジア軍の旗。
「ウラー! ウラー!」
「ゼーア! ゼーア!」
 雄たけびとともに、一斉にペルジア兵が襲い掛かってきた。すっかりだらけて、緩みきったところを襲われれば、いかに勇猛なメビウス騎士とて烏合の衆と変わらない。
「夜襲だ――ッ!」
「ペルジア兵だ!」
 もっと真面目に、柵の一つでも完成させておけばよかった――そんな後悔が幾人の胸をかすめたことだろう。
「もう、駄目だ……」
「皆殺しだ!」
 絶望して叫ぶ者もいる。
 時は深更。寝込みを襲われた上に、寝る前の深酒のために酔いも醒めておらぬ彼らは、いまだに慌てふためいている。仲間にけつまずき、枕を抱えて右往左往し、逃げまどい、ひどい有様である。
 無警戒に、緩みきっていただけに、急には態勢を整えなおせない。
 その中を――
「ディウス隊落ち着け! 隊列を組め!」
 びんと張った大声が彼らを我に返らせた。気がつけば、ペルジア軍のこの動きを予想していたかのように、千騎長以下の大隊長はすべて完全軍装を整えている。そのことが、彼らを落ち着かせていった。
「ディウス隊第二小隊、迎えうて!」
 すっかり戦闘態勢を整えた、二十名ばかりの騎士たちが駆け抜けていく。たったそれだけの人数であったが、恐慌状態に陥りかけていたメビウス兵たちの平静を取り戻させるには充分な数であった。
 野営地の周辺では、哨戒に当たっていた兵士たちが戦闘を繰り広げていた。こちらは無警戒ではあったが酔っ払ってもいなければ寝てもいなかったので、押され気味ではあったが応戦し、烈しく戦っている。
「クンツェル隊、ここへ!」
「サドワ隊、第一陣形!」
 隊長たちの耳慣れた命令――。ようやっと騎士としての理性と本性を思い出した騎士たちは、本来の統制を取り戻し、隊列を組み直して前線に次々駆けいってくる。ペルジア兵の馬の足を切り払い、必死の勢いで剣を振るう。
 アルドゥインはちらりと北の方角に目をやった。かなたにオレンジ色がかったケムリソウの狼煙の名残を確認し、彼は声を張り上げた。
「あと五テルジンだ! 五テルジン持ちこたえろ! メビウスのために!」
 周りにいたメビウス兵が、はっと彼の方を向いた。混戦のさなか、そう言ったのが誰であるのかまで把握できたものも少なかったが、その言葉だけははっきりと聞き取ることができた。
「おおっ……凄え」
「何て戦いぶりだ……」
 すらりと背の高い姿が、彼らの周りの兵士たちの中でもひときわ目立つ。それよりも目立つのは彼のすさまじいばかりの剣技である。左右に群がるペルジア兵をなぎ払い、突き進んでゆく姿はさながら戦神を思わせた。彼の剣がふるわれるたびに、ペルジア兵の鎧首が飛び、鮮血の赤が雪にしぶく。
 彼の戦いぶりに、騎士たちも本能的に悟り、確信した。
(すべては、罠だったのだ……)
(もうじき援軍が来る)
(誘い込まれたのはペルジアで、機はこちらにある――)
 その思いに勇気付けられて、騎士たちは心を奮い立たせた。彼らは本来の勇猛と力を完全に取り戻し、向かってくるペルジア兵の引きずり落とし、馬を掛け違いざまに切って落とした。その中心に、アルドゥインがいる。
 その時、アヴァールの森を大歓声が揺るがした。
 いまやペルジア軍も、おのれがメビウス軍の策略にまんまと引っかかってしまったのだということを認めざるをえなかった。
「レギンスの友軍が到着したぞ――!」
「援軍だ!」
 グレインズの野に、メビウス騎士の鯨波が湧き起こった。
 現れたのは、老将リュシアン・ド・ディオン率いる白銀の鎧も輝かしい紅玉騎士団と、タギナエ騎士団、森林警備隊およそ一万三千。通常の奇襲ならば間に合うはずもない時間で、混戦を取り巻いている。駐留部隊と合わせ一万七千の部隊。それが二万のペルジア軍と総力でぶつかろうというのだ。
 リュシアンの右手に握られた采配が高々と振り上げられ、さっと振り下ろされた。紅玉騎士団の新手は一丸となって戦場に突進してきた。
「退け! 退けーっ!」
「うわああ――っ」
 浮き足立ち、崩れるペルジア軍の指揮官の声はしかし、メビウス騎士があげる鯨波に飲まれてむなしく消えていく。崩れたつペルジア兵に、勢いを得たメビウス兵が追いすがる。そうして蹄にかけられ、切り倒されたものも何百いたかしれない。
 飛び交う矢と、切り結ぶ刃の下をかいくぐって、セリュンジェがやっとアルドゥインのそばに駆け寄ってきた。
「無事だったか、アル!」
「もちろんだ」
 答えながらも、剣を振るう腕は止まることがない。こんな時だというのに、セリュンジェは陽気に叫んだ。
「何もかもお前の考えどおりになっちまった。――おまけにこの戦いっぷり! ナカーリアかサライアその人のようだぜ!」
 剣のぶつかり合う音、馬のいななき、人の叫び――全てが入り交じり、雪は踏みにじられ、血に染まってたちまち汚れた。
 その中で次第にペルジア軍の声は間遠になり、森の奥へと下がっていく。国境付近の戦いは、雌雄が決しようとしていた。

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