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     三人の旅人は三つの分かれ道に行き当たった。
     若い傭兵が言った。
     「俺はナカーリアの道を行こう。
     戦士にふさわしいのは戦いだから」
     国を追われた騎士が言った。
     「私はサライルの道を行こう。
     それ以上に悪いことはあるまいから」
     そこでもう一人の傭兵が言った。
     「では俺はヤナスの道を行こう。
     物事は結局はそこに行き着くのだから」
     そして三人は分かれ、それぞれの道を歩き出した。
                      ――ナ・ルエルの書より




     第一楽章 別れの曲




 宿に戻ってから、サライはアトに、アインデッドと共に――彼が王となるための助力をするために――旅を続けることを告げた。アインデッドが言ったとおり、いくら彼と反目しあっていたとしてもアトはサライに忠実だった。
「それなら、私はサライ様についていきます」
 ほとんど間髪をいれずに彼女はそう答えた。一人で勝手も判らぬメビウスに残るよりは、サライに従ったほうが安心であったのも確かだったが、それ以上に彼女はサライの従者という意識を強く持っていたのだ。
「残るかと思ったよ」
 サライが笑いながら言うと、アトは感慨たっぷりのため息をついてみせた。
「行かないでくださいと言っても、一度決めたことからはサライ様は梃子でも動きませんもの」
「そこまで頑固なつもりはないんだけれど。君だって相当なものだしね」
「もうメビウスまでついてきたのですもの。うるさがられようが何だろうが、何処まででもお供します。大体、私がいなければサライ様はアインデッドさんを甘やかしてどうしようもありませんわ」
 この発言はサライにとって少々心外だった。
「アインを甘やかしたりなんてしてないよ?」
「お気づきになっていないだけです。まあ、指摘したとしても絶対に自覚症状はないと思いますけれど」
「……」
 ともあれ、あとはアルドゥインが身の振り方をどう決めたかだけが問題だった。そのアルドゥインは、アインデッドとサライが虹ヶ丘から戻ってきて、アトに話をしおわった頃に戻ってきた。サライが話をしている間、アインデッドは自分の部屋にいたのでアルドゥインがうきうきしながら帰ってくるのに出くわした。
「お前、ずいぶん浮かれてんな。雇われ先が決まったのか」
 アインデッドがちょっと気味悪そうに言ったのも気にせずに、アルドゥインは上機嫌で答えた。
「聞いて驚けよ。なんと紅玉騎士団だぜ!」
「嘘だろっ」
 アルドゥインが予告するまでもなくアインデッドは驚いて寝台から起き上がった。メビウス軍は傭兵にほとんど頼らず、倍率が高いことを彼はよく知っていたからだ。アルドゥインは自分の荷物をまとめながら鼻唄まで歌いだす始末だった。
「もっと驚くことに、ただの傭兵じゃねえんだぞ」
「そうかそうか。とうとう傭兵を辞めたのか」
 棘のある口調でアインデッドは言ったが、アルドゥインには全く効かなかった。
「何で判ったんだ?」
「本当だったのか」
 アインデッドは軽く舌打ちした。実際を言うと少し悔しかったというのもある。
「ってことはお前、メビウス皇帝に剣を捧げたって事か」
「まあな。だから今日から騎士だぜ、騎士」
「あーあー、良かったな」
 彼にしても今日は嬉しいことがあったのだが、さらに上を行くアルドゥインの浮かれ加減にあてられて、それ所ではなくなってしまった。しかし騎士になったくらいで普段冷静なアルドゥインがこれほどまで浮かれるのも変だと彼は気づいた。
「で、他に何があったんだ」
「へへへ、秘密」
 にやにやしているアルドゥインに、アインデッドは思い切り顔をしかめてみせた。
「気持ち悪いなー」
「何とでも言え。今日は気にしねえぞ」
