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「聖帝陛下のお成り!」
触れ係の美声が朗々と響く。いっせいに拍手がわきおこり、皇帝万歳が何回か唱えられ た。それを片手でおさえ、アレクサンデル四世は玉座に登った。水を打ったようにしんと静まり返った広間に、人々が待ち望む彼の声が重々しくとおる。
「今日は娘レウカディアの二十の誕生日の祝いによく参ってくれた。この余から代わって礼を言おう。それでは皆、時が移るまでゆるりと楽しむがよい」
 わあっ――と拍手と歓声がまた起こった。
「第二皇女、レウカディア殿下ご出座――!」
 最後の、そして本当の主役の出座が告げられた。人々は静まり返り、ゆっくりと開く広間の扉の向こうに目をやった。お気に入りの女官、ティアラとルビアを左右に従えて、レウカディアはすべるように広間に入ってきた。丈なす黒髪を細かく編み上げて結い、蛋白石でできた造花の髪留めでまとめている。ほっそりした白鳥を思わす首には大粒の真珠、その身にまとったドレスはこの日のために特別にデザインさせたリディア・ユリアのドレスで、淡雪のようなレースをたっぷりと使い、胸と腰を飾っていたのでほっそりした彼女の体の線をいやおうなしにひきたてていた。
(なんと、まあ――)
(ネイミア様によく似て……)
(お美しい姫君に育たれたものだ)
 貴族たちの感嘆のため息が広間を満たした。
 レウカディアは晴れやかな、しかし少し恥らうような微笑みを浮かべながら広間をゆっくりと横切っていった。人々が次に関心を抱いたのは、彼女が誰にいちばん最初にダンスを申し込むか、というそのことであった。彼らの予想の第一位では十二選帝侯の筆頭で、若く未婚のアーバイエ候シェレンか、右府将軍アストリアスといったところであった。レウカディアはゆっくりと広間を見回した。
(誰を、お選びになるのかな――)
(やはり、シェレン卿か……)
(いやいや、もっと他の方かも知れぬ)
 やっと目指す相手を見つけ出し、レウカディアは恋する乙女特有の輝く微笑みを浮かべて彼に歩み寄っていった。
「バーネット・ルデュラン子爵。踊っていただけないかしら」
 赤髪と赤い瞳の青年貴族は差し出された手に軽く口づけを返し、厳かに答えた。
「喜んで。我が姫君」
 一瞬の――しかし永遠のような静寂のあと、いきなり思い出したようにクライン・ワルツが奏でられはじめた。広間のあちこちで一斉にダンスが始まり、レウカディアとバーネットも踊り始めた。予想外の結末に、さっきまでひそひそとしゃべりあっていた貴族たちは呆気に取られていたが、すぐに相手に選ばれたローレイン伯爵の息子についての批評を始めたのだった。
「いや、予想外でしたな。まさか殿下があなたのご子息を選ばれるとは……」
 隣にいた左府将軍シサリーに肘でつつかれながら囁かれ、ワルターは目をぱちくりしながら答えた。
「ええ……実際こんなことになろうとは……なんて事を、バーネットの奴……」
「だがしかし、ワルター殿」
 シサリーはにこにこして青黒い髭をひっぱった。
「どうしてなかなか、お似合いではないかね。ご子息と殿下は」
 冷や汗が出てきそうな思いでワルターは額をぬぐった。
「とんでもない、スルイス殿。あれが女帝の夫になれるとは私は思っていませんよ。よしんばここで殿下と最初に踊ったとしても、私はちょっとそれには反対します」
「何故? とてもお似合いだし、ローレイン伯爵のあなたのご子息ならだれも文句は言うまいに。それに、バーネット殿は私から見ても非常に好もしい青年だと思う。部下の信用も厚いし、あれほどサライ殿に私淑していた部隊を一人の離反者も出さずにまとめてゆけるところ、私は高く評価しているのですよ」
 シサリーは真面目に言った。ワルターは踊っている息子に目をやった。普段ダンスは苦手だ、武人がやることではないとぼやいているわりに、彼はなかなか見事に踊っていた。父親の自分が思うことではないが、と彼は考えた。バーネットはたしかにクライン人の基準から見ても端正な顔立ちをしていた。母親から受け継いだクライン人の血が混じっているからであろう。
 大貴族の息子として教育を受けさせたし、どこに出しても恥ずかしくない息子だとワルターは思う。だが、皇女殿下のお相手、となると話は全く別である。複雑な思いで、彼は自分の息子と、君主の娘を見つめていた。
「イリア、イレイラ、ご覧なさいな。皇女殿下がダンスを始められたわ」
