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 紅玉騎士団の宿舎に戻り、アルドゥインは命じられたとおりペルジアの侵犯行為と、遠征の可能性について隊長らに報告した。この報せはあっと言う間に宿舎中に広まった。なんと言っても水晶殿に入る情報がオルテアでは最も早いニュースであったからだ。
「じゃあ休暇は九割がた取り消しか……」
 周りから見てもかわいそうになるぐらいがっくりと肩を落としてセリュンジェは呟いた。騎士団に入ってから故郷に戻れるだけの長期休暇を取ることがほとんどできないので、今回の帰省もずいぶん楽しみにしていたのだ。
「気を落とすなよ。まだどこの騎士団が出るのかも、本当に遠征になるのかもわからないんだし、休みがなくなるのは全員同じなんだから」
 話を聞いてからため息ばかりついているセリュンジェに、アルドゥインはできるだけ明るく声を掛けた。
「判ってるよ。判ってるけどよ……」
 セリュンジェは寝台の上に膝を折って座り込み、また一段と大きなため息を一つついた。アルドゥインだって勤めはじめたばかりであったが休みがなくなるのは残念だった。けれども、目の前でこうも盛大に嘆かれると、自分も残念がるのが馬鹿らしくなってしまって、妙に冷めた気分になっていた。
「勝手にわめいてろよ」
「冷てえな」
 セリュンジェは唇を尖らせた。そのしぐさがアインデッドと似ていたものだから、アルドゥインは吹き出した。急に笑われたのでセリュンジェは怪訝な顔をし、それから不機嫌な顔になった。
「ひとの顔を見て笑うなよ」
「お前こそ、アインと同じことするなって」
「アイン? ああ……お前の友達か。……ちょっと待て。それで何で笑うんだ」
 アルドゥインは笑いの発作を何とか引っ込めて、まだにやにやしながら言った。
「あいつぐらい子供っぽい奴もいないと思ってたら、ここにいたもんだからさ」
 一瞬何を言われたのか判らなかったようで、セリュンジェは目をぱちくりさせたが、自分が子供だと言われたのだと気づいて眉を吊り上げた。北方メビウス人の例に漏れず彼は日焼けしていてもかなり色白だったので、顔が真っ赤になったのがすぐに判った。
「お前に言われたらおしまいだっ。俺より年下のくせに」
「あー、まー、そうだな。失礼だった。アインのほうがお前より可愛かったよ」
 言ったとたん、顔目掛けて枕が投げつけられた。避けて他のものにぶつけるわけにもいかなかったので、アルドゥインは受け止めてからセリュンジェの方に投げ返してやった。また投げてくるかと思ったのだが、セリュンジェはそうせずに枕を元の位置に戻して、自棄のように勢いよくベッドから降りた。
「ったく、悄気てるのがばかばかしくなってきた」
 それはこっちの台詞だ、とアルドゥインは思ったが、せっかく気を取り直したのだからそっとしておくことにした。セリュンジェは用意のできていた荷から家族へのみやげを取り出し、外出用のコートと帽子をひっかけて出て行こうとした。
「どこに行くんだ?」
「瑪瑙の宿舎」
「何で」
「そっちに同郷の奴がいるんだ。そいつも休暇で」
「ああ」
 みやげの品を相手に届けてもらうつもりなのだとアルドゥインにもすぐ判った。その方が飛脚などに頼むよりずっと確実であるし安上がりであるのは言うまでもなかった。出て行こうとして、何か思いついたらしくセリュンジェはくるりと振り向いた。
「ついでに何か食うものを買ってこようと思うんだが、お前、腹減ってないか?」
「どうせおごるつもりはないだろう」
「ご名答」
 アルドゥインは壁に掛けられている自分のマントを取った。
「途中まで一緒に行こうぜ。この前買ってきたガディテの屋台がどこにあるのか教えてくれないか」
「あれはヨガン通りとエトナ小路の角に立ってる、ブランおやじの屋台で売ってる。でもありゃあ夫婦喧嘩した日にはひでえ味になるからな。おやじの顔をよく見てから買うかどうか決めろよ」