 渋面の後はいやに醒めた表情でアルドゥインの様子を見、アインデッドは得心が行ったように皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「はあーん」
「何だよ」
「お前、惚れた女ができたんだろう」
 言った途端に、アルドゥインは弾かれたように振り返った。そしてそれを取り繕うようにかたい笑顔を見せた。
「そ、そんな事はねえよ」
「図星だな」
 アインデッドはきっぱりと断定した。彼の勘の良さもあったろうが、育った環境のせいか彼はそういうことに関しては人一倍鼻が利いたのである。それにアルドゥインは、こういった事を隠すのがそれほど上手ではなかった。今や完全にアインデッドはいつもの調子を取り戻して、アルドゥインの背中を肘でつついた。
「で、相手は何処の誰だよ」
「知らねえよ。名前だって聞いてねえんだから」
 ついうっかり、アルドゥインは白状してしまった。あっと思って口を押さえたときにはもう手遅れだった。アインデッドはきょとんとした顔をしてから、思いがけないといったようすで呟いた。
「……お前って、意外に奥手なんだな」
「悪いかよ」
「何も悪くねえよ。可愛いじゃねえか」
 年下のアインデッドにそんな事を言われて、アルドゥインはむっとした。しかし恋愛沙汰に関してはアインデッドのほうが一枚も二枚も上手だったのは確かだった。アインデッドはアルドゥインの肩を元気付けるように叩いた。
「まあ、頑張れよ。俺たちもメビウスから出て行くことにしたから」
「そうなのか」
「ああ。また三人で旅を続けるってことになった」
 アインデッドはアルドゥインには自分が王になりたいだとか、そのためにサライに助力を頼んだのだとかいう話は一切しなかった。そもそもアルドゥインに頼んでも良かったものをそうしなかったのは、アルドゥインは自分と同じように、誰かの下で仕えるだけでは終われない人間のような気がしたからだった。
「じゃあ、今夜か明日でお前らともお別れか」
 アルドゥインはしみじみと言った。
「お前が今日中に移るんなら、今夜ってことになるかな」
「そっか……」
 四人で旅をしてきたこの数ヶ月が急に蘇ってきて、アルドゥインもアインデッドもしんみりしてしまった。実際のところ半年にも満たない期間であったのだが、その間に起こったり遭遇した出来事があまりに多く、また印象的すぎて、一年以上も一緒にいたような気がした。
 先に感傷から覚めたのはアインデッドの方だった。
「お前、今夜は空いてるか」
「ちょっと判らねえな」
 本当に判らなかったのでアルドゥインはそう答えたが、アインデッドがそれで困ったようすを見せなかったので安心した。
「俺も明日か明後日には出て行くつもりだから、あんまりゆっくりできないんだが……もし空いていたら、一緒に飲まないか? サライがもし付き合うってなら三人でさ」
「賛成だ」
 少ない荷物を詰め込んだ布袋を肩にかけて、アルドゥインは笑顔で返した。
「予定が分かりしだいそっちに行くか、それとも誰か寄越すかするよ」
「ああ、待ってる。多分ここにいるから」
「ところでサライはどこにいる? あいつにも教えないと」
 思い出したようにアルドゥインは尋ねた。
「たぶんまだアトの部屋にいるんじゃないかな」
 アインデッドは即答した。二人部屋しかない時はアインデッドとアルドゥイン、サライとアトに分かれて――男女二人で同室になっても何事もないというのが彼らにとっては少々驚きの種でもあったが――泊まっているのだが、今回は男三人で一つの部屋に泊まっていて、アトは一人部屋に離れていた。
「本当にあの二人は仲がいいっていうか、なんか理解しがたい関係だな。ただの主従っていうにはちょっと複雑な感じがする。サライがどうかはともかく、アトさんはやっぱりサライに惚れてるのかな」
 アルドゥインは苦笑した。
「俺にはサライの方が理解しがたいけど。アトはサライに惚れてないよ」
