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 メビウス陸軍は紅玉騎士団をはじめとする琥珀、翡翠、瑪瑙、黒曜の五騎士団によって構成されている。騎士団を束ねるそれぞれの将軍にもその治める領地があるのでオルテアに年中常駐できるわけではなく、三人がオルテアに滞在し、一年ごとに二人ずつ交代するという形をとっている。
 五将軍と五提督が一堂に会する機会があるとするならばそれは間もなく訪れる新年祝賀会や皇帝の生誕祝いなどか、それとも陸海軍を総動員する戦争が勃発したときかのいずれかに限られる。
 残る二つの騎士団は将軍がオルテアに滞在していない間は、職業軍人はオルテアとその将軍の領地にそれぞれ分かれることになり、事実上の休暇を与えられることとなる。むろん有事となれば全ての騎士団が集結することもありえるが、メビウスは世界に名だたる尚武の国であり、三騎士団だけでも即座に小国家並みの正規軍の体裁を整えることができたのである。
 今年オルテアに参勤しているのは紅玉将軍リュシアン・ド・ディオン、琥珀将軍ソレール・デ・シュネー、そして最後に入ってきた瑪瑙将軍セレヌス・ド・アエミリアヌスの三人であった。
 来年に入れ替わるのは琥珀騎士団と瑪瑙騎士団であったので、アルドゥインが所属する紅玉騎士団は引き続いてオルテア滞在と決まっている。これは彼にとっても幸いなことであった。何しろオルテアに残るにしてもリュシアンに従って彼の領地に赴くにしても全く勝手が判らなかったのだから。
 この謁見の間にアルドゥインが入るのは二度目であった。壁にはエルボス陶器の花瓶だとか皿だのが飾り棚や壁そのものに埋め込むようにして飾られ、壁紙などもエルボス陶器特有の、植物などをモチーフにした文様を模してあったが、この室の正式な名称を彼は知らなかった。少人数による会議などを目的にしている室で、真ん中に設えられた円卓には十二人分の椅子が用意されている。その上座に、イェラインが座って待っていた。
 最年長のリュシアンが最も上座に近い席に座り、二人の青年将軍は下座に着いた。しかし三人は皇帝とは机を挟んで両端に座っていた。それぞれにつき従う騎士は彼らの背後の壁際に控える。
「本日の報告をしてもらわねばならぬところだが、先程それどころではない由々しき情報が入ってきた」
 開口一番にイェラインはそう告げた。
「と、仰せられますと?」
 リュシアンが尋ねた。イェラインが軽く右手を挙げると、傍に控えていた侍従がさっと何かの書簡を差し出した。それを一言一句読み上げるのではなく、イェラインは内容を要約して話した。
「タギナエのアヴァール近郊にペルジア軍と思われる軍勢が現れ、国境付近を侵犯しているとのことだ。いまだ大掛かりな攻撃などはなく戦闘には至っていないが、いずれ衝突が起こるのは避けられぬ事態となっているようだ」
「ペルジアが?」
 信じられぬ、というような声を上げたのはソレールだった。その次の言葉はなかば独り言めいていた。
「年末の――しかもクラインでは新帝の戴冠式が行われようというこの時期に国境侵犯とは、一体何のつもりで」
「不意打ち、ということなのだろう。まさかこのような時に侵犯してこようとは大抵は予想もすまいからな。詳しいことは当人に訊ねてみなければ分からぬだろうが」
 リュシアンが彼に答え、イェラインの方を見た。
「して、陛下のお考えはいかようでございましょうか」
「うむ」
 イェラインにしてもその報告を受け取ったばかりで、まだ具体的な方策を練るまでには至っていなかったようで、頷いただけだった。
「むろん今の時期は国の護りも手薄になり、友国クラインでは戴冠式を迎え国外の騒ぎには不干渉であろうという時期――ディオン候の申したとおり、不意を打とうとしたと考えるのが妥当だろう。しかし、それで何故ペルジアが我が国を国境侵犯しなければならぬのか、というのが判らぬが」