「わかった」
 門を出ると、セリュンジェが行く瑪瑙騎士団の宿舎と、アルドゥインが行こうとしている屋台のある通りは方向からして違っていたので二人は分かれた。目指していた屋台へはすぐに行けたのだが、ガディテを黙々と揚げているブランの左頬にしっかりと手の形をした赤いあざがついているのを見て買うのは諦めた。
 このまま手ぶらで宿舎に戻るのもむなしかったし、リュシアンが戻ってくるまでまだ間があると思い、アルドゥインは少し辺りをぶらついてから帰ることにした。オルテアは中原でも一、二を争う大都市だったし、年末の今は特に街も活気付いている。歩き回ってその空気に触れるだけでも、楽しいことは楽しかった。
(新年は何か催し事とかあるのかな。アスキアじゃあ花火なんか打ち上げてたが)
 何をするでもなく考えを遊ばせていると、やはり休みがなくなることへの失望が心を占めはじめる。しかし残念がっても十中八九、紅玉騎士団が出征するのだろうからどうしようもない。埒が明かないことでくよくよしていても仕方がない、とアルドゥインはうつむきかけていた顔を上げた。
 突然動悸が跳ね上がった。あまり突然で、アルドゥインは思わず立ち止まった。
(な……何でだ?……)
 うろたえた様子を見せると周囲に怪しまれるので、アルドゥインは努めて落ち着くように自分に言い聞かせながら、原因を突き止めようと周りを見回した。彼が入り込んでいた小路は、彫金や宝石の店などが集まっている、黄金小路と通称されているところだった。彼は一軒の装飾品店の前に立っていた。
 店はちょっと金をかけた作りで、壁の一部にガラスを嵌めこんだ小窓があいていて、商品を並べた、色あせた黒のビロードが掛けられた台を覗くことができた。その上には恐らく骨董と思われる古典調の首飾りだの指輪だの、髪飾りだのが並んでいた。何となく視線を走らせ、アルドゥインは動悸の原因に行き当たった。
 台の隅っこに近いほうに、ロザリアの花の形をかたどったブローチが置いてあった。ガラスか七宝で作られた花びらを金が縁取っており、繊細な透かし細工でできた葉が二枚、その花を抱くように配置されている。《ロザリアの君》が髪に飾っていたものと似たデザインだった。それが目に入って、意識にのぼる前に反応してしまったのだと気づいて、アルドゥインは何だか訳もなく恥ずかしくなった。
(俺って、バカだ……)
 自分に呆れてため息をつきながら、アルドゥインはブローチをしげしげと眺めた。呆れながらも、どうせこれほど気になるならお守り代わりに買ってしまおうかなどと考えはじめた。そうしてしばらくブローチに視線をやったりそらしたり、前をうろうろと歩いたりした挙げ句、アルドゥインは買う覚悟を決めて扉の把手に手をかけた。
 開けると、中は意外なくらい暗かった。人の気配も全く感じられなかったが、アルドゥインはとりあえず誰かいそうな奥に向かって声をかけた。
「窓辺に置いてあるブローチが欲しいんだが、誰かいないか?」
 アルドゥインの声は吸い込まれるように奥の暗がりに消えていってしまい、応えは返ってこなかった。誰もいないのだとしたら無用心なことだと思いながら、もう一度声を掛けてみようともう一歩中に入った。
「誰もいないのか?」
 まるで影の中に歩み入ってしまったようだ――アルドゥインはそう思った。窓ガラスを透かして入る日の光も、明るさにはほど遠いように感じられた。何もかもが影の中に消えていってしまうような喪失感が一瞬彼を取り巻き、気づくと、アルドゥインが立っているのはあの店の中ではなかった。
 灰色の石床はいつの間にか白黒の碁盤模様に変わっていた。部屋の縦も横も広がっていて、壁は深い紺色の壁布を貼ったものになっていた。何よりも、そこは明るかった。何が起こったのか理解できぬまま、アルドゥインは部屋中を見回した。背後に目を向けようとした時、声が掛かった。