 エウラリアは上品に扇子で広間の真ん中を指した。すでに人々は食事を本格的に始め、音楽もともすれば喧騒に紛れて聞こえなくなる。しかしダンスをしている人々の中でも皇女の一組はそのまわりだけさっと人がいなくなってしまうので、容易に見つけることができたのである。
「お相手は誰かしら……あの赤い髪……」
「ならローレイン伯爵のご子息よ」
「バーネット・ルデュラン子爵です」
 イリアの言葉にシャルラは言い添えた。前々からバーネットが頻繁にレウカディアへの面会を申し込んでいることや、レウカディアが逆にバーネットを私室に呼んだりしていることはシャルラはとうに知っていた。このことは双子宮では公然の秘密のようになっていたので彼女はあまり気にしていなかったのだが、そんな事情を知らない宮廷の人々にとってこれが晴天の霹靂のような事件であるのは間違いなかった。
 口さがない人々はすでにこの異例の組み合わせについてあれやこれやと論議をしている。もちろんそれには十二選帝侯夫人イリア、エウラリア、イレイラの三人も含まれていたのだが。
 レウカディアが誰を選ぼうが自分にはかかわりがない、という人々はローレイン伯爵の地位や人となりを考え合わせ、さらにルデュラン子爵の将来性まで論じ合い、まあ適当な人選なのではないかという結論に達していたし、少し関わりがある、もしくははっきりとローレイン伯爵が好きでない、という人々は皇女殿下に上手いことを言ってルデュラン子爵がたらしこんだのではないか、という意地の悪い見解に達していた。それもまた、彼の父親であるローレイン伯爵が有名な伊達男で、ついでに男やもめであるのをいいことに、美しい未亡人や貴婦人と次々と浮名を流していたことが原因の一端であった。
 もちろん、バーネット自身をよく知っていて、さらにはそんな敵意を抱いていない同僚や同年代の青年貴族たちはあの真面目一徹な男がどうして殿下の心を射止めることができたのか、ということについて盛んに論じ合っていたのだった。そして当の本人たちしそんなことには全く――とくにレウカディアは――頓着していなかった。
 曲が一段落したので、二人は踊りやめて、飲み物が用意されているテーブルの所に向かった。バーネットは彼らしくもなく気を利かせてレウカディアのためにアーフェル水を取ってきて、自分用にカディス酒を運んできた。
「ありがとう、バーネット」
 グラスを受け取りながらレウカディアは微笑んだ。
「まさかあなたが本当に断らずにいてくれるとは思っていなかったわ」
「私も本当に殿下が申し込まれるとは思っていませんでしたので」
 バーネットはウインクして答えた。
「それに、私とて殿下と踊りたい気持ちはあったんですよ」
「嘘ばっかり」
 レウカディアはちっとも嫌そうでなく声をあげて笑った。それは恋する乙女に独特の、晴れやかな笑いだった。



 まわりで噂をする貴族たちをさておいて――レウカディアとバーネットの二人はまた踊りはじめていた。今度の曲はマドリガル。華やかな旋律が絡み合い、美しい和音に溶けて流れてゆく。
 淡雪のようなレースに包み込まれたレウカディアと精鋭軍隊長の純白の制服をまとったバーネットは、青みがかった鏡のような床の上をまるで雪の精のように舞う。それはなかなか見事な眺めであった。最初は難しい顔をしていたアレクサンデルや、ワルターですらちょっと見とれてしまうほど二人は良く似合っていた。
 そのあと二回、レウカディアはバーネットをパートナーにして踊り、相手をドヴュリア公爵に替えてまた踊りはじめた。ドヴュリア公爵は彼女とは祖父と孫ほどにも歳が離れていたが、ほかならぬ皇女の誘いとあって断りきれずに、なかば引きずられるように踊っていた。レウカディアはめったにないほどの上機嫌だった。
「バーネット」
 一休みして、窓際で果実酒のグラスをいじっていた所に、後ろから声をかけられた。
「シェレン卿、踊られないんですか」
「シサリー将軍のお嬢さんと踊ったよ」
 二十四歳の若さで十二選帝侯とクライン軍百万の筆頭を務めるアーバイエ侯爵、シェレン・アルゲーディは軽く肩をすくめた。彼の領地であるアーバイエ州は、クラインでもっとも美しいといわれるバス湖を抱く街エクタバースを州都に持っている。エクタバースはヤナス十二神の神殿を全て持っており、巡礼はもちろん観光名所としても有名である。バーネットも何度かそこを訪れたことがある。