「何でそんなこと判るんだよ」
 アインデッドがまたもきっぱりと断言したので、アルドゥインは怪訝な顔をした。
「見れば判るさ。アトは要するに――尊敬だとか憧れてるってのが、好いた惚れたを越えちまってるんだろう。一番近いのは崇拝……じゃねえかな。将来あいつの旦那になる男がちっと気の毒だ」
 少々下世話な心配を、アインデッドはした。それ以外はなかなか鋭い見方で、アルドゥインは納得できないでもなかった。ともあれ二人にとって、アトのようなタイプの女の子は初めて経験するもので、疑問だらけだった。それはサライの性格にしても同じことが言えた。
「何だかんだ言って、お前ってけっこう見てるよな」
 揶揄するでもなくアルドゥインは言った。時折、アインデッドは言われたほうが驚くような見解をすることがあった。それは決して的外れだからというのではなく、核心を突いていたので驚かされるのであったが。
「ルクリーシスの月の終わりがけから、五ヶ月も一緒に行動してるんだぜ。それぐらい嫌でも判ってくるさ」
「もうそんなになるのか」
 言われて初めて、まだそれくらいしか経っていないのだということにアルドゥインは気づいた。長いといえば長い。しかし短いと言われてもそう言えそうな微妙な期間だった。内面までを深く知るには足りないが、お互いの表面的な事を知るには充分だろう。
 特にアインデッドに関しては最初はただの気の合う傭兵仲間として付き合いを始めたのに、今ではサライと二人、彼自身も知らぬ出自を知る数少ない人間の一人になってしまっている。
「――っても、お前の方が一旬とちょっとだけ短いか」
「そうだな。ほとんど変わらないけど。でも、お前とは色々話したり聞いたりしたけど、サライとはそういう話はほとんどしなかったな」
「俺もサライのことはあんまり知らねえんだ。だから知ってることはお前とそう大差ないだろうよ。ゾフィアで少しだけ聞いたけど、それ以上のことはあいつは話したがらないし、聞きだすつもりもないから」
 アインデッドは肩をすくめた。実際のところ、出会ってからの時間はサライの方が長いが、行動を共にしている時間はアルドゥインとの方がずっと長かった。逆にアルドゥインにも同じことが言えた。
 それにお喋りが好きな傭兵二人と違って、サライはいつまでも一人で考え事をしていても一向に平気な性格だったので、彼から話しかけてくることもほとんど無かったし、アインデッドとアルドゥインは同じ沿海州出身ということと、傭兵同士ということで何かと話がよく合ったのだが、サライとは共通の話題というものも全くといっていいほどなかったのだ。
「まあ――いまさら何を話すってのもないからな。とにかく、アトさんの部屋にいるわけだな」
「戻ってきてねえから、まだいるんだろう」
 アインデッドの答えを聞いてからアルドゥインは部屋を出て、隣のアトの泊まっている部屋の扉を叩いた。すぐにアトの返事が扉越しに返ってきた。
「どなたですか」
「アルドゥインだよ。サライはいるか?」
「あ――はい」
 ほとんど間を置かずに扉が開いた。
「お帰り、アルドゥイン。どうしたの。就職先が決まったの?」
 別に隠したいことでもないしどうせ言うことなのだが、どうしてこうもすぐに判ってしまうのだろうかとアルドゥインは思った。
「ご名答。紅玉騎士団で仕官することになった。それで挨拶にな。それと、もし都合が良かったら最後に三人で飲まないかってアインが」
「それはおめでとう。酒はあんまり飲めないけど、それでいいならご一緒するよ」
 サライは微笑んで思慮深く言った。
「そっか。んじゃあ、アトさんだけが留守番ってのも何だから、料理もうまい店を聞いておくよ。時間はリナイスの刻でいいかな。もう一度こっちに来るから」
「楽しみにしているよ」
 アルドゥインも心やすだてに微笑みを返した。

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