「ようこそおいでなされた、獅子の王よ」
「は……?」
 ぽかんと口を開けてしまって、アルドゥインは慌てて顔を引き締めた。彼の背後には店の入口があったはずだが、そこにはもう扉はなく、代わりにというように一人の男が立っていた。黒いローブを身にまとい、祈り紐を腰に巻いたいでたちは言わずと知れた魔道師のそれである。
「メビウスの魔道師は宝石店もやるのか?」
 俺が入ったのは宝石店のはずなのに何でこんな所に来ているんだとか、あんたは誰なんだとか、今俺を何て呼んだんだとか、疑問は幾つもあったが、とりあえずアルドゥインの口から出てきた言葉はこの疑問だった。
 答える代わりに魔道師は微笑んで、臣下が君主に対して行うように、アルドゥインに向かって礼をした。何も被っていなかったので、彼の髪が銀に近いような白髪であること、声は若々しかったがずいぶん年老いているようであることが分かった。
 老人にしてはゆたかな髪を後ろに梳き上げて、秀でた額を露にし、魔道師の輪で留めている。老魔道師というと白髭を伸ばして、というイメージが強かったが、彼はきれいに髭を剃っていた。
「ここはわたしの結界の中でございます。あの店は、あなた様が入られればわたしの結界に通ずるように、あなた様をお招きするためにわたしが作り出した、いわば幻のようなもの。商いをしているわけではございませぬ」
「あんな店を出したら、俺以外のやつが来ることもあるだろう。それでどうして俺が入ってくるって判ったんだ? 俺に用があるならそこいらで呼び止めればいいじゃないか。昔から思ってたが、魔道師ってのは回りくどい方法が好きだな」
 アルドゥインは呆れた。魔道師は飄げたような笑みを浮かべた。
「しかしながら、あなた様はこうして我がもとにいらしたのでございますから、少々回りくどくとも確実な方法でございましょう」
「確かにな。俺はまんまとあんたの罠にはまったってわけだ」
「罠とはとんでもない。獅子の王とロザリアの花のえにしは星の巡りによって定められたこと。王が我がもとにいらしたのは因果率の一つなのです」
「何だそりゃ。あんた、面白い奴だな」
 首を傾げているアルドゥインをよそに、魔道師は自らの傍らにある椅子のうち、一つをアルドゥインに座るように勧めて自分も座った。立ち話が好きというわけではなかったので、アルドゥインは素直に勧めに従った。それから、さっきこの魔道師がロザリアの花が云々と言っていたことを思い出して、あのブローチで釣られたのではないかと疑った。何故彼がその事を知っているのかはともかく、また恥ずかしくなってしまった。
 二人とも座って落ち着くと、魔道師は居住まいを正した。
「まずはこのようなかたちで王をお招きした無礼をお詫び申し上げます。わたしはキャスバートと申します、星を見るをなりわいとする魔道師。以後お見知りおきを」
 妙に腰の低い態度をされて、アルドゥインは背筋がむず痒くなった。
「俺はアルドゥイン。だからそう呼んでくれ。さっきから王、王って……。俺はただの傭兵だ。なんでまたそういう変な呼び方をするんだ?」
「星の定めを読み取ることができる者ならば、あなた様の頭上に獅子王の星が輝いていることは闇に炎を見るがごとくはっきりと判ることでございます」
「だから訳が判らねえよ。俺は王じゃないんだってば」
「今はそうでございましょうな。今は」
 キャスバートと名乗るこの魔道師に、これ以上呼び方の事を言っても無駄だということがやっとアルドゥインにも判った。それで彼は呼び方のことは諦めて首を振った。
「ああもう、判ったよ。何とでも呼んでくれ。話があるならさっさと終わらせよう。俺を呼んだ理由は何なんだ」
「獅子の王にご挨拶を申し上げたかったことが一つ。いま一つは、こののちあなた様が赴かれるいくさについて、魔道十二ヶ条に触れぬ程度での予言を差し上げたくお招き申し上げた次第」