 その疑問は当然三人の将軍にも共通していたことであった。
「エトルリアがラトキアを再併合したことに何か関連しているのでしょうか」
「あれはアティアの月のこと、もう四ヶ月も経っている。いまさら触発されたとは考えにくい」
「それは、そうですが」
 ソレールが再び口を開いたが、リュシアンが彼の言葉を否定した。ちょっと出鼻をくじかれて彼は呟いた。
「とはいえ他の理由も急には考え付きませんね」
「だからそれは期を窺っていたのだろう」
「措きたまえ、ソレール。ディオン殿もひとまずここはお納めいただきましょう。この際理由などは後々追求すればよいことです。どんな理由がそこにあるとしても、国境を侵犯されていることに変わりはないのですから。今はどのように対処するかを考えるべきときではありませんか」
 今まで沈黙を保っていたセレヌスは、金色にも見える涼やかな光をたたえた瞳を二人に向けた。一見冷たいようにも思われるその沈着に、ソレールはともかくもリュシアンでさえ思い直したように何か言いかけた口を閉じた。アルドゥインは将軍たちの性格については何も知らなかったが、セレヌスの冷静さには少し感嘆するところがあった。
「すみません、セレヌス殿」
 ソレールは少年らしい率直さで謝った。リュシアンは素直に謝れるような歳ではなかったので、ちょっと気まずそうに咳払いを一つしただけだった。セレヌスはイェラインに向き直り、軽く頭を下げた。
「差し出口を申しました」
「かまわぬ。候の申すとおり、いかにして事態に対処すべきかを論ぜねばならぬのは確かだからな」
「タギナエでは、どのように」
 リュシアンが尋ねた。それにはイェラインの近くに控える侍従がよどみなく答える。
「ペルジア軍はおよそ二万。国境付近のグレインズなる村に進軍、これを占領した模様。対するタギナエ騎士団は二千であり、数の不利を考え、戦端を開くか否かについてはオルテアの決定に従うことを表明しております」
「たしかに二千では如何ともしがたいな」
 苦々しそうにリュシアンは呟いた。中央集権制が徹底して確立し、また正規軍に重きを置いているメビウスでは、それぞれの領地を治める貴族らが所有する騎士団は他領主と戦うようなこともないためにせいぜいが自警団ていどの規模でしかない。これはメビウス正規軍の強さと組織性の意外な落とし穴であった。
 また今回国境の侵犯を受けたタギナエ地方、特にアヴァールは広大な森林地帯であることもあり、森が自然の要害となって他国の侵出を防いでいた。それが結果として国境警備の甘さを生むこととなったのは否めなかった。
「早急にも援軍を出すべきでしょう、陛下」
「それがしもそのように愚考いたします。琥珀騎士団と瑪瑙騎士団は来年には交代でありますゆえ、それがしが」
 ソレールが言い、リュシアンも頷いた。そこにまた冷静に切り込んだのはセレヌスであった。
「お二方のおっしゃることは尤もでありますが、これはこのような小謁見にて決められることではございません。幸いにしていまだ戦端は開かれておらぬ様子――ゆっくりせよと申しているのではありませんが、まずは諸侯らに出兵を諮り、その上で陛下にご決断をいただくが最良でございましょう」
「だがその間にもペルジア軍は我が国の領土を侵しておるのだぞ、セレヌス」
「それは私も承知しております。ですがディオン殿、国と国のいくさはまた政治でもあるのだということは、貴殿のほうがよくご存じのはず」
「そなたの言うにも一理あるが、宣戦布告を受けておらぬ以上、これは野盗の襲撃にも等しいもの。それを迎え撃つに何の政治が必要だというのだ」
 リュシアンが実はけっこう頭に血が昇りやすい性格なのだということにアルドゥインは気づいた。それはもちろん彼の愛国心に裏打ちされた怒りではあったけれども。アルドゥインは人物としてリュシアンを気に入っていたが、セレヌスのような冷静さにも心惹かれるものがあった。