 前アーバイエ侯ウォラスは五年前に病ではかなくなり、四年前の成人の儀をもってシェレンがアーバイエ候を正式に継いだ。身分的にはバーネットのほうがずっと下だが、父親同士が友人であったことと、これはむろんシェレンの方が学年が下だったが王立学問研究所の同窓生だったことから二人は親友といってもいいほど親しい間柄であった。
「卿なんかつけなくてもいい。おれとお前の仲じゃないか。それから気味の悪い敬語は止せ。お前にはちっとも似合いやしない。皇女殿下にもそんな気色悪い話し方をするのか、お前は」
 壁に片手をついて体重を移し、軽く寄りかかるようにしてシェレンは立っていた。暗い紫色で統一したその姿は、庭に立っていれば夜の精のように見えただろう。バーネットとタイプが似ていて、甘い美貌というがらではないがほっそりとしていて整った顔立ちをしている。男のバーネットから見ても、シェレンはアーバイエ候たるに充分すぎるほど魅力的な人物であった。
「仕方がないだろう、相手は皇女殿下なんだ。お前に対するような喋り方で通じるわけがないじゃないか」
 バーネットはむっとして言い返した。
「すまんすまん。それにしても、なんでまたお前が最初のダンスのお相手に選ばれたわけだ?」
 シェレンはまなじりの切れ上がった黒い瞳をまっすぐにバーネットに向けた。
「ああ……殿下に押し切られてな。正確には殿下と侍女二人の三人に、だが」
「最近、殿下とよく二人で会ってるってうわさは本当だったのか。――それにしても何故そんな用事がある?」
「あ……」
 どう言ったものかとバーネットは一瞬目を宙に泳がせた。いくら親友とはいえ、国外追放になったもと上司のために皇女と組んで情報を集めているのだ、とは言えたものではない。
「その話はあとで……そうだ、空いてる日はあるか?」
「午後からならいつでも自宅にいる」
「じゃあ二十三日の夕方、サライアの刻に行くから、その時に全部話すよ」
「ここじゃあ言い出しにくい内容ってことか」
 シェレンはにやりと笑った。
「まあいいさ。お前の考えそうな事くらい想像はつくよ。どうせ美人の《隊長殿》のことだろう? 殿下も彼をえらくごひいきにしてたからなあ」
「………」
 あまりにも図星を突いていたので、バーネットは何も言えなかった。シェレンはわかっている、と言うように首を振り、彼の肩を叩いた。
「あの人がいなくなったっていうのはけっこうショックだったよ。おれたちよりずっと年下なのにずっと年上みたいな気がして……なんていうのかな、そう、この人のためならおれは命を賭けられるな、と思わせる相手だったからな。それが陛下には謀反を企んでる、とかいうふうに疑ってかかる材料になっちまったと思うんだけど」
「シェレン、あまり大声で話さないほうがいい」
「聞こえそうな所には誰もいやしないさ。お前、自慢じゃなくて本当に最近の宮廷事情には疎いんだな」
「……盛装した姫君のお相手は苦手なんだ」
 悪魔相手に格闘したりスペルを使っていたほうがよっぽど気が楽で、思う存分動き回ることができるのだから無理もない。もとより自分は宮廷で言葉と優雅なダンスだけで世を渡っていくには不器用すぎるし、向かないのだとバーネットは自覚している。
「元右府将軍は宮廷でもかなり信用されている人だったから、あの追放はかなり陛下の評判を落としているんだ。全く理由も証拠もないのにいきなり裁判も無しであれだったからな。それで……」
 シェレンはちょっと言葉を切ってバーネットの目をのぞきこんだ。
「お前、本当に何も知らないのか?」
「ああ。何があったんだ」
 手招きでバーネットの頭を近づけさせて、さらに耳に口をくっつけそうなほど近づけてシェレンは低く囁いた。
「陛下を退位させて、レウカディア殿下を擁立するっていう案が議院で出たんだ」
「えっ!」
 バーネットは思わず大声を上げて、壁から体を起こした。それから、まわりの視線が集まっているのに気づいて顔を赤くした。シェレンは人差し指を唇に押し当てて、静かにように言った。
「お前の父上は議長だから、てっきり知っているものだと思っていたのに」
「いいや、全然そんな話知らなかった。いつなんだ、それは」
「もう二旬くらい前になる。その案自体はローレイン伯爵が議決は当面先送りにするといって保留になっているけれど」
「誰がそんなことを……」
「知らないな。匿名でも議案は提出できるから」