「ちょっと待った。予言の押し売りはやめてくれ」
 アルドゥインは慌ててキャスバートの前で手を横に振った。
「これはわたしの意思による予言にございます。王から礼を取ろうなどとは毛頭考えておりません」
 キャスバートはちょっと心外だ、といった感じで答えた。
「すまねえ。昔その手のに引っかかったことがあって。続けてくれないか」
 怒らせては面倒、とアルドゥインはすぐに謝った。気を取り直したようにキャスバートは語りはじめた。
「真の敵はペルジアに非ず。いくさを終わらせるためには、王はペルジアを傀儡となしているものを突き止め、ペルジアを解放してやらねばなりませぬ。さもなくばこのいくさは長引くでしょう」
 それは自分一人でやることではないような気がするが、という質問は飲み込んで、アルドゥインは別のことを尋ねた。
「真の敵っていうのはどこのどいつなんだ?」
「十二ヶ条の制約により、わたしの口からその名を申し上げることはできません。しかしながらペルジアにて、王は力強き助けを得ることができるでしょう」
「よく判らないな。キャスバート、あんたの予言はここまでなのか?」
「はい。わたしから申し上げられることはここまででございます。しかしながら、王がお望みであればこの後も予言を差し上げましょう」
 ややあってから、アルドゥインは言った。
「ありがとう。よく判らないが、何かあったらあんたの予言を参考にしてみよう。当たってたら、そんときゃお礼をするよ」
「我が拙き予言に耳を傾けていただき、恐悦にございます。それでは、元の空間にお送りいたしましょう」
 キャスバートは立ち上がり、アルドゥインも彼に続いて立ち上がった。と、何かを思い出したように老魔道師は懐に手をやった。
「おお、忘れておりました」
 そう言って彼は、懐から何やら取り出して、アルドゥインに差し出した。つられて手を出すと、手のひらの上に固いものが乗せられた。見るとそれは、この不思議な空間に招かれるきっかけとなったロザリアのブローチだった。驚いてキャスバートの顔を見ると、彼はしてやったりというような笑顔を見せた。
「どうぞお持ちください。何かの役に立つこともございますでしょう。ご成功とご武運をお祈りしております」
「何で」
 キャスバートの紫がかった灰色の瞳がきらりと輝いた。
「先ほども申し上げましたように、獅子の王とロザリアは共にあるべき深きえにしに結ばれておりますゆえ。では、いずれまたお会いいたしましょう」
「それって、どういう意味……」
 再び、影に取り巻かれるような喪失感がアルドゥインの目を眩ませた。はっと気がつくとアルドゥインは黄金小路の、店に入る前と同じ場所に立っていた。しかしそこにあったのは老魔道師の店ではなく、たたずまいも作りも全く違う店だった。アルドゥインはたばかられたような気分で辺りを見回した。
 ヌファールの刻を告げる鐘の音が響いてきた。確かに時は過ぎていたし、ロザリアのブローチの感触は確かに彼の手の中にあった。数秒の間、先程の出来事を思い返していた彼だったが、はっと気づいた。
「あ……!」
 今日中にも遠征の命令が下るのだ。こんな所でぼんやりしている暇はなかった。アルドゥインはブローチを握りしめたまま、紅玉騎士団の宿舎へと走っていった。

「Chronicle Rhapsody9 三本の道」 完


楽曲解説
「別れの曲」……言わずと知れたショパンの練習曲。
「レウカディアの戴冠」……元ネタはモンテヴェルディ作曲「ポッペイアの戴冠」


用語解説
ロイタス鳥……こちらで言う七面鳥みたいな鳥。メビウスでは大晦日に、香草を詰めた丸焼きを食べる習慣がある。
ガディテ……ミール麦を水で練った生地に、味付けしたマッシュポテトやひき肉の具を包んで揚げた料理。オルテアの名物。

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