「私とて甘受せよと申しているのではありません。しかし無法に無法で応えるべきではないでしょう。この度は宣戦布告もしておらず、理由も判然としておらぬのですよ。ペルジアに事の真意を質せば、あるいは戦わずして解決を見るやもしれぬではありませんか。その可能性を顧みずにいる法はございますまい?」
「うむ……」
 リュシアンは黙ってしまって、何かを考え込むような顔になった。彼の愛する国を侵犯されたという事実は彼にとって許しがたいことであったのだろうが、だからといって冷静な判断をも見失ってしまうようなリュシアンではなかった。ソレールは最初から、若輩の自分が口を挟むべきではないと思っていたのか、セレヌスにいちいち頷いているばかりであった。
(すごいな、瑪瑙将軍は……。うちのディオン閣下を論破しちまうなんて)
 アルドゥインはうっかり声を出さないように気をつけながら感心した。むろん表面上はいかにも自分はただの護衛で、感情などないのだ、というような無表情でその場に立っていた。
 最終的な決定をするのは皇帝であるイェラインだったので、三人の将軍はひとまず彼らのうちの紛糾をおさめて皇帝に視線を集めた。イェラインは彼らの顔を順番に見回して、大きく頷いた。
「私もセレヌスの申すとおりだと思う。ただちに大臣らを集めて会議に入ろう。では……一テル後にヤナスの間にて」
「御意」
 三人はそれぞれに答え、小謁見室を辞した。将軍らに続いて供も出ていく。控えの間に戻ると、将軍たちはまた砕けた雰囲気に戻った。待ちかねたように最初に口を開いたのはソレールだった。
「いやあ、セレヌス殿は本当にいつだって冷静でいらっしゃる。僕も見習わなければいけませんね」
「ソレール、真に見習うべきはディオン殿の愛国心だ。私のようなのは、ディオン殿に言わせればただの冷血なのだよ」
「そのような事を言った覚えはないぞ、セレヌス。セレヌスの沈着があればこそ、わしも思う存分に燃えていられる。ソレールはありのままでいるのがいちばん良かろう。何も無理に誰かを見習うことなどない。そういったものはえてして付け焼き刃で、失敗しがちなものだからな」
「はあ……?」
 納得がいかぬ様子でソレールは首を傾げた。そんな彼をうっちゃっておいて、リュシアンはアルドゥインともう一人の騎士に近づいた。
「夕刻まで戻れぬだろうから、そうだな……ヌヌスはここに残り、アルドゥインは先に戻っておれ。恐らく紅玉騎士団が出るであろうから、出陣用意をいつなりとも整えられるように、執事に申し伝えておくように」
「承知いたしました」
「それでは失礼致します」
 命じられたとおり、アルドゥインはただちにマントを取ってその場を辞す用意をした。要するに彼は伝令役を任じられたのだから、ぐずぐずしている謂われはなかった。アルドゥインが帰ってしまうと見て取って、ソレールが何かと言おうとしたようだったが、今はそんな場合ではないと考え直したのか、ちょっと残念そうに肩をすくめるのが視界の片隅に映った。
(遠征になるのかな。すぐに済めばいいんだが)
 戦争自体は初めてではなかったが、遠征や長征などは初めての経験となる。おまけにアルドゥインにとっては初めてであるし、苦手この上ない雪中行軍が待ち受けているのだ、と気づいて、暗澹たる気持ちになった。
 その上よく考えてみれば、年末年始の休暇も何もなくなってしまう。この事実は相当に彼を打ちのめした。
(ヴェルザーに行くのも、タギナエに行くのも寒いのにそう変わりはないだろうけどよ……。休暇と戦争じゃ、似ても似つかないや)
 今年あまり被らなかった不幸のつけが回ってきたか、それとも年末の星の巡り合わせが悪いに違いない――。アルドゥインはそう思った。

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