 クラインではそれほど議会制が発達しているわけではないが、アルカンド聖大帝の時代から各地方を直接治める選帝侯や有力貴族からの意見を政治に採るために議院が設立されていて、年に一度、数週間にわたって国家予算の査定や法律改正、成立、廃止などの取り決めを行っている。子爵であるバーネットとは違い、十二選帝侯であるシェレンは貴族議会での議席を持っていて、政治への参加が許されている。それがバーネットには羨ましいところである。
「お前が皇女殿下と最近親しくしているから、ワルター殿も言えなかったんだろう。他に聞きたいことがあったら、今度話してくれ。判る限りのことは教えるから」
「ありがとう」
 バーネットは親友の手をとって強く握った。その時だった。
「嫌だわバーネット様、シェレン様と手なんかおつなぎになって。わたくし妬いてしまいますわ。わたくしの手は握っていただけませんの?」
 いきなり後ろで黄色い声が起こり、二人は一斉に振り向いた。そして、まだ握手したままだった手を見下ろし、気まずい気分を味わいながら指を離した。変な誤解だけはされたくなかった。
「アーバイエ候、わたくしとダンスを踊ってくださいな」
「あらわたくしが先よ」
「じゃあ私はルデュラン様と」
 いつの間にか、今日をデビューの日に選んだ貴婦人の卵や、いくら事情にうといバーネットでも名前くらいは知っている貴族の姫たちが嬉しそうに二人を取り巻いていた。
「ああ、そんないっぺんに申し込まれても、私は一人しかいませんよ」
 シェレンは一転してにこやかな微笑を浮かべながら巧みに貴婦人たちを二つに分けてバーネットから離れたところに連れて行ってしまった。残されたほうの貴婦人たちはバーネットにダンスを催促しにかかった。
「ルデュラン様、まさか殿下とばかり踊られて、わたくしたちをやきもきさせたりなんて、貴方ならなさらないわよね?」
「バーネット様は私たちのバーネット様ですものね」
 いつから俺はあんたたちの共有物になったんだ――と、バーネットが言いたくなったのも無理はない。
「あら、バーネットは今日は私としか踊らないって約束したのよ」
 ふいにレウカディアが娘たちの後ろから――つまりバーネットの正面から現れた。相手が皇女であるので娘たちもあまり大きいことは言えないと知っていて、あえてレウカディアは傲慢とも言える手に出たのだった。
「でも殿下、バーネット様はどうお考えなのかしら? 殿下が無理やりお誘いになったって、バーネット様はちっとも嬉しくなんかないはずですわ」
「まあッ」
 ちょっと気丈な娘が胸を張って言い返した。レウカディアの頬がみるみる真っ赤になる。欲しいものが手に入らなかったことはほとんどない彼女であったので、こんな場面に直面したことはなかったのだ。
「こんなところで殿方一人を奪い合ってなんとなさるおつもり? おはしたない」
「皇女殿下と最初に踊られたということがどういう意味か、あなたたちもご存知でしょう。そうそうちょっかいを出すんじゃありませんよ」
「たしなみある女性なら、男性からお誘いがあるまでじっとしておいでなさい」
 まさに運命の三女神とバーネットは思った。宮廷の三大重鎮とも呼ばれるハデリ侯爵夫人イリアとランドバルゴ侯爵夫人エウラリア、アルター侯爵夫人イレイラが、さらにその後ろに女魔道師シャルラを従えて優雅に歩いてきたのである。少女たちのなんだかつまらない意地の張り合いだった言い合いはもろくも崩れ、しぶしぶながら少女たちは皇女に勝利を譲ったのだった。
「ありがとうございます。ドムナ・イリア、ドムナ・エウラリア、ドムナ・イレイラ。さあバーネット、もう一曲だけ踊ってちょうだい。これで最後にするんだから」
「あ、はあ」
 バーネットはレウカディアに腕を引っ張られながら三人の侯爵夫人たちにちらりと目をやり、軽く会釈して通り過ぎようとした。
「全く、あなたも罪な方ね」
 青い瞳にちょっと笑みを浮かべて、金色の肌のイリアはうぶな青年なら一目で参ってしまいそうな流し目をくれたのだった。

「Chronicle Rhapsody6 エトルリアの侵攻」 完

用語解説
サビナ……貴婦人の称号。既婚・未婚を問わず、同じか目下、年下の女性に使う。
ドムナ……貴婦人の称号。主に年配、目上の女性に使う。マダムに相当。


楽曲解説
「哀讃歌」……キリエ。神の哀れみを請う歌。
「マドリガル」……十四および十六、十七世紀イタリアの多声楽曲。恋の歌などを歌うことが多い